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おたく鍋-壱零八 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2009-03-16

[][][][]勧善懲悪はダサいのか(その2)。 06:02 勧善懲悪はダサいのか(その2)。を含むブックマーク 勧善懲悪はダサいのか(その2)。のブックマークコメント

■[メモ][アニメ][特撮]「勧善懲悪」はダサいのか。

http://d.hatena.ne.jp/freak-k/20090303#1236058090

コレの続き。だから引き続き乱暴なお話です。

「勧善懲悪」とは本来的な意味で言うと文字通り、世間一般の倫理に照らして「善いコト」を勧め「悪いコト」を懲らすコトになりますわね。物語というモノに即して言うのなら、主役・準主役が行おうとする「正義」を阻む敵が、最終的にその「正義」によって倒されるというカタルシスを持つ話づくりの構造、とも言えるでしょうか。

さて、「勧善懲悪」の概念自体は江戸時代の大衆向け小説あたりから、メジャーになったと言われます。『南総里見八犬伝』はその代表選手とも。…じゃあ、この『八犬伝』は良く馬鹿にされるような「勧善懲悪モノ」なのか…というとさにあらず。

飼い主に対する忠義を守った犬が裏切られ、当の飼い主自身が呪いを受ける一章から始まるワケですが、コレも犬が呪いをかけるワケでなくて自らの業に呪われる構造なのがミソ。

続く章以降では、この忠義の犬の魂を引き継いだ八犬士の群像劇になっていくのだけど、ココでも必ずしも大悪を倒す八人分の物語が展開するワケじゃない。それぞれに義から外れた者から受ける不遇の時期を耐え、主人公自身が生き延びるための尊い犠牲を乗り越えて生き、やがて姫の元に終結したのち忠義を尽くし、精神的に高位の存在である仙人となる話だったりするんです。

ココには、時代状況全体が持つ「正義」から外れない行動をした者は一時不遇であってもいずれ報われる、という人間観から生まれた作劇上の哲学があります。この時代は儒教的な哲学が「本道」として社会に広くあり、「忠義」がその端的な表れと言えます。コレに外れた者はことごとく滅び、義に篤い者がお話を動かし、最終的に報われていくのです。コレが本来の「勧善懲悪」ですのでお間違えなきよう。

この物語構造が江戸の頃から今に至るまで、フィクションであるにもかかわらず大衆の支持を受けるのにはやはり理由があるはずなんです。

それは恐らく第一の理由として、「現実にはそんなにうまくいかないだろう」という一種の諦めなり絶望なりが大衆心理の中にあるコトが必要でしょう。義に篤いからと言って必ず出世できるワケではないし、巨悪を小市民が倒せるはずもない。現実には庶民のささやかな幸せなんて、お上の胸先三寸ですぐ潰されるではないか…と。

そんな絶望があるからこそ、せめてその不満が作り物の世界とはいえ報われる「フィクション」の生きる意味があるのです。作者の側にも読者・視聴者の側にも、現実への不満や問題意識なしには「勧善懲悪」は成立しないんですね。

ま、近年で言やあ「派遣切り」なんてのはその最たるもので、さりとて彼らを助ける神様なんてモノもすぐ現われるはずもなく。現実には日本を生産物や税金で支える大企業自身も青息吐息の中、企業自らを守るためには人件費で対処するしかないだろう…そういう事実ももちろんあからさまに見えています。その辺が生活者視点、政治、社会など全体として認識できている「オトナ」の感性、コレ非常に大事です。

ココで、思考実験をしてみましょう。

「勧善懲悪」の目線でこの「派遣切り」を題材にしたお話を構築するとすれば、どういうストーリーがありうるのか。あなたなら誰を主役にするか?コトに「勧善懲悪」をハナっから馬鹿にしている人にこそ、コレに応えてもらいたい気がします。必要条件は…

1)「派遣切り」自体を「悪」と断じる作劇上の姿勢

2)主人公として選ばれる人物は「派遣切り」の現実に日常を侵されている

3)主人公の行動が「派遣切り」に対して一石を投じるオチをもたらす

コレだけだと思います。

1)に関しては大前提です。だがそれだけに非常に難しい。現代、何となく世間一般に見て「派遣切り」が善くないコトだというスタンスはありますね。じゃ、どういった「敵」を設定すれば「悪」、もっと正確にいえば「義に外れたコト」だと思わせるコトが可能なプロットを組み立てられるでしょうか。そこが「ショッカー」のようなうまい仕組みを作りづらい今の状況だと言えるかも。

ただ、発端を作ること自体は簡単なコトだったりします。主人公の日常が「派遣切り」によって不当に踏みつぶされればいいんです。

ココで早とちりしてはいけないのが、じゃ正解は「切られた労働者」を主役にすればいいじゃないか…とする考え。

それはあくまで正解の一つにすぎない。もう少し考えれば解るコトなんですが、「派遣切り」によって不当に日常を侵害されるキャラクターはもっと考えられます。それはたとえば、

a)上司の命令で派遣労働者を切り捨てていかざるを得ない人事担当者

b)「派遣切り」を繰り返し行うも、ついに閉鎖となった工場長

c)職を失った派遣労働者が通わなくなった工場そばのラーメン屋さん

d)「派遣切り」を行った企業で続発する謎の事件を追う刑事

…などなど、実は何も当の労働者でなくとも、主人公はいくらでも作るコトが可能なんですね。なぜなら上の2)で示した通り、「派遣切り」という社会現象でそれまでの日常が悪い方へ一変すれば、主人公は善い方へ「変わる」ないし「変える」ためにアクションを起こさざるを得ないからです。

そして3)で示した通り、物語の時間軸内、設定が許す範囲内で主人公は、自らの日常を「善い」方向へ導く必要があります。それは政治を変えるのかもしれないし、新たな生活を発見し、それをささやかながら守るコトなのかもしれない。必要なのは「派遣切り」によらない方法でそれを実現しさえすればいいのです。もっと極端にいえば、実現できなくとも主人公が平和さえ取り戻せばいいのかもしれない。

要はそこでうまいカタルシスを用意できるかどうかだと言えるでしょう。

俗流「勧善懲悪」批判のほとんどはこの段階で、「勧善懲悪」そのものを甚だしく誤解しているんです。「善」と「悪」の設定が疎かで甘い点をもって批判すべきなのに、「勧善懲悪」の構造が悪いと批判しています。場合によってはその批判対象を見てもいないのでは、と思わされるコトすらあります。

次は「勧善懲悪ではない」と見做されている作品のひとつを例にとって、果たしてそうなのかどうか考えてみます。

(つづく)

[][]二重の意味で馬鹿にしている 06:28 二重の意味で馬鹿にしているを含むブックマーク 二重の意味で馬鹿にしているのブックマークコメント

上記の乱暴なる論考において、念頭におくべき極端な例があったので、クリッピングします。

<「機動戦士ガンダムOO」第22話>

(書きなぐりアニメ感想 09/03/11)

もうグダグダでまとめようがないから、悪の組織ショッカーは倒された、これで世界に平和がやってきた、ありがとう、仮面ライダー、的なまとめをしようという意図が見え見え。深刻ぶってみせて、結局何も考え出せなかったから、安直な勧善懲悪かよ。興ざめも甚だしいな。

この方の感想、『機動戦士ガンダム00』は勧善懲悪の話だと思っている俺にとっては、ちょっとびっくりな批判ですね。少なくとも紛争介入する「ガンダム」という『00』の設定は、彼らが「善きコト」であり、「善導する手段」だと認識しているからこそ行っているのであって、コレが勧善懲悪でなくて何なのかと。無論それが裏切られたり、一筋縄ではいかない話づくりこそが現代作る意味の模索と言えるワケですが。

ただそれが成功するのかしないのか、結局風呂敷を畳めるのかどうかは、作劇上のテクニック論なのであって「勧善懲悪」とは関係がないと思われます。

もう一つは『仮面ライダー』の引用。この場合恐らく昭和時代のシリーズを念頭に置いていると思われますが、「安直な勧善懲悪」の典型という批判対象の最右翼と断じていらっしゃいます。ですが、俺は必ずしも『仮面ライダー』のプロットにおける善悪の単純な可視化は悪いコトだと思っていません。にもかかわらずこの書き手さんは、なぜそれがいけないのかに触れぬままばっさりと書かれています。

…実はこの書き手さんが『仮面ライダー』でがっかりしている点と、『00』に期待しながら裏切られそうな点、この二つにこそ批判すべき意義が存在していると思います。

ココまでばっさり「安直」と批判する以上、『仮面ライダー』をまともに見たコトがないとか、批判するに値する特定話数なりエピソードを念頭に置いていないというコトはないと思いたいのですが。

もうひと方、こちらの方が言う「勧善懲悪」とは何なのか、もう一つ分からなかったので、クリッピング。

<『図書館戦争』を鑑賞。>

(やさしかったキャスバル兄さんが・・・>あらすじの印象 09/03/09)

最近の面白いアニメと比べると、「味方と敵」という概念が薄くて、戦いが盛り上がらない。勧善懲悪はさすがに古い。

「味方と敵」という概念が薄いコトが古い勧善懲悪につながる…とされる意見が、よく分からないです。上の『00』の方の感想とは真逆にも取れるのですが。それと恐らく勧善懲悪が古いのではない。古い形…というか時代状況によって善や悪のあり方を変えられていない、勧善懲悪形式の物語があるのだと俺は考えています。揚げ足取りでなしに。

それにしても『図書館戦争』は勧善懲悪がメインのお話かなあ?

もうひとつ。

<なぜかガンダム>

(蟹鍋 06/02/20)

そもそもガンダムとは何ぞや? と思う人は・・・

まあいないでしょうが、とりあえず説明しておくと

1980年代に放映されたロボットアニメで、人間の生き方や敵と味方双方にある正義のぶつかりを描いた作品です。

当時のロボットアニメは勧善懲悪。つまり、正義と悪とが完璧に別れているのが主流というものでした。

しかし、このガンダムには正義がどちらにもあります。

ま、『機動戦士ガンダム』の放送は1979〜80年という根本的な話はおいといて…

merkatzmerkatz 2009/03/18 00:46 こんにちは、はじめまして。
引用されましたブログ元の管理人をしておりますmerkatzと申します。
そちら様の論考について、当方なりの反論を書かせて頂きました。
お暇なときにでもご覧いただけましたら幸いです。
それでは。
(トラックバックでご存知でしょうが、念のためご挨拶させていただきました)

freak-kfreak-k 2009/03/18 14:46 トラバ頂きどうもです。個人の感想によって立つブログあるいは日記というのは、自戒も含めてですが、言葉の用い方に厳密さが欠けるきらいはあると思います。

なおかつ読む方にもその可能性があるワケで、改めて頂いたそちらの反論含め、続きのエントリーをまとめたいと思います。暫時お待ちをお願いします。