桜庭一樹の小説を読んで、構成の巧みさに舌を巻く日がこようとは思いもよらなかった。
家族という名の閉じた世界に封じ込められた男と女のありようを、結末から発端へと巻き戻していく手法は(意外や古今の名作に通じていることがわかってきた桜庭だけに)『瓶詰の地獄』@夢野久作の本歌取りというアイデアありきなのかもしれないが、本作の場合は《終わってしまった状態のまま、現在を生きていく》ヒロインの心情と見事に呼応した二重構造となっており、深い余韻を残すのだ。
もう一つ特筆すべきは、本作では北海道の紋別という舞台設定が、物語の必要欠くべからぬ要素として強く印象づけられる点だ。これまでも桜庭は、地方の小都市を物語の場として選択することが少なくなかったが、それらは大概、地方都市であるということがすべてのアイデンティティであり、島根の鉄鋼町だろうと雪深い旭川だろうと、差し替え可能という軽さがなきしにもあらずだった。けれども、本作の舞台である紋別は全ての意味で代替不可能であり、設定とキャラクターの結びつきの強さという側面から、物語の強度アップに貢献している。ことに中盤、流氷の上での殺人シーンで、状況心理双方が迫真の模写を見せるあたりは、本作の大きな読みどころと言えるだろう。
本作に描かれるヒロインと「おとうさん」との関係性には、反社会的云々以前に「ありえない」という反応を見せる読者も少なくないはずだ。
確かにそこには家族や男女に関する普遍的な要素は微塵も感じられない。この物語はどこまでいっても、作者という神の手によって歪められた、とても特殊で作り物めいたレアケースに他ならない。私はむしろ、だからこそこの物語の中でだけ、二人の関係性が《真実》たり得ていることをこそ評価すべきだと思う。
そんなわけで、もはや一般書作家として確実な地位を築きつつある桜庭。しばらくラノベは書かんみたいな発言をしているやに聞くが、未完のままの『荒野の恋』だけは(社会人の仁義として)キチンと完結させてくれることを切望する。
ていうか、『私の男』ってようするに『荒野の恋』の《作者妄想全開バージョン》なわけで、本人満足した気になっちