フリジッド・ガゼット【all the footprints I’ve ever left】 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2010-12-16

[] 「V一 vs. 高林恭子」観戦記

個人的な思い入れを多分に含めれば、マニー・パッキャオ vs. アントニオ・マルガリートと並ぶ、2010年ベストバウト。


高林の試合を初めて観たのは、六年前のことであった。最初に印象に残ったのは、下北でのedge戦。タウンホールに衝撃音が響くほどのヒザ蹴りをカウンターで貰いながらも、それで怯むことなく攻める姿勢が印象に残って、それで好きな選手となって、追いかけて応援することにした。

レスリング上がりにありがちなクラウチング気味の構えで、徐々に向上してきたとはいえ、打撃が苦手な選手だった。加えて、打撃を嫌がって遠い間合いからタックルに入って、それで切られると云う悪癖のある選手だった。格下と思われたせりに負けた試合などはその典型で、それでその負けた試合の後に通路で号泣していたと云う、そんな選手だった。

それがどう変わったかは、V一戦を観た方になら理解して頂けると思う。


相当に追い込んだ練習をしてきたのだろう。それも打撃を重点的に強化してきたのだと思う。

それは試合開始直後、脇を締めたボクシングスタイルと、そして「表情」を見た瞬間に分かった。獲物を狙う狩人のような目付きだった。自信が内面の変化を呼び起こし、その内面の変化が表情となって外面に現れたのだと、そう確信している(内面の変化に関しては、練習仲間の服部愛子選手が、本人がそれを自覚している旨教えて下さった)。

技術の向上が内面の変化をもたらし、その内面の変化は高い集中力として表出されていたと思う。結果、反応速度と状況判断が向上し、技術的ポテンシャルを全て発揮出来るようになっていた。それはまさにテクニックとメンタルの相乗効果としか言いようがない現象だったと思うし、その相乗効果が表情の変化として結実していたとも思う。

首振りやグライディングなど技術的な面も含めた立ち姿、鋭く伸びるリードジャブやストレート、そして何よりもその表情は、僕の眼にはとても美しいものとして映った。その「美しさ」は、「地味」と云う高林のそれまでの印象を充分に払拭するものであったはずだと、そう願ってやまない。


徹底的にテイクダウンを回避し続けて、切り続けて的確に打撃を当て続けた高林の勝利である。試合が終わった瞬間、自分はそう思った(一緒に観戦していた方も、判定が読み上げられる前に「完封ですね」と僕に話しかけてきた)。これは一切の贔屓目を除いた上での感想であることを断言するが、圧倒的なリングジェネラルシップに加えダメージでも優勢だったはずだ。後にある関係者からも同様の意見を聞いた。

ただいかんせん「挑戦者」が取るべき戦法ではなかったかもしれない。少なくとも「前」に出ていたのがVだったことは確かだからだ(尤も僕の考えでは、V一が前に出続けたのは高林のパンチが当たる距離を嫌ってのことだったと思うが)。いずれにせよ、桜庭戦のガイ・メッツアーを彷彿させる戦い方(これは僕にとってはかなり上位の褒め言葉)で、少なくとも今年見た女子総合の試合では最もテクニカルで、最も語るべき点が多い内容だったと、僕はそう思っている。

タックルを切られておどおどして試合後に号泣していた高林は、リングの上にはもういなかった。それでも、今回もまた、リングを降りた高林は号泣していたと云う。高林にとってその涙の意味は、歳月を経て全く違うものとなっていただろう。試合後、高林はブログにこう記している。

仲間やファンの方にベルトを巻いてもらうのが私の夢だったので、落胆させてしまって本当にごめんなさい。

http://blog.goo.ne.jp/kyoko-takaba/e/afcfd571f0c231a1d9e996bf0b6ba85c

落胆は…しなかったと言えば嘘になる。しかし自分の「落胆」は、高林が云うような意味におけるそれではなかった。自分の落胆は高林に対して向けられたものではなく、この試合の判定そのものに向けられたものであったからだ。だって、どう見たって勝っていたじゃないか。勝っていた試合を、判定によって奪われただけではないか。


だから、そしてそもそも、(「仲間」はともかく)ファンに対して「ごめんなさい」などと云う必要は、どこにもない。これはこの試合の高林に関してのみに言えることではなく、一般論としてそう言えることである。ファンは競技者に対して、夢を仮託する。これは端的な事実である。「夢はひとり見るものじゃない」。これもその通りである。そしてファンはいつだって、「夢を、力を、勇気を貰いました」とか、そんなようなことを言う存在である。

しかし、格闘技と云う競技は、そして競技者としての夢は、競技者であるあなたのものだ。ファンは金を払って、それを拝見させて頂いているだけの存在である。束の間、競技者としての夢をファンが共有する幸福な瞬間が訪れることもある。競技者としてのあなたの姿に感情を揺らされ、その結果として、自分の内面に夢や力や勇気が生成されることはある。しかし、それでもなお、格闘技と云う競技は競技者であるあなたのものだ。だから、あなたがファンに対して「ごめんなさい」などと言う必要は、どこにもないんだよ。


話しが逸れた。落胆が歓喜に変わる瞬間は、いつか必ず来る。そしてその歓喜は、落胆が深ければ深い分だけ、きっとその何倍もの感動として訪れる。だからこそ自分は、格闘技を観ると云う行為を、そして選手を見守り応援すると云う行為を、いつまでだって続けるつもりなのだ。「夢」はまだ終わっていない。「夢」の続きは、もう始まっている。それで、それだけで充分ではないか。

これ以上の言葉は必要ない。そんな気がするので、この観戦記はここで筆を置くこととする。

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