富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

二月初二日(月)暦といふのは確かなもので初春に陽気目出度くまた明日から涼しくなると予報こそ言へ今朝は気温摂氏十八度に至り昼には廿度とか正月に市街はひっそりと静まつていたものが今朝は漸く学校始業し早朝よりの学生どもの通学賑わい市街漸く日常の麻煩ぶりに戻る。晩にふと野坂昭如の『火垂る墓』読むが野坂昭如は余にとって作家であるいぜんに声色の芸人に声帯模写されるワケのわからぬこと宣ひながらの歌い手であり作家だといふが作品読んだこともなく読む文章といへば男性週刊誌への連載随筆ばかりだがかの川端康成がかつて野坂を評したといふような話も聞きいつたいどういう作家なのかと思ふまま野坂氏その酒量嵩み単なるアル中へと進化するうち映画で小沢昭一主演する『エロ事師たち』看て漸くその原作つまり野坂氏の処女作読みその昭和饒舌体と呼ばれる文体に確かに江戸の戯作者からの流れを感じ入り立派な作家で「あった」と遅れ遅れて知り野坂昭如サイトより氏の「旅の果て日記」読みこれは田中康夫ペログリ日記と並び荷風先生の日剰に値する平成の日記であると確信し丁寧に時々メールで送られる氏の「覚へ帖」読んではいたがそれも届かぬようになりどうしたかと思えば氏は「リハビリ中」と初め冗談かと思えば真の事で戦後焼跡派などと称される氏の代表作は紀伊国屋から届けば表紙絵のアニメ絵に驚きこの作品が宮崎駿のもとでアニメ映画となつたこと思い出すがあまりに「宮崎的に」可愛い少女の絵面に物語は空襲に焼き出された兄妹の栄養失調に身体も汚れ蟻が顔上を這い蛆すらわこうというのにこの絵の可愛らしさかと途惑いつつZ嬢曰く「映画の本編には確かそういう蛆もわく筋あり」との話に表紙は外し読み進めば戯作の如きその文体にも否だからこそ戦時下にあつてはまだ裕福であつた家庭が空襲で焼き出されたわずか一年に満たぬ月日に兄妹が飢えて死ぬといふその様の惨たらしさに言葉もなく妹の愛しさは野坂氏の実の妹が飢えて死んだは事実にて哀悼もあろうが兄の描きぶりには野坂氏のそこに当時十五の少年の理想型あり限りなく美しくもあり其れが三宮の驛にて衰弱して死を迎えるその情景の氏の筆致の極まりあり「後書き」で尾崎秀実氏が紹介する海音寺潮五郎氏の評はそれに明治の大時代的なる小説のきらいありと見つつ現実にその終戦の混乱におかれた作者(野坂)だからこその感極まりありと理解するは確かなことで地獄絵図の如きなかゆへ妹と少年がより美しく写る物語に感涙も禁じ得ず。宮崎アニメ作品での宣伝コピー「4歳と14歳で生きようと思った。」なる駄文にいちいちクレジットされるコピーライター即ち糸井重里……。
▼かねてよりMBAなるもの企業経営において有用なる高尚な学問として持て囃されるが米国流のこのケーススタディいったいどの程度有用なのか余はかなり疑問あり。学費もかなり高く2年間の修士課程にて香港でもHK$25万(約四百万円)だがこの課程修了せば高給な専門職約束されると取得する者多し。学ぶも雇うも勝手だがまさに徹沙森巣鈴木女史指摘するヒトの商品化。最も疑問に思うはまだ社会経験もビジネス経験も浅き青二才が大学卒業後の数年の就労経験にてこの修士学位とった瞬間にMBA修了せし専門家の如く扱われること。で、ふと香港大学のこのMBAの学生募集の広告みて呆れて口も塞がらず。“MBA programme tracks global business trends”といふ見出しで香港大でも異彩の、このMBA課程の責任者たるのMaurice Tse教授の写真と並び、下のほうにある写真である。キャプションには“Tomorrow's corporate leaders demonstrate their problem-solving skills”(問題解決の技術をば表演する明日の企業リーダーたち)と勇ましく、それぢゃ何かと写真みれば、大学側が宣伝したかったことはといへば「彼らMBA戦士らは机上の学問の他、質実剛健文武両道で肉体の鍛錬も惰らず」なのだろうが、写真見れば、単に浅きプールに棒きれ渡しそれを1.5mほどの対岸まで渡るだけの訓練(笑)。しかも傍らにかかる橋の欄干につかまってでは何らリスクもなし。肢体不自由の老人のリハビリの如し。まさかこの訓練が全てではあるまひが「実践的」が売り物のMBAにて実際にどの程度のことをば実践的と評しているかの一つの評価材料として、この「子供でも飽きる」程度の「訓練」なのではあるまひか。而もこの橋渡る青年の不格好甚だしきこと。対岸の学生の心配そうな表情。少なくともこのような連中がMBA修了などと大手振る企業には所属したくないと切実に思うばかり。