フリジッド・ガゼット【all the footprints I’ve ever left】 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2011-07-24

[] 雄弁と沈黙

…その内容は、私が有する知識とは異なっているし、故に私における歴史認識とは異なっている。そして、常に複数であり得る歴史に対する「認識」とは違い、歴史に唯一客観のものとして存在する「真実」があり得るのだとして(いや存在すると断言出来るのであるが)もなお、私はその「真実」を知り得る立場にも、語り得る立場にもない。

但し、一つだけ。

沈黙は金であり、雄弁は銀である。この至言に反し、世界は雄弁に語った者が勝者となり、歴史は勝者の歴史として紡がれ、そして語り継がれることが往々である。沈黙は必ずしも、金ではない。であるからこそ、沈黙に託された意思を守る為に、誰かが雄弁に語らなければならないこともまた、確かである。

しかし、雄弁には責任が伴う。自己に対する責任、そして他者に対する責任が。その責任はいついかなる時をもっても、私を含めた万人に降りかかる。故に私はここで筆を置かねばならない。どうやら、私もまた雄弁が過ぎたようだ。


しかし/そして私は、彼女の沈黙を信じる。

2010-11-25

[] 消え入りそうな小さな声で

北朝鮮砲撃事件の報に触れた際に想起したのは、高校二年時の韓国への修学旅行のことであった。それも、板門店で銃を片手に38度線越しにこちらを凝視する北朝鮮兵士のことではなく、現地で仲良くなって色々な話をしてくれた韓国人のガイドさんのこと。

日本語が話せる彼女とは、旅程を共にする中で打ち解けていって、だんだん二人っきりで話す時間が増えていった。昔恋人が兵役に取られて、結局そのまま別れてしまったと云う過去を話す彼女は、とても切なそうだった。帰国の途に就く空港での別れ際、いきなり頬にキスされて、照れ笑いを見せたのが僕で、泣き笑いを見せたのが彼女。

新聞を読んだりニュースを見ていたりしていたら、すっかり忘却していた一連の出来事が、少しずつ少しずつ追憶されてきた。そして、亡くなられた民間人二人への哀悼が胸に去来するより先に、彼女は元気に幸せに暮らしているだろうかと思いを馳せる、そんな自分がいまここにいる。


なるほど、柴崎友香が見出した佐藤伸治の世界観とはこう云うものであったのかと、少々合点がいった気がする。普段は人並に政治的なるものについて考えを巡らせる僕なのに、いままさに戦争が起きるやもしれない状況になってしまうと逆に、蘇る記憶と思い浮かぶ言葉はそんな個人的な「小さな物語」くらいしかなくなってしまう。

だから、もし仮に昨日、日本にミサイルが飛んできていたとしても、自分と自分の身の周りの人間に危害がない限り、自分にとっての2010年11月24日とはすなわち、日付が変わる瞬間を待っていたかのようなタイミングで届いた祝辞とか、スペルを間違えてしまったハッピーバースデイのコメントとか、そんなようなものとしてのみ記憶されていたに違いない。

そう、この煩さすぎて、複雑すぎて、溢れすぎた世界において、15年経ってもなお心に残っていくものなんて、きっとそんな些細で私的な出来事との集積くらいなんだろう。声高に「戦争反対」を叫ぶのが苦手な僕は、そんな些細で私的な出来事をこうやってナラティブとして日記に書き記している方が楽しいし、好きだ。


イアン・マッケイが言うように、それがアパシーと紙一重の、悪い意味における政治性であることくらい、僕だって分かっている。世界がかくも悲惨になっているのに、どうして自分の半径二メートルの世界をそこまで肯定出来るのかと、そう問い詰められたら返す言葉もない。でも他方で、こうも思うのだ。

僕は亡くなられた民間人二人に対しては「傍観者」でしか有り得ないが、親密になったガイドさんに対しては多少なりとも「当事者」としての意識を持ち得るのではないか、と。人を政治的たらしめる当事者性の媒介がそんな些細で私的なものであっても、それでいいではないか、と。ついついそんなことを呟いてみたくなってしまう。消え入りそうな小さな声で。

そして僕は、あのガイドさんには元気に幸せに暮らしていて欲しいと心の底から思うから、この事件が戦争へと発展しないで欲しいと心の底から願ってやまない。でも僕は声高に「戦争反対」を叫ぶのは苦手だから、消え入りそうな小さな声の自分が考えていることを言葉にすることしか出来ない。


