私的録音補償金問題−著作権法は問題の吹きだまり的様相を呈している

Where is a limit?『iPodに印税、上乗せ?――もめる私的録音補償金』より。8月22日付日本経済新聞に掲載された記事が下記に掲載されています。

「iPod(アイポッド)」に印税をかけろ――。米アップルコンピュータの携帯音楽機器などに音楽の権利者への補償金を課すよう、日本音楽著作権協会JASRAC)などが文化庁に働きかけているが、関係者の反発で難航している。補償金制度の根拠である著作権法の「古さ」も目立ち始めている。

 「アップルさん、iPodで絶好調じゃないですか。補償金、覚悟して下さい」。今年春、文化庁の政策担当者がアップル日本法人の企画担当者にささやいた。アップル担当者は、文化庁と権利者団体による“包囲網”を感じた。

(以上、記事より抜粋) 実際に文化庁の政策担当者がこのような台詞を発したのかは定かではありません。しかし、この記事を書いた記者にとって、そして常識からして、文化庁・権利者団体のやり方は傲慢に見えたに違いありません。


それでいて、文化庁は自身の"パクリ"問題については有耶無耶にしているのです。

この件に関しては、文化庁にユーザーが、"どうなったのですか? (もしくは)パクッたと自らの否を認めないのですか?"と大挙して(一斉に…ただし正当な方法で)問い詰める必要があるのではないでしょうか。もしくはマスコミに掛け合い、文化庁の問題を知らしめる必要があると思うのです。
(CDV-NETの記事の中には、『消費者は補償金制度を知らずに払っている。対象が増えれば不信感も増す』(一部抜粋)との見識者のコメントも掲載されています。知らず知らずのうちに必要外の経費を払わされているとすれば、補償金自体の問題を世に知らしめ、文化庁への監視の目を世間一般に担わせる必要があるでしょう。)


現在、iPodへの補償金制度問題が(文化庁・権利者団体の)思う通りに行かず難航していることで、改めて補償金制度問題自体の綻びが見えてきています。

権利者側も一枚岩ではない。JASRAC評議員で、キャンディーズの「春一番」などのヒット曲を作曲した穂口雄右氏はこう言い切る。
 「権利者団体はCD売り上げ減少の原因がiPodであるかのように言うが、むしろ音楽業界の救い主だ。iPodや『iチューンズ』で音楽を楽しむ人はCDもたくさん買う。年間三十億円程度の補償金が減ると業界がダメになると言うが、情けない。アップルを見習って、もっと大きなビジネスを作って欲しい」
 日本のコンテンツ(情報の内容)産業は伸び悩んでいる。デジタルコンテンツ協会が発表した〇四年のコンテンツ市場(十三兆三千億円強)は、前の年に比べてわずか一・八%増。内閣知的財産戦略推進事務局長の荒井寿光氏は「複雑な権利関係がビジネスの拡大を妨げている」と話す。
 事実、米国で人気の「iチューンズ」が日本に上陸したのは二年遅れ。日本のレコード会社の同意に時間がかかったためだ。今度は、ラジカセ時代の九三年に始めた補償金を最新の機器に課そうとする。少なくとも、新しいビジネスを後押しする動きとは言えない。

JASRAC評議員からも現行の補償金制度自体を問題とする発言が飛び出しています。そもそも現行の制度が制定されたのが93年であり、当時と現在の音楽へのユーザーのアプローチも、レコード会社のアプローチも変化してきているのです。文化庁や権利者団体のやり方は、自分たちだけが得をする既得ビジネスに執拗にこだわり続けているとしか思えません。


先に文化庁の"パクリ"問題を問い詰める必要がある、と持論を記載しましたが、他にも文化庁JASRAC評議員に対し、現状の音楽業界について(iPodiTunes、その他現在の流行等について)質問を投げかけてみるのもいいかもしれません。そして彼らが如何に音楽の現状を知らないか、その時代錯誤ぶりを指摘し、きちんと現在の業界に見合う制度、そして著作権法へ改正してほしいと要請するのも一つの手段かもしれませんね。(ちょっと大袈裟かつ大胆なやり方かもしれませんが。)


著作権法改正(実際は改悪と断言していいでしょう)から1年以上、法改正の経緯等でユーザーは著作権法の問題があまりに酷いことを嫌というほど学んできましたし、法を守る側の中枢にいる人間の悪を嫌というほど見てきました。CDV-NETの記事の最後に記載された文章は、まさにその酷さ、悪を言い当てているものと思います。(以下抜粋)

補償金制度のみならず、著作権の仕組み全体を見直す機運もある。小委員会の主査を務める中山信弘・東大教授は「著作権法は(問題の)吹きだまり的様相を呈している。現行法が社会の要請に応じうるものなのか、問い直す必要がある」と主張する。