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2012-02-09

東京B級百景〜その5〜 杉田玄白のお墓(榮閑院)@神谷町

◎歴史の課題で杉田玄白と出会う

歴史というものにあまり興味が持てなかった小学6年生のとき。
担任の溝田先生が課題として出したのは歴史上の人物を1人でいいから調べあげて、みんなの前で発表せよ、というものだった。

塾へ週3回(その他に習字教室と3つのサッカーチーム)通っていた僕は、三島市立向山小の神童とまでは言わないまでも、指折りの“できる”少年だった。
アホな“できる”少年がよくそうであるように、僕も多分に漏れず、プライドだけが異様に高く、視野が狭い少年だった。アホな“できる”小学生は自分だけが世界の中心なのだ(おい! お前はいまもそれに近い状態だろという声が聞こえてくるが、そこは一旦横に置いておく)。

さて、そんな状況下で、苦手な歴史の課題が出た。
僕としては、なんとしても「歴史が苦手」ということをごまかしたかった。
王道の織田信長徳川家康ではありきたりのものに終わり、「あいつ意外と普通だな」と思われるのがオチだ。
暗記だけすればいい歴史のテストはよく出来た。なぜなら史実を縦割りにして覚えればいいだけだからだ。ただテストの出来にはあまり関係のない横軸が苦手だった。歴史上の人物や出来事は、時代を縦軸だけではなく横軸でも捉えないと、単に史実を述べるだけに終えてしまう…そう考えると、マイナーな人物を取り上げても、ボロが出るのは目に見えていた。「直江兼続がどう豊臣秀吉と繋がっているのか」という横の話がまったく出来ないのだから。

そこで思いついたのは、お笑い路線だった(たいして面白くもないが、本人は至って真面目にそう考えた)。
歴史の資料集をパラパラとめくると、その風貌でやたらと目立つお爺さんがいた。
そう、それが杉田玄白である。

これだ、と思った。杉田玄白ならあまり深い歴史の知識を求められないだろう。
もし、「なぜ彼を取り上げたのか」と問われれば、こう答えれば良い。「顔が面白いから」と。
「そうか、あいつは勉強も出来るが、そういうユーモアも持っているのだな」と、先生やクラスメイトの心の内が聞こえてくるようだった。

◎お酒を美味しく飲めない理由

そのようにして、杉田玄白を課題で取り上げてからおよそ15年が経った。
自分のプライドの保持のために「利用」してしまった彼に対して、いつも心のどこかで謝りたい気持ちがあった。
大人になり、たとえばお酒の席などで、心の底から楽しめない自分がいる。きっと杉田玄白に対して、後ろめたい気持ちがあるからなのだ。
このままではダメだと思った。たとえば結婚しても、彼に対する後ろめたい気持ちを奥さんに邪推され、「あなた浮気しているんじゃないの?」と喧嘩し、離婚問題にまで発展しかねない。ここら辺で、この後ろめたい気持ちとおさらばしなくてはならない! 

いてもたってもいられず、僕は東京メトロ日比谷線に飛び乗った。

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神谷町3番出口

◎話はとことん脱線しつつ、榮閑院にたどり着く

日比谷線神谷町駅の3番出口を出て、国道一号線を上り方面に進む。
すぐに右へと続く路地があったので、右折する。

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桜田門通りから路地を望む

「町歩きは、路地こそが面白い」とは幾たる旅人が語ってきたことである。世の常は時代とともに変わる、なんてことはなく、いつの時代もどんな町も路地裏が面白い。

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大通りなんか歩くなという警告

アムステルダムでは、路地裏を歩いていたら黒人さんとお話をすること(お金をくれとか、俺はナイフを持っているとかそういう類いのお話だった)が出来たし、シンガポールの路地裏では、俺のを吸ってくれと言う知らない男性の局部を見ることが出来た。
普段では絶対に体験できないような出来事は路地裏にあるのだ!

