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日 用 帳

20080810

紀尾井町で岸田劉生展を見る。虎屋から野口冨士男の歩いた道を歩く。

いくぶん曇っていて、今日はやや涼しくて、ありがたい。意気揚々と外出、テクテクと四谷界隈に出て、通りがかりのコーヒーショップでひと休み。読みさしのままかばんに入れっぱなしだった、イプセン/原千代海訳『幽霊』(岩波文庫)を読み終えたところで、スクッと立ち上がって、上智大学の裏手からホテルニューオータニの建物に入る。ホテルのなかをクネクネとめぐりつつ、美術館へと向かう。


《画家 岸田劉生の軌跡 油彩画、装丁画、水彩画などを中心に》なる展覧会を見物する。岸田劉生といえば、2001年4月に鎌倉の近代美術館での展覧会がとてもよい思い出で、今でも折にふれ当時の図録を眺めているのだけれども、今回のニューオータニでの展示は、コンパクトながらも劉生の軌跡が網羅されている格好で、たいへん満喫。劉生に開眼した2001年4月の鎌倉の近代美術館での濃密な時間がよみがえってきたような感じで、思っていた以上の至福だった。竹橋の近代美術館の常設展示を見に行きたくなってウズウズ。ここには展示のない、《道路と土手と塀(切り通しの写生》とか《壷の上に林檎が載って在る》を思い出して胸がツーンとなりながら、時系列に劉生の作品をゆっくりと見てゆく時間がとてもよかった。つい二巡、三巡してしまい、なかなか去り難かった。

私はその会場で、岸田劉生の歯ぎしりの音が聞こえるような気がした。明治洋画のエリートたち、黒田や藤島たちを尻目に見て、劉生は、西洋というものは洋行帰りのお前さんたちが得意になって見せびらかしているような、そんなもんじゃないよ、と言っているのだという気が私はする。そして、本当の西洋はこれだということを、デューラーやファン・アイクに傾倒して見せることで示そうとしたのではなかったか。そのくせ、彼自身はついにいちども西洋へは行こうとせず、白樺イズムの草土社からやがて宋元画のグロテスクヘ、でろりとした美の肉筆浮世絵と、のめりこむように傾斜して行くが、そうなっていっそう孤立化してしまった劉生の口惜しさが、こういうふうに絵が並ぶと、ありありと私の眼に見える。大正ということで考えるなら、ここには、岸田劉生の姿を籍りて現れた、明治に対しての、やはりひとつの大正がある。

【洲之内徹「村山槐多ノート(一)」 - 『セザンヌの塗り残し』(新潮社、昭和58年1月)より】



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岸田劉生《静物(林檎と葡萄)》大正8年。図録《生誕百十年 岸田劉生展》(神奈川県立近代美術館、2001年)より。大正5年に肺結核を患ったあとの鵠沼時代の劉生の静物画が大好きだ。展覧会で出会うとそのたびに胸がスーっとなる。ほの暗い色調と光の加減と奥深さと静謐さ。今回の展覧会では、上掲の《林檎と葡萄》の隣りに展示の、《静物(土瓶とシュスの布と林檎)》は個人蔵だそうで、初めて見る絵(たぶん)。この2枚の静物画が今回の展覧会の最大の至福だった。劉生自身の、「思ひ出及今度の展覧会に際して」(『白樺』第10巻第4号、1919年)にある、《写実を追求して、無私の神秘な幽明鏡に達するのが自分の志》というくだりが紹介されていて、手帳にメモしたりも。劉生の静物画というと、竹橋の近代美術館にある《壷の上に林檎が載って在る》を鎌倉の近代美術館で初めて見たときの感激を忘れない。松濤美術館で《幻想のコレクション 芝川照吉》展を見たときに、ふらっと展示してあって、思いがけなく対面してたいそう感激したものだった。人生であと何度見られるか、というくらいに好きな絵。《幻想のコレクション 芝川照吉》展はたいへんおもしろかった展覧会で、いつものようにケチって図録を買い控えたのが今となってはたいそう悔やまれる。



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岸田劉生《寺子屋舞台図》大正11年。硝子戸の向こうにこの絵を見た瞬間、「キャー、キャー!」と心のなかで絶叫であった。大正11年6月7日観劇の新富座の寺子屋。吉右衛門の松王丸。劉生への関心は、戸板康二を読み始めたばかりのころに、劉生の『演劇美論』のことを知ったのが最初だったと思う(絵よりもその文筆がきっかけで作品も好きになっていたというのは、鏑木清方や小出楢重も同様だった。)。劉生の『演劇美論』は昭和5年4月の刀江書院版が初版で、昭和23年10月、早川書房の「悲劇喜劇選書」として再刊、その際に『歌舞伎美論』と改題された。銀座の奥村でこの『歌舞伎美論』を買ったときの感激を忘れない(粗末な造本で値段は数百円だったかせいぜい千円だったと思う)。上の《寺子屋舞台図》は『歌舞伎美論』のカラー口絵になっている。『歌舞伎美論』には劉生日記の観劇日記の抜粋が収録されている。

吉の松王丸がすばらしくよかつた、無禮ものといふところも、二度目の出で刀を出しての大きいみへも中々よかつた、時蔵のとなみも動きがすべて美くしく、机の數を聞かれるとのころ吉とイキが合つて實によかつた、秀調の千代も悪からうはづなし。

『演劇美論』には、新富座の花道の羽左衛門の実盛、吉右衛門の妹尾を描いた油画が中ページにある。この絵もいつの日か見てみたい!

岸田劉生氏が羽左衛門の実盛を油画にのこしていますが、岸田氏自身の文によると、そこには「花道と其の背景になる所の桟敷平土間あたりの見物に、電燈の光や提灯の灯を浴びて美しく色どられた、それらの他愛もなく愉しみに浸つてゐる花道、そこに立つた俳優」が写されています。実はこの絵は、観客の顔がうまく書けているのです。画面の五分の四までが女性の、この日の新富座の客席の人々の、実盛を「渇仰」している表情があざやかにとらえられています。羽左衛門の実盛は、こういう「渇仰」を滋養分として吸収し、昭和十九年十月の最後の初演にまで行ったのでしょう。一挙手一投足とも、ことごとく自身にみちて、彼は実盛を演じていました。……

【戸板康二『歌舞伎の話』(角川新書・昭和25年12月→講談社学術文庫・2005年1月) - 「第七話 その芸術性」より。】

などと、劉生の『歌舞伎美論』を初めて手にしたころの感激がよみがえったひととき。とりあえず、9月の新橋演舞場の海老蔵の実盛が楽しみである(めずらしく一階席を買ってしまったので、花道がよく見えるのが嬉しい)。



《寺子屋舞台図》とおなじように、岸田吟香の精き水のケースとビンがガラス戸の向こうに展示してあって、そこに劉生の数少ない木版画、1912年制作《築地風景》が展示されていて、劉生の背後にある「東京の昔」にいい気分になった。『大東京繁昌記』下町篇所収の劉生による「銀座」をひさしぶりに読み返したくなった。



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岸田劉生《築地居留地風景》大正元年12月23日。図録《生誕百十年 岸田劉生展》(神奈川県立近代美術館、2001年)より。今回見た木版画と同年の油彩として。桑原住雄『東京美術散歩』(角川新書、昭和39年4月)によると、築地を油絵のモティーフとして初めて取り上げたのは劉生だったという。ちなみに、『東京美術散歩』には鍋井克之の《五月の築地河岸》(大正11年)が紹介されていて、これも好きな絵。この絵を描いた当時鍋井克之は牛込に住んでいて、せっせと築地までデッサンに出かけていたという。同年鍋井克之は渡仏。



昼下がり。弁慶橋をわたって、青山通りに出る。虎屋本店の地下で喫茶。煎茶と季節の生菓子。本日の御菓子は「常夏」。常夏は秋の七草の撫子のこと。まあ、なんて愛らしいのでしょう! としばし心のなかではしゃいだところで、おもむろに持参の文庫本、野口冨士男『かくてありけり・しあわせ』(講談社文芸文庫)を取り出す。『かくてありけり』の冒頭、《なだらかな傾斜をもつ下り坂の左側には、こころもち褐色を帯びた暗灰色の石垣が続いていた》という弾正坂は、虎屋から青山通りを横断した豊川稲荷の左の坂道。というわけで、虎屋でひと休みしたあとは、シンと静まり返る休日の弾正坂を歩いて、四谷へ向かった。



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都市美協会編『建築の東京 大東京建築祭記念出版』(都市美協会、昭和10年8月20日発行)より、「虎屋」(昭和7年)。岡田信一郎設計。当時虎屋は豊川稲荷側にあったのが、東京オリンピックに際しての道路拡張で反対側に引っ越して新館を新築することになり、現在の虎屋本店がその建物。子供時分の徳川夢声は赤坂表町に住んでいて(明治34年から37年まで)、この頃の虎屋は紀の国坂を下りた細い通りの突き当たりの裏町にひっそりとあったという。人生最初の記憶が弾正坂だった野口冨士男が住んでいたのは大正2年から5年の、満五歳まで。



日没後。浅草をぶらりと歩いて、千束通り沿いでビールを飲んだ。行きしな「明治チョコレート」の古い看板が素敵なお菓子屋さんの前を通りかかって「おっ」となる。ビールを飲んで元来た道を戻ると、まだあいていて嬉しかった。記念に「明治サイコロキャラメル」100円を買った。吾妻橋を渡るとき、海の方に花火が上がっているのがかすかに見えた。花火を見たのは何年ぶりだろう。アサヒビールのふもとで「吾妻橋ハイボール」というのを飲んで、ふたたび吾妻橋を渡ったときは、すでに東京湾の花火は終わって、橋は閑散としていた。右手の鉄橋では、東武電車がゆっくりと走っていた。涼しくなったら、浅草から東武電車に乗って、どこかへ遠足へ出かけたいなと思う。



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ついでに、都市美協会編『建築の東京 大東京建築祭記念出版』(都市美協会、昭和10年8月20日発行)より「浅草松屋附近鳥瞰」。大好きな写真。ビールといえば吾妻橋。

「戸板康二ダイジェスト」更新メモ(#054)、明治製菓三田売店メモ。


「戸板康二ダイジェスト(http://www.ne.jp/asahi/toita/yasuji/)」を三か月ぶりに更新。

  • 三か月ぶりに更新を再開してみると、今月はちょうど「戸板康二ダイジェスト」がはじまって満6年、7年目からはもうちょっとちゃんとしたい。
  • 5月の講談社文芸文庫の新刊として、犬丸治編『思い出す顔  戸板康二メモワール選』(asin:4062900122)が発売したと思ったら、来月9月のちくま文庫の新刊として矢野誠一『戸板康二の歳月』が発売になるという。戸板康二に関しては今年もソワソワ続き。
  • 講談社文芸文庫の『思い出す顔 戸板康二メモワール選』は一読者としてホクホクとページを繰って、しょっぱなの「うまれた町」に綴られている戸板康二による「東京の昔」だけでも汲めども尽きぬ感じで、あれこれ本を繰っては悦に入って収拾がつかなくなっていた、この三か月だった。

といったようなことを書いています(→ http://www.ne.jp/asahi/toita/yasuji/news/index.html)。


ひょんなことから、岩波文庫の三宅周太郎『文楽の研究』正続を三年ぶりに再読してみたら、三宅周太郎の熱い筆致にあらためてメロメロ、もういてもたってもいられない。そんなこんなで、うっかり買ってしまった《復元幻の「長時間レコード」山城少掾 大正・昭和の文楽を聞く》なる5枚組ディスクに耳を傾ける日々。夏の夜の浄瑠璃。


三宅周太郎の『文楽の研究』については、『夜ふけのカルタ』(三月書房・昭和46年4月→旺文社文庫・昭和57年10月)所収の「五つの演劇論」で間然するところのない見事な文章を、戸板康二は書いている。これを読んだら誰もが三宅周太郎『文楽の研究』を買いに走り、杉贋阿弥『舞台観察手引草』や岸田劉生『演劇美論』が欲しくてたまらなくなり、小山内薫の劇評を何が何でも読まねばと思うに違いない(たぶん)。わたしもこの文章を機に、これらの本を手にして、戸板康二の「五つの演劇論」を何度も参照しつつ繰ったものだった(岸田劉生という存在そのものに興味津々になったのそもそものきっかけは『演劇美論』だった)。


三宅周太郎と戸板康二の出会いというと、慶應予科2年に在学中の昭和8年10月、所属していた歌舞伎研究会が企画していた演劇人を招いて話を伺うという催しで、三宅周太郎を囲む会が開催されたのが、その謦咳にふれた最初だったという。その会場が、「三田通りの明治製菓の売店の三階の小さな部屋」。



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「ホーム・ライフ」一周年増大号(昭和11年8月)掲載の「慶應義塾大学風景」、《三田山上から東京都(芝浦)を望む、左手の建物は図書館》。先日、「ホーム・ライフ」に胸躍らせてその復刻版を夢中で繰ったのだったけれども、そのなかで見つけた数多い好きな写真のひとつとして。戸板康二の在学時(昭和7年4月から昭和13年9月)の三田キャンパス!   


この写真の左に大きく写る図書館の建物の先にあるのが通称「幻の門」で、ここを出た左側に春日神社があり、このあたりに当時、明治製菓売店の三田売店があったという。白木正光編『大東京うまいもの食べある記』(丸ノ内出版社、昭和8年4月30日初版)の「三田慶應大学附近」の項には、《大和屋の向ひ側で、経営法は他の明治製菓同様、喫茶のほか軽い食事もやつてゐます》と、さらりと紹介されている。


『三十五年史 明治商事株式会社』(昭和32年5月)所収の年表によると、三田売店の開店は昭和4年9月16日で、昭和10年7月20日に早くも閉店しているから、ずいぶん短命だった。野口冨士男の『感触的昭和文壇史』(文藝春秋、昭和61年7月)にある、

慶應義塾の戦前の正門――幻の門から赤羽橋の方向へ向かうと、軒並みにして三、四軒先の左側――あの赤煉瓦の図書館の真下といった位置に、現在でも春日神社がある。あの参道と言っては大袈裟になるから小さな空間ということにしておくが、右側に階下が菓子の売場で、階上が喫茶室になっていた明治製菓の売店があった。その二階で三田文学会主催の談話会である「紅茶会」などもおこなわれていたことがあって、「三田文学」とは別の同人雑誌を出していた私も呼びかけに応じて出席したことがあるが、立地条件が悪かったため平常は閑散としていた。(p.89)

というくだりを見ると、短命だったのももっともだと納得。しかしながら、こうして「三田文学」の「紅茶会」の会場になったり、歌舞伎研究会の会場になったりと、「明治製菓三田売店の時代」といったものに心惹かれるものがあるので、ついでにここにメモ。