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落語お気楽レビュー日記

2010-05-22

第1回 「たとえ挫折しようとも、はじまりは華々しく!」   「やかん」 立川談志

19:54

たとえ挫折しようとも、へこたれようとも、ブログ開設は、すくなくともその始まりにおいては美しく、幸福で、華々しいものだ!

というわけで、張り切って第一回目の記事を書きます。

継続は力なり。毎週1回はこのブログを更新しようと思う。

その輝かしい第1回目を飾るのは、あたしが人生を揺さぶられた落語を紹介します。



「やかん」 立川談志

あたしは、今より少し若い頃、この落語を聴いて、カルチャーショックを受けた。

落語を聴いて人生観を揺さぶられたのは、この落語が最初で最後。

なので、この落語は是非紹介したい。

下の文章は、そのカルチャーショックを受けた当時、PCに保存していた文章だけれども、今よりもずっと生々しく、情熱を持って書けているので、転載してしまおうと思う。

(なんと、第1回目から手抜きな記事じゃないか!)




 談志は、「やかん」を通じて、彼の思想を語る。「無学」という、思想を。

「全部知ってる知るものがない、これを称して「無学者」という」

これは、哲学とは真逆なのだ。

哲学の本質は「徹底的懐疑」、すなわち自明なこと、常識的なことを徹底的にロジックで分解すること。そして、その疑う対象は、天下国家のようなすごいことではなく、もっともっと日常茶飯事なこと、たとえば「数える」とはどういうことかとか、「存在する」とはどういうことかとか、あくまで個人的なこと。



それに対して、無学の本質は「思考停止」。考えてもきりがないことは考えない。

「こっちにいるのはこち」

「じゃあ、むこうにいるのは?」

「お前はどうして、むこうにいるのまで心配するの?むこうにいるのはいらないの。きりがないよ!数だって、一、二、三、四って、きりがないんだから。」

「日本から先にいくとなにがあるんですか?」

「海があるな」

「海をどんどんいくとなにがありますか?」

「また、陸があるな。ヨーロッパ、西洋だ」

「じゃあ、その西洋ってヤツをドンドンドンドンいくとなにがありますか?」

「また海だ」

「じゃあ、その海をどんどん行くとなにがありますか?」

「・・・・その先は、へいがあっていけない」

「じゃあ、そのへいを乗り越えて」

「いい加減にしろよ。なぜ、塀を乗り越えようとするんだよ。かえってくればいいんだよ。そういう好奇心が人間をダメにするんだ」



 世の中には、考えてどうにかなることと、考えてもどうにもならないことの二つしかない。前者ならば、徹底的にロジックで分解して解決すればいいが、後者ならば、考えることは無益であるばかりでなく、有害なのである。

「自分はなんで存在するんだろう?」

「自分は何のために生きるんだろう?」

「なんで、雨は降るのか?」

「なんで、1+1=2なのだろうか?」

そんなことは、どうでもいい。たとえ、その問いの答えを得られたからとして、それがなんだというのだろうか?何も起こりはしない。ただそれは、人間の際限ない好奇心を満足させるだけだ。そして、その好奇心を止めるのが恐怖心だけども、これはどうしようもない。

「だいたい、お前はなにがしたいの?イカをスミと改めたいの?そういう行為を起こしたいの?旗を振りたいの?何をしたいの?」

 人間、不安定に耐えられない。不安定を理屈で埋めようとする。「何のために生きるのだろう」なんて、その最たるモンだ。いつになっても、安定は得られない。不安定を克服する、問題を解決するのが成功であり、進歩であるが、すぐにまたつぎの不安が来る。それが人生。不快だけど不安定の場所にしかいられない。人間の行動のすべては「不快感からの脱出」から始まる。

「人間に安定はない、不安定なところでしか暮らせない」



大事なことは、基準を決めること。なにか、定まっていればいいんだ。そして、それで満足すればいいのだ。

「海の水はなんでしょっぱいんですか?」

「しゃけがいるからだって、どうしてわかんないんだ?」

「ほっけはどうしてほっけってですか?」

北海道にいるから、ほっけ。これのどこが都合が悪いの?」

秋刀魚はどうしてさんまなの?」

「あんなもの、誰が見たって秋刀魚じゃねえか?世間で、秋刀魚だって言ってんだからお前も秋刀魚っていえばいいんだよ」

 理由なんて、なんだっていいんだ。定まっていればいいんだ。人間は不安に耐えられるほど、強い存在ではない。無駄に悩むことは、自分を苦しめるだけである。だからこそ、「思考停止」というのは、うまく生きてゆくための一つの知恵なのである。それを突き詰めたものが、宗教だとおもう。

 定義するということは、つまりは思考停止だ。

「なまじ、定義もよくわからずに言葉なんか使うから、わかるもんもわからなくなるんだ」

そうして、談志はやかんの中で言葉をどんどんと定義してゆく。

学問・・・貧乏人の暇つぶし

努力・・・馬鹿に与えられた夢

アカデミック・・・成り上がりもののステータス

怒り・・・共同価値観の崩壊

未来・・・修正できない過去



 一方で、談志のやかんでは、哲学者よろしく、世の中の常識をトコトン疑ってゆく。地動説に対する、天動説を取り出して、その証明不可能なところから論理を展開してくる。

地球は太陽の周りを回ってんですよね。」

「なにいってんだ?太陽が地球の周りを回ってんだ」

「証拠はありますか?」

「あるよ。今度西の海に行って、太陽が沈むのを見ててごらん。沈むときに「ジュ」って音がするから。だいたい、お天道様はどのくらいの大きさだと思ってんの?」

「こんなもんです」

「こんなもんだろうよ。こんなもんと、これだけ大きい地球を一緒に考えたらダメだよ。太陽が地球の周りを回ってるって考えた方が、自然な考え方じゃないか?それでなんが不満なの?自分にとってそれが自然ならば、それが真実なんだよ」

そう、このことでいいたいことは、「自分の頭で考えろ」ということだ。科学よりも先に、自分にとって自然に思える認識、それが真実なのである。

がんもどきの裏表はどっちですか?」

「表でない方が裏で、裏でないほうが表だ。これが真実だ」



 つまり、無学者とは「自分の頭で考え、自分で何が正しいかそうでないかを判断する。考えるべきことにはロジックで持って徹底的に考えるが、考えてもわからないことには、徹底的に思考停止(ある理屈を立てて、それ以上は考えない)」する人のことを言うのである。

立川談志プレミアム・ベスト 落語CD集「二階ぞめき」「やかん」

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