2008-05-09
■[web][都市][音楽]監視カメラの使い方
mixi経由で知ったが、監視カメラの映像を編集して、PVにしてしまったイギリスの貧乏バンドがいる。
レコード契約がなく、撮影スタッフを雇うお金のなかったThe Get Out Clauseは、何十ヶ所もの監視カメラの前でプレイし、後で様々な理由をこじつけその映像を手に入れたという。メンバーは、Sky Newsでこう話している。「俺たち、金をかけずにかっこいいものを作りたいって考えてたんだ。それで、監視カメラの前でプレイして、後で“情報公開の権利”を主張して映像を返してもらえばいいじゃんって思いついたんだ」
発想がカッコイイ!音楽がカッコよければ、伝説になったかも…がんばれ!
2008-02-21
■[本][都市]橋爪節也「大大阪イメージ――近代都市文化の新しい分析プログラムを求めて」
- 作者: 橋爪節也
- 出版社/メーカー: 創元社
- 発売日: 2007/12
- メディア: 単行本
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現代においても、「大阪」は特別な都市である。「東京」と対にして語られる、日本で二番目の大都市という位置をとっていながら、「東京」とは異質な他者として語られる。「こてこて」という形容詞に見られるような、大阪のイメージは、一種のオリエンタリズムであるという批判もある。そのことに対して、橋爪さんは次のように述べる。
しかし、同時に私は、こうした批判を理解しながらも、大阪に対する意図的な誤解や誤読、過剰なデフォルメさえも呑み込み、それらが織りなす”イメージ”を探る形で逆に炙り出される都市の歴史や本質もあるのではないか、それを模索したいと感じる。磨りガラス越しにぼやけて見える過去の歴史の映像を、ブレたまま素材として引き受け、検証材料とすることで、新しい角度から観た街の歴史や、真実があらわれる可能性はないだろうか?都市自身も積極的に自らの虚像を生み、”イメージ”の発信に荷担してきたのではなかったか?”イメージ”という曖昧なものを扱う本書の解析も、あるいは知的な”火遊び”に終わるかもしれないが、『モンタヌス日本誌』に描かれた大阪風景の謎めいた誤謬の世界のなかを、軽々と帆走するジャンク船の群れを眺めていると、想像力を駆使できる年に関するイメージの領域が広がり、その虚構の産みに身を委ねてみたい誘惑に駆られはじめるのである。
(17ページ)
まだ、序章しか読んでいないが、広告や万博など、いわゆるサブカルチャーにおける表象の分析がふんだんに取り入れられていて、面白そうだ。
2008-02-10
■[イベント][都市]PEACE ON「トークセッション 古都の視線から」
京都の思文閣美術館で、現代イラクアート展が開かれている。
【展覧会】『イラク現代アートの先駆者たち in 京都』
〜Selections of the Iraqi Art in Kyoto〜
会期:2008年2月9日(土)〜17日(日)11:00〜19:00
会場:思文閣会館 2F 催事場
(京都市左京区田中関田町2-7/ 075-751-1777)
http://www.shibunkaku.co.jp/map_hyakumanben.html
入場無料
主催:NPO法人PEACE ON
共催:「中東とアジアをつなぐ新たな地域概念・共生関係の模索」プロジェクトチーム
西洋絵画の技法を用いた、抽象美術が多い。アラビア現代書道も何点かある。
私は、参考においてある、70年代のイラクの写真がとっても楽しかった。ぴたっとした襟付きカラーシャツに、ラッパズボンで、いかにも当時の若者が写っている。このころのイラク都市部はイケイケで、不良っぽい若者が多くて生き生きした街の様子が写真に残っている。それから、爆笑したのはみやげ物屋の写真。安っぽい金メッキのみやげ物の横に「EXOTIC IRAQ」という看板が出ている。自分で言っちゃってる!いいなあ、こういういの。
ふらりと入ったのだが、夕方からトークセッションがあるというので参加してきた。
………2月10日(日)……… トークセッション「古都の目線から」
出演:香緒里(PEACE ON)×岡真理さん(京都大学教員/現代アラブ文学)
