Hatena::ブログ(Diary)

キリンが逆立ちしたピアス このページをアンテナに追加 RSSフィード

2010-04-29

[][][]村上春樹と、子どもとのセックス

*直接的な性描写があります

 村上春樹1Q84」のBOOK3が飛ぶように売れているようだ。大ベストセラーである。

1Q84 BOOK 3

1Q84 BOOK 3

私は、兼ねてより気になっているのだが、「1Q84」BOOK2には、はっきりと子どもとのセックスの描写がある。成人男性である天吾は、17歳のふかえりにペニスを挿入する。次のような描写である。

 そんなできたての小さな性器に、彼の大人のペニスが入るとはとても思えなかった。大きすぎるし、硬すぎる。痛みは大きいはずだ。しかし気がついたとき、彼はすでに隅から隅までふかえりの中に入っていた。抵抗らしい抵抗はなかった。ふあけりはそれを挿入するとき、顔色ひとつ変えなかった。呼吸が少し乱れ、上下する乳房のリズムが五秒か六秒のあいだ微妙に変化しただけだった。それを別にすれば、何もかもすべて自然で、当たり前のことであり、日常の一部だった。

(303ページ)

1Q84 BOOK 2

1Q84 BOOK 2

私はだから、「1Q84」を法規制すべきだとは思わない。だが、現在、日本で売れに売れている小説の中に、子どもとのセックスが描かれていることを、どう考えればいいのだろうか。

 もちろん、「1Q84」は小説作品であり、文脈から切断してこの描写を判断することはできない。作品中では、セックスは儀式として描かれ、作品中に必然性をもって性的な場面が挿入されている。そういう点で、この描写は、「表現の自由」として法規制を免れるだろう。だが、先日、話題になった「非実在青少年をめぐる問題」*1においても、はたして「表現の自由」は、ほかの法益があるときに最優先して保護されるべきなのか、という疑問が出されている。もちろん、都条例においては、小説作品は除外されているので、規制の対象にはならない。しかし、法規制の問題としてではなく、倫理的問題として、子どもとのセックスを描写することを考えるとき、「1Q84」も考察の俎上にあげられるだろう。

 私が問題にしたいことは、多くの日本でこの作品を手に取る人たちは、「1Q84」の中の、子どもとのセックスの描写を、どのように読んでいるのか、ということだ。それは、いわゆる「児童性愛」とカテゴライズされるものだが、読者はこの作品を楽しむときに、そのことをどう認識するのか。自らも、「児童性愛者」であると考えるのだろうか。そんなことはないだろう。「村上春樹はすばらしい」というとき、こうした「児童性愛」の側面を指すことは、少ない。多くの「文化人」が、べた褒めにし、「現代思想」と「ユリイカ」が同時に特集を組む作品である。

 カフカ賞の候補にも選ばれるハルキ。イスラエルで、「卵の側に立ちたい」とスピーチするハルキ。こうした、「世界のハルキ」が、17歳の少女の膣にペニスを挿入する場面を描いても、読者は「文学」として「芸術」として、お咎めなく楽しむことができる。カラフルな表紙の、漫画絵で少女が描かれたポルノとは、まったく別物のように感じられるだろう。だが、それは、子どもとのセックスの描写なのである。

 私が問題だと思うことは、村上春樹の小説に、子どもとのセックスの描写があることではない。一方で、「非実在青少年」という言葉で子どもとのセックスの描写に法規制がかけられながら、もう一方で子どもとのセックスの描写がある作品が、そのことを問題化されることもなく、ベストセラーとして本屋で溢れんばかりに配架されている。この両者のアンバランスさに、違和感を覚えるのである。繰り返すが、私は両者が法規制されればいいとも思わないし、両者が無批判に氾濫すればよいとも思わない。ただ、これはダブルスタンダードであり、日本における、子どもとのセックスについての言説の混乱を、端的に表しているようにも思う。子どもとのセックスの描写は、一部分では嫌悪され、一部分では熱烈に愛好されている。そして、嫌悪される描写を好むのが「児童性愛者」であり、愛好される描写を好むのが、肩書きのないヘテロマジョリティではないのか。もちろん、両者はきっぱりと分かれるようなものではないだろう。だが、私は、子どもとのセックスの描写を、「一部の児童性愛者」<だけ>の問題ではなく、名乗ることもないヘテロマジョリティの問題でもあるというふうに、投げ返していきたいと思っている。*2

追記

中森明夫が、週刊朝日2009年8月6日号で「村上春樹の『1Q84』は児童ポルノだ!?」という書評を書いているようですね。web上に転載しているのを目にしました。「この小説をめぐり各所で批評家らが様々な謎解きを披露しているが、謎解きも何もない。著者のメッセージは明白だ。少女とセックスするのは素晴らしい! これに尽きる。」という記述があるとの話です。(実際の記事は確認していません)

2009-02-19

[][]「日本人」として村上春樹スピーチを聞く

 私は、村上春樹が、エルサレムで語った言葉を、「日本人」として聞いた。

 イスラエルは、国家というシステムを切望する情熱から生み出された。私は、その情熱を持っていない。なぜならば、私は「日本人」であることを生まれながらに付与され、特権を享受し、国家に守られて生きてきたからだ。それが当たり前にありすぎて、疑うこともなく育った。システム(壁)の内側の人間である。

 村上春樹は、このような「日本人」を相手に小説を書く。読者も、村上春樹を「日本人」だと想定している。「日本人」のコミュニティの中で、「小説家村上春樹」は存在している。たとえ、村上春樹個人が、日本を嫌って移住しても。

 村上春樹は、エルサレムで「私は小説家である」と言った。このとき、「日本人」コミュニティ内での「小説家村上春樹」と、エルサレムスピーチを行う村上春樹は接続される。多くの「日本人」は、エルサレムスピーチする村上春樹を「日本人」として見ていた。私もそうである。もし、村上春樹を「日本人」だと思っていなければ、私はこんなに彼のスピーチに注目しただろうか。

 村上春樹は、個人(卵)としての言葉を発そうとする。しかし、その言葉は、私に届くときに、すでに「日本人」の発言になってしまっている。村上春樹の言葉を尊重しようとも、私は彼が「日本人」コミュニティで「小説家村上春樹」というステイタスの基盤を持っているという文脈を外すことはできない。だから、私は、自らの「日本人」性を意識せずに、「日本人」である村上春樹の言葉を聞くことはできないのだ。

 そして、村上春樹は、この構造に気づいているだろう。もっと簡単にいえば、自分のスピーチが、イスラエル社会に与えるインパクトよりも、日本社会に与えるインパクトの方が大きいと気づいているだろう、ということだ。このスピーチは「日本人」から「日本人」へと発せられている。

 私は、村上春樹スピーチに感動し、拍手をする。エルサレムで拍手をした(一部の)イスラエル人たちと同じように。この誠実でレトリカルなスピーチは、システム(壁)によって個人(卵)の尊厳を守られている人たちへと向けられている。また、彼のスピーチを批判したところで、同じことなのだ。私が個人として村上春樹を称賛し、批判できる自由を保障しているのは、国家というシステムにほかならないからだ。

 このアイロニカルな構図は、政治理論で延々と議論されている。国家に代わる、自由を保障するシステムはありえるのか――わからない。ただ、わかることは、私は明日もこのシステムの内側で自由を享受し、個人として生きていくことだ。浮かれて幸福感に酔いしれようが、神妙な顔で悩もうが、それは変わらない。

 では、何もできないのか――わからない。

 ただ、村上春樹は、「日本人」のコミュニティ内で沸き上がった議論をきっかけに、エルサレムに出向いた。パレスチナ人のためでもなく、イスラエル人読者のためにでもなく、自分のために。私は、自分のためにエルサレムに出向くことはできるだろうか。どこか、「パレスチナの人たちのために」または「イスラエルで抑圧されている人たちのために」と口走ってしまうのではないか。さらには、「無関心な日本人の責任を(勝手に)背負って」と言ってしまうのではないか。村上春樹は(たとえそれがレトリックであろうとも)、他の誰かを口実にしなかった。かたくなに「個人として」やって来たのだと主張する。

