富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

タモリと太宰

fookpaktsuen2014-03-09

農暦三月初九。曇。午前中中環市大会堂で知人のお浚ひ会あり末席汚す。晝にZ嬢とFCCヴーヴクリコ抜栓して食事。晝の三鞭酒はさすがに効いて帰宅して午睡。起きたら夕方の怠惰な一日。晩、北角の七喜粥麺小厨に飰す。家族経営の清潔な小さな食肆は繁盛。学者然とした老主人がまぁ何ともいゝ雰囲気。「文藝」別冊「タモリ」(河出書房新社)読む。
▼「文藝」別冊で「タモリ」が出たのはタイミング的にはテレビの晝番組「笑っていいとも」終了に合はせて、だと思ふが実のところ新潮新書の今では寄書と呼ばれる「タモリ論」が昔からのタモリ識る方たちの間で「そんなもんぢゃないだろ」といふトンデモ感があり、それが噴飯でタモリを識る人たちの言説集めることで出来たのがこの「文藝」別冊。アタシだつて十代の前半でデビュー当時のタモリが自分のなかにしっくりと浸透してきてゐるから「タモリ論」となると「うわさのチャンネル」は当時、誰でも見てたしオールナイトニッポンも聴いてゐるけど東京12チャンネルのモンティ=パイソンの小コーナーは、あれがタモリだ、ってわかつてゐた視聴者は少ないし雑誌『面白半分』なんて読んでないでしょ、タモリの連載」とすぐ自慢話から「今夜は最高」までの昔のタモリがいかに面白かつたか」となり「笑っていいともはもうタモリぢゃないんだよね」となり、やはり今のタモリでは唯一「タモリ倶楽部」は面白い、となる。これは太宰治を少しでも齧つた読者が陥る「私にとっての太宰」に近いものがあり、人それぞれに「自分のタモリ」イメージ抱かせるだけ、やはりタモリには太宰治的な魅力があるのは確か。この本にある年表読んで、モンティ=パイソン日本語版の放映の方がオールナイトニッポンよりずっと早いと思つてゐたが、じつはモンティが1976年の4月でオールナイトの方が同年10時と半年も後であることを知つた。この本、タモリ関係のいろんな方々のタモリに関する言説をよく集めてゐるが、やはりアタシは平岡正明の書いてゐることは全然意味がわからず高平哲郎はプロデューサーとしては面白いが書いたものでは笑へない。

1981年さすがに「お笑い」では中国で撮影できず香港で深圳国境の落馬洲まで旅するタモリ。それにしてもなぜ探検服なのよ。落馬洲でのタモリは面白い。