富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

蕭芳芳『苦兒流浪記』

fookpaktsuen2013-04-01

農暦二月廿一日。伴天連復活節で休日。午後まで官邸にて書類整理。中環。市大会堂。映画『苦兒流浪記』見る。國風公司といふ映画会社のプロデューサー朱旭華が児童教育映画として監督が卜萬蒼で撮つた1960年の「不幸な少女」映画。少女がこれでもか、これでもか、と不幸な目に遭ひ、それでもひたむきに活きていく態に涙する……なのだが、この映画は監督の卜萬蒼の作風も良いが何といつても不幸な少女役の蕭芳芳の見事さ。彼女引き取り旅を続ける老大道芸人役が王引、影后たる胡蝶も出演。蕭芳芳の不世出な子役名演だが「フィルムが現存せず」とされたが昨年、台北の映画資料館で16mmフィルム見つかり、これをイタリアでデジタル処理したものの披露。満席。鄧達智兄が「超過半個世紀1960年童星蕭芳芳與中年胡蝶合照,不單電影,乾這照片便值得珍藏」と書いてゐるが(廿一日、蘋果日報「沒有苦兒世界兇殘」)まさにこの映画の一場面のスチール写真(北海道で撮影された厳冬)だけでも蕭芳芳に魅了されぬことなし。達智兄の言葉借りれば

人生矛盾,貧困艱難營生推使有志之士積極為人民謀幸福;社會主義,共產主義本來大前提全皆為解民困,一直走過來,當發現理想烏托邦失卻人性,生活有苦有樂才是平衡,猶如月圓月缺締造永恆。歐洲今天社會不衡經濟挫敗皆超額福利所賜。保護過度,不斷給予,接收者沒有足夠,只有不斷提升貪得無厭的永遠不夠。(略)
清貧歲月,一家幾口守望相助,不要說被迫學彈鋼琴,能吃飽兩口白米飯,有課上;縱使下課後要為交學費及幫補家計作小小補習老師,週末到餐廳任臨時侍應,夏天到工廠管頭看尾;可那年頭的青少年更精神,恁勞恁怨,所有付出皆得回報。新一代埋怨父母這,老師那,怨社會罪大惡極政府無能,當今生活只差幾步便做到不須動個把手指頭,一切現成,屁股一攤不單止麥當勞迪士尼,什麼讀書遊埠電子製品全皆水到渠成;反正社工是奶媽,政棍是乾爹契娘?

と世の中は豊かになりつ社会病理は已然解決せぬどころかます/\ひどくなりぬ。達智兄から「可惜不在香港,未能自大銀幕欣賞!」と顔本に書込みあり。早晩にZ嬢と北角。鳳城酒家に撮影師K嬢、某大手食品会社で商品デザインするE嬢と会食。新光戯院。Leslie張國榮逝去十周年で映画『覇王別姫』特別上映。やはり京劇の女形としては少年時代の程蝶衣演じた尹治の方がレスリーより女形としての魅力は格段上で映画の中でレスリーの名演といへば日本軍で北京の司令官青木三郎の前での素踊りは見事だが今回再看で痛感はやはりこの映画で役者として最も見事なのは主演のレスリーでなく鞏俐であること。女優として美しいのはアタシなのだ、女形ぢゃない、と鞏俐の役者として力量、見映え……それに尽きる。尹治が五年前のレスリー命日にこの映画出演時(14歳)のレスリー回顧談「宋小川,尹治回忆哥哥张国荣(流畅)」はこちら
▼面臨共同敵人面對國破家亡,一個民族才曉得並肩抗敵,安倍晉三今天希望推銷急售予日本人便是這個概念,連同美國,菲律賓,越南,印度,緬甸,當然最好加上澳大利亞,南韓及台灣;看,多給面子,當年東亞病夫,今天亞太公敵!捱過一窮二白急不及待升呢做強國的中國身份轉移,本來身負重擔一步一步爬過來的窮光蛋,稍見起色即時變身大家眼中的魔鬼?(鄧達智兄)
▼都新聞の「本音のコラム」で看護師の宮子あずささんが看護師として働きつゝ四月から彫師も兼業と書いてゐる。終末期医療への希望を伝える特種な刺青。自分の臨終の希望を一筆書いておいても服のポケットに入れておいても救命の現場では無理。そこで胸に「蘇生無用」、胃瘻無用、葬式無用と身体に彫っておくのだ、といふ。但し書込みすぎると「耳無し芳一」になるのでほど/\に、で冗談なのか、と思ふと「ご希望の方は(都新聞の)特報部気付で宮子までご連絡ください」。本気か。「蘇生無用」の刺青で健康ランドの「刺青のある方は……」で入場断られたり、志ん生師匠だったら「俺ならヘソの下に「蘇生不能」って書いておくね」なんてオチになりさう。