進行:相澤恭行(PEACE ON)
日時:2月10日(日)18:00〜20:00
参加費:500円(お茶・菓子でます)
♪19:30くらい〜 友枝良平さん 楊琴ライブ演奏会
少人数で円座で話を聞く形。特に何も準備していなかったので、メモもとっていないし、ちゃんとしたレポートは書けそうにない。あまり、良い気持ちがするイベントではなかった。以下、参考までに。
話題は、イラクが何千年もの古都であり、イラクの人々はそれを誇りにしているということが中心。香緒里さんは、京都出身なので、自分のルーツであると京都に対して持つ感覚と、イラクの人たちがバグダッドに持つ感覚が直感的に共通すると認識したという。そこから、かわいそうなイラクの人々と扱うのではなく、文明を持ち生活をしているイラクの人々とかかわろうとすることなどについての話などがあった。
私が終始、気分が悪かったのは、次のような発言が繰り返されたためである。それは、湾岸戦争でのイラク攻撃について、「バグダッドは、日本の京都のような街。イラクの人々がバグダッドが破壊されるときに感じるのは、日本人が京都を破壊されるような感覚」といった発言や、「日本の人々は都市が破壊されることを経験していないから、バグダッドのような人々の感覚を失いがち」という発言である。
湾岸戦争は1991年だが、1995年には、阪神・淡路大震災が起きている。まさしく都市の破壊である。イラクと日本という単純な二項図式にのっとって、「私たち日本人は」で始まる言説が撒き散らされて、非常に不愉快だった。また、何度もイラクの人々の「人と人とのつながり」が強調され、日本人からそれが失われているとする、典型的オリエンタリズムも不愉快だった。結局、イラクの人々を、自分たちの日本人としてのアイデンティティの源泉として利用しているというように、感じた。
また、歴史と愛着を持った都市だから破壊されるとショックを受けるのではない。破壊されたショックでこそ歴史と愛着は生まれる。*1壊されてしまったからこそ、「昔のこの街は、こんなにすばらしかった」と懐古的に美化され、回想される。また、支援の手を差し伸べる人の、憐れみの視線に対して「いや、本当のこの街の姿は、あなた方に同情されるどころか、羨望のまなざしを注がれるべき都市である」という抵抗の言説として、「私たちのすばらしい街」が語られる。言うまでもなく、これはパトリオティズムの典型例である。そして、このように語らねばならない気分にさせるような状況は、決して肯定されえない。*2
そもそも、京都が日本の古都としてのアイデンティティを持つ/持たされるのは明治以降に顕著な動きである*3京都が日本人にとって重要だとされていくのは、国家にとって歴史が必要だからである。また、京都を「古きよき日本」として保持することで、心おきなく東京は西洋化できたのである。東京から来て、「京都は昔ながらの日本人の心を残している」というのは、未開人を見て喜ぶ近代人のオリエンタリズムそのものである。
ということを語りたかったが、喋りが下手なせいで、私は、単なる傷ついてるかわいそうな被災者っぽくなってしまった。しかし、次の発言者が「私は故郷を持たない」という話をしてくれて、うまくつながった。よかった。
しかし、次に返ってきた岡真理の応答は疑問符がつく。まず、岡さんは、「バグダッドが日本の古都」というのは比喩にすぎない、と発言する。だが、そんなこと言うと、「日本は神の国」も「女は産む機械」も比喩である。比喩だから、なんなんだ?と思った。
次に、岡さんは、延々と自分のゼミ生(神戸の被災者)の話をしていた。そのゼミ生は、パレスチナの話を聞き、家を奪われるパレスチナ人に対し、「戦争で家を失うことと、天災で家を失うことは同じにはできないけれど、パレスチナの人びとの痛みが、ほんの少し共通できた気がする」とゼミの感想シートに書いたらしい。岡さんはそれに感動したらしいが、なぜそんな話を私にするのだろうか?「こんなすばらしい被災者がいる。お前も被災者なんだから見習え」ということだろうか?それで発言がぶちっと終わり、座談会は打ち切られたので、岡さんの意図は不明である。とりあえず、「なぜ、あなたは、今ここにいる私と話さずに、ゼミ生の思い出話にひたるのか?」という疑問が残った。