 上記のように、構造によって、村上春樹は「個人として」エルサレムに出向いても、語り始めれば「日本人として」みなされ、システムの内側にとりこまれる。しかし、少なくとも、私は村上春樹がそのシステムの内側から――素朴と言っていいやり方で――抜け出そうとし、その試みがシステムに吸収される過程を目撃した。村上春樹がとったのは「心をこめて話す」というやり方である。

 茶番だと言ってしまえば、それだけである。これは、私はその茶番劇に感動するほどしか、パレスチナの問題にコミットメントしていない、と白状することになるかも知れない。ただ、私は村上春樹が「正直に語る」と言ったのを、愚直に受け取って、その態度に応えたいと思っている。私は感動したし、とてもよいスピーチだと感じた。

 繰り返しになるが、それは私が「日本人」という特権を握り、システムに守られていることを証明してしまう。それは、それで事実なのだ。この反復の中で、政治へのコミットメントは重ねられていくのだろう。特権を放棄した政治はありえず、コミットメントは常にエリートによって行われ、サバルタンは周縁化される。その上で、何をするのか。

2009-02-17

[][]津村記久子ポトスライムの舟」(芥川賞受賞作)

 「文藝春秋」に、今年の芥川賞受賞作が出ていたので、買って読んだ。今回は津村記久子ポトスライムの舟」であった。派遣社員としてライン作業で働き、奈良で母親と生活している女性、ナガセの日常を綴った物語である。ナガセは29歳から30歳になる節目に、163万円を貯めて、世界一周旅行に行こうと決める。地道に節約生活を始めた折に、家を飛び出してきた主婦りつ子とその娘恵菜が転がり込んでくる。*1淡々と生活の糧を稼ぎ、切迫していながらも、どこか飄々としたナガセの語り口は、いかにも現代的だ。

 平凡な日常を描いているだけなのに、最後まで読みきらせてしまうだけの緊張感がある。舞台を東京ではなく、奈良にしたのがよかったのかもしれない。ナガセの母親は、りつ子が転がりこんでくると、「じゃあ、この部屋を」とあっさり受け入れ、恵菜の面倒もみてやる。しかし、子どもに対して、執着があるわけでもなく「いつか出ていくからかわいがれるんやん」とあっさり言う。ナガセも厳しい状況の中で、友人や母親と、うすく繋がりながら、そこそこ楽しみを見出せるような人物造形になっている。この鷹揚さは、地方都市ならではかもしれない。私も、何人かの友人を、思い浮かべることができる。

 しかし、本当に何も起きない小説である。石原慎太郎*2は「無劇性の劇」であると選評で述べている。確かに、劇的であることは小説の必須条件ではない、ということはわかっている。しかし、アンチテアトルな作品は、劇的な作品群にポツンと入りこむから、新鮮なのだ。アンチテアトルであることがスタンダードになるような日本の文藝界では、際立ちようもない。

 ところで、私は、ある女性のweb上の日記を5年ほど読み続けている。彼女は現在、ピッキング作業に従事し、マダガスカル島に行くことを目標に、貯金をしている。特に何も事件は起きない日記である。なぜ私は読み続けているのか。彼女の日常生活に対する目線の置き方が、時には優しく、時には辛らつで好きなのかもしれない。それにわりと上手な文章なので、だらだら読んでいる。特に私にも理由はないし、議論をするわけでもない。

 もちろん、その女性の日記より、津村さんの小説は格段に緻密で巧い文章である。しかし、日記を綴る彼女が「マダガスカル島に行く」と貯金を本格的に始めるにいたる現在まで、私は5年も彼女の日記を読んできた。彼女の日記は、もしかするとフィクションかもしれない。しかし、その決意と、彼女が節約にかける思いの機微は、5年分の重みも込みで、私は受け取っている。リアリティーが圧倒的なのだ。

 webのメディアは、不特定多数の人に、日記を公開することを可能にした。私には、日記を通して、すでに他人の生活を覗き見することが、当たり前になっている。精度が高くても、やはり津村さんのような作品は、どこか「デジャヴュ」をもたらして、新鮮さに欠ける。

 細やかな日常の描写を通して、見逃されがちな幸福や不幸がある、ということは、私たちはあまりにもよく知っている。その上で、あえて小説を読むということは何か。津村さんの作品に好感を持ちながら、<津村さんの>小説を読むことについて、考えてしまった。

 

[][]村上春樹エルサレムでのスピーチ

 エルサレムの現地紙「Jerusalem Post」を池田信夫が紹介している。池田さんありがとうございます。

So I have come to Jerusalem. I have a come as a novelist, that is - a spinner of lies.

Novelists aren't the only ones who tell lies - politicians do (sorry, Mr. President) - and diplomats, too. But something distinguishes the novelists from the others. We aren't prosecuted for our lies: we are praised. And the bigger the lie, the more praise we get.

The difference between our lies and their lies is that our lies help bring out the truth. It's hard to grasp the truth in its entirety - so we transfer it to the fictional realm. But first, we have to clarify where the truth lies within ourselves.

Today, I will tell the truth. There are only a few days a year when I do not engage in telling lies. Today is one of them.

When I was asked to accept this award, I was warned from coming here because of the fighting in Gaza. I asked myself: Is visiting Israel the proper thing to do? Will I be supporting one side?

I gave it some thought. And I decided to come. Like most novelists, I like to do exactly the opposite of what I'm told. It's in my nature as a novelist. Novelists can't trust anything they haven't seen with their own eyes or touched with their own hands. So I chose to see. I chose to speak here rather than say nothing.

So here is what I have come to say.

If there is a hard, high wall and an egg that breaks against it, no matter how right the wall or how wrong the egg, I will stand on the side of the egg.

Why? Because each of us is an egg, a unique soul enclosed in a fragile egg. Each of us is confronting a high wall. The high wall is the system which forces us to do the things we would not ordinarily see fit to do as individuals.

I have only one purpose in writing novels, that is to draw out the unique divinity of the individual. To gratify uniqueness. To keep the system from tangling us. So - I write stories of life, love. Make people laugh and cry.

We are all human beings, individuals, fragile eggs. We have no hope against the wall: it's too high, too dark, too cold. To fight the wall, we must join our souls together for warmth, strength. We must not let the system control us - create who we are. It is we who created the system.

I am grateful to you, Israelis, for reading my books. I hope we are sharing something meaningful. You are the biggest reason why I am here.

