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2008-02-16

楽器としての初音ミクの可能性

2007年10月頃に旧ブログ用に書いていて、そのままお蔵入りになっていた初音ミクに関するエントリを発掘したので、今回はそれを中心に展開しようと思う。内容としては、初音ミクのキャラクター性に関する一連のエントリの流れからは逸れたもの。

去年の10月頃といえば、発売されて1ヶ月と少し経った初音ミクがさまざまなメディアで話題となっていたとき。ニコニコ動画などでその消費が盛り上がっている一方で、音声がやっぱり機械っぽいとか、ソフトウェアに二次元美少女のイラストが付属しているというキャラクター性の部分とかで批判があったのを思い出す。

そんな中でぼくはと言えば、彼女のキャラクター性の部分はひとまず横に退けておいて、ただ単純に"楽器"として興味を持っていた。以下ではその当時のぼくの感覚が記されている。

初音ミク特集に惹かれてDTMマガジン11月号を読んでみた。DTMってなんだか敷居高そうだと身構えつつも、けっきょくは楽器演奏の延長だろうなという推測が読む前のぼくにはあったのだけれど、読み終わった今はその考えが間違ってはいなかったと感じている。初音ミクを扱うということは、楽器を触ることと大筋では変わらないとぼくは思う。

例えばぼくは、ピアノやギター、ベースなどの楽器経験から、俗に言う耳コピができる。適当に曲をかけて、そこからフレーズを拾って、例えばギターで再現することができるし、全体のコード進行とあわせてそれらを五線譜に書き記すこともできる。

という話を知人などにすると「すごい」とか「音感あるんだね」などと言われることがあるんだけど、これはそんなに大袈裟な話でも特殊な技能でもない。それも2重の意味で。1つ目は、世の中この程度のことができる人は少なくないという意味。で、もう1つ。

それは、耳コピとか音感とか呼び方はどうでもいいけど、それらはつまるところ、楽器を使って音を再現するか、五線譜を使って再現するか、肉体を使って音を再現するかという違いでしかないからとぼくが思っているからだ。

例えばカラオケに行ったことのある人は多いと思う。行ったことがなくても鼻歌くらい誰でも歌ったことはあるだろう。そのとき、あなたはある曲のフレーズを自分の肉体を使って再現している。果たしてそれは、ギターを用いてフレーズを再現することと違うだろうか。同じはずだ。多くの人は、自らの声帯を使って、耳コピしたフレーズを再現することができるはずなのだ。それができるのは、多くの人が自分の声帯を使い慣れているからだろう。だから、楽器を用いてフレーズを再現することのできる人というのは、単に楽器を自分の声帯と同じくらいに使い慣れた人のことだとぼくは思う。

そして楽器を自らの身体と同じように扱うことができるようになれば、特定のフレーズを再現するなんて程度じゃなくて、自分が思い描いた通りに演奏することができるようになる。楽器を自分の身体の延長線上にあるものとして操ることができるようになるのだ。

そしてそれは、初音ミクに関しても同じだろうと思う。つまりぼくはこう考えているのだ。自分が思い描いた音楽の出力先が自分の声なのか、ギターなどの楽器なのか、五線譜なのか、あるいは初音ミクなのかという違いだけしかそこにはない、と。だからぼくは冒頭で、"初音ミクを扱うということは、楽器を触ることと大筋では変わらないと思う"と書いたのだ。

楽器には楽器の文法のようなものがある。例えばギターの文法とはギターをギターらしく弾くためのものだ。それはギタープレイにおけるタームやイディオムクリシェジャーゴンをまとめたようなものだと思ってもらえればいい。具体的にはギター的な短三度や長三度、完全四度や完全五度の使い方だったり、ピッチ・ベンドのさまざまな手法、あるいはストロークのパターンやハーモニクスの効果的な使い方などだ。ぼくはそれを自分の実体験として得ている。だから、初音ミクという楽器にも、その文法のようなものがあるのだろうと思う。それは初音ミクを自在に歌わせるための理論体系だ。

初音ミクの使い手がその文法を身に付け、初音ミクと仲良くなって、思い通りに使いこなせるようになれば、彼女の声をより人のそれに近付けることもできるだろうし、逆に機械っぽく振る舞わせることも自由にできるようになるだろう。その両義的な部分に、楽器としての初音ミクの可能性があるのではないかとぼくは思っている。

というわけで、これが去年の10月頃に書いたエントリ。若干推敲したけれど主旨は当時のまま。

上記したように、楽器としての初音ミクには2つの可能性があるとぼくは考えている。ひとつ目は人の歌声の近似値を目指すこと。もうひとつは、初音ミクの歌声が不自然に聞こえる、つまり機械的に感じられるようなパラメータ設定を、敢えて特徴として推しだすことだ。そしてその境界線を浮かび上がらせるような文法が存在するのではないかと思う。

初音ミクの歌声を人間の歌声のように自然に聴かせる方向性については、ここでは触れない。なぜならそれは、初音ミク--というよりもVoc@loid全般--の可能性として、開発段階から指向されたものだろうと考えられるからだ。

ここでは逆に、初音ミクの歌声を故意に機械的に感じさせるような使い方とその可能性について、実例を交えながら見てみたい。

まず、音域について検討しよう。ぼくは、初音ミクには得意な音域が2つあるのではないかと思っている。ひとつは彼女の歌が自然な発声に聞こえるレンジ。これが彼女の得意なレンジであることには特に異論ないと思うので、詳細な説明は割愛する。

