『文藝春秋』 (今月買った本) 07年2月原稿

セーヌ左岸の恋

セーヌ左岸の恋

カジノは奴らを逃がさない!

カジノは奴らを逃がさない!

天才数学者はこう賭ける―誰も語らなかった株とギャンブルの話

天才数学者はこう賭ける―誰も語らなかった株とギャンブルの話

特捜検察vs.金融権力

特捜検察vs.金融権力

嵐山吉兆 春の食卓

嵐山吉兆 春の食卓

2002年から2005年までの「新日曜美術館」のキャスターは山根基世と「はな」だった。このコンビが番組の歴史上ベストである。『カジノは奴らを逃がさない!』と『天才数学者はこう賭ける』は、いまでもおすすめだ。『春の食卓』はいまが旬だ。

                                                                      • -

大容量のハードディスク・レコーダーを買ってからお気に入りのテレビ番組を見逃すことがなくなった。とりわけ時間があるときにじっくり見たいアート系の番組には便利だ。NHKの「新日曜美術館」や「美の壷」、テレビ東京系の「美の巨人たち」などを録りためて見ている。

残念なのは「新日曜美術館」のキャスターが昨年三月に替わったことだ。それまでの山根基世アナウンサーとタレントの「はな」のコンビはとても優雅だった。現在のコンビは理知的である。「美の壷」の主人公ともいえる谷啓は元サラリーマンの数寄者という感じである。もう77歳になるはずなのに、谷さんの表情がじつに魅力的だ。憧れの人である。

アート系の番組を見るにつけ、関連図書が増えてくる。画集や写真集も欲しくなる。『塗り物かたり』は千家十職の塗師十二代目によるものだ。茶の湯の道具としての漆器の歴史、意匠、技法などが網羅されているのだが、17世紀の英国で作られたジャパニングという模造品まで取り上げている。ワニスとカーボンの地に、金粉の代替品である真鍮粉を使ったらしい。著者である十二代目は「この軽やかで自由な塗り物もまた捨てがたく美しい」という。素直に模造の美ですら認めることのできる伝統継承者が存在しているからこそ、茶の湯は生き延び続けることができたのであろう。

もう一冊買ったのは写真家エルスケンの『セーヌ川左岸の恋』だ。この頃のヨーロッパの写真集や映画はアートとしての意味はもちろんだが、自分のファッションの参考にもなる。いまさら、この時代に合わせて仕事用のスーツを新着しようというのではないが、帽子や靴などの小物やセーターなどは今でも粋な感じがするのだ。先日も銀座のトラヤでフィレンツェ、テシ社製のウサギ毛フェルト帽子を買った。とはいえ、同時代の日本の「太陽族」ファッションはいただけない。アロハシャツとマンボズボンに慎太郎刈りでは今でもチンピラのイメージである。

チンピラといえば賭け事である。賭け事といえばラスベガスである。1990年代にそのラスベガスで荒稼ぎしたマサチューセッツ工科大学の秀才たちを描いたのは『カジノは奴らを逃がさない!』だ。学生たちはトランプを使った代表的な賭け事であるブラックジャックで、いかさまではない必勝法をみつけた。原理はトランプがシャッフルされるときに、鍵となるカードが山のどこに入るかを記憶するという単純ものだが、ある程度の頭脳がなくてはできない。

しかし、荒稼ぎした彼らにはカジノが手荒い締め出し方法を用意していた。ラスベガスだけではなく、アルバ島やモンテカルロでも警備員から殴られ、監禁されるというような痛い目にあっている。欧米のカジノは彼らのような必勝法を携えた輩が入ってくることに対して用意万端なのだ。論議されている日本でのカジノ計画が心配だ。果たしてそのような非合法に近い対応をとらなければならないことがありえるという覚悟があるのだろか。

ギャンブルについてのもう一冊の本は『天才数学者はこう賭ける』である。現在のネット社会の理論的基礎となる情報理論を作った天才数学者からノーベル章受賞者まで登場する本だ。彼ら本物の数学者たちはブラックジャックやルーレットでの必勝法はもちろん、金融市場での必勝法をも編み出した。彼らの学問上の子孫たちはクオンツと呼ばれ、今日の投資銀行で活躍している。