 そして、すでに翻訳してくださっている方がいる。

祭谷一斗「村上春樹エルサレム文学賞受賞スピーチ抄訳」

http://maturiyaitto.blog90.fc2.com/blog-entry-139.html

 さらにハルキ風翻訳。

笹部 政宏「村上春樹さんのイスラエル講演をハルキ風に和訳してみた」

http://ahodory.blog124.fc2.com/blog-entry-201.html

 ねとらぼのニュース*3によれば、元のスピーチをたどって翻訳している方もいる。id:nakamu1973さんのコメント。

どうやら「エルサレム・ポスト」はイスラエルに都合の悪い表現を省略する傾向があるみたい。考えてみれば、あたりまえの話ですね。迂闊でした。

nakamu1973「卵と壁」

http://d.hatena.ne.jp/nakamu1973/20090217/1234789406

 id:sho_taさんのところで、現在進行形で翻訳作業中です。

sho_ta「村上春樹のスピーチを訳してみた(要約時点)進化版」

http://d.hatena.ne.jp/sho_ta/20090216/1234786976

 私の現在の気持ちは、「うわ〜、春樹さん、ほんまに言った。すごい!」という感じです。素直に言うと。日本でイスラエルを批判するのは、簡単。*4だけど、イスラエルの人たちの前で、それを口にするのは、ものすごくハードなこと。私の中の春樹さん像*5が変わるかも、くらいびっくりした。

 私は以下の部分が最高にカッコイイと思う。

【来ることを決心した理由のひとつは、非常に多くの人が僕に「行くべきではない」と言ってきたことです。】多くの小説家がそうであるように、僕は僕が天の邪鬼であることを好んでいますし、それは僕の、小説家としての本質に関わることです。

http://d.hatena.ne.jp/sho_ta/20090216/1234786976

春樹さんが、ブログで(たとえば私とかが)ワーワー言っていることを目にしていたのかはわからない。春樹さん自身の置いてきた作家としてのポジションからいって、多くの春樹さんの知人が、今回の受賞に関して直接的に春樹さんにコメントしたんじゃないかと思う。私はいまだにネットの影響力を信じていないし、力のある政治活動だとも思っていない。それでも、カタルシスがあったことは確かだった。あと、文学に希望が灯った気分だった。

 もちろん、ガザの状況が、このスピーチで変わることは(ほとんど)ないだろう。だが、文学を読んだり作家の道を志す若い人が、今回の春樹さんのスピーチを目撃できたことはラッキーだったと思っている。もし、私が中学生*6だったら、この事件は忘れない。

 今日、今年の芥川賞の受賞作を読んだので、よけいにそう思った。

追記

 id:eireneさん経由で。スピーチの全文が掲載されたようです。

"Always on the side of the egg "

http://www.haaretz.com/hasen/spages/1064909.html

*1:そうえいば、川上美映子の「乳と卵」も子のない女性の元に、子をつれた女がやってくるような話だった。流行り?

*2:好きではないけど、今年の選評は、ほとんど同意だった……何か共感して揺さぶるものがないと、小説って魅力ないように思う。

*3http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0902/17/news061.html

*4パレスチナを批判するのはもっと簡単……なはずだけど、左翼アカデミズムの中ではパレスチナを批判するのはタブーなのかな?このへんは人によって言うこと違うのでわかりません。たしかに、私がこのブログパレスチナを批判するのは大変かも。いや、私はいかなる理由があろうとも、ゲバルトは批判しますが。パレスチナ武装勢力も含めて。「殺すな」

*5:実のところ、私は「クロニクル」が好き(いや、うん、好き)なので、ちょっと期待してるところもあったので。いいなあ〜文学者ってかっこいいな〜。

*6:私が「ノルウェイの森」読んで、あまりのエロ描写に困惑したお年頃。

2009-02-11

[][]「村上春樹さんに「エルサレム賞」辞退求める」という件の新聞記事

大阪の団体、村上春樹さんに「エルサレム賞」辞退求める

イスラエル最高の文学賞エルサレム賞の受賞者に決まった作家、村上春樹さんに対して、大阪の民間団体「パレスチナの平和を考える会」がホームページに公開書簡を掲載し、受賞の辞退を求めている。欧米などから集まった賛同者約800人の署名を、村上さんに渡したいという。

 同会はホームページ上に、村上さんへの公開書簡として、同賞は「社会における個人の自由」への貢献を讃(たた)えるものとしているが、イスラエルがガザで行った虐殺などは賞の趣旨に反する、などとした文書を掲載している。同会の役重善洋(やくしげ・よしひろ)事務局長は「国際的に有名な村上さんの受賞は、イスラエルの戦争犯罪を隠し、免罪することにつながる」と懸念している。

http://www.asahi.com/national/update/0210/OSK200902100080.html

パレスチナの平和を考える会」の公開書簡は以下。

2009年1月29日

エルサレム国際ブックフェア参加と「エルサレム賞」受賞に関する

村上春樹氏への公開書簡

エルサレム国際ブックフェア参加と「エルサレム賞」受賞のキャンセルを求めます。

私たちは、来る2月15日から20日にかけてエルサレムで行われる第24回エルサレム国際ブックフェアに、あなたが参加され、「エルサレム賞」を受賞されることになっているとのニュースを聞き、大変にショックを受けています。

私たちは、イスラエルがガザで1300人以上の尊い命を奪い、500人の重傷者を含む5300人以上の負傷者を出し、大勢の人々の生活を破壊しつくすという戦争犯罪を犯した直後のこの時期に、世界的に著名な小説家であるあなたが、イスラエル外務省、エルサレム市が全面的にバックアップする公的行事であるこのブックフェアに参加され、エルサレム市長から「エルサレム賞」を受賞されるということの社会的・政治的意味を真剣に再考されることを強く求めるものです。

とりわけ、深刻な点は、「エルサレム賞」が「社会における個人の自由」への貢献を讃えるとしていることです。この間、イスラエルがガザで行ってきた虐殺や封鎖政策、そして東エルサレムで行っている入植地や「隔離壁」の建設といった犯罪行為は、パレスチナ人の自由を抹殺する行為であり、「エルサレム賞」の表向きの趣旨に真っ向から反するものです。あなたが「エルサレム賞」を受賞することで、イスラエルがあたかも「社会における個人の自由」を尊重している国であるかのようなイメージが、メディアを通じて流布されることになります。私たちは、この間、イスラエルパレスチナ人に対して組織的継続的に行ってきた想像を絶する人間性破壊の行為が相対化され、イスラエルが免罪されていく事態を恐れます。

国連人権問題調査官のリチャード・フォーク氏は、イスラエル軍がジュネーヴ議定書に対する重大な違反を犯した「明らかな証拠」があると語っています。ヨーロッパの市民団体は国際刑事裁判所に責任者を提訴する準備を進めています。かつてのワルシャワゲットーを想起させる今回の虐殺を繰り返さないためには、国際社会は、耳をふさぎ続けるイスラエルに対して「虐殺を許さない・見逃さない・忘れない」というメッセージをあらゆる機会を利用して訴え続けていく道徳的義務を果たさなければならないと考えます。このことと「エルサレム賞」受賞は明らかに矛盾すると私たちは考えます。

また、昨年11月にエルサレム市長に当選したニール・バラカット氏は、これまでの歴代市長と同様、東エルサレムにおける違法入植地の建設続行を表明しています。エルサレムの首都化、東エルサレムの併合、同地区への入植地建設は、いずれも国際法違反でありながら、イスラエルが強引に既成事実化をはかってきているものです。その結果、真の和平はますます遠ざかりつつあり、エルサレムのみならず、被占領地に暮らすパレスチナ人全体がアパルトヘイト政策の犠牲者となっています。彼らの「社会における個人の自由」はイスラエルによって徹底して抑圧され続けていると言わざるを得ません。この対パレスチナ人抑圧政策の中心にいるバラカット・エルサレム市長から「エルサレム賞」を受賞することは、イスラエルのアパルトヘイト政策を隠蔽し、擁護することになると言わざるを得ません。そして、そのことは決してあなたの本意ではないと私たちは信じます。

どうか、今も人間としての自由と尊厳を否定され続けている、そしてそのことに対し、日々を生き抜くというかたちで抵抗を続けているパレスチナ人たちの存在に目を向けてください。そして、「エルサレム賞」を受けるという行為が、今の中東情勢のなかで、世界にどのようなメッセージを与えうるのか、イスラエルにとってどのような宣伝効果を持ちうるのか、そして、満身創痍のパレスチナ人をさらに追い詰める危険性がないのか、再度、検討いただくことを誠心誠意、希望する次第です。

2009年1月29日

パレスチナの平和を考える会(Palestine Forum Japan)

http://palestine-forum.org/doc/2009/0129.html

[][]村上春樹への手紙(フラ語版・スペ語版)