ぼくが考えるもうひとつの初音ミクの得意な音域は、逆に彼女の声が不自然に聞こえてしまうようなレンジのことだ。この、不自然であるのに得意な音域であるという矛盾した状況について見てみよう。

ニコニコ動画などにアクセスすれば自然な音域で初音ミクに歌わせている曲のほか、不自然に聞こえるような高音域で歌わせていて、歌声に機械的なニュアンスすら感じさせつつも人気となっている楽曲が存在するのを見ることができる。そしてそれらの楽曲は、高音域であることがむしろひとつの特長--特徴ではなく、特長--として捉えられ、消費されているのではないかと感じる。例えば以前も引用させて頂いたくちばし氏の『私の時間』、あるいはryo 氏の『メルト』などがそれに該当するとぼくは考えている。

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聴いていただければお分かりの通り『メルト』での初音ミクはかなりの高音域を歌っているが、それが機械的な聞き苦しさというよりも、楽曲を演出するひとつの要素となっているように思う。作曲者の方が意識的にそうされたのかは判らない。しかしこのような点から、ぼくは初音ミクには得意な音域が2つあると言えるのではないかと考えているのだ。

そしてもうひとつは呼吸だ。人間は空気を肺に溜めて、それを吐き出しながら発声する。息を吐き切ったら、次の発声のために再び息をする。当たり前のことだが、歌うときにはどうしてもブレスが必要だ。そのため、人間が歌うメロディにはブレスのための余地がある。しかしソフトウェアであるVoc@loidに呼吸は不要だ。だからブレスの扱い方ひとつで、初音ミクは人間的にも機械的にもなり得るのではないかと思う。

たとえばOSTER project氏による『ミラクルペイント』は、初音ミクによるブレスで幕を開ける。

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  • ミラクルペイント

この演出によって、『ミラクルペイント』ではまるで初音ミクがそこで息づいているような存在感を与えることができているように思う。ブレスは初音ミクを人間的に聴かせる手法のひとつとして効果的だと言える。

一方、まったく逆の実例を見ることもできる。それは初音ミクを用いてクラシックなどをカヴァーするという手法においてだ。ここではぱぽぺぷP氏による『ぱっへるべるのかのん』を具体例としよう。

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  • ぱっへるべるのかのん

これはパッヘルベルによる『3つのヴァイオリンと通奏低音のためのカノンとジーグ ニ長調』の第1曲『カノン』を初音ミク鏡音リン・レンによってアレンジしたものだ。ここでぼくが指摘しようとしていることは、この曲で先述したようなVoc@loidの"ブレス"機能が用いられていないことではない。そうではなく、ここではブレスする隙間のないメロディをVoc@loidたちが歌っているということ自体が特徴的だと、ぼくは思うのだ。

ご存知の通り、『カノン』は元々が歌曲ではない。つまり、この曲のメロディは歌うための譜割りになっていない。そして『カノン』をアレンジした『ぱっへるべるのかのん』でも、メロディにブレスのための休符は確保されていない。だからぼくは、このアレンジを聴いたとき、どうしても初音ミクたちを機械的に感じた。言うまでもないことだが、人類は無呼吸で歌い続けられるようにできていないからだ。

しかしぼくは、ブレスの余地のないメロディを歌い続けることが初音ミクを機械的と感じさせたとしても、それが楽曲に悪影響を及ぼしてはいないのではないかと考えている。

ここで用いられている手法は、本来ヴァイオリンで演奏されるメロディをVoc@loidに置き換えるというものだ。つまりこのアレンジでは、ブレスが排除されることでVoc@loidの楽器的な側面が強く表れていると言える。しかし、それでもこの曲はVoc@loidたちが歌っているものとして消費されているのではないかと思う。それを表すように、動画でも口パクでVoc@loidが歌っていることが表現されているし、ニコニコ動画を見ていても、高音域や早口--どちらも人間にとってはつらいものだ--によって苦しい表情をする初音ミクたちに対して「苦しそう」というコメントはあっても、息継ぎなしだから「(呼吸が)苦しそう」というコメントは見られないからだ。

このように、楽器と初音ミクを置き換えるようなカヴァーでは、初音ミクが機械的であるということが楽曲に悪影響を及ぼさずに消費されていることを見て取ることができる。念のために書き記しておけば、『ぱっへるべるのかのん』はマイナーな作品ではなく、Voc@loidランキングで上位に登場した動画であり、その点も機械的であることがデメリットになっていないということの補強材料になるのではないかと思う*1

このように見ていくと、初音ミクを機械的に感じさせるような音域で歌わせることも、3分弱もの間、無呼吸でメロディを歌い続けさせることも、悪影響というよりもむしろ彼女を際立たせる特長となっているのではないかと考えられる。そんなわけで、楽器としての初音ミクには、敢えて機械的な演出を施すというベクトルにも充分な可能性があるのではないかとぼくは感じているのだ。

*1:これに関しては、消費主体がそのような些事を気にしていないのではないかという指摘も可能かもしれない。しかしぼく自身が初音ミクの楽曲をニコニコ動画で視聴して得られた実感としては、やはり機械的であることは初音ミクのデメリットにはなっていないのではないかと思うのだ