富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2016-05-06

農暦三月晦日。早晩に尖沙咀。酒血にてD嬢、H嬢と飲む。伯楽星と麓井。ホヤの粕漬。麻の格別な担々麺。お二方残し失礼して二更に油麻地のCinematiqueへ。北朝鮮で36年ぶりの労働党大会の今日、Alvaro Longoria監督のドキュメンタリー映画“The Propaganda Game”見る。監督は北朝鮮の体制に批判的ではあるが、けしてその批判だけでは逆の意味でプロパガンダになつてしまふわけで、そこで北朝鮮の体制内で十分に満足して暮らしてゐる市民の声もきちんと聞く。北朝鮮政府で対外的な広報担当する唯一の外国人職員は北朝鮮で言論や報道に制限がないか、といへば、それはある、と答へる。しかしその理由として北朝鮮が米国との戦争、どういふ戦争かといふとプロパガンダ戦を戦つてゐる戦時下にあり、そのやうな環境では一定の自由の制限は致し方ないといふ。なんだか一瞬、さういふことか、と思つてしまひさうになる。韓国や欧米の北朝鮮ウォッチャーたち、北朝鮮内部の選ばれた模範市民の声でバランスがとれてゐるやうで、やはり北朝鮮内部の体制に疑問もつ市民の声だけは絶対に取材できないことが一番の現実。半夜三更に帰宅。飲酒後の映画はけっこうきつい。
文革から半世紀。文革の誤りは中共で認められてはゐるが北京の人民大会堂文革当時の音曲を披露する「社会主义经典歌曲大型交响演唱会」が開催された由。この手の文革回顧の音楽会は2011年に当時、重慶市委書記だつた薄熙來が率ゐる千人規模の重慶紅歌合唱團が北京民族宮大劇院で「唱紅」以後、初。薄熙來は文革彷彿させる革命路線で失脚したが習近平政権下での「唱紅」に結局のところ「狙ひは一緒」で党中央にとつて「第二の林彪」出現恐れ薄熙來失脚させたものと思はざるを得ず。
東京新聞「こち特」田原牧さんのデスクメモより。
沖縄の現在の闘いが十分に本土に伝わっているとはいえない。だから報じねばと考える。ただし闘いを沖縄のみに背負わせてはならないとも思う。基地問題は差別の産物であり、本土の私たちの問題である。沖縄に通じる闘いを本土で築くこと。それが筋であることを自戒したい。(牧)