 ビーさんの村上春樹への手紙(上のものとは別)が、フランス語版、スペイン語版に翻訳されている。授賞式は2月15日ごろらしい。*1


フランス語版

「le Prix Jérusalem : Cher Haruki Murakami 村上春樹さんへの手紙」

http://d.hatena.ne.jp/shohoji/20090206/1233908596

Cher Haruki Murakami,

Ayant appris que vous avez obtenu le Prix Jérusalem, - prix littéraire dans lequel la ville de Jérusalem/Israël, est comme son nom l’indique partie prenante-, je ne peux dès lors, malgré que vous l’ayez amplement mérité, vous féliciter comme il se doit pour cette reconnaissance internationale. D’après ce que j’en ai lu, ce prix est décerné tous les deux ans à un écrivain dont l’oeuvre témoigne de la liberté de l'homme dans la société, ainsi de façon apparemment contradictoire, je vous demande de refuser ce prix au nom de cet idéal que vous défendez mais que les instances officielles qui chapeautent cet évènement, bafouent allégrement. Vous connaissez certainement tout ce que je vais écrire et il ne devrait même pas être nécessaire que je vous en fasse part. Jusqu'il y a peu, Israël a mené de lourdes opérations militaires dans la bande de Gaza, accompagnées d’un embargo général provoquant la pénurie d'articles de première nécessité même pour les hôpitaux, ce qui causa la mort de nombreux patients, réduisant en ruines des quartiers entiers des villes et laissant derrière elles, quelques 1.300 morts dont pour un tiers, des enfants. Bien que les attaques aient été régulées à la baisse ces derniers temps suite à l’établissement d’un cessez-le-feu précaire, la bande de Gaza est encore sous sanctions économiques et le million et demi de Gazawis survit à peine avec très peu de nourriture et se retrouve prisonnier de ce territoire transformé en immense geôle.

Sir Gerald Bernard Kaufman, citoyen juif du Royaume-Uni qui a perdu toute sa famille victime de l’Holocauste nazi, s’est exprimé ainsi devant le Parlement Britannique le 15 janvier dernier :

« Ma grand-mère était au lit malade quand les Nazis sont arrivés dans son petit village de Staszow. Un soldat allemand l'a tuée dans son lit froidement d’une balle dans la tête. Je ne veux pas que la mort tragique de ma grand-mère puisse servir d’excuses à Israël pour ordonner à son armée d’assassiner à son tour des grands-mères palestiniennes à Gaza. L'actuel gouvernement a exploité de manière systématique et cynique la culpabilité ressentie par les Gentils (terme biblique désignant les non-Juifs) à cause de l’holocauste pour justifier l’assassinat des Palestiniens. Et par conséquent, considérer que les vies des Juifs sont précieuses tandis que celles des Palestiniens sont sans valeur »

ou encore voyez cet article écrit par un Juif new-yorkais qui développe lui aussi cette même contre–argumentation à l’égard de la politique d’Israël :

http://www.denistouret.net/textes/Finkelstein.html

Vous pourriez me répliquer que tout ceci n'est que le fait du gouvernement d'Israël et que ce prix littéraire n’a rien à y voir. Toutefois, si par essence, la littérature est toujours politique pour toucher à l'homme, ce prix littéraire est quant à lui, plus que politique et Israël vous utilise comme «leurre». J'ose croire, Monsieur Murakami, que vous en êtes conscient. Qu'est-ce qui se serait passé si ce prix avait été accordé par le gouvernement d’Afrique du Sud pendant l'apartheid : combien de romanciers, poètes, critiques l’auraient accepté ?

Traitons le sujet sous un autre angle et commençons par son intitulé : " Prix Jérusalem". Jérusalem est une ville historique qui constituait le centre religieux, culturel et social de la Palestine où Juifs et Arabes vivaient en harmonie (à l’exception de quelques tensions sporadiques). La résolution des Nations Unies de 1947 a désigné Jérusalem comme zone sous administration internationale. La guerre de 1948 a aboutit à la division de la ville sainte ( ‘Ville de la Paix’ est la traduction fidèle de son nom d’origine hébraïque) : la partie ouest administrée par Israël et la partie est par la Jordanie (Cisjordanie). Israël prit possession de Jérusalem Est pendant la ‘Guerre des 6 jours’ en 1967 et en fit sa capitale. Cette annexion n'a pas été reconnue par les instances internationales et aucun pays n'y a d’ambassade. Les Palestiniens qui vivent à Jérusalem Est, payent de lourds impôts et reçoivent en échange une carte de «Citoyen de Jérusalem", laquelle carte n’octroie pas la citoyenneté israélienne et il leur est juste permis d’y vivre mais ce droit est facilement révocable comme sanction s’ils enfreignent un règlement quelconque. La construction et même la rénovation de maisons y sont interdites et quelques résidences ont été détruites comme exemple punitif à la violation de cette loi. D'autre part, les implantations juives, créées en spoliant les Palestiniens de leurs terres, sont en perpétuelle augmentation au point que plus de deux cent mille Juifs y vivent actuellement. Veuillez, s’il vous plait, jeter un œil sur cette carte : http://0000000000.net/p-navi/info/column/200508310306.htm

Israël interdit aux autres Palestiniens d’aller vivre dans la partie Occidentale (West Bank) et même de simplement visiter Jérusalem. Le gouvernement renforce encore cette politique en édifiant des murs de séparation (qu'ils ont même construits en traversant Jérusalem Est). Vous et moi, Monsieur Murakami, pouvons entrer à Jérusalem comme bon nous semble mais la majorité des Palestiniens ne le peut pas. Le maire de la ville, chargé de vous remettre ce prix, est entièrement d'accord avec cette politique et la "Jérusalem" du " Prix Jérusalem" est la ‘Jérusalem d'Israël’ et pas la cité historique. Celle qui exclut tout ce qui est palestinien en violation de la résolution de l'ONU et en s’imposant unilatéralement. La lecture de cette longue lettre devrait vous avoir démontré combien ce prix est aux antipodes de cette « liberté de l'homme dans la société».

Dans une interview donnée au San Francisco Chronicle, vous vous êtes exprimé ainsi :

Q : On dit que l'Histoire joue un rôle très important dans la trame de vos derniers écrits : êtes-vous d’accord avec cette affirmation ?

R : Oui car je crois que l'Histoire constitue la mémoire collective de l’humanité. Quand j'écris, j'utilise non seulement ma propre mémoire mais aussi cette mémoire collective. J'aime lire des livres d'histoire et particulièrement sur la Seconde Guerre Mondiale. Je suis né en 1949 donc après cette guerre mais je resens d'une certaine manière, ma responsabilité engagée pour cette guerre : je ne sais pas pourquoi. Beaucoup de gens me disent « je suis né après la guerre et par conséquent, je n'ai aucune responsabilité dans ce qui s’est passé» - je ne sais rien sur les femmes chinoises qui ont été soumises à la prostitution et le massacre de Nanking mais comme auteur de fiction, je veux faire quelque chose à l’encontre de toutes ces atrocités commises. Nous devons être responsables par la mémoire. Mes histoires ne sont pas écrites de manière réaliste mais on doit y voir la réalité. C’est notre obligation et notre responsabilité.

http://www.sfgate.com/cgi-bin/article.cgi?f=/c/a/2008/10/24/RVL713GP8T.DTL

En parlant de mémoire collective à laquelle vous vous référez, celle du peuple palestinien sur la fondation d’Israël, a été constamment occultée par la force et historiquement parlant, ce "Prix Jérusalem" a joué un rôle important dans cette mascarade. Nous vous serions reconnaissants si vous pouviez, à tout le moins, réserver dans votre mémoire collective un petit espace pour la mémoire collective du peuple palestinien déplacé sans ménagement et pour le petit nombre de Juifs qui s'opposent à la politique d’Israël. Il serait fantastique si vous pouviez inclure dans « nos mémoires pour lesquelles nous devons être responsables» les mémoires sur ce qu'Israël a initié une année avant votre naissance.

