富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

マカオに遊ぶ(二日目)

fookpaktsuen2015-07-25

農暦六月初十。珍しく朝七時半まで熟睡、といふか嫌な夢みて眠りが変に深くなつた。夜中に冷房消したつもりが消えてをらず布団かけて寝てゐたが起きると悪寒。ラウンジで朝食。 朝八時だといふのにまだ宿泊客の多くは朝寝貪つてゐるやう。Z嬢に誘なはれ十月初五日街を抜け白鴿巣公園の黃營均圖書館へ。小高い崗の高低差見事に活かした公園に鬱蒼と南の樹木繁り図書館はその巨樹伐採せず寧ろその樹木の陰翳に佇む見事な設計。館内も読者にとても使ひ易い設計。公園の後門から出て土地廟拝し沙梨頭街登り鏡湖病院の傍らから大砲台に上がる。いっときより少なくなつたとはいへ大陸客ばかり。新馬路から路線バスで氹仔へ。氹仔中央図書館。ここは開発区のマンション群に囲まれた四角い公園で白鴿巣公園と状況は正反対だが公園の中央に洒落た公営プールあり地下に自然光活かした図書館あり。広さといひ新聞閲覧コーナーや児童図書の充実は見事。FT周末版でJohn Gapperによる“Financial Times sale to Nikkei”(こちら)読む。予想以上に冷静。紐育時報の“The Financial Times Will Be in Good Hands”(こちら)も教育事業のPearsonがFTを経営的自立の新聞社=日経に売却はFTに安定のために良策、と指摘。今回の買収劇については同紙ビジネス面の記事(こちら)が一番よくまとめてゐるかも。総じて「日本の非上場の大手新聞社による買収は良しとする」なのは日本企業なら財政面は安定の上に余計な口を出さない、か。「パートナーとして日本はベスト」といふ時にはsignifié的にはシノフォビアあり。昨日もマカオソウルでの四方山話で京都は伝統的で保守的だといふが政治的には共産党支持が盛んで、といふと知日派(=嫌中)の英米人ですら驚くがアタシはそれをポジティブな意味で言つたのだが受け入れられず小泉三世は相変わらず好感度抜群で、晋三ですら(対中の強硬態度で)彼らにとつてはとてもしっかりしたリーダーと映るから、なか/\むづかしい。氹仔には、この公園下の図書館の他に旧市街にも図書館あり公立図書館がこんな近くに2つも?と思ふが氹仔中央公園の図書館は澳門中央図書館に属する図書館で他に私の好きな何東図書館とかもこの系列、それに対して氹仔旧市街のは白鴿巣と同じ黃營均図書館で、こちらは民政総署に属する図書館。まさに二重行政で同じ地区に中央図書館系(こちら)と民政総署系(こちら)の2つの図書館あることになるが図書館の充実といふ点では大いに結構。こんなに図書館充実の澳門が浦山しい。路線バスで海邊新街に戻り牛記咖喱美食に昼餉。蟹黃撈麵と咖哩牛腩伊麵。カレーが本格的にスパイシーで胃が驚く。ホテルに戻り午睡。読書。ジムのトレッドミルで5km走る。ラウンジのハッピーアワーで独酌。三鞭酒は厳密には発泡酒のCuvée Jean-Louisでした。香港在住の星谷周作氏の小説『香港DUDE』読了。アタシが小学生のころは本屋に官能小説の月刊誌に並び『風俗奇譚』なんてあつた時代で大人の目を盗みエロティシズムや残酷の境地垣間見るのが好きで80年代始めはジュネやアランなど耽美系雑誌全盛で『月光』なんてかなりマニアックな雑誌も出てゐたが、さうしたエロティシズムの隠微さはネット普及ですつかり消失してしまつたかしら。澁澤龍彦の『血と薔薇』の時代がステキ。で『香港DUDE』(こちら)は今どき珍しく、さうしたかなり隠微な好事家たちのエロティシズムの世界で前提は「秘事」といふこと。これを中文で書いてしまふといふのだから作者の筆致格別で、この内容は日本語より間違ひなく中文のほうが表現力として豊か(当初、日本語で書いたが、かなり好事家の世界で出版社見当たらず中文訳で台湾の出版社から上梓)。今晩もマカオソウルで飲むつもりが二人して体調悪く取りやめ。読書。二更にホテルから近い六記粥麵に飰す。及第粥と浄麵。浄麵は具なしのスープ麺だが六記はスープが美味いのでシコ/\した麺でこれで十分。及第粥の語源、久が原T君に尋ねられる。

相傳明朝倫文敘幼時家中甚貧,以賣菜為生。隔壁粥販憐其幼,惜其才,每天中午以買菜為名,著倫文敘送一擔菜至粥販家,送完菜後,粥販便以豬肉丸、豬粉腸、豬肝生滾的白粥招待之,權當午餐。後來倫氏高中,心念粥販贈粥之恩,重回故地食了一碗當年老闆給他熬的那種粥。由於此粥無名,倫氏為其題名“及第”,並書一匾。 “及第粥”之名,便由之傳遍廣州。(維基百科)。

と引用するとT君曰く、ならば「状元粥」や「探花粥」もあるのかしら、と科挙について知識あると質問はかうなる。正解。

清朝時,廣東林召棠中狀元回鄉拜祖,他每天都喜歡用豬肝、豬腰和豬肚煮粥而食。有一天,一位退居廣州的御史前來探訪林召棠,剛巧林狀元正在吃粥,便問他吃的是什麼粥。林狀元知道老御史盼望兒子能科場高中,因此指著那粥恭敬地回答:及第粥。御史吃過及第粥後,回到家里便命廚人依法炮製,精心熬製及第粥給兒子吃,他的兒子果然高中狀元。老御史大喜過望,逢人便講及第粥的好處。因此,及第粥便廣為流傳開來。(同)