でも、それでいいではないか。ちょっとだけ大きな声で、そんな主張をしてみよう。



Belle & Sebastian - I Fought In a War

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いままさに戦争が起きようとしていても、否、戦争が起きようとしているからこそ、誕生日を祝い祝われ、感謝し感謝される、そんな思いを忘れない人間でありたい。そしてまた、その逆も然り。

メッセやメールくれた方、mixiにコメント付けてくれた方、本当にありがとうございました。

2010-11-24

[][] 僕が生まれた日の賛歌 2010

今日で31歳。

何かに自分の過去を投影して魅かれたり考えたり書いたりするのはもううんざりだし、「人生の中で一番楽しかった時期は」との問いには「いま」と応えられる健康的な人間でありたいのだが、村上春樹の言う「35歳問題」に直面するのはこれでもまだ先のことなのだと云う。

そしてこれは、僕の人生の中で今日と云う日の為だけに用意された一曲。こんな後ろ向きな人間ではありたくないのだが、これも運命だと思って載せておくこととする。



Aimee Mann - 31 Today

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Thirty-one today

今日で31歳

What a thing to say

ああ、何てことなの

Drinking Guinness in the afternoon

昼下がりにギネスを飲んで

Taking shelter in the black cocoon

黒い覆いの下に避難している


I thought my life would be different somehow

こんなはずじゃなかったわたしの人生

I thought my life would be better by now

今頃はもっとましな人生になっているはずだと思っていた

I thought my life would be different somehow

こんなはずじゃなかったわたしの人生

I thought my life would be better by now

今頃はもっとましな人生になっているはずだと思っていた

But it's not,

でもそうじゃない

and I don't know where to turn

そしてわたしはどっちに方向転換すればいいのかわからない

2010-11-19

[][] 我が禁煙(上)

もう面倒なので禁煙の秘策とは何なのか、端的に結論から先に書く。それはすなわち、チュッパチャップスでタバコを代替する、と云う策である。

いや、先日ある人に言われたのよ。「そんなにチュッパチャプスが好きなら、タバコの代わりに舐めてれば禁煙出来るんじゃないですか?」と。その時はあまり深く考えなかったのだけど、いざ禁煙の必要性に迫られた瞬間、この言葉を想起したのであった。

折も折、ちょうど金銭的にも余裕のなくなってきたタイミングでもあったので、この際だから禁煙することによる経済効果も考えてみようと思った。以下、その試算を記す。



f:id:frigidstar:20101120014345j:image:h270,w180 vs. f:id:frigidstar:20101120014344j:image:h270,w180


まずは、それぞれの単価を割り出してみる。


【タバコ】(一箱)420円くらい÷20本≒21円/本

【チュッパチャップス】(一個)42円÷1個=42円/個


この時点では、タバコの一本あたり単価はチュッパチャップスのそれの半値であることが分かる。しかし、ここからそれぞれを味わう時間あたりの単価を割り出してみると、事態は全く異なった様相を呈してくる。


【タバコ】一本21円÷(一本吸うのに)5分くらい≒4.2円/分

【チュッパチャップス】一個42円÷(一個舐めるのに)20分くらい≒2円/分


ここで両者は逆転し、チュッパチャップスの一分あたり単価はタバコのそれの半値であることが分かる。しかも、チュッパチャップスを舐めるのに要する20分とは、あくまでも最低限の時間であり、実際は舐めようと思えば30分でも一時間でも舐めていられるものである(先日映画を観ながら舐めた際は、2時間くらい咥えていた)。

つまり結論として、チュッパチャップスのコストパフォーマンスはタバコの二倍か、もしくはそれ以上であると云う衝撃の事実が判明したのである。


そんな訳で早速近所のコンビニでチュッパチャップスを大人買い(笑)して、今日から本格的に禁煙を始めることとした。

したのだが、ここでまたしても新たなる衝撃の事実に直面したのである。


(続く)



エレクトリカルパレード

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チュッパチャップス本山こと、本山雅志の屈託のない笑顔が大好きだ。

シャビにも匹敵する才能を持ちながら、結局その生涯において一度もワールドカップの舞台を踏むことも、海外移籍を果たすことすらもなさそうな本山。

それを「挫折」と言えるのかどうかは本人のみぞ知るところであるが、少なくとも彼の屈託のない笑顔からは、そのような後悔や諦念は感じさせない。いまここを肯定し愛する者のみが持ち得る邪気のない明るさが、彼の笑顔にはある。

