富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

西湖の夕暮れ

fookpaktsuen2013-12-31

農暦十一月晦日。晴。せつかくなので西湖を一周してみたい。ホテルのコンセルジュに尋ねると17〜20kmだといふ(後者はチェックバック湖を回る場合)。走れない距離ではないが大気汚染と湖西の幹線道路沿ひ考へるとあまり嬉しくない。ホテルの近くの集落にTHBC(The Hanoi Bicycle Collective)といふステキな自転車屋あり自転車半日借り(Vt₫50.000也)西湖をぐるりと一周。2時間。走り出して暫くして気づいたが道路は車両は右側通行で湖畔一周するなら時計回りがいゝのに、つい北に向かつてしまひ車両少ないうちは良かつたが、やはり湖西で幹線道路に出てしまひ旧市街に近い湖南まで難儀。それでも楽しい自転車乗り。自転車なんて何年ぶりで乗つたらお尻の痛みより腹筋が攣るとは。昼前に自転車返却して路上でBún Chả飰す(Vt₫35.000)。美味。ホテルに戻りサウナに寄り部屋で入浴。午睡。宿からの便宜供与で午後4時の退房。まだ時間あるのでクラブラウンジでまつたり。そのまゝのつもりが今日は西の空がだいぶ夕焼け気分で西湖の黄昏が愉しめるかしら、と慌ててサンセットバーへ。予想通り素敵な日暮れ。たゞそれも日没の一時間くらゐ前まで、で地平線の霧霾に太陽は隠れ夕焼けもないまゝ暗くなる。河内の最後で西湖の日暮れ堪能出来たのは幸はひ。タクシー雇ひ市街北上して真っ暗な中、空港へ。KA294便にて香港に戻る。荷物出て来るのに時間かゝり而も最後のコンテナの一番最後の荷物になつてしまひ荷物受け取るのに45分も待つ。エアポートエクスプレスで中環。タクシーに乗り丁度、銅鑼湾過ぎるあたりで半夜三更。ヴィクトリアハーバーに近い歩道橋の上など鈴なりの人出に何かと思へば新年祝ふ超高層ビルの電飾とハーバーでの船上からの花火共演。イースタンハイヱイ走行中の自動車が速度下げるくらゐなら未だしもハザードランプつけて停車すると後続もそれに合はせ止まつてしまひ普段なら「テメー、何、気違ひなことしてんだよ」でクラクション鳴らし怒るはずが今晩だけは「前の車が止まつてしまつたから」と安全確保で自分らも止めてクラクションも新年の祝ひとは。陋宅にて旅荷片付け深更に至る。毎年大晦日は一葉『おゝつごもり』一読してゐたが今晩はそれも能はず。
▼今晩のN響の第九はエド=デ=ワールト指揮の由。「江戸で悪人」はんも香港フィルでイラ/\してゐるより、かうして客演であちこちで愉しく指揮する方がいゝだらう。N響で第九ならこの人に合ふはず。
▼結局のところ米国あつての日本。日本は冷戦期にたま/\戦略的に重要な位置にあり米国に重視され守られたが冷戦終結で実は米国が日本守らなければならぬ内在的な理由ないことがはつきりして「愛されなくなったらおしまいだという焦りや不安が、アメリカに愛されるためなら何でもやるという思考停止」を生み特定機密保護法もその文脈で理解すべき、と大澤真幸先生(朝日)。「恋人はどうやら自分から離れたがっている。秘密も打ち明けてくれない。だから特定機密法を作りました、さぁ安心して打ち明けて」で、これが国際社会に向けてのアピールにもなる(あいつはどうやらアメリカに秘密を打ち明けられているらしい、と)。それで何となく一目置かれたいと……なんて貧弱な話。だがその通り。でもアタシが米国なら311で見せつけられた、あの危機管理能力の無さでは、とても米国の軍事政治秘密など教えられるはずもなし。
大瀧詠一氏逝去。享年六十五。八十年代ポップスの大御所。『A LONG VACATION』で多くの若者はあんなリビングライフ(へんな言葉)があるのだ、と騙されたまゝバブルの時代を迎へたが、意外と、あのフィーリングのまゝ生きてゐてアタシもこんな呑気な生活の様式はかなりあの時代のあの雰囲気の影響があるのではないか、と思ふ。それにしても80年代のほんとうに幸せな時代。ソ連をはじめ東側の人たちには悪いが「東側」があつてくれたことで「テロという敵」で騙されない時代。