2008-03-09
■[時事]平城遷都1300年祭。

京都生まれなんですけどね、俺。「なんと(710)立派な平城京」だっけ?
その後、奈良県出身と言ってもいい期間暮らしていたので気にはしていたのだが、気にしていないと情報の一つも入ってこないのが現状。『鹿男あをによし』は話題になるのに、奈良自体は話題にならないよねえ。ちょっとは小浜市を見習ったらいいのに(笑)。結構知ってる風景が撮影技術でとてもロマンチックになっていて、バスク(技術会社)さん流石だと思った。
それは抜きにしても仕事柄、この祭に絡みそうなイベンター関係や出演に絡む人たちから実に断片的に「何か出来ないかなあと考えている」とは聞こえていたのよ。だがその程度。ましてや気にしてもいない他県の人々には、この祭があること自体どのくらい知られていたのだろう。そういう意味ではいい宣伝にはなったろうなあ。
ちなみに、平城宮祉というのはついこの間まで基本的になーんにもないトコ、というのが地元民だった人間の偽らざる感想だ。ところどころに柱やら溝の跡などが散在している程度で、散歩に手軽な草っぱら。夜中には天体観測が出来そうな真っ暗さ加減だった。
ココしばらくは工事区域があるなあとは思っていたのだが、この祭のためだったのね、多分。
今現在も観光都市・京都の中心街として機能している平安京とは、ある意味好対照だった。しかし京都も奈良も知る人間としては、そういうモノだと思っていたし、都市だって寂れるのだなというコトを知らず学んでいたと今になれば思える。もちろん、奈良を後にして関東圏で暮らしている人間だから言えるコトなんだけども。今暮らしている人間からすれば、コレだけの遺構をただ雑草の生えるに任せる、それ自体許せないという立場が出てくるのも理解できるけどね。
でも、どっか掘り返せば古墳だの土器だのが出てくるお土地柄。平城宮に拘らなければ実は仏教流入以前の儀式ですら平気でこの21世紀にも行っているような、そんな奈良県だからこそ、平城京は奈良ブランドのイメージリーダーくらいにしておいて、もっと生きている遺産を有効活用したらどうなのかねえ。『天河伝説殺人事件』も知られているのに「奈良県」と結びつかない。『クイズ!ヘキサゴン2』でも「京都のようで全然違う」ネタとして使われてるのに、通過点としてしか認識されていない。
宣伝ベタなのかな。ヒトがいいのかな。いやそれ以前に歴史に無知なんじゃないのか…と疑いたくなったのがこの件。
※どうでもいいが、決まったモノなんだから堂々とすればいいのに今更「画像保護」。何を守っているのか?
(YOMIURI ONLINE〜奈良:地域 08/03/08)
2010年に県内で開かれる「平城遷都1300年祭」で、市民らからデザインの変更を求める声が出ているマスコットキャラクター=イラスト=を巡り、7日の県議会や奈良市議会で、議員から選考過程やルックスなどを批判する意見などが相次いだ。愛称を募集している平城遷都1300年記念事業協会側は釈明に懸命。9日にはデザイン撤回を求める市民の署名活動が予定されており、“逆風”が強まっている。
■協会、苦しい釈明終始■
「マスコミがキャラクターを宣伝してくれている。協会もここまで考えて選んだのか」
県議会の特別委員会で、ある県議は、そう皮肉交じりに質問をぶつけた。
同協会によると、キャラクターを巡る報道は6日までに関東、関西の各テレビ局の計24番組で取り上げられ、放送時間は約1時間48分。新聞各紙でも取り上げられた。
同協会側は「厳しい意見もあるが、多くのテレビニュースなどで取り上げられた」と説明した。
また、別の県議は一般公募ではなく、500万円かけてデザイナーら12人によるコンペ形式で行われたことを指摘。今回、作者の彫刻家に500万円支払われたことも挙げ、「なぜコンペにしたのか。ほかにどんな作品が出たのか明らかにすべき」と批判した。
協会側はコンペ形式にした理由を「祭の趣旨が全国展開なので、専門性の高い人によるものが良い」などとし、他のコンペ参加者については「応募して落選した人の評価にかかわり、非公開」とした。
協会が2月12日から始めた愛称募集は報道を受けて今月に入り急増。一気に7000件に達した。一方で、批判的な意見もあるという。市民の有志グループは、「白紙撤回して一般公募すべき」として9日に署名活動をする予定だ。
■「かわいくない」奈良市長意見認識■
一方、奈良市議会の代表質問でも話題に。市議からは、同協会の副会長を務める藤原昭市長に対し、改めて感想を求める質問が出た。これに対し、藤原市長は「『かわいくない』などの意見があることは認識しており、真摯(しんし)に受け止める必要がある。企業やメディアと協力して、みんなに親しまれるものにしていきたい」と話した。
(2008年3月8日 読売新聞)
藤原・奈良市長は企業やメディアと協力する前に、市民と真摯に協力するべきだと思います。
それどころか、奈良出身の政治家にすら根回しなくいきなり決定を送りつけてしまっていたようだ。
(07/02/27)
奈良の平城遷都1300年祭のマスコットキャラクターが決まっ
た、と記念事業協会事務局から書類が届いたのは先週の火曜日。
している絵が飛び込んできた。
そして、な、な、なんとその頭には鹿の角が生えているではな
いか!
人の頭に鹿の角が生えている...。
ウーン、と思わずうなってしまった。
国会スタッフ一同と、絵を覗き込んでお互い顔を見合わせなが
ら「これ、可愛いかぁ...?」と無言でムフフ笑いを含みなが
ら、クビを傾げる。(以下略)
奈良県民も奈良出身の中央の人間もこれほどビミョウな感情が沸き起こるのだ。恐らく決定に関わった人間も等しくビミョウな気分のまま、ビミョウに決定せざるを得なかったと見る。
奈良っていうのは、北部住民は大阪や京都あたりへ働きに行っている第三次産業従事者が多い。税金は多く収めているのだが、そのために県内政治には比較的無関心な人間が多い。一方で県央の方は第一次産業従事者が多く、政治参加度合いも多く、道がいい(笑)。実は働く前の高校生・大学生も県外に出る率は結構なモノだ。従って、奈良県の政治は本来納税額に応じて配分されるというよりは、住民無関心の中、農村票に応じてなんとなく進んでいるのが現状でもある。
そういう流れでいつも通りのらりくらりやっていたら、突然噛みつかれてビックリ…というところだろうなあ。「え?今まで聞いてもいなかったのに?」みたいな。
公式サイトにあるシンポジウムにしてもそうで、東大寺住職が参加するのは分かるのだが、客にアピールするパネラーが大阪出身の谷村新司だけならまだしも、千葉県出身の滝田栄となると、コレはドコのお祭だというカンジだ。いや恐らくこの祭の実態もそうなのだろう。「奈良」というハコを東京からイベンターが使いに来るというような中央への隷属意識が根本にある。「奈良発」の何かを仕掛けるという能動性を感じない。以下の記事からもそれは明らかだ。
(MSN産経 08/02/13)
宮跡内では会期中、第1次大極殿正殿の南側に特設ステージを設け、コンサートなどを開催。朱雀門前では「衛士交代」などの古代儀式を再現する。
このほか、古代衣装や古代食などを体験できる「天平の旅」(仮称)や、ボランティアの案内で宮跡を周遊するツアー、遺跡疑似発掘の体験イベントも計画。古代衣装の提供や、建設パビリオン内に設けるシアターの入場については有料化する可能性もあるという。
宮跡への交通アクセスとしては、朱雀門の北西部に駐車場を仮設するほか、主要駅からのシャトルバスを運行。宮跡西側の近鉄大和西大寺駅から遊歩道も整備するとしている。
特設ステージ以外のこの具体性のなさは何だと。駐車場のために草っぱらつぶすような阿呆な真似をするなと。使わなくなったら今まで手をつけにくかったこの場所を宅地転売、じゃないのか?だったら草っぱらでいいではないか。終わった後の具体性についての言及・想像がカケラもない。それは今ある生きている資源の活用が全く念頭にないからだ。
たとえばよその有名ブログでもこのようなコメントを見かけた。
<元検弁護士のつぶやき|「奈良遷都祭」マスコットキャラクターについて>
(08/03/07 コメント欄より)
No.4 通行人1さん | 2008年3月 8日 12:15
東大寺の辺りに行くと、コロコロと太ったおいしそうな鹿がいっぱいいますよね。
…そもそも鹿は春日大社の神獣なのに、「大仏と鹿」という印象しか残らないのだ。多分このコメント書き手さんは特に悪意も無く、あの編を漠然と「東大寺」と覚えておられるのだろう。で、奈良のほうからそれを強化するようなキャラ出してどうするよ?