だから僕は、本山雅志の屈託のない笑顔が大好きだ。

2010-11-18

[][] 脱ショートスリーパーを目指して

車の中でタバコの火を落として、スーツに穴を空けて、これを契機に禁煙することにして、その秘策を書こうと思っていたのだけど、あまりにも眠くてロクなこと書きそうにないので、寝る。

眠過ぎて頭が痛いのだが、何とか寝ることにする。どうも最近の自分に一番足りていないのは睡眠であったことに気付いたので、寝る。



R.E.M. - Daysleeper

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考えてみれば寝ている間はタバコを吸わないのだから、とっとと寝てしまうのも禁煙の手っちゃー手なんだよな。

一日中寝てればタバコ一本も吸わないで一日が終わるんだけど、さすがに働いている以上そうは出来ない。でもまあ、日中目を覚ましていても眠っているかのような感覚で過ごせば、タバコ吸う気すら起きないんではないかとも思う。

結局今日は夕方以降、何をした訳でもないのにタバコを一本も吸わなかった。

2010-11-17

[][] 「色」も色々、十人十色

印刷物を評価する際、「色」とはとても重要な基準となる。それが絵本であれば原画の、それが写真集であれば被写体の、「色」をどれだけ忠実に再現出来ているか。あるいは作家の感性的な要求にどこまで応えられているか、とにかく編集者も印刷所も「色」と云うものに対して、際限なき追及を続けている。


ところで、そもそも「色」とは一体何なのであろうか。「色」とは物体に入射し反射された光が、観測者の視覚に認識された結果としてのみ存在する。つまり物体そのものにも光そのものにも本質的には「色」は内在しておらず、光と云う刺激を受けた人間の器官が「色」を作り出しているに過ぎないのである。

この為、印刷の製版工程においてしばしば問題となるのが光源である。ある場所で観た際に認識された「色」が、別の場所で観ると違った「色」として認識されるケースがままある。これは一つの対象を異なる特性の光源の下で観ることで起こる現象で、印刷所とクライアントとの合意形成の阻害要因となる。

従って印刷所はクライアントに対し、自社とクライアントとの間での光源の統一を要求することすらある。最低限、自社内部で印刷物を観る際の光源の統一を図る。一つの印刷物の「色」の評価を確定する為には、人間の視覚にその「色」を発生させる刺激要因である光の特性を、可能な限り統一する必要があるからだ。

しかしこれはあくまでも、印刷所とクライアントとの間での合意形成の為のテクニックに過ぎないとも言える。なぜならば、製品として世に流通した印刷物に対して、エンドユーザーがどのような条件下で観るかを指定することは、印刷所はおろか、クライアントやその作品の作家ですら不可能であるからだ。

極論すれば、1,000の印刷物が存在するとするならば、それは1,000通りの光源の下での認識対象となる。つまり一つのオリジナルが印刷物と云う形で複製され世に流通すると云うことは、無数の異なる「色」が世に流通すると云うことですらある。「色」とはかほどに、相対的な要素なのである。


ことほどさように、「色」とは相対的な要素である。従って極論すれば、一つの対象を異なる複数の人間が同じ場所で集まって観ている場合であっても、彼らの眼には別々の「色」が認識されている可能性すらあるのだ。

なぜならば、彼らが立っている位値が別々で異なった角度から対象を観ているのであれば、対象から反射された光は、彼ら一人一人にとって異なった別々の刺激として認識されるからである。さらに言えば、光を刺激として認識し「色」を作り出す器官である色覚も、個々人によって別々に固有のものだからだ。

つまり究極的には、一つの対象物に対して人は他者と全く同じ「色」を感じることは出来ない。そこには常に微細な差異が孕まれてしまう。観る者の色覚、観る立ち位置と角度と云った諸条件によって、「色」は常に微細な差異を孕む。


しかし、それで良いと僕は思う。

なぜならばそのような「色」の複数性とは、すなわち人間の多様性そのものだからである。もし集団の構成要因が一つの対象物に対して同じ「色」を感じているのだとしたらそれは錯覚であるし、そのように錯覚させる存在があるとしたら、それは同質性を強制するファシズムであるとすら言えるだろう。

同じ対象にある人が感じた「色」が美しく、また別の人が感じた「色」が美しくなかったとしても、前者に発生し心に残った美しさを否定することは誰にも出来ないし、してはいけない。我々はそれを肯定するより他ない。なぜなら、「色」とは、そして人間とは、多様であることが当然の存在なのだから。

