東京B級百景〜その2〜「かちどき 橋の資料館」@勝どき

「目はぎょろっとしていて、身長はそうね、だいたい150センチくらいだったかしら、私と同じくらいだから。中肉中背で、自転車で移動してるみたいだったわ。次こそは絶対捕まえてやるんだから。もう、悔しくて仕方ない」


「かちどき 橋の資料館」という名前ながら、
駅は築地のほうが利便性が高い(主観)。

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その日は館長が体調不良のため不在。
代わりに、勝鬨橋の説明をして下さったのは、管理のおばさんだった。


かちどきではなく、「かちとき」なのか!?

「……で、ここに橋が必要になったわけ。と言っても、ここに荷物の集積場があったから、橋は大型船が入れる開閉式でないとダメだったの」

おばさんの近所のうわさ話をするような語り口、それに、既に見た館内の資料やビデオ以上の説明がなかったことが少し気になったが、僕は素直に聞いていた。
が、なかなかに長舌で、時間がかかる。
次第に次の約束の時間が迫ってきた。

でも、「そろそろ、行きます」のひとことが言えなかった。

顔はさすがに彼女のほうを見ているものの、僕の体は半身状態。
おそらくおばさんも感づいているはずだ、この子は帰りたがっている、と。
それでも、盲目的に彼女はあくまでしゃべり続けた。

(何とかしなければ、本格的に帰れないゾ)

そこで僕は壁に貼られている展示資料に質問をする方法をとることにした。
すなわち、徐々に入り口に近いそれへと歩んで行くのだ。


入り口に近いほうの資料に関して質問していきます。

ものの10分ほどで入り口まで行くことができた。作戦が功を奏したかに見えたが、次のひと言で、「ふりだしに戻る」をひいてしまう。

「あ、それでは、この資料頂いていきますね、ブログ記事の参考にさせて頂きます、ありがとうございました」
僕は入り口にあったパンフレットを手に取り、引導を渡したつもりだった。が、これが失敗だった。

「あら、色々と資料が欲しいのね。そういえば、ポストカードがあるからこっちへおいでなさいよ」
再び、資料館の奥へ連れ戻されてしまい、
「そうそう、このポストカードなんだけど、持っていっちゃうおじさんがいるのよ。だからすぐに在庫切れになっちゃうのよ…」またしてもとうとうと語り出す。
曖昧に頷いていると、今度は、勝鬨橋に関係のない話に突入した。ん? いや、関係あるのか?
「そのおじさんはね、目はぎょろっとしていて、身長はそうね、だいたい150センチくらいだったかしら、私と同じくらいだから…。中肉中背で、自転車で移動してるみたいだったわ。次こそは絶対捕まえてやるんだから。もう、悔しくて仕方ない。というか、この資料館が無料なのをいいことに、けっこう変なおじさんが来るのよね。それも酔っぱらいが多いの。お酒臭くて嫌になっちゃうわ。ほら、隅田川沿いのあたりってけっこう昼間っから飲んだっくれてるひと多いじゃない? ああいう人が集ってきちゃうの」
その後も永遠とグチを語り、僕はなかなか帰れなかった。

よし、他の見物人がきたら、それをキッカケに帰ろう、そう決意づるも、なかなか新客が来ない。
始めに一日の利用者の平均を尋ねたとき、「そうね、平日だと、だいたい100人ほどかしら」と得意げに語っていたはずなのになぁ。※そもそもこの質問が、この語りのトリガーとなった。

(もう限界だ、僕の作り笑顔は枯渇状態だよ、おばさん!)

と、そんなとき、一人のおじさんが入ってきた。
おじさんが僕らの前を横切ったとき、ぷうんと臭ってくる。あれ、お酒臭いゾ!

僕はひそひそ声で言う。
「おばさん、お酒臭いっすね、もしかしたら、またやられるかもですよ! 監視したほうがいいですよ!」
「そ、そうね、もう悔しい思いは充分だわ。悪いけど、この続きはまた今度ゆっくり」
やった! と、僕は踵を返そうとすると、再度呼び止められた。