その必勝法とは賭けで張る金額についてのものだ。MITの学生たちのような個人の記憶能力など依存するものではない。本書のテーマとなっている理論の「ケリー基準」はMITの数学者だったソープが実際にラスベガスで使ったあと、株式市場でワラントなどの裁定取引に応用して大成功を収めている。数学用語では「幾何平均を最大にする戦略」ということになるのだが、実際の応用ではコンピュータを使わなければ計算はできない。

ところで、株式市場をカジノと見立てた巨大なヘッジファンドが増えてきている。これがMITの学生たちが使った、いかさまではないがカジノに一方的にダメージを与えるようなものならば、市場は乱暴な警備員を持たなければならないかもしれない。

『特捜検察vs.金融権力』はその警備員の一角である特捜検察を扱った本だ。日本には証券取引等監視委員会もあるが、金融がらみでは大蔵省接待汚職事件から村上ファンド事件まで特捜検察がリードしてきたように見える。本書は検察が摘発した個々の経済事件を網羅した物語である。巻頭に登場人物一覧と年表を掲載しなければならないほどのボリュームをフルスピードで駆け抜ける。

ギャンブルやら事件に疲れたので、美味しいものを食べようと『春の食卓』を買った。プロの手によるレシピ本だ。早速、「わさびの細巻」と「あさりの柳川風」を酒の肴に作って食べてみた。旨かった。いまさら知ったのだが、寿司めしは酒と出汁昆布を入れて炊くんですね。

御名残四月大歌舞伎・第一部


「御名残木挽闇爭」はキラ星の花形たちのせり上がりで始まった。真ん中に未来の団菊たる海老蔵菊之助松緑染五郎、孝太郎、勘太郎七之助獅童らがズラッと並んで、下手に親世代の時蔵。舞台全体が眩しい。途中から三津五郎芝雀が加わるのだが、花形の光彩を跳ね返すことができなかった。それほどに花形豪華な舞台だった。勘太郎が堂々としてこの舞台では随一だと思った。当たり前だが時蔵は完全に別格であり、一対花形全員で時蔵が勝ってしまうのを抑えていた印象。新歌舞伎座が完成する3年後のこけら落としには、同じメンバーで「対面」をやるつもりではないのか。是非見て見たい。

今回は「熊谷陣屋」のあと疲れ果ててしまい、「鏡獅子」を見ないで帰ってしまおうかと思ってしまった。吉右衛門藤十郎がとんでもないのだ。不義をしてまで一緒になった直実と相模の16年間が見事に表現されている。愛しあった16年前、16年間一緒に育てた息子、そして息子の身代わり死。吉右衛門のひっこみでの「16年は一昔、夢だ夢だ」の意味がはじめてわかった。というよりもはじめてこの狂言ががわかったような気がする。富十郎梅玉も素晴らしいのだが、吉右衛門の引っ込みで何もかもが吹っ飛んでいった。これが自分が死ぬまでに見ることができる、ベストの熊谷陣屋かもしれないと思ってしまい感極まった。記録によるとこの20年間で藤十郎は過去に1回しか相模を演じていない。先月の文字通り神様仁左衛門様と今月の吉右衛門直実。歌舞伎的には良き時代に生きているという実感がある。

カツ弁当を食べてから「鏡獅子」。勘太郎七之助ともにまだまだ若いな、という感じが最近まであったのだが、今回は違った。二人とも若い力を漲らせているのだ。成長したというよりも、ここまでやっても良いのかと吹っ切れた印象。その荒馬になった息子たちを勘三郎が御している。2頭立ての馬車に乗る勘三郎だ。勘三郎が幸せそうで、それが嬉しかった。

まだ第2部、第3部を見ていないのだが、来月はどうなってしまうのだろう。今月は役者も観客も大向うも気が入っていて素晴らしい。一気に萎んでしまうのではないか。たいそう心配なので、来月は大阪公演を観に行くことにした。