そしてまた、仮に両者が同じ対象が放つ「色」に等しく美しさを感じたのだとしても、その美しさの意味も各々に異なった文脈であるはずだ。それが人間の多様性と云うものだからだ。その各々に固有の美しさを相互に承認しさえすれば、人は異なる美しさのあり様に触れ新たな発見を得ることが出来るだろう。


それは素晴らしいことであると思う。一つの対象に対して合意形成を図ることを仕事とする印刷人としては、「色」の複数性=人間の多様性に泣かされ続ける日々である。しかし、この社会を生きる一人の人間としては、そのような「色」の複数性=人間の多様性を肯定していきたいと、僕はそう思っている。



Envy - 足枷の色彩 〜 Color Of Fetters

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Envyに対する見方/聴き方も十人十色だと思うが、僕はこの曲が収録された「a dead sinking story」がやっぱり一番好きだ。

近作はもう、テツさんの絶叫パートが単調で煩いだけにしか感じられないのだが、この頃は演奏の密度も濃く絶叫パートもちゃんと聴けた。でも個人的にはやはり、3:21〜からのアルペジオとスポークンワードがたまらない。

実のところEnvyの歌詞にはあまり興味がないのだけど、4:30〜の「間に合うかな…」と云うつぶやきを聴く度に、様々な感情が去来してくる。

およそ文脈も意味性も欠いた、何て事はない凡庸な言葉。でも、だからこそ僕はこの言葉を、その時々の自分の側に引き寄せて、そこから何かを得る。

きっとそれを、「普遍性」と呼ぶのだと、そう思っている。

2010-11-13

[][] SG買ったよ

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イアン・マッケイの愛用ギターと同じ、70年代製Gibson SG Standard White。ブロックインレイってとこがポイント。ディマジオのピックアップ(たぶんスーパーディストーション)とかタップスイッチなんて付けられてしまってる。たぶん前オーナーがHR/HM好きだったのだろう。

これは自分の趣向性とは異なるので、そのうち自分好みに再改造する。昔から中古で買ったギターは必ず改造していた。ちなみに(僕の手先の不器用さを知ってる人なら分かるだろうが)自分でハンダ付けとかは出来ない(笑)。大学生の頃は、やってくれる友人がいたのだが。

つーか何よりもまず、マトモに弾けるようにリハビリしなくちゃな。



Fugazi - Shut The Door

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件の白いSG弾きまくりのマッケイが観れる。しかし最期の方は完全に即興に走っていて凄い。


イアン・マッケイはこう発言している。「音楽業界・レーベルが大打撃を受けて滅亡したとしても、僕は困らないよ」と。他方で、こうも発言している。「僕はレコードレーベルを経営している。バンドの皆に給料を支払い、バンドのメンバーは皆、家も買った。僕らも音楽で生計を立てている」と。

D.I.Y(Do It Yourself)の象徴として神格化されがちなマッケイのディスコードレコード。製作・流通・マネジメントの全てを自分たちで行うことで既存の音楽産業から自由になったのは確か。でも同時に、その方法論を貫徹しつつ再生産可能な収益構造を作り上げたのも確か。経営者/ビジネスパーソンとしてのマッケイも興味深い。

しかし何よりもまず、彼らの収益構造が成り立つのは、良い音楽を作って世界中のファンに届けると云う当たり前の行為があってのことだろう。FUGAZIはたしか、全世界で数百万枚は売っているはずだ(ディスコードは流通が驚異的に良い)。自分たちのやりたいことをやりたいようにやって、その価値が世界中で認められて、それで生計を立てて家まで買っている。

理想の生き方ですな。


Fugazi - Shut The Door

I break the surface so I can breathe

I close my eyes so I can see

I tie my arms to be free

Have you ever been free?

She's not breathing

She's not moving

She's not coming back

I build a fire to stay cool

I burn myself, I am the fuel

I never meant to be cruel

Have you ever been cruel?

She's not breathing

She's not moving

She's not coming back

Shut the door so I can leave

俺はこの殻を破る、息をするために

俺はこの目を閉じる、見えるようになるために

俺はこの手を縛る、自由になるために

君はいままでに自由だったことがあるかい?

彼女は息をしていない

彼女は動いていない

彼女は帰ってこない

俺は平静を保つために炎を燃やす

俺は自分を燃やす、俺自身を燃料として

俺は残酷になろうと思ったことはない

君はいままでに残酷だったことがあるかい?

彼女は息をしていない

彼女は動いていない

彼女は帰ってこない

ドアを閉めろ、俺が出ていけるように