(しかし、このやり取りも記憶を元に書いているだけなので、どのようなすれ違いがあったのかは、明確でない)
PEACE ONの芸術作品を、日本に紹介する試みは大変面白いと思うし、その活動に携わる熱意は尊敬する。しかし、発言内容は不十分な点もあったと思う。途中で、香緒里さんに、ほかの東京人のスタッフが「京言葉でしゃべって」とふざけていうのも、私は不愉快だった。マイノリティの言語をネタにするのは楽しいかもしれないが、「関西にきたら君たちがマイノリティであることは覚えておけよ」と思った。
それから、せっかくアート展をやってるんだから、アートの話がもっと聞きたかったな。
2008-01-17
■[社会][都市]阪神淡路大震災の記憶を語ること
毎年、義務のように何か書かなければならないと思う。今年で13年目になり、あのとき子どもでなにもできなかったのは、私の罪でないことがようやくわかってきた。いつも、神戸*1で生まれ育ったことを言い出しにくいと感じ、震災について語るのはおこがましいと負い目を持ってきた。これが、サバイバーギルドと呼ばれる、災害の生存者に起きることの多い心理状態だということも、最近知った。
私は、直接の被災はほとんどしていない。揺れは経験したし、その後の街の混乱も肌身で感じている。しかし、それ以上に私に震災を印象付けてきたのは、周囲の人々の語りである。トラウマを語る人の、ひきつるように笑う表情や、ふっと陰が落ちる瞬間を当たり前のように目にしてきた。同時に、その精神状態を共有できない私は、ずっと神戸に住みながら、神戸市民の資格がないような疎外感を持った。そこで、疎外から逃れようと、過剰に「忘れない」ことを自分に課してきたように思う。彼らの語る記憶を共有し、「神戸市民」(=被災者)というアイデンティティを得ようとしてきた。
アメリカに住む批評家であるアンドレアス・ヒュイッセンは、このような記憶の共有を基盤にした共同体を作るムーブメントを「記憶の肥大化」と呼んだ。もちろん、ニーチェの「歴史の肥大化」という言葉に倣っている。忘却することを恐れ、過去を語り記録することを過剰に求める風潮が、このムーブメントを作り出す。特に、顕在化しない当事者の「生の声」が尊重される。
ヒュイッセンは、記憶の肥大化」が近代化の延長線上にあるという構造を洗い出す。
「記憶の肥大化」は、これまでにない新しい、同一性を要求しないポストモダン的な、政治戦略にみえる。リベラリストは、共同体の総合的な歴史から零れ落ちるような個人の記憶を尊重しようとする。しかし、それらの記憶を集合させ共有させる時点で、また共同体主義に接近してしまう。コミュニタリアンは、個人の記憶を集団で共有することで壊れかけた共同体を再生させようとする。しかし、それらの記憶が個人的であるため差異が際立ち、個人主義に接近してしまう。「記憶の肥大化」はリベラリストとコミュニタリアンの両者ともにとって魅惑的でもあるのだが、両者ともにとって毒にもなりうる。
さらに、記憶という個人的な過去を尊重することは、一見、未来志向の資本主義の加速化に抵抗しているようにみえる。しかし、「記憶の肥大化」に伴う記念館の建設は別の側面をあらわにする。それは、記憶を商品化し、陳列棚に並べることで消費してしまう側面である。「記憶の肥大化」は、資本主義に抵抗するのではなく、結託して相互作用でさらに両者ともが肥大していく。
「記憶の肥大化」は近代社会の産物であり、より近代社会を強化するように働いていると指摘する。一方で、ニーチェの「歴史の肥大化」と、現代の「記憶の肥大化」の相違点も指摘する。それは、デジタルアーカイブの存在である。
私たちは、デジタルアーカイブの発達により、過去の資料を、半永久的に無限に貯蔵できるようになった。ヒュイッセンは、これからは、必要なときには必要な記憶を取り出し、使い捨てていくような環境が整っていくことを示唆している。「生の声」を求めていく先には、(もっとも生と程遠いとされる)「バーチャル空間」が待っているのだ。
ここで、震災の話に戻そう。
震災のもっとも有名なモニュメントはルミナリエである。今年、赤字で存続を危ぶむニュースが流れていた。ルミナリエは、イタリアから毎年借りてきて、本場の職人が設置する。当初は、復興のシンボルとして数年だけ借りる予定だったが、クリスマス前のイベントとして定着したため、13年間続いてきた。動員数は少なくないはずだが、やはり1年目2年目とは、比べ物にならない。このまま、予算がつかなければ、中止になるかもしれない。