Bien sûr, il reste l'option de répéter ce que Susan Sontag a fait lors de la remise de son prix. Voici ce qu'elle a déclaré dans son discours d'acceptation en 2001 :

« Je crois que la doctrine de responsabilité collective comme raison justificative d’opérations punitives collectives, ne peut jamais trouver justice à mes yeux que ce soit militairement ou moralement. J’en réfère aux tirs d’une puissance de feu disproportionnée contre les populations civiles, à la destruction de leurs maisons, de leurs récoltes et de leurs champs, à la dépravation de leurs moyens de vie, à la limitation de l'accès à l’emploi, à l’éducation, aux services médicaux et au libre accès vers les communautés voisines … tout cela en guise de représailles pour des activités militaires hostiles qui pourraient ou ont déjà eu lieu dans l’entourage de ces populations civiles. Je crois aussi qu'il n'y aura pas de paix tant que les implantations de colonies juives ne s’arrêteront pas et je dirai même plus, tant qu’une loi obligeant le démantèlement forcé de ces implantations n’entrera pas en vigueur» http://web.archive.org/web/20011114221859/http://www.ajds.org.au/intifada/sontag2.htm

Refuser ce prix est une façon simple de ne pas en être complice.

Si toutefois, Monsieur Murakami, vous persistez à vouloir aller à Jérusalem pour recevoir ce prix, commencez par aller visiter Jérusalem Est et découvrez les murs immenses qui séparent les gens, les abondants points de contrôle et les villes du West Bank complètement ceinturées et inhabitées et surtout prêtez une oreille attentive aux gens de la Palestine car il vous sera facile d’échapper à vos gardes israéliens et de vous déplacer seul aux alentours et si vous ne savez ni où, ni comment, demandez à l’AIC (The Alternative Information Center) de vous guider.

J'espère sincèrement, que vous ne trahirez ni votre propre œuvre, ni vos nombreux lecteurs mondialement répartis.

Enfin, permettez -moi de vous présenter un essai autobiographique d’une chercheuse juive qui vit aux USA, Sara Roy. Elle explique comment Israël dépouille l'homme de sa liberté et de sa dignité et parle de la mémoire collective des dissidents israéliens :

“Living with the Holocaust : the Journey of a Child of Holocaust Survivors” http://www.zmag.org/znet/viewArticle/11400

Bien respectueusement

=>

Lettre adressée par Bii Kamimura à H. Murakami et traduite librement en français par shohoji à la bonne attention de la communauté francophone

<=

translation by shohoji

http://d.hatena.ne.jp/shohoji/20090206/1233908596

スペイン語版


Carta abierta a H.Murakami para que rechace el Premio Jerusalén 2009

オリジナル筆者:Bii Kamimura

スペイン語翻訳者:M.C.Valecillos

Por:

Bii Kamimura

Querido Haruki Murakami:

Me he enterado de que ha ganado el "Premio Jerusalén", un premio literario en el que la ciudad de Jerusalem, en Israel, está muy involucrada. Sin embargo, no me siento capaz de extenderle mis felicitaciones. De acuerdo a lo que he escuchado, este premio es otorgado a autores que reflejan 'la libertad del hombre en la sociedad". Le pido, por favor, que rechace este premio. No es que no lo merezca, son ellos lo que no están calificados para decir nada acerca de "la libertad del hombre en la sociedad".

Usted debe saber esto y no debería ser necesario que yo lo escribiese: hasta hace poco, Israel estaba llevando a cabo masivas operacionese contra Gaza, Palestina, donde sanciones económicas ya habían implementado la escasez de artículos de primera necesidad y causado la muerte de numerosos enfermos, volviendo ruinas la ciudad y asesinando a más de 1.300 personas, un tercio de ellas niños. Aunque los ataques se han hecho menos frecuentes, Gaza está todavía bajo sanciones económicas, y un millón y medio de personas está luchando para sobrevivir con poco para comer en lo que se ha convertido en una gigantesca prisión.

Sobre esta situación, Sir Gerald Bernard Kaufman, un ciudadano judío del Reino Unido que perdió su familia en el holocausto, habló ante el Parlamento Británico el 15 de enero:

"Mi abuela estaba en cama enferma cuando los Nazis llegaron a su pueblo de Staszow. Un soldado alemán la mató disparándole a la cabeza en su cama.

Mi abuela no murió para servir como excusa a los soldados de Israel para asesinar abuelas Palestinas en Gaza. El actual gobierno de Israel ha explotado de manera implacable y cínica la culpa entre los Gentiles por el asesinato de Judíos en el holocausto como una justificación para asesinar Palestinos. La implicación es que las vidas de los judíos son valiosas, en tanto que las de los Palestinos no cuentan."

Usted puede decir que esto es lo que ha hecho el gobierno de Israel, no el Premio. Sin embargo, no es solo que la literatura siempre es política en tanto sea acerca del hombre, sino que el premio en si es altamente político, e Israel lo está usando a usted como conejillo de indias. Me imagino, señor Murakami, que está usted consciente de esto.

¿Qué habría pasado si este premio hubiese sido otorgado por Sur Africa durante el apatheid; cuántos novelistas, poetas y críticos lo habrían aceptado?

Tratemos otro ángulo: reflexionemos sobre el título "Premio Jerusalén".

Jerusalén es una ciudad histórica que constituía el centro religioso, cultural y social de Palestina, en la que Judíos, Palestinos y Musulmanes vivían juntos (excepto por algunos problemas esporádicos). La resolución de las Naciones Unidas de 1947 designó a Jerusalén como una zona bajo administración internacional. La guerra de 1948 la dividió de manera tal que la parte oeste pasó a ser gobernada por Israel y la parte este por Transjordania. Israel se adueñó de Jerusalén Oriental en la Guerra de los 6 días y la declaró su capital.

Esta anexación no ha sido reconocida internacionalmente, y ningún país tiene embajada en Israel.

Aquellos Palestinos que viven en Jerusalén Oriental y pagan fuertes impuestos a Israel reciben una carta de "Ciudadanía de Jerusalén" (la cual no es una ciudadanía israelí), y se les "permite vivir" allí. Pero este derecho es fácilmente revocable como sanción a infrigir varias regulaciones. No se permite la renovación de casas, y algunas residencias han sido destruidas como castigo a la violación de tal regla. Por otra parte, los asentamientos judíos, creados arrebatándole a los Palestinos sus tierras, aumentan constantemente, tanto así que más de doscientos mil judíos viven allí actualmente.

Mire este mapa para que tenga una referencia:

http://0000000000.net/p-navi/info/column/200508310306.htm

Israel prohíbe a los Palestinos que viven en la Margen Occidental (West Bank) y en otros lugares visitar Jerusalén, y el gobierno refuerza esta política con muros de separación (los cuales han sido construidos aún atravesando Jerusalén Oriental). Usted y yo, señor Murakami, podemos entrar a Jerusalén, pero la mayoría de los Palestinos no puede.

El alcalde de la ciudad, a quien le tocará entregarle el premio, está de acuerdo con esta política, señor Murakami. Y la "Jerusalén" del "Premio Jerusalén" es la "Jerusalén de Israel", la cual excluye a los Palestinos, violando la resolución de la ONU, y ha sido impuesta unilateralmente por Israel. A estas alturas usted debería haberse dado cuenta de cuán lejos este premio está de "la libertad del hombre en la sociedad".

En una entrevista al San Francisco Chronicle, usted se expresó así:

Q: Se habla de que la historia tiene un papel mayor en sus escritos más recientes ¿Está de acuerdo?

