富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2007-06-03

六月初三(日)天気がよく而も何も予定もない久々の日曜日。島南の海岸の木陰で読書したり微睡んだりして過す。二度ほど通り雨も心地良し。日本の安田記念は香港馬はあたしが押したJoyful Winner含め奮わずダイワメジャーの優勝はいいがもうオレハマッテルゼがどん尻。話にならず。で気分をかえてのはずの今季最後の地場G1レースとなるThe Charter Cup(芝2400m)はVengeance of Rain(爪皇凌雨)とViva Pataca(爆冷)の一騎打ち。調教の具合はViva Patacaのほうが良さそうだがVengeance of RainにはQE II Cupでの雪辱を晴らしてもらいたいと願い、調教の時計の44.8も2400mぢゃ関係ないと思いつつVengeance of Rain応援したがViva Patacaがこともあろうに3と1/4馬身差でぶっちぎり。脱帽。本当にDr Stanley Hoはカジノ王でも競馬だけは制覇できずにいたが人生の最後で(ってまだ暫く君臨しそうだが)凄い馬を有してしまったもの。さすが。帰宅して枝豆とビール少し。夕食のあと「のだめ」の海賊版テレビドラマ見てグリークのピアノ協奏曲イ短調を聴く。一昨日、香港シンフォニエッタで聴いたこの曲の「おさらい」はカラヤン指揮でピアノがツィメルマンの伯林フィル。1982年ってついこの前のようだが、もう四半世紀前だと思い驚く。
朝日新聞に連載のニッポン人脈記の銀座情話9で泰明小学校にまつわる話あり。数寄屋橋の一等地で銀座の老舗や築地の卸問屋の子女など通った小学校だが、名前一つとっても公立なのだから本来であれば東京府数寄屋橋小学校でいいのに泰明というだけまさに数奇。明治11年の創立の時が赤煉瓦で震災で全焼し今の混凝土校舎はその時の震災復興事業の時のものが現存の由。でこの朝日の記事に登場は築地の仲卸商の息子で俳優の加藤武と歌舞伎役者の澤村田之助。外堀川を挟んだ向いの朝日新聞社の上空には原稿を運ぶ伝書鳩が舞っていた、という泰明小学校、そこに通う集団登校の加藤武が待っていると3つ下の田之助が転びそうになりながら現われる。「遅い、遅い」と言う加藤武少年は忠臣蔵高師直のセリフ。すると田之助が地にぱっと手をつき「遅なわりしは拙者が不調法……」と塩治判官で返す。いいねぇ、小学生で、これ。
▼89年の天安門事件から18年。当時、北京から反政府系の活動分子を海外に逃亡させるため香港で組織された「黄雀行動」Yellow Birdsはその後、真相が明らかにされず。香港の実業家らが資金提供と言われたが、その組織者である実業家が先月末に香港より訪米、当地で多維社などマスコミの取材受けた由。この実業家曰く、知人より相談受け資金提供引き受け高速艇を準備、映画監督など香港での協力者募り、中共の内部人士、外交官、解放軍軍人、密出国業者から黒社会のその筋の者らかなり広範は支援得て数百名の活動家らの国外逃亡助けたり。そのなかの一人、厳家其曰く「自動車に乗せられ高速艇に乗り込み一切わからぬうちに」のその行動、救援作業中に海難事故で四人の香港人が死亡という。この実業家曰く、まだ当時の具体的な救出ルート等の公開は、関係者実存ゆゑ時期尚早、と。
▼中環のRitz Carlton Hotelが今年いっぱいで閉業。曾て隣接のフラマケンプスキホテル同様、ビジネスビルに建て替え。80年代末に日本のデベロッパーによる建立で開業前にバブル崩壊でこの会社が倒産。東海銀行が抵当として開業までかなり遅れ92年だかに開業。イタリア料理屋はそれなりに上手くエスプレッソは香港では格別と言われたが。各フロアとも豪華そうに見えるわりに実際の内装、建て付けがチャチだったのは内装工事に入る前にデベロッパー倒産のためか。

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