そんな話が出た今年、神戸市が発表したのはこのような企画である。
阪神・淡路大震災で母親を失い、体調を崩した父親も翌年に亡くした男性デザイナーが、インターネット上の仮想空間「セカンドライフ(SL)」に、震災死者を追悼する場を同僚とともにつくっている。十六日から公開予定。男性は「いずれはSL内で世界中から訪れた人が、ここを入り口に、防災の知識や技術を身に付けられるようにしたい」と話す。
日本だけでなく、世界の人にも震災の記憶を共有する可能性を広げる試みである。これは、まさにデジタルアーカイブの強みを生かしていると言えるだろう。
こうして、私たちは、個人の記憶を世界の人に共有することを求めていくことができるようになる。それは、個人史と世界史を直結させる欲望を刺激する。私に起きたことが、世界にとっても、重要であるかのように語る。そうして、個人と世界のつながりを感じようとする。その欲望自体は、良いものでも悪いものでもない。
ヒュイッセンは、次の例をあげる。それは、9.11後にアメリカの国民がとった行動である。彼らは、ワールドトレードセンターを「グラウンドゼロ」(世界の始まりの地点)と聖地化した。そして、9.11以降、いかに世界が変わったのか、という言説が流布していく。NYというある地方で起きた事件は、世界史のできごととして語られるようになる。
ヒュイッセンは、その流れに杭を打とうとする。ヒュイッセンは、「私たちが失ったのは、NYの二つの大きなビルがそびえ立つ風景である」という。「いつもある風景が崩れてしまったという、ふるさとの喪失に悲しんでいるのだ」と主張する。ここには「敵」を峻別するわけではなく、ここにはいない「友」のために、9.11を語り継ごうという姿勢がある。
記憶を語ること自体は悪くない。記憶の共有によって、共同体を再生する試みも可能だろう。しかし、注意は必要なのだ。そこに「敵」を生み出す契機が隠れていることがあることだ。それは、共同体をつくるときに、排除が起きる可能性が高いことも含んでいる。
私たちは、まるで記憶を語り共有することはいいことかのように思っている。たしかに、悪いことではない。けれど、無批判に受容していいほどいいことではないだろう。
Present Pasts: Urban Palimpsests and the Politics of Memory (Cultural Memory in the Present)
- 作者: Andreas Huyssen
- 出版社/メーカー: Stanford Univ Pr
- 発売日: 2003/02
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*1:今回の記事では神戸に限定して書いた。もちろん、神戸市外にも被害は大きかった。しかし、とりわけ神戸市の場合は共同体再生に対するエネルギーが大きく働いてていたように思うので、特化して書いた。
2007-04-06 東浩紀・北田暁大『東京から考える』
■[本][都市]東浩紀・北田暁大『東京から考える』*1
『東京から考える』を手に取った。近年、期待される若手の人文科学と社会科学の書き手なので、注目を集めた本だ。ぱらぱらとめくるうちに違和感ばかりが増す。これは、地元情報誌や、フリーペーパーで連載すべき雑文ではないのか。以前、あるMLで批判したチェルフィッチュという劇団の、「三月の5日間」という演劇作品を思い出した。
「3月の5日間」はイラク侵攻までを、東京ですごす若者達の会話を繋ぎ合わせた、コラージュのような作品である。第49回岸田国士戯曲賞も受賞した作品である。若者たちのリアルな言葉を抜き取った作品として、評価を受けた。ところが、現代の若者であるはずの私は、この作品の上演当時、何を言っているのかほとんどわからなかった。渋谷のランドスケープを延々と語る若者のほとんどの単語が理解できなかったのだ。「そこの交差点にマツモトキヨシがあって」という言葉を外国語のように聞いた。当時の私はマツモトキヨシと松本人志の区別もあんまりついてなかったのだ。この人達は、なんでこんなローカル情報を、新開地の劇場*2で垂れ流すのか意味不明だった。
