富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2016-12-30

農暦十二月初二。曇。二ヶ月だか前に注文したノルウェーのVarier社製のバランスチェアが自宅に届く。15年近く坐つてきた椅子を廃棄。それは元々日系某商社の支店で部長クラスの椅子。改装で大量に処分したのが周り回つて。もう20年以上前の椅子でかなりガタがきてゐた。午後は家人と出街。北角で椰子店の猫はお正月のやうな晴れ着で恥ずかしそう。埠頭の係員の伯母さんの溺愛する猫を愛でハーバーを観塘に渡る。もう開館から二年近くになる一新美術館。Y館長は香港大学美術博物館の元館長でいつも展示新しくなる度に招待状送つてくれるが失礼続け今日が初めて。参観は予約制でY館長はこの年末なら休暇と連絡もせず「香港新晉油畫家 不凡年代」(Hong Kong Aspiring Oil Painting in Phenomenal Times)といふ特集。呂華といふ中国出身の画家の人物画が招待状で印象的だつたが会場で家人が参観中の女性に声かけられ、その人が今回も作品を何枚も出してゐる顔潔明治(Joyce Ngan)といふ画家。この人の風景画が独特の印象で聞けば、まだ本格的に絵筆を握り3年だといふ。今夏に台湾を旅行した際の風景画があつたが、無題の何でもない海沿ひの舗装道路と青い空の風景画があり「これは台北から東海岸に出て?」と尋ねたら、その通りで驚かれる。いかにも台湾の沿海の風景だが何より自動車道が右側通行で電線があるのが、やはり台湾。参観済ませ去らうとしたところで廊下でY館長に邂逅。事務所の中まで見せられると館内と全く同じモダンで鮮明な壁の色だが落ち着いたトーンで、聞けばY館長自身がかなり設計から関はつた由。この一帯は六十年代から香港の軽製造業支へた工業地帯で今ではほとんどの工業ビルが役目終へ倉庫となつてゐるが最早歴史的価値あり。工業街からすつかりお洒落なオフィス街に変貌しつゝある観塘から牛頭角。

地下鉄で石薢尾。今では歴史的建造物ともいへる初期の公共団地の大坑西邨を抜けて大坑東の広大な運動場の方に向かひ滙基中学。1月に何年振りで参加する(つもりの)九龍東での長距離でゼッケンなど出場者グッズ受領。大坑東の運動場に出るが、この西北に九龍でどこからも眺めると目立つ小高い丘があり一度も訪れたことがないので一新美術館で館長からいたゞいた画集二冊が重いが丘を登る。周囲の九龍市街一望できる標高もあり名前くらゐついてゐさうだが、あくまで水務署管轄の貯水地。その丘を頂上からかなり穿ち貯水池を造り蓋をしてゐるのだらう、頂上は一応立ち入り禁止でフェンスがあるが平地はバドミントンだの遊ぶにはもってこいでフェンスは破らた所があり平地には誰が拵へたのか遊具まであり。こんなところに山を穿つてまで貯水池かと思ふが周囲は石薢尾の「難民アパート」や大坑邨など大型公共団地のある人口密集地で当時は水の供給が深刻であつたはず。石薢尾に下る。石薢尾の旧式の公共団地は徐々に高層の公団住宅に建て替へが進んでゐる。それでも住民の多さには変はりなし。街市の盛況。それでも寧ろ公共団地の外、深水埗に出る手前の巴域街、耀東街の一角は古い密集建築も解体待つばかりで路上の大排档もその多くがすでに閉業。深水埗の元州街は玩具店並ぶが、もう4週間後の春節の正月飾りの販売で華やか。北河街近くの茶餐庁で軽く夕食済ませ長沙湾道から荔枝角道まで歩き三和模型玩具並びの康瑞甜品。家人の話で漢方医が始めた台湾産の仙草のゼリーが評判で、専門のデザート屋始めたのだといふ。仙草に芋圓、地瓜圓、小丸子など混ぜ、非常に微妙な甘さが見事。長沙湾道から路線バスに揺られ眠りながら港島に還る。


▼日経一面トップで日銀黒田「経済は良い方向とハッキリ言える」。アベノミクスはさっぱりだがトランプさまさま。晋三はハワイ訪問もウケて内閣支持率64%に上昇とは(こちら)。ところで、その「真珠湾訪問」について、昨日読んだ朝日ジャーナル復刊号の「メディア日記」にあつたのだが、伊勢志摩サミット前の日米首脳会談(5月25日)の記者会見で晋三に対して米記者から訪米の場合に「真珠湾を訪問するのか?」といふ質問があり、それに晋三は「計画はない」と素っ気なくコメントしてゐたといふ。どういふ経緯での質問かはわからないが少なくとも年末の真珠湾訪問は半年前から予定されてゐたものではなく晋三の「トランプ詣で」後のオバマ政権との関係調整で現実化した企画であることは確か。それで支持率上がるのだからお目出度い。
▼俳優・根津甚八氏逝去。享年六十九。病苦に悩む年月。哀悼。何といつても柳町光男監督の『さらば愛しき大地』の幸雄。