「奈良」「平城京」は奈良県民が考えているほど、外部では知られていないブランドだ。俺なんか未だに他県出身者から「大仏って京都だったっけ?」と聞かれる始末だ。実は奈良に客を呼びたいのなら、奈良の持つ文化資産の中からどのくらいアピールできるのか、それを県外にプレゼンテーションできる各界の文化人とは誰だとか、それくらいは精査されてしかるべきだと思う。にもかかわらず、平城宮祉に俄仕立ての特設ステージ建てるだけの計画だ。馬鹿馬鹿しい。
そして、このマスコットキャラクターにもその悪弊は出ていて、決定に関わった一連すっ飛ばして、デザインをされた彫刻家・籔内佐斗司氏ご本人へ質問・批判が殺到するというハタ迷惑な事態へと発展している。(公式サイト参照)選考過程を不明確にしたゆえの行政の責任だろう。籔内氏ご自身、大阪の出身で奈良県出身でもないし、そういう意味では仕事で受けただけだろうに。いきなり「決まりました」と出された県民が呆気にとられるのも良く分かる。
ただココで問題になった…というのは、上で触れたような「県内政治への無関心」というある意味蜜月の時代が、終わりを告げ始めている証左かもしれない。とりあえずココ50年、気にされていなかった「奈良」というアイデンティティが、県の行政サイドと「無関心であったはずの住民」サイドで収めようのない齟齬を起こしているのかもしれない。それが端的にマスコットに象徴された気がして仕方がない。
奈良の行政は残念ながら、外から見た「奈良」に気をとられすぎて、内なる「奈良」にあまりに無頓着だったのではないだろうか。税金を払ってる今の奈良県人を疎かにしたのではないか。しかもこの1年2年で動き出した企画でもない。なぜ県民をうまく巻き込み、共感させ、悪く言えば「ノセる」方法を取れなかったのだろうか。
それにしても籔内氏の造型はそういう意味では、それを良く表していると思う。神の御使いである動物・鹿の角を神の象徴と捉えずに、後に奈良へ入ってきた仏教のイコンである仏像(ないしは童子像なのかな)に載せるという、あまりに宗教に無関心なモチーフ。
…俺は神道なので、それだけでも大きく違和感を覚えるけどなあ。籔内氏のサイト内でご本人も仏教だけに絞って話をしていて、仏教以前の宗教色も濃い奈良への敬意が足りないのでは…と思わされた。県の中のヒトはそういう疑問をカケラも持たないんだなあ。
今の奈良をはじめ、日本全体の気分を象徴しているではないか。大切に扱うべき1,300年の歴史は草の下の平城宮祉と同じく、歳月の流れの中に埋もれて忘れられているのだ。
■[テレビ]紳士服アイドル戦争。気になっていたのでまとめた

…まぎらわしい。しかもAOKIも青山も「○点セット」売り基本だし。
しかしこうして見ると、AOKIと青山のあや×あや戦争にまきさんが入ってきた構図なんだね。ココまで来ると潰し合いっつーか、自ら混乱させてるようにしか見えないが。
消費者的には、行ってみたら駐車場に停められた…くらいの差で売れ行きは決まりそうな気がするね。どこも近郊型の店舗が多いし。要は「何かかわいいアイドルに薦められて、とりあえず揃えに来ました」というインセンティブさえあればいいのかな。
■[80年代][メモ]『ネコじゃないモン!』

mixiでとある方の日記読んで、懐かしく思い出したマンガ。その青臭さとイカ臭さが今となれば気恥ずかしく、その後の矢野先生の作品がトコトン好みじゃなかったのもあって、自分の記憶から封印していたような作品。
『ネコじゃないモン!』は俺が高校生の頃リアルタイムで、やたら読み込んでましたねえ。自分が大学生活送るようになって遠のいて、就職する頃にはもはや手放してしまいました。恐らくは自分の暮らしの方が面白くなったから…だったのかなあ。