A: Si. Creo que la historia es la memoria colectiva. Cuando escribo, estoy usando mi propia memoria y estoy usando mi memoria colectiva. Me gusta leer libros de historia y estoy interesado en la Segunda Guerra Mundial. Nací en 1949, después de la guerra, pero me siento de alguna forma responsable por esta guerra. No sé por qué. Mucha gente dice, "Nací después de la guerra, por lo tanto no tengo ninguna responsabilidad – No sé nada sobre la mujeres sometidas a prostitución o sobre la masacre de Nanking".

Como escritor de ficción yo quiero hacer algo acerca de estas atrocidades. Debemos ser responsables por nuestras memorias. Mis historias no están escritas de forma realista. Pero uno tiene que ver la realidad. Es nuestra responsabilidad, nuestra obligación.

http://www.sfgate.com/cgi-bin/article.cgi?f=/c/a/2008/10/24/RVL713GP8T.DTL

Hablando de la memoria colectiva a la que usted se refiere, la de los Palestinos sobre la fundación de Israel ha sido siempre oscurecida de forma forzada, y el "Premio Jerusalén" ha jugado un papel en tal operación. Agradecería que usted pudiese reservar en su memoria colectiva tan solo un pedacito de espacio para la memoria colectiva de los Palestinos desplazados y para el pequeño número de judíos que se oponen a las políticas de Israel. Sería fantástico si usted pudiese incluir en esas "nuestras memorias" por las cuales "debemos ser responsables", las memorias sobre lo que Israel comenzó un año antes de que usted naciera. "Atrocidades" también están contenidad en ese premio que le ha sido otorgado.

Claro, también queda la opción de repetir lo que Susan Sontag hizo con el "Premio Jerusalén". A continuación puede leer lo que ella dijo en su discurso de aceptación en 2001:

"Creo que la doctrina de responsabilidad colectiva, como la razón para castigo colectivo, nunca está justificada, ni militar ni éticamente. Me refiero al uso de fuego excesivo contra la población civil, la destrucción de sus hogares y la destrucción de sus siembras y campos, la deprivación de sus medios de vida y del acceso a empleo, educación, servicios médicos, y libre acceso a pueblos vecinos y comunidades… todo como castigo a actividades militares hostiles que pueden o no originarse en la proximidad de estos civiles.

También creo que no habrá paz hasta que se detenga la instalación de asentamientos israelíes en los Territorios, seguido por el eventual desmantelamiento de tales asentamientos. "

http://web.archive.org/web/20011114221859/http://www.ajds.org.au/intifada/sontag2.htm

Rechazar el premio es, sin embargo, una forma de no ser cómplice.

Si de todas maneras insiste en visitar Jerusalén para recibir el premio, señor Murakami, usted debería visitar de antemano la desvastada Jerusalén Oriental, los imponentes muros que dividen y separan la gente, los abundantes puntos de chequeo, y las ciudades del Margen Occidental que están rodeadas e inhabilitadas; escuche a la gente de Palestina. Será fácil para usted escaparse de los guardias israelíes y moverse solo por los alrededores.

Si no sabe cómo o dónde, haga arreglos con el: AIC - The Alternative Information Center

Sólo espero que no traicione sus lectores internacionales y su propia obra.

Para finalizar, déjeme presentarle un ensayo autobiográfico por una investigadora judía que vive en los EEUU. Aquí ella habla de cómo Israel está despojando al hombre de su libertad y dignidad, y acerca de la memoria colectiva de los israelíes disidentes.

Sara Roy, "Living with the Holocaust: The Journey of a Child of Holocaust Survivors"

http://www.zmag.org/znet/viewArticle/11400

Respetuosamente,

Bii Kamimura, Editor at Nablus Tsushin

(traducción no autorizada por M.C.Valecillos)

http://mc-en-japon.blogspot.com/2009/02/carta-abierta-hmurakami-para-que.html

http://www.aporrea.org/internacionales/a71643.html

http://www.laclase.info/arte-y-cultura/carta-abierta-hmurakami-para-que-rechace-el-premio-jerusalen-2009

「Carta abierta a H.Murakami para que rechace el Premio Jerusalén 2009」

http://www.laclase.info/arte-y-cultura/carta-abierta-hmurakami-para-que-rechace-el-premio-jerusalen-2009

2009-01-31

[][][]「拝啓 村上春樹さま ――エルサレム賞の受賞について」(転載用)

 今、あちこちで転載されているだろう「拝啓 村上春樹さま ――エルサレム賞の受賞について」の日本語版と英語版を、うちのブログでも貼り付けようと思います。ところで、いざMLや自分のブログに貼り付けるとき、紹介文を作ったり、テンプレートを整えたりって、ひと手間かかりますよね。ということで、私が実際にMLに流した紹介文付きでのっけておきます。

 あと、英語版にid:toledさんの追記付き。ここがいいよね↓

No, I know there's something called reality, I was born to make a difference there, and I'm going back. And Bii's message is a secret contact device between my dream reality and my real reality.


(以下、転載歓迎)

 先日、小説家村上春樹さんが、イスラエルエルサレム市から「エルサレム賞」に選ばれたことが報道されました。この件に関して、パレスチナ問題の活動家が、賞を辞退するように勧める公開書簡を発表しています。MLなどでの転載可能とのことですので、ご紹介します。(なお、日本語版のあとには、英語版も続けて転載しておきます。)

====

拝啓 村上春樹さま、

この度、村上さんが、イスラエルエルサレム市が大きく関与している文学賞エルサレム賞」を受賞なさるということを聞きました。しかし、お祝いの言葉を私は言うことができません。この賞は「社会における個人の自由」を描いた作者に贈られるとありましたが、村上さんがそれにふさわしくないのではなく、贈る側が「社会における個人の自由」を口にする資格がありません。この賞を辞退なさることをお薦めします。

つい先日までイスラエルパレスチナのガザに大規模な攻撃を行い、その前から経済封鎖を受けて、ほとんどの必要物資に事欠き、重病人はどんどん死んでいったガザをさらに瓦礫の野とし、1300人以上の(しかも3分の1は子どもたちの)人びとを殺したことは詳しく書かなくてもご存知だと思います。攻撃が小止みになっても、ガザは経済封鎖を受けたままであり、150万の人が巨大な監獄と化した場所で生活の糧も失い、なんとか生きながらえています。

これについて、ホロコーストで家族を失ったユダヤ系英国人、ジェラルド・バーナード・カウフマン卿は、1月15日、英国議会下院で演説を行い、その中で以下のように語っています。

……「祖母は、ナチスがスタシュフの町に侵攻したとき、病床にありました。ドイツ軍兵士がベッドに伏せていた祖母を撃ち殺しました。

祖母の死を、ガザにいるパレスチナの祖母たちを虐殺するイスラエル兵士の隠れ蓑にしないでください。現在のイスラエル政府は、パレスチナの人々に対する殺戮行為を正当化するために、ホロコーストにおけるユダヤ人虐殺に対し異教徒たちが抱き続けている罪の意識を冷酷かつ冷笑的に悪用しています。それは、ユダヤ人の命は貴重であるが、パレスチナ人の命は価値がないとする視点を暗黙に示唆しています。」……( 「イスラエルの戦争犯罪を告発するユダヤ教徒カウフマン卿の演説」 TUP速報より)

それはイスラエル政府のしたことであり、文学賞は関係ないと思われるかもしれません。しかし、文学が人間を描くかぎりどこかで政治的であること以上に、文学賞はきわめて政治的なものであり、イスラエルはあなたに踏み絵を差し出したのです。たぶん、村上さんはそのことに自覚的であると推察しています。

この賞がアパルトヘイト政策下の南アフリカのものだったら、果して受賞する文学者はどれだけいるでしょう?

少し視点を変え、この賞の「エルサレム賞」という名前について、考えてみましょう。

ユダヤ教徒、クリスチャン、ムスリムが(一時的な例外を除き)共存をしてきたパレスチナにあって、エルサレムは信仰の、文化の、社会のセンターとして機能してきた歴史的な街です。1947年の国連による分割決議案でも、エルサレムは国際共同管理地域とされていました。しかし、第一次中東戦争により、イスラエルが西エルサレムを、トランス・ヨルダンが東エルサレムを統治するという形で分割され、さらに1967年の第三次中東戦争ではイスラエルが西岸・ガザを占領した際に、東エルサレムイスラエルによって、一方的に「拡大エルサレム市」に併合され、後にイスラエルエルサレムを首都だと宣言しました。

この併合は国際的には認められていませんし、エルサレムイスラエルの首都だとして大使館を置く国は現在ありません。

エルサレムに住むパレスチナ人は重い税をイスラエルに納めた上で、「エルサレム市民権」(イスラエル市民権ではありません)を与えられ、「住むことを許可」されていますが、これもいくつにもわたる罰則規定で、容易に取り上げることが可能になっています。家の増改築も許可されず、それに違反したとして、家屋破壊を受けるケースがずっと続いてきています。それに反し、東エルサレムにはユダヤ人のためだけの入植地がどんどん増加し(パレスチナ人の土地を奪って作られています)、いまや20万人を超えるユダヤ人が東エルサレムには住んでい

ます。

その状況を示す地図:

http://0000000000.net/p-navi/info/column/200508310306.htm

イスラエルはこのエルサレムを西岸などのほかのパレスチナ人に立ち入ることを禁じ、隔離壁(分離壁)でさらに締め出しを強化しました(隔離壁は東エルサレムの街の中にも建っています)。あなたや私が入ることのできるエルサレムは、大半のパレスチナ人にとっては、踏みいることのできない場所となっているのです。

村上さん、あなたに賞を贈るエルサレム市長は、このような政策を続けている立場の人です。また、「エルサレム賞」というときの「エルサレム」とは、パレスチナ人を排除して、国連決議にも反し、イスラエルが一方的に押し進めている「イスラエルのためのエルサレム」なのです。このことで、この賞が「社会における個人の自由」からどれだけ遠いものなのかはわかっていただけたと思います。

あなたはサンフランシスコ・クロニクルに掲載されたインタビューでこのように発言なさっていますね。

Q: It has been said that history has loomed larger in your recent writing. Do you agree?

A: Yes. I think history is collective memories. In writing, I'm using my own memory and I'm using my collective memory. I like to read books on history and I'm interested in the Second World War. I was born in 1949, after the war ended, but I feel like I'm kind of responsible for that war.

I don't know why. Many people say, "I was born after the war, so I'm not responsible at all - I don't know about the comfort women or the Nanking massacre."

I want to do something as a fiction writer about those things, those atrocities. We have to be responsible for our memories. My stories are not written in realistic style. But you have to see reality. That is your duty, that is your obligation.

http://www.sfgate.com/cgi-bin/article.cgi?f=/c/a/2008/10/24/RVL713GP8T.DTL  より)

あなたの言う集団的記憶(collective memory)ということでいえば、イスラエル建国からのパレスチナ人の集団的記憶は、つねに闇のなかに押し込められてきました。「エルサレム賞」はその闇をいっそう塗りかためる役割を担っています。

どうか、あなたの集団的記憶のなかに、片隅においやられているパレスチナ人の集団的記憶、イスラエルの政策を批判する少数のユダヤ人たちの集団的記憶を少しでも取り込んでください。「責任を持たねばならない」という「私たちの歴史」に、あなたが生まれる前年に誕生したイスラエルが引き起こしてきた歴史を含めてください。「atrocities」(残虐行為)は、あなたの受けるという賞の背後にも十分以上に横たわっています。

もちろん、エルサレム賞でスーザン・ソンタグが取った対応をあなたも取ることは可能です。ソンタグはその受賞式でこのようにスピーチしました(2001年)。

「……集団的懲罰の根拠としての集団責任という原則は、軍事的にも倫理的にも、決して正当化しえない、と私は信じている。何を指しているかと言えば、一般市民への均衡を欠いた火力兵器攻撃、彼らの家の解体、彼らの果樹園や農地の破壊、彼らの生活手段と雇用、就学、医療、近隣市街・居住区との自由な往来の権利の剥奪である……。こうしたことが、敵対的な軍事攻撃に対する罰として行われている。なかには、敵対的軍事行動の現場とは隔たった地域の一般市民に対して、こうしたことが行われているケースもある。

私は以下のことも信じている。自治区でのイスラエル人の居住地区建設が停止され、次いでーーなるべく早期にーーすでに作られた居住区の撤去と、それらを防衛すべく集中配備されている軍隊の撤退が行われるまで、この地に平和は実現しない、と。……」(『この時代に想うテロへの眼差し』スーザン・ソンタグ 木幡和枝/訳 (NTT出版 2002年)より引用)

しかし、賞を辞退するのも、あなたが共犯者とならないですむひとつの方法です。

それでも、村上さん、あなたが受賞のためにエルサレムに出向くというなら、受賞式より前に入植地で虫食いになった東エルサレムを、人びとを分断し隔離する巨大な壁を、たくさんの検問所を、囲い込まれて身動きがとれなくなった西岸の街をご自分の目で見ていただきたいと思います。パレスチナの人びとの声に耳を傾けてほしいと思います。イスラエルのおつきの人の目を盗んで、ひとり動きまわるのは村上さんならやすやすとできそうです。

どこへ、どのように行ったらいいか、わからない場合は、以下にコンタクトをすれば、移動をアレンジしてくれるでしょう。

AIC - The Alternative Information Center

あなたの行為が、世界中のあなたの読者を、そしてあなた自身の作品を裏切らないでいてほしいと思うばかりです。

最後に米国に住むユダヤ系の一研究者の自伝的なエッセイを紹介します。イスラエルが個人から自由と尊厳をどれだけ奪っているか、少数であるがイスラエルに異を唱えるものたちの集団的記憶が語られています。

Sara Roy, "Living with the Holocaust: The Journey of a Child of Holocaust Survivors"

http://www.zmag.org/znet/viewArticle/11400

(邦訳は『みすず』no.525、2005年3月号に掲載されている)

敬具

ビー・カミムーラ(ナブルス通信編集部)

転載元:http://0000000000.net/p-navi/info/column/200901271425.htm

以下は英語版。翻訳は常野雄次郎による。

Open Letter to Haruki Murakami about his Jerusalem Prize

Dear Haruki Murakami,

I have learned that you have won the "Jerusalem Prize," a literary award the City of Jerusalem, Israel, is heavily involved in. I am unable to extend my congratulations, however. According to what I have heard, this prize is awarded to authors who depict "the freedom of the individual in society." I urge you to decline. It is not that you are not eligible; It is just that they are not qualified to say anything about "the freedom of the individual in society."

You should know all this so I do not have to write it: until very recently, Israel was conducting massive operations against Gaza, Palestine, where economic sanctions had made most basic necessities scarce and the heavily sick had been dying in numbers, ruined the city, and killed more than 1,300 people, a third of them children. Although the attacks are getting less frequent, Gaza is still under economic sanctions, and a million and a half people are struggling to survive with little to eat in what has now become a gigantic prison.

On this situation, Sir Gerald Bernard Kaufman, a Jewish citizen of the United Kingdom who lost his family in the Holocaust, spoke in the British parliament on January 15:

…My grandmother was ill in bed when the Nazis came to her home town of Staszow. A German soldier shot her dead in her bed.



My grandmother did not die to provide cover for Israeli soldiers murdering Palestinian grandmothers in Gaza. The current Israeli government ruthlessly and cynically exploits the continuing guilt among Gentiles over the slaughter of Jews in the holocaust as justification for their murder of Palestinians. The implication is that Jewish lives are precious, but the lives of Palestinians do not count.

