ただ今改装中につきモノクロ仕様となっております。
June-13-2010 帰還
December-08-2009 JUNKMETAL復活???
「JUNKMETALが復活するかもしれない」そんな噂が立っている。
震えた。久々に震えた。
またLMGを撃てるのか?SBZ連射ができるのか?
サービス終了で、意図せぬ別れをしたゲームには他にUCGOもあるが
(ただまあUCGOの場合はスペック不足で後半ほとんど遊べなかったこともあり、それほどのショックは受けなかったのだが)
まさか!という想いである。
たとえて言うなら、
「ダムの底に沈んだ、もう二度と訪れることが敵わない故郷へ戻れる」としたら
こんな心境になるかもしれない。
アルター8から追放されさまざまなタイトルをふらついたが、
あの一体感、連帯感に繋がる様なタイトルには未だめぐり合えていない。
JMのルールは唯一つだけだった。
・鉛弾で語れ
敵も味方も中立も、システムの制限なく撃つことができたのは画期的であった。
脚をやられて帰還もままならない味方を「介錯」することもできれば、
味方を見捨てて逃げ出す輩を背後から撃つことも出来た。
所属した陣営(のメンバー)が気に食わなければ「転職」し、敵として対することすらできた。
逆を言えばFFなんて日常茶飯事になるのであるが、それがコミュニケーションの手段となる。
撃ってしまったら「すまん」と詫びる。相手の反応がどう来るかは条件次第。
「いいよキニスンナ」or「おまい何度やったら判るんやボケ」or「一回逝っとけ」etc・・・
それが結果として「この人はこういう人だ」というのをお互いに認め合っていく世界を創り上げた。
技術的な「強さ」だけではなく、味方を守る強さ、鼓舞する強さ、場を作り上げる強さ、さまざまな強さを認めあうことにつながった。
システムのユルさ(有る意味フリーダム)が、人間同士を強く繋げる結果となったと、今にして思う。
さらにメジャーなタイトルではないことが、ますます連帯感を深めた。
そうした対人関係要素が、今だに復活を希望する人が断たない理由ではないかと思う。
殺伐とした対人関係に悩みが尽きない今のようなご時勢にこそ、こうしたものが必要なのかもしれない。
ああ、何もかもが懐かしい・・・
・挑発的な撃墜メッセージの数々
・ログイン早々「封鎖解除」からスタート
・「戦場はいずこ?」が挨拶代わり
・gdgd感満載のゲート戦。LGR絨毯爆撃とかもう
・キャノン一発でボロボロになる機体。それが味方のキャノンだと殺意ムラムラ
・ロストを恐れて残骸状態で残るが、周りを敵機に囲まれまくって泣きが入る夜叉タンク
・敵味方からウザいと言われて廃れたレーザー(使うと味方から撃たれる罠)
・S腕縛りとか、ローカルルールで実施するユーザーイベント(守らない奴は敵味方から撃たれる罠)
・都市1層でのgdgdな会話
戻りたい・・・
September-30-2009 10月だ
June-18-2009 親父の一番長い日
■[日記]
最近マトモにテレビを見なくなって久しい。
理由は番組がツマランやらMMOやらFPSやら漫画やらなのはやらいろいろあるのだが、
たまにどうして「コレは見なければならない!」と、かじりつきで見たい番組が出てくることがある。
例えば、相方の親戚の結婚祝いで登別温泉に行きながらも温泉に浸かりもせず、
2夜連続放送の「黒部の太陽」を見てしまったりするといった具合だ。
でもって今非常に気になるのが、明日21時から放映予定の
「親父の一番長い日」
(番宣ページはhttp://www.fujitv.co.jp/oyaji/index.html)
である。
わかる人には一目瞭然なタイトルであるが、さだまさしの楽曲を元にドラマ化ということで、
これは見ずにいられないと今から浮き足立っているのである。
「親父」が國村 隼ときたから、これは22時台後半に非常に危険な香りすら漂いそうだ。
まあ歌詩そのまんまでドラマにはならんので、それなりに脚色やら蛇の足やらいろいろ付くであろうが
あの世界観/価値観を損なわないでいただければ思う次第。
元ネタである「親父の一番長い日」は、もう30年も昔の楽曲で
その当時では非常に珍しい「マキシシングル」として発売。
当時はCDなど存在せずレコードが主流の時代でLP盤=アルバムと思い込んで中古屋で買ったら
実は両面で2曲しか入ってなくて落ち込んだことを覚えている。
(中学生の頃の話で、中古ですらレコード買うのは結構高い買い物だった)
しかし中身は「これは買って損はなかった!」といえるものでした。
「親父の一番長い日」と「椎の実のママ」という名曲に数えられる2曲が1枚に収まってるわけですから。
感受性の強い多感なお年頃にはかなり衝撃の強い1枚であり、結構聞き込んだものです。