「そうだ、勝鬨橋の内部に入れるツアーもあるから、それにも参加しなさいね、待ってるわ」

「え、あ、はい、ありがとうございました!」
なんとか最後の笑顔を振り絞って、乗り切った。


僕の救世主のおじさん。勝鬨橋で写真を撮っていると、
フラフラしながら歩いて行った。

勝鬨」の名前の由来は、「かちときの渡し」に由来します。
月島の発展にともない、築地との間で人びとの往来が盛んになりました。
当時、人びとは永代橋を渡り、門前仲町を通るという遠回りを強いられていたのですが、渡し船日露戦争の勝利の記念として設けられることになりました。
戦に勝った時にあげる声のことを“かちどき”と呼んでいたため、その渡し舟は「かちときの渡し」と名付けられます。
時代は移り変わり、やがて関東大震災が起き、その際に大混乱が起きてしまいました。
これを機に、渡し船の代わりに橋が架けられることになりました。
そこで、橋に渡し船の名前がつけられることになったのです。

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この勝鬨橋は大型船が通行できるよう跳開式の可動橋です。
跳開式とは、読んで字の如く、ハの字にパカっと開く橋のことです。
その角度およそ70度。その間、橋は通行止めになります。


さあ、100分の一のジオラマが動き出します!


徐々に…


開いて、開いて…70度に!


そして船が通ります!

このあたりの事情はウィキペディアにも書かれていますし、あるいは『こち亀』でも、取り上げられていたので、詳しくはそちらをご覧頂ければと思いますが、以下の点は大変興味深かったので詳述します。

勝鬨橋は定期的に開閉するのではありませんでした。申請方式だったのです。
船は事前に申請して許可を取り、通行するのです。
信号や電車のように、決まった間隔で閉じたり開いたりすることはありません。
すなわち、船の都合で開閉するわけです。
にも拘らず、その通行料は「無料」だったそうです。もともと通ることができた海路に、あとから橋を架けたので、当然の処遇として受け止められていたそうですが、現代に置き換えるとけっこうすごい話ではないでしょうか。


風速23メートルでも約900tの橋桁を持ち上げるモーター。125馬力。

排他的経済水域(自国の沿岸から200海里までの様々な権利を持つというもの)というものがありますが、これは勝鬨橋の理念と相反しています。
つまり、その土地に暮らすものの権利と利用者のそれとを比べ、前者を優先させたのが、この排他的経済水域であり、後者を優先させたのが勝鬨橋
そこから見えるのは、江戸の人びとの「いき」というやつです。
「いき」とは、人情でもって洗練された振る舞いをする美的感覚を指します。まさにこの勝鬨橋は、「いき」なのだと思います。
もちろん、排他的経済水域のような理路整然とした概念も、世界を潤滑に動かすには必要なこととは思います。が、そうした世の中において、何か生きづらさを感じるのは僕だけではないはずです。もっともっと、世の中には「いき」という、生活に“伸びしろ”をもたらすものが必要なのではないでしょうか?

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ポストカードを持って行ってしまうおじさんの話に戻ります。
おばさんは、目を離したスキに何度も被害にあっている、と訴えてきましたが、そこに人情が足りないからなのでは? と思いました。
「おじさーん、また来たの? ポストカードは一人1枚までだけど、無料だからさ、ほら持って行きなよ。もっと欲しかったらまたあした来てちょうだいね」人情でもって先手を取ったら、持って行くものも持って行けなくなるのではないでしょうか?


勝鬨橋だけポストカードがない。日によっては、その他の2つ「永代橋」「清洲橋」もないこともある。

今回長々とこの「いき」について書いてきたのには、理由があります。
実は今回の取材、本当は「おさかな普及センター資料館」でした。資料館に着いたのは12時頃。
素朴なトビラを開き、見学しようとすると、管理人のらしきおじさんに「13時からセミナーがあるから入れません」とだけ言われ、追い出されました。
あるいは、15分くらい見学させてくれてもいいだろうに、それが無理でも、「ごめんねまた来てね」とか少しくらい話を聞いてくれてもだろうに、勝手に入ってくるなと言わんばかりの表情でした。
たまたま隣に「かちどき橋の資料館」があったので、そちらに行ったという経緯。

ですから、なんとなくそういうメッセージを込めて記事を書こうと思ったのでありました。


ほんとうはこっちのほうが興味あったんだけどなぁ、もう行かない! (たぶん)


追記:「かちどき 橋の資料館」にいるおばさんはとてもいい人ですし、自分の仕事の誇りを持っていらっしゃる方でもあります。ただ、僕に時間がなかっただけですので(こんな書き方になってしまいました、すみません…)、みなさんもぜひお気軽に足をお運びくださいネ◎ 入場無料ですから!