D


You may say that is what the Israeli Government has done, not the award. However, not only does literature remain political in some sense as long as it is about human beings, but the award itself is highly political, and Israel is using you as a testing ground. I imagine you, Mr. Murakami, are aware about it.

Let us say what if this award had been from South Africa under apartheid; how many novelists, poets, and critics would there have been to accept it?

Try another angle: let us think about this name, the "Jerusalem Prize."

Jerusalem is a historical city which used to be a religious, cultural, and social center of Palestine, where the Jews, Palestinians, and Muslims were living together (except for some temporary anomalies). The UN resolution of 1947 also designated Jerusalem as an internationally administered zone. The 1948 war partitioned it so the Western part was to be governed by Israel and the Eastern part by Transjordan. Israel incorporated East Jerusalem in the Six Day War and declared it its capital.

This annexation has not been internationally recognized, and no country has an embassy in Jerusalem.

Those Palestinians who live in East Jerusalem and pay heavy taxes to Israel are given a "Jerusalem Citizenship" [raito-to-bii-sitizun in za eresaremu] (which is not an Israeli citizenship) and "permitted to live" there. But the right is easily revoked based on a number of penalty regulations. House renovations are not allowed, and residences have been destroyed in violation of that rule. On the other hand, Jewish settlements, which are created by depriving Palestinians of their land, have been on the constant rise, so more than two hundred thousand Jews live there now.

See the map below for your reference on this:

http://0000000000.net/p-navi/info/column/200508310306.htm

Israel prohibits other Palestinians who live in the West Bank and elsewhere from visiting Jerusalem, and the government is reinforcing this policy with separation barriers (which are built even across East Jerusalem). You, Mr. Murakami, and I can enter Jerusalem, but most Palestinians cannot.

The mayor of the city, who is about to present you with the award, stands for this policy, Mr. Murakami. And "Jerusalem" of the "Jerusalem Prize" is "Jerusalem for Israel," which excludes Palestinians, is violating UN resolutions, and has been unilaterally imposed by Israel. By now you should realize how far the award is from "the freedom of the individual in society."

In an interview by the San Francisco Chronicle, you have said:

Q: It has been said that history has loomed larger in your recent writing. Do you agree?

A: Yes. I think history is collective memories. In writing, I'm using my own memory and I'm using my collective memory. I like to read books on history and I'm interested in the Second World War. I was born in 1949, after the war ended, but I feel like I'm kind of responsible for that war. I don't know why. Many people say, "I was born after the war, so I'm not responsible at all - I don't know about the comfort women or the Nanking massacre."

I want to do something as a fiction writer about those things, those atrocities. We have to be responsible for our memories. My stories are not written in realistic style. But you have to see reality. That is your duty, that is your obligation.

http://www.sfgate.com/cgi-bin/article.cgi?f=/c/a/2008/10/24/RVL713GP8T.DTL


Speaking of collective memory you refer to here, that of Palestinians about the foundation of Israel has always been forced into darkness, and the "Jerusalem Prize" has been playing a role in that operation. I would appreciate it if you could include in your collective memory just a bit of space for collective memory of the disenfranchised Palestinians and a small number of Jews against the Israeli policies. It would be great if you could included in "our memories" for which "we have to be responsible" the memories on what Israel started one year before you were born. "[A]trocities" are also shadowing the award you are to receive.


Of course, repeating what Susan Sontag did with the Jerusalem Prize is an option. This is what she said at the acceptance in 2001:

I believe that the doctrine of collective responsibility, as a rationale for collective punishment, is never justified, militarily or ethically. I mean the use of disproportionate firepower against civilians, the demolition of their homes and destruction of their orchards and groves, the deprivation of their livelihood and their access to employment, schooling, medical services, free access to neighboring towns and communities…all as a punishment for hostile military activity which may or may not even be in the vicinity of these civilians.

I also believe that there can be no peace here until the planting of Israeli communities in the Territories is halted, followed by the eventual dismantling of these settlements.

http://web.archive.org/web/20011114221859/http://www.ajds.org.au/intifada/sontag2.htm


Declining the award, however, is also a way for you not to be complicit.

If you still insist on visiting Jerusalem to get it, Mr. Murakami, you should see East Jerusalem beforehand, the massive walls that divide and separate people, the plentiful checkpoints, and the cities in the West Bank which are surrounded and disabled; listen to the people of Palestine. It would be easy for you to escape from the Israeli guards'care and move around by yourself.

If you do not know where or how, make an arrangement with the following:

AIC - The Alternative Information Center

I just hope you will not betray your international readers and your own works.

To finish off, let me introduce an autobiographical essay by a Jewish researcher who lives in the United States. She here talks about how Israel is depriving the individual of freedom and dignity, and about collective memory of minority Israelis who dissent.

Sara Roy, "Living with the Holocaust: The Journey of a Child of Holocaust Survivors"

http://www.zmag.org/znet/viewArticle/11400

Bii Kamimura [aka p-navi],

Editor at Nablus Tsushin

p.s.

Harold Pinter's acceptance speech could also help you:

http://www.guardian.co.uk/stage/2005/dec/08/theatre.nobelprize



The original letter by Bii in Japanese can be found here:

http://0000000000.net/p-navi/info/column/200901271425.htm



Translator's note

Translation always involves a trade-off: fidelity to the text, readability, time-budget constraints, etc; there are many things to consider and many things to pretend to forget about. This time, I decided to prioritize one thing and sacrifice everything else: my desire to keep on traveling, by which I mean this. January has been a special period for me. It all started with an infatuation with a law student in Kyoto. She rejected me in about three hours of the initial meeting, but was kind enough to give me something, something I did not used to have, and that's what got me started. I've been in the state of constant carelessness since and it's been like you-think-about-a-location-and-in-three-seconds-you're-there-already. But I can't go on like this forever because it isn't real life, which is always full of mistakes, pains, and tears and if you feel no pain, chances are you are somewhere else. It's time to get back to the reality, or none of it would amount to anything. So I've been looking for a closure. There's more than one way to close, and if I had to close, I'd like to do it my way. And so you've read the letter in English. This is my closure, for you to read it and carry it on. What do you think of it? Well, personally, I think Bii's kind of off the mark. Just to point out one thing, I'd say she is gravely overestimating Haruki and underestimating the Israeli dissenters and the international Jews. No, it's not his chance, but it's their opportunity to make a difference and some of them truly deserve this expectation. But forget about it. There are many ways to read a text, and one way is to ignore the designated addressee. Perhaps Haruki isn't the destination of her message after all. Perhaps it was meant for someone else. And I thought what if that someone were unable to read Japanese? Wouldn't it be sad if a message in a bottle were to remain by himself in the Ocean? It's been more than three days since Bii wrote the piece, and it seems like it has yet to reach its destination. So I thought, I could exit my January through this translation, a January that almost made me want to stay forever even if it meant entrapment. No, I know there's something called reality, I was born to make a difference there, and I'm going back. And Bii's message is a secret contact device between my dream reality and my real reality. Her writing moves me in a special way, and guess what, I wouldn't have felt it without this fantastic January. I haven't cleared copyright issues with Bii. Nor have I had my translation edited or proofread, which is sure to cause an embarrassment which I wouldn't normally risk. But it's January 31 today, and thank God there is a 31 in January. At the ultimate limit of my journey, I've found a portal between the dream and the reality. As I post this, my journey ends peacefully, and continues violently. Be assured, I'm a dialectical materialist, and according to Walter Benjamin, that's someone who is sure about a message arriving at its destinations and tries to intervene to create and/or defend the secret portal. Yujiro Tsuneno, Tokyo, Japan. (remenber, this is just a translation of a text which desrves multiple translations).

====

転載元:http://d.hatena.ne.jp/toled/20090131