という感想を、MLに流したところ、「え?関西ってそんな感じなの?」という反応が返ってきた。東京から関西へ来た人はご存じだろうが、関西はまだまだアンチ東京の風情が強い。多くの関西人は、東京に対するあからさまな敵対心をあらわにする。特に、東京弁に対する風当たりは強く、先日も「関西弁がしゃべれないっていうのはコンプレックスなんだ」と、長く関西に住む東京弁の中年男性の話を聞いたところだ。
私自身、長くアンチ東京の気質は持っていたし、今もなくなっていない。東京こそが、流行の最先端であり、それが伝播して関西に伝わるというような価値観への対抗心は強い。また、そのことを「地方には、地方のよさがある」とコメントされることへの反発もある。中心/周縁の対立軸を押し付けられることは不愉快だ。関西で生まれ育った私にとって、中心は京阪神都市部であり、東京は外部である。*3その外から来た人間がいけしゃあしゃあと「日本人ならみんな東京に興味ある」という態度を示すことが私の神経を逆なでする。*4
以上の視点から、私はチェルフィッチュの「三月の5日間」へは、嫌悪感を強く持っていた。しかし、去年から今年にかけて東京に何度か出向いて、なんとなくわかってくるものもあった。チェルフィッチュは正確に言うと、東京ではなく横浜の劇団である。そして、東京と横浜の境目にあるのが渋谷という街なのだ。東京から横浜に新宿ラインに乗って、その身体感覚が初めてわかった。意味無く渋谷の話をしていたわけではないらしい。
私はなぜ渋谷という街のローカルな情報を垂れ流したのかを、チェルフィッチュのローカリティに還元したとき、初めてわかった。だが、ここで私が問題にしたいのは、ローカルな話のローカリティに気づかず、東京の話さえすれば、すでに普遍的な日本を語れていると思う傲慢さである。東さんと北田さんの会話はこのような調子で進む。
東 とはいえ、恵比寿のガーデンプレイスをジャスコ的と言っても、分かりにくいかもしれませんね。あいだにお台場のヴィーナスフォートを挟むといいかもしれない。
北田 ヴィーナスフォートかぁ、うーん……あれも相当ジャスコ的なものに近いような気がするんです。お台場全体がそういう感じもしますが、あまりにも露骨にテーマパーク的で、僕はむしろ「ディズニーランドの縮小版」みたいな感じを受けるんです。
東浩紀・北田暁大「東京から考える」NHKブックス、2006年、126P
ジャスコ、ジャスコってなんでこの人達は、ジャスコを目の敵にするんだろうか。
ジャスコという固有名詞を上手に使ったのは、獄本野ばら「下妻物語」だった。私も映画版で土屋アンナが、ジャージをどこで買ったのか聞かれて、「ジャスコだよ」と自慢げに答えるシーンでは爆笑してしまった。確かに、ジャスコは田舎では、なんでも売っているスーパーである。それが、いかにチープな製品であっても。
うちの実家の近所にもあった。そして、阪神大震災のときに、自家発電をゴンゴン言わせながら定価で食料を販売しているジャスコは私にかっこうよく映った。(あのとき、たくさんの小売店は、10倍や20倍の値段で食料品を売った。)センスはよくないし、画一的だけれど、その地にはその地のジャスコの歴史がある。知ってるおばちゃんがパートで働くのがジャスコ。職を失って地元に帰ってきたときに、働くのがジャスコ。今は、店長が代って、ちっとも売っているものを買う気がしなくなった、と実家の友人と語り合うのが、私にとってのジャスコだ。ジャスコが無機質で画一的だと切り捨てるのは簡単だけれど、その地のジャスコには、その地の物語がある。どうやって、ローカルな物語を、普遍化させ構造化するのか、それが学問であるはずだ。
そのゆるさが、北田さんの言葉に表れている。コリアンタウンの現況について
僕としては個性ある、生活に根ざしたコリアンタウンとして頑張ってほしいと思いますが、今後どうなっていくのかはよく分かりません。
ibid、183P
と語る。なぜ「個性ある、生活に根ざした」街が、コリアンに作れなくなっているのか。コリアンが頑張らないから作れないのか。はたまた、コリアンは頑張らなくてはならないのか(北田さんのために?)。ここで言うコリアンってどういう人を指すのか?