美術専門学校の、さえない(けど何かある)男と、さえない(けど何かある)女の恋愛模様と自己実現を、周りの人たちと共に群像劇として描くスタイルで。当時流行っていたトレンディドラマをもっとおたく的バックボーンに落とし込んで描いてたね。谷山浩子のオールナイトニッポンと不可分なカンジ。(タイトルからしてそうだもんね)
出てくる「オトナ」がせいぜい「就職した先輩達」というリアリティも懐かしいね。
あれをリアルに作者ともども共有できた、というのが正に80年代的だったんだろうな。近年のバブル懐古が俺なんかにリアルに映らないのは、この主人公の設定の部分で、「さえない(けど何かある)」という「夢」とか「個性」とか「自己実現」に強迫されている感覚が再現されていないからなんじゃないだろうか。
その「何か」とは極端なハナシ例えば、「サイオニクス戦士」(幻魔大戦)「連邦のエースパイロット」(機動戦士ガンダム)「美しき未亡人の管理人さん」(めぞん一刻)「世界の破壊神」(凄ノ王)「ジープに乗ったモテモテの売れっ子カメラマン」(軽井沢シンドローム)でも良かった。
『ネコ』のその辺の展開というのは、これらの例に比べてもそういう意味では実に「等身大」だった。美術専門学校からそれなりに世に通じる「歯車」でない「デザイナー」になれるという。
でもそれが先にアゲた様々な例と同じ価値をもって、自分への希望へつながっていたんだろうなと思う。それが80年代の浮かれ方の正体なんじゃないかという気がする。「何かになれる」というファンタジーだね。「選ばれし者」と言ってもいい。この「〜し」が恥ずかしいね。背伸びしすぎてるカンジで。
逆にいうと「なれた」コトで物語は終わりなのだよ、コレが。残念ながら現実の俺たちは「なれた」にしても「そこから先」があったワケで、こうして 40ヅラ下げて生きている。それとともに、当時の記憶自体は薄れないけど、個人的には振り返るのが恥ずかしいモノになってしまっているのも事実。
覚えるほど読んで、激しく自分のスタイルに影響を受けたこれらの作品の内、『めぞん一刻』は押入れに入ったまま、もう10年以上手にとっていない。『幻魔大戦』はまだVHSが残ってるかも。『軽シン』は売り飛ばしてしまった。
『機動戦士ガンダム』は、「オトナ」のリアリティが重層的にキチンと織り込まれていることに改めて気づき、10年ほど前からようやく新たな気持ちでまともに見返せるようになった。『凄ノ王』は自分が豪ちゃんファンなので、時折中学生感覚のまま、まだ読み返せるか。
『ネコ』はこの中でも一番早く手放した。恐らくそれは等身大過ぎたのだろう。自分の毎日の方が色々あり過ぎたからかもしれない。物語自体も、作品が繰り広げられた時代を通り過ぎるようにリセットして終わったように記憶している。主人公二人も発展的解消したしね。「なれた、あと」の方が実は本筋であり、それはこの物語で描くべきテーマでなかったのは明確だし。
当時あれほど読み込みながら、最も読み返せない80年代的気恥ずかしさを伴う一品だ。
▼関係ありそうでなさそうで、コレもその方の日記にコメントで書いたんだけども。
80年代、非常に殺意を覚えたCMがあって。謎の肩書きを持った女が、何かを確信しながら俺以外の誰かに何かを売りつけていたインタビュー構成のヤツ。手持ちのカメラで流れるように撮った、短いカットをつなぐ手法が多かったねえ。
「お前誰だよ!」っていつもツッコんでました。アレは誰に対する「強迫」だったのだろう。(いやなんとなく直感的には分かるけどね)
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道がめちゃくちゃ悪いのは、奈良県北部と同じ事情なのかも
しれませんね。県内政治に興味がないという点で。
ついでに言うと、政治よりも経済事情の方が強いんでしょうね。小地主がてんでバラバラにやっちゃうから、都市計画がおいつかないとか。