富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

七月廿九日(木)母から電話があり宅急便でいつもアタシの通販はクレジットカード払ひが済んでゐるはずなのに珍しく着払ひになつてゐて発送元が鹿児島指宿の柘櫛扱ふ店からで支払ひ済ませ開梱してみると見事なサツマイモと期限切れのヨックモックが中に、と母。確かに薩摩柘の櫛は注文したが送り主が親戚知人に送る品と注文品の発送を取り違へたのでは?とこの商店に電話してみると「ちょうどサツマイモが取れたんで折角だからご賞味いたヾければと思ひまして」と。なんてありがたい、と思ひつゝ「ただ注文の櫛が……」「入つてゐませんか?」「なんか箱入りのお菓子が一つ」「あ、それ開けてみてください。櫛が破損したりするといけないと思つて、いつも有り合わせの箱に入れてしまふんですよ」と。なるほど。さつそく母に電話すると確かにヨックモックの箱の中に櫛が三つと椿油など。「このお菓子箱もあんまり丁寧に梱包されてゐたから」と母。その箱の中に製造販売元から丁寧に一筆添へてあつたさうでサツマイモもどうぞ、と。笑つて話は済んだが折角の善意も母が一寸訝しがつたのは最近はオレ/\詐欺どころか宅配便詐欺も少なくないさうで勝手に商品送りつけて着払ひなどある由。アタシが柘櫛が届くから、とひとこと言つてをけば済んだことなのだが。掃捍埔のジムで形ばかりに運動して早晩に露天酒場。カルスバーグ二杯。先日、アタシが落花生HK$20にひどく驚いてみせたことを酒場女郎←差別語に非ずが覚えてゐて「落花生は要る?」とちゃんと尋ねてきた。アタシが麦酒を飲みながら新聞を読んだり切り取つたり本を出して線を引きながら読んでゐたりするのを女郎が面白そうに見てゐる。福助。千葉A氏来港で会食。ずわい蟹。春鹿の辛口純米酒。誘はれて二更に久々にカラオケラウンジ。何か歌ふとなるとクールファイブ通り越して東京ロマンチカまでアタシの場合は遡つてしまふ。
▼千葉A氏に聞いた「ちょっといい話」。先日亡くなつた蒙民偉氏の回顧談。こちらも数ヶ月前に北京で客死の徐展堂氏が蒙氏ら香港の骨董美術収集の好事家誘ひ日本で美術館や仏閣の所蔵品など参観のツアーを組んだことがあり徐氏が懇意にしたA氏にいろ/\手配頼み、その朝、指定の帝国ホテルのロビーにA氏が出向くと蒙氏がロビーのソファでバナナとゆで卵を頬張つてゐる。ホテルの、それも帝国ホテルのロビーで持参の朝ご飯とは、蒙さんだから許されるのか、とA氏が驚くと蒙氏曰くこのホテルに泊つてゐないのは赤坂に部屋があるので「ばあや」が朝ご飯を持たせてくれたから、と達者な日本語で語られた由。「ばあや」と表したのがなか/\、なにが「ばあや」か、と想像は自由。今夕、北角の葬儀館でお通夜。香港の政財界、教育界など多くがお弔ひ。明日の出棺には財政司司長、香港大学校長、其士集団の周亦卿、松下電器の代表、それに勲四等だけあつて日本総領事館の代表も扶霊されるといふ。
▼長らく不況と経済低迷、で外国からの観光客誘致と日本が大陸客の査証制限緩和。これを蔡瀾氏(蘋果日報の連載で)指摘するに中国人がカネを落とすのはいゝが代償は?と。要忍受顧客的嘴臉、世界でも最も礼儀を重んじる民族が列に並ばない旅行客を接待するのだ、日か鉄で大声で喧嘩し至るところで口論する客人を、なのだと蔡瀾氏。東京や大阪で蔡瀾氏も「どこからいらっしゃいました?、上海?、北京?」と尋ねられ当然「香港です」と答えると尋ねた人が微笑んで燦爛得多と蔡瀾氏はエッセイを結んでみせた。
▼今朝の信報「推普機碾不碎粵語的舌頭」で筆者(葉輝)の話では先日の広州での「撑粵語」運動ではBeyondの「海闊天空」の他に粤語といへば確かに、でサミエル=ホイの「半斤八両」も声高に歌はれてゐたそうだ。:我哋呢班打工仔,一生一世為錢幣做奴隸……。また広州に遊んだ胡適が粤語で詩を詠んだ話も興味深いところ。

胡適的心態倒是文化交流的心態,他曾於1935年南遊廣東,在《南遊雜憶》寫道:「我在船上無事,讀了但怒剛先生送我的一冊《粵謳》,一時高興,就用我從《粵謳》裏學來的廣州話寫了一首詩。」此詩題為《黃花崗》:「黃花崗上自由神,手揸火把照乜人?咪話火把唔夠猛,睇佢嚇倒大將軍。」其後補記,第三句原作「咪話火把唔夠亮」,參考了汪精衞的意見,將「亮」字改為「猛」字。以粵語入詩,「猛」顯然比「亮」傳神得多。