街には人が住んでいる。どんなに無機質で画一的で、個性が無く生活感がなくても、そこで暮らす人は有機的でバラバラで、個性があり生活をしている。そこになんらかの公約数を見いだすのは大事だと思う。けれど、よく分からないなら言わなければいいじゃないか。現在、日本に置かれているコリアンの現況を北田さんが知らないわけではないだろう。
このように『東京から考える』を批判してきたのは、もちろん、上記の北田さんの発言に端を発している。そこに見るのは、「被害者に声を上げて欲しい」と被害者を頑張らせる、反性暴力運動のあり方であり、被害者のローカルな話を「被害者がこう言ってます」と普遍的であるかのように言ってしまう危険性との、共通点である。*5ぱっと見ると、被害者の話は公約数が見つかりやすい。だけれど、一人ひとりの生き延び方は千差万別で、どんなに悲惨に見えても、繊細で豊かさを持っている。
繰り返すが、ローカルな話は、そのローカリティによって価値を高めている。同じ対談が、ブログや地元情報誌に載っていれば、私はどうこう言わない。これが、学問であり、批評であるというならば、私は批判する。大げさだろうか?最後に東さんはこういっている。
東 僕が言いたいのはごく簡単なことです。たとえば、最近全国で児童虐待が相次いでいますね。他方では、いじめによる自殺も相次いでいる。それが並べて報道されるけど、僕は水準が違うと思う。児童虐待のほうは、子どもが殴り殺されたり餓死させられたり、犯罪性がはっきりしている。他方、いま話題のいじめのほうは、多くが「言葉によるいじめ」、つまり精神的暴力ですね。一九九三年に山形県で中学生が友だちをマットで簀巻きにして殺してしまった、という事件がありましたけど、それは違う。
このとき、いじめに対しては、自殺者に同情するかしないか、意見が分かれると思います。ちなみに、僕は自分自身がかつて軽いいじめにあったことがあるので、どちらかといえば同情的です。しかし、その感覚が普遍妥当的だと思わない。精神的暴力に焦点を据えたならば、「何をいじめと呼ぶべきか」の議論がはてもしない定義論争、解釈論争に囚われるのは必然です。しかし、物理的暴力を伴う児童虐待については、子どもに同情しないひとはいないでしょう。あるいは、もしいたとしても、そのひとに対して「同情すべきだ」と諭すことは正義だと言えるでしょう。そこらへんに線を引くことでしか、リベラリズムや左翼は生き残れないんじゃないでしょうか。
ibid、270P
暴力に対する線引きは、非常に難しい。たとえば、どこまでを性的暴力と捉えるのかは、個人の問題である限りは、無限に概念を広げられるだろうが、それを社会的に論じるとなんらかの線引きは避けられないだろう。実際、私が突き当たっている困難でもあるし、すでに多くの人が困難さを論じようとしている。「なんでもかんでも性暴力」では、個人のレベルでは問題がないが、社会的に法的措置を講じる段では問題になってくる。
しかし、その線引きをリベラリズムや左翼のために、引くと言い放つ暴力性を私は問題にしたい。暴力の被害者と被害者でない人を引き裂く一線。そこには苦しみを分かち合った人と、切り離される痛みがある。その痛みを平然と、自分のポジショニングのために押しつけようとするならば―そんな形でしか生き残れないリベラリズムや左翼ならば死滅してしまえ。
草の根の運動家たちは、運動をしていくうちに、実際の土地よりもそれを表す地図の方が大切だと思うようになってしまったのです。ある土地について知るには、その地図を見さえすればよく、実際にその土地へ行ってみる必要などまったくないというのが、運動の常識になりました。
そして、どこにどれくらいの高さの丘があるとか、海岸線がどのような形をしているかとか、どこにどれぐらいの広さの森があるとか、道がどこからどこまで続いているのかとかは、「客観的」で価値のある情報だと思われていましたが、一方、そこに立つと、晴れた日には何処まで景色が見えるかとか、どんなに気持ちのいい風が吹くとか、雨上がりには緑がどんなに美しいかといった、地図に載せることのできないものは、「主観的」で価値のないつまらないものとして、どんどん切り捨てられていきました。
高橋りりす「私が地図普及運動から脱落した理由」『サバイバー・フェミニズム』インパクト出版会、2001年、206P