未だに親父の一番長い日なら、空で歌詩を朗読できるな。
そうそう「親父の一番長い日」といえば、
同じく6月発売のさだまさしの新譜で「美しい朝」というアルバムが出まして、
「味噌汁つかない〜♪」の「わたしは犬になりたい¥490」のほか、
映画の主題歌等も収録されており比較的ハードルの低いアルバムになっているので、
ちょっと聞いてみようかな?という方にはオススメな1枚であるのだが、
この中に「ママの一番長い日」という楽曲が収録されている。
言わずものがなではあるが「親父の一番長い日」のアンサーソングである。
さだまさしの楽曲にはこうした「アンサーソング」が結構あり、
それが1ファンとしては楽しみの一つであったりする。例えば
「秋桜」という有名な曲がありますが、これには「秋の虹」というアンサーソングがあり、
秋桜は嫁ぐ娘の視点で、秋の虹は母親の視点で描かれております。
「秋桜」単品でも結構切ない(秋桜は未だに結婚式場のBGMとかで使われてますなぁ)のに
「何度も同じ話繰り返す 独り言みたいに小さな声で」話を紡ぐ母の心情が「秋の虹」で歌われ、
聞き手としては、秋桜の情景と秋の虹の情景がかさなり、
その場を少しはなれたところから見守る兄(or父or弟?)のような気持ちで涙腺決壊に至るわけです。
また、何年(場合によっては何十年)前の曲の続編もあり、
「パンプキン・パイとシナモン・ティー」という曲では、喫茶店の「マスター」と
その喫茶店をたまり場にしている「僕ら」が登場し、コミカルな笑いを誘うのですが、
「ローズ・パイ」という曲では「マスターの息子」と「僕(僕らの中の一人)の娘」の淡い恋愛模様を
「マスター」と「僕」が生暖かく見守るというまさに「続編」になっており。
聞き手は全然関係ないのに「おおお、マスターの子供かあ」と思わず親戚のおじさんになってしまうのである。
さらにほぼ同時に発売され、セットで一つというようなモノもある。
「息子へ」と「娘へ」という2曲。娘〜の方は内容結構コミカル、息子〜はしっとり。
でも両方とも子供への気持ちというとこで共通のものがあり、父親の微妙な気持ちが浮かび上がってくる仕組み。
なんというか、本読みに似た感動がさだまさしにはありますね。
ずっと読んでいた連載モノが終わって単行本もそろって、ああ終わったな。
と思った数年後ある日書店でふと書棚を見ると、
「おおおあの続編が発売されてる!」
という気持ちに似ているかもしれない。
今回の「ママの一番長い日」に関しては、この印象がかなり強い出来です。
ネタバレになりますが、かなり切ないのでハンカチ用意ノコト。
あと、最低13分はほかの事できなくなるので時間確保も重要です。
しっかし、元も長いとアンサーも長いか・・・
August-01-2008
■[世間一般]品質低下
俺ルールが世間のルールだと騒ぎ立てるアホなジジイが増えてきた。
いう事がすばらしい。
「俺はもう老い先短いから、わがまま言って良いんだ!」
老い先短いんだから、立つ鳥後を濁さず。ではないのだろうか?
とツッコミいれたら今まで濁さなかったんだから死ぬ前に濁しておきたいのだそうだ。
わがまま言ってると自覚している所がこれまた救いようがないのであるが、これはまだ可愛いほうだ。
突っぱねれば、下がる時は下がるので、まだ対処の方法がある。
ジジイがそうなんだから、劣化ジジイであるその子、つまり現在のオジサン・オバサンが
俺ルールが世間のルールだと騒ぎ立てても特段可笑しくは無い。
しかも性質が悪いことに、この人たちの世代になると、わがままだと自覚してないケースがちらほら出る。
他の人もそう言ってる。とかいう、まだ世間体を多少気にする部類の人間は、
俺ルールが社会に適合するか否か、わかっていて、ダメモトで話をしている人が多いので
疲れるまで騒がせて、その後に理論武装して畳み掛ければこちらにも分がある勝負になる
しかしながらそういうのが全く無いタイプに当たると、一日の大半をそいつに費やすことになる。
この人たちの特性として第三者と言うものを全く意識していないというのがあって
敵か、味方か、という価値判断しか持っていない事例を多く見る。
この手のは、負けること=アイディンティティ崩壊という所まで畳み掛けねばならんので、
マジメに戦おうとすると書面化・人格攻撃・ソース提出を求める必要すらある。
当然劣化オジサンオバサンである、現在の若い夫婦がモンスターペアレントになるのは自明の理で
俺という存在と、その他もろもろ。という認識しかないので、もう手に負えない。
これは当然の帰結である。鳶から鷹は生まれない。
モンスターは生まれるべくして生まれているのではないかと思う。
ジーサマっつー猿に変な知恵つけた責任者でてこーい!!!!
と叫びたい今日この頃。