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アムステルダムの路地裏に置きっぱなしの自転車

神谷町のその路地裏には、竹薮やボロい一軒家があった。
港区にそびえ立つビルや高層マンションとのコントラストが素敵である。

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厳密にいうと竹薮ではない

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高層マンションと味のある一軒家

それらは上海格差社会を僕に思い出させる。
カズオ・イシグロ著『わたしたちが孤児だったころ(早川書房)』や村上もとか著の漫画『龍ーRonー』で1930年頃の上海租界の様子が描かれている。そこでは上海という街のコントラストに焦点が当てられていた。上海租界の明と租界外の暗(租界内においての陽と陰というコントラストもあったが)である。今でも上海という街に行くと、この明と暗が目につく。歴史の息吹のようなものを感じる要素が多く残っているこの街の特徴だろう。ひじょうに感慨深いものがある。

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上海のコントラスト

話がそれてしまった。上海と杉田玄白にはなんの縁もゆかりもない。

路地裏をずいずいと進み突き当たりへ。右を向くと正面に現れる愛宕トンネルを無視して、目の前の信号を左折。榮立院や光岳院、興昭院といった浄土宗のお寺を横目に100メートルほど進むと、右手に見えるのが浄土宗榮閑院である。ちなみにこの辺りは、浄土宗曹洞宗の寺院が乱立している。あまりに寺院が多いため、神谷町と名付けられたのかと思いきや、それは早合点のようだ。港区ポータルサイトによると、神谷町は、三河の国八名郡にある村の名前をとってつけられたものである。

みなさんご存知のように、徳川家康三河にいた。その身近に勤めていた家康の仲間たちは、彼に従って江戸入りし、神谷町つまり今で言う虎ノ門周辺の土地を分け与えられた。彼らの郷里の村の名から、1696年に神谷町と名付けられた(昭和52年神谷町から虎ノ門へと名が変わり、平成24年の現在では神谷町という町名は地下鉄の駅としてしか残っていない)。

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この愛宕トンネル、けっこういいですね

◎必死さが伝わる昨今のお寺事情

さて、榮閑院である。
ここは杉田玄白の墓があるお寺として、有名な浄土宗のお寺である。別名を猿寺という。

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が、杉田玄白の顔が猿に酷似しているからその名がついたわけではない。
ひょんなことから預かることになった猿が境内で芸を見せ人気者になったことがその名の由来だと言われている。今ではその人気者の猿はいないので、なんとか人気を上げようと努力している姿がそこここに見受けられた。

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人気取りのための看板3連発! それにしても「デス」って!

お寺の努力の結晶である看板に誘われるまま進むと、陽のあたらない場所に杉田玄白のお墓があった。

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敷地が狭くて、うまく写真が撮れなかった…

◎参考文献は、『解体新書』(酒井シヅ著・講談社学術文庫)と『話し言葉で読める「蘭学事始」』(長尾剛著・PHP文庫)

杉田玄白と言えば、とにかく有名なのが『解体新書』である。
本著は、医学的にはもちろんのこと、日本における西洋文化の拡がりにも多大な影響を与えた。結構偉大な本である。
よく誤解があるのだが、『解体新書』の原書である『ターヘル・アナトミア』はドイツ語の医学書である。杉田玄白や前野良沢が手にした、『ターヘル・アナトミア』は、そのオランダ語訳なのだ。つまり、翻訳本の翻訳本である。これは余談だ。

杉田玄白が晩年に執筆した『蘭学事始』には、実際の翻訳の作業においては前野良沢の活躍によるところが大きい旨が書かれている。杉田玄白は前野良沢という優れた翻訳家(本業は医者)がいたからこそ『解体新書』が完成したことを認めている。杉田玄白は、翻訳文をまとめ、整理した「編集人」にすぎない。
それでも、『解体新書』をとにかく世に送り出すことに重きを置いていた彼は、自著として出版する。そこから推察できるのは、前野良沢がその学者肌によって『解体新書』の出版にあまり乗り気でなかったということだ。出版後、多数の誤訳が見つかったのだが、それは彼らの知るところであった。つまり、完璧でなくても出版したい杉田玄白と完璧でないまま出版することに乗る気でなかった前野良沢との間には隔たりがあったと考えられる。

この二人の間でどんなやりとりがあったかはわからないが、玄白自身にも「葛藤」がなかったわけではないだろう。僕が杉田玄白に感じていたように、杉田玄白も、同じように前野良沢に対して後ろめたい気持ちを持っていたに違いない。だからこそ、翻訳時の様子を克明に描いた『蘭学事始』を執筆したのだと思う。なんだか、杉田玄白に同情の気持ちが芽生えてきた。

さて、肝心のお墓である。
お墓は、榮閑院の脇道を入ったところにあった。風通しがお世辞にも良いと言えず、陽も当たらないところで寂しそうに建っていた。何だか、彼の後ろめたい気持ちを背負って生きた人生を物語っているようだった。少し、彼のことが気の毒に思えてくる。手を合わせ、深々と礼をして、小学生時代の無礼を詫びた。
と同時に、彼の人生と自分のそれを重ね合わせ、考え込んでしまった…。

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嗚呼…けっこうすごい人なのに、雑巾をかけられているなんて…

◎杉田玄白は同業者だった!

『解体新書』が世に出されるまで、日本の医学というものは東洋医学、つまり漢方を拠り所としていた。そこにはひじょうにたくさんの間違いがあったと、『蘭学事始』に書かれている。
漢方では、胃や腸の位置がデタラメであったし、すい臓など器官として重要なものの多くが見つかってすらいなかった。杉田玄白は、自分が医者としてそんなことも知らずに人を診察していたのかと思うと、愕然としたようだ。そして、この『解体新書』を世に広めることを自分の「定め」だとして、彼の書の出版に奔走する。
先に、杉田玄白が編集作業をしたと書いたが、それに加えて、今で言うマーケティングのようなこともしていたのだ。『解体約図』と呼ばれる宣伝用のパンフレットを販売したのである。

杉田玄白のその編集者魂のようなものに触れ、自分を振り返る。出版業界の末席を汚している僕は、ますます後ろめたい気持ちになった。何がどこでどう繋がるのか、人生はわからないものである。言ってみれば彼と同業なのだが、僕は彼ほどの覚悟を持っているのだろうか、とさらに考え込む。

まさか、後ろめたい気持ちを追い払うために神谷町に行ったのに、ますます後ろめたい気持ちになるとは…。

◎後ろめたい気持ちは、あっさりと去っていった

帰りがけ、神谷町にあるインド料理屋でランチを食べた。
そこには欲望をちっとも隠そうとしないインド人が働いていた。
彼は女性客が帰ろうとする度に、外まで追いかけていき話し掛ける。
迷惑そうな女性客の顔に気づいているのかいないのか、女性が歩き出しているのにも拘らず引っ付いてはなれない。並んで歩き出してどこかへ行ってしまい、数分も帰ってこなかった。
男性の僕に対しては、ドライに振る舞った。うーん、さすがインド人である。



最終的には、なんだかそのインド人に救われた気になって、神谷町の駅ホームへの階段を駆け下りた。



◎後日談(嘘です、榮閑院取材日と同日に行きました)

杉田玄白の墓を見て、いたたまれなくなった。
特に雑巾が掛けられたその姿はけっこうグッときてしまった。このままでは気持ちが晴れない! ということで、築地に行くことにした。

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晴れない気分に反して、なんと清々しい良い天気なことか!!

『解体新書』を翻訳した場所である前野良沢の家があったとされる聖ルカ通りの周辺に、「蘭学発祥の地」という記念碑が建てられているという噂を聞きつけたからである。
記念碑! きっと立派なものに違いない!(いや、頼むからせめてそこくらいは立派なものであってくれ!)

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新大橋通りを聖路加病院方面へ進む

日刊スポーツ新聞社を過ぎて、東へ200メートルほど行くとそれは見つかった。

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道路の向こうにそれらしきものを発見

遠目に見ると、予想した通り立派である。よかった。

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徐々に近づいていく

慶応義塾発祥の地」よりも優先順位が低いのは大目に見るとして、ほっと一安心。
もっと近づいて、詳細を見ようとすると、何だか様子がおかしいことに気づく。
あれ? これ文字読めなくない?

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なんとか角度をつけて読みやすく! と思っても、なかなか文字が写らない…

そう、石盤に彫られた文字(杉田玄白や前野良沢らの功績を讃えた文章)がかなり読みづらいシロモノなのである。ここまでくるともう、運命(さだめ)ということを考えざるを得ない。杉田玄白は、そういう運命の人間なのだ、と。嗚呼。

そこへいくと、やはり僕も…いや、それについては…これ以上考えないようにしよう!

急ぎ足で築地駅に戻ると、昼間から酒に酔っぱらったおじさんが植木の中で座っていた。

その姿を見て、気を引き締めて生きようと思った。

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この築地駅の文字が何かの象徴に思えてならない…

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