富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2011-09-23

陰暦八月廿六。秋分。曇。Gastro-enteritisの症状続く。いつも二日くらゐの服薬で治るのに今回はちょっと厄介なウイルスに患つてしまつた。外では冷房に堪へたが長袖のワイシャツでは寒くてユニクロで薄手のカーディガン購入。一昨日、養和病院の診療所でもらつた薬ぢゃ効かず夕方、かヽりつけのC医師の診療所へ。みんな同じ症状……と涼しくなり乾燥して医者にとつては季節到来で嬉しそうぢゃないが忙しさう。ハルキムラカミの「ねじまき鳥クロニクル」第三部読む。三晩で全三冊読了。やはりアタシの乏しい想像力ぢゃまるっきし楽しめないハルキワールド。ただ、じつは「さういへばこの本があつた」と思ひ出したのは(八月五日の日乗にある通り)小樽M氏から「円山動物園「おもてなし日本一」への挑戦」読ませていたヾき戦後、札幌の円山動物園開設で園長になられた方が満州新京(現・長春)動物園の園長だつたといふ記述があり、この「ねじまき鳥」に新京の動物園が重要なファクターであること知つてゐたので「もしかすると、ここで動物園がつながったのは僕に旅をしろ、ということなのかもしれない」と、ようやく僕は書架のどこかにあつた「ねじまき鳥」を読むことになつた……といふワケ。この「ねじまき鳥」では新京の動物園のキーパーソンは(ナツメグの父にあたる)獣医で園長は中国人といふ設定で、この獣医とその家族の運命は戦後、札幌の動物園で園長になる方とはまるで違ふ方へと進んでゐく。長春もアタシの記憶はもう四半世紀以上前のもの。ずいぶんと変はつたことだらう。
▼明日、香港に蘋果商店開業の由(中環のIFC)。「免税店」を社名にしてしまふやうに香港には蘋果電脳産品の"Authorized Reseller"をば社名にする賢い?輩もゐるが(写真左)蘋果の旗艦店開業は蘋果ブームに乗つて商売してきた小売店には辛いところ。今でこそ「どこでも蘋果」だが一昔前は蘋果電脳扱ふ店は稀でアタシは十年くらゐ前くらゐから暫くは、ずつと銅鑼湾のヰンザーハウスにあつたCablex商店にお世話になつたが、それより昔は(蘋果の電脳がLCナントカの冬の時代だが)上環の古い商業ビルの中にひっそりと佇むバッタ屋のやうなところで蘋果電脳購つたもの。時代も変はつたが蘋果の旗艦店出来たところで蘋果電脳の産品扱つて〼といふだけで別に何が珍しいでもないはづだが、彼処は蘋果ユーザーにとつて「メッカ」なのだらう。そこに自分がゐるだけ、で何か満足感を得る。ハルキムラカミの小説を読んで「この孤独のような、でもじつはワンダーランド」を会得してゐるのは自分だけなんだ、と感じ入るのと同じやうな場所、空間が其処。チョートク先生のやうに「Wi-Fiがあそこだとつながるから」なんてプラグマティズムは本当はアップル社は困るのはずだ。
アエラ別冊「震災と鉄道全記録」読む。

いずれ東京、大阪間を新幹線をはるかにしのぐスピードでつなぐリニアモーターカーができるそうだが、東北人の俺からするとそんな乗り物は要らない。原発ほどではないにしろ危険がないわけではないのだし、危険は自然の猛威だけで充分じゃないか。東北の復興と共に、寝台車と軽便鉄道も復興してもらいたいものだ。それがなにより東北にはよく似合う、と俺は思っている。

菅原文太氏。寝台車といつてもトワイライトエクスプレス北斗星はいけない。華やかすぎ。はくつるゆうづるでいヽ。父が飲んだくれて上野から列車に飛び乗つたら23時に出るゆうづるで全車寝台で車掌に「水戸まで一駅で」といつても当時の時刻表を見ると110分もかかつたのに「寝台使はないから」なんて談判してゐるうちに着いて特急料金で赦してもらつた、なんて夜中に酔っぱらいの父親に聞かされた幼い頃の記憶。昭和40年代の東北の旅の記憶。青春18切符で旅した東北の隅々。

ねじまき鳥クロニクル〈第3部〉鳥刺し男編 (新潮文庫)

ねじまき鳥クロニクル〈第3部〉鳥刺し男編 (新潮文庫)

震災と鉄道全記録 鉄路よ熱く甦れ (アエラムック)

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