【シリーズ】わたしがフィリピン・タイで出会った思い出に残る人

*この記事はふれんどしっぷASIAスタッフによるリレー投稿です*
*フィリピン、タイで出会った個人的に思い出深い人を紹介します*

これまで、フィリピン・タイを訪れ、出会った人は数知れず。
その中で、今回はタイで出会い、思い出に残るタイ人のタイくんを紹介します。

タイくんと初めて会ったのは、僕が2007年にタイを訪れたときでした。
当時、僕は大学生で、チェンマイ大学の日本人留学生の方を通じて、
紹介してもらいました。

彼は日本語学科の学生だったので、日本語はとても堪能で、
僕と一緒にタイへ行った仲間にチェンマイを案内してくれました。

タイの地方出身で、とても純粋で優しく、中性的な感じの性格。
写真撮影や絵画が趣味で、好きな女の子には彼女の似顔絵を
プレゼントするなど、ロマンチストな部分を見せる一面がありました。

日本人には、「むずかゆい」と思ってしまうようなことでも
とことん女の子に尽くさないとタイではモテないなど、
タイの恋愛事情を教えてくれて、また会って遊びたいなと感じていました。


すると、2008年にタイくんが日本の大学に1年間留学することになり、
今度は日本で会うことになりました。

しかし、東京からはかなり遠い場所だったため、
結局1度しか会えませんでしたが、お互いの近況報告や彼の住んでいた街を観光して、
また会う約束をして別れました。

その後、彼はタイへ戻り、僕は就職してなかなか会う時間がなかったのですが、
facebookやチャットを通じて、連絡を取り合っていました。


そして、今年の7月にフィリピン⇒日本の帰りに、
バンコクへ寄り道をして、彼と約3年ぶりに再会しました。

しかし、バンコクでの生活に慣れていないせいか出不精で、
彼はかなり肥えてしまった様子に、ビックリしてしまいました。(笑)

バンコクは2度目の僕でしたが、彼よりも買い物の場所を知っているようで、
「なんで知ってるの?バンコクに住んでるでしょ?」と聞かれ、
僕はおかしくて笑ってしまいました。

バンコク・サイアムのレストラン街には、
2008年に訪れたときよりも、日本食の店が多くありました。
タイくんもその数に驚いていました。

これまでは華僑経営の店が多かったのですが、
今では日本から進出してきた飲食店が数多くあり、
中には日本語のまま出店している店や「いらっしゃいませ」と
日本式のあいさつするお店も多く、僕はバンコクにいるのに、
すごく違和感がありました。

スーパーに行っても、日本メーカーが現地で作るお菓子が売っていたり、
日本からの企業進出が急速に進んでいることを実感しました。

そして、極めつけは2010年のタイ暴動で焼けてしまった
セントラル・ワールドにユニクロがタイ1号店を出したことです。
僕が行った頃はまだ工事中でしたが、
「From Tokyo to Bangkok」と大きな看板が掲げてあり、
テナントがまだまばらの、このビルの復興の目玉のようでした。

「この建物をはじめ、バンコクは復旧しているけど、またどうなるかわからない。
この国はどうなっていくのだろうか。私は平和に日本と関わっていきたい。」
と、タイくんはそれを見ながら、話していました。

現在、彼はバンコクを離れ、チェンマイ郊外にある日本企業の工場で働いています。
洪水被害からは免れているものの、バンコクからの避難者で渋滞がひどいと
教えてくれました。

成長著しく、行く度に街の風景が変わるバンコク
一方で、変わりつつあるけども、いつものんびりな雰囲気のチェンマイ

タイって本当におもしろい所です。
もう少し落ち着いてきたらタイに行って、また彼と遊びたいなと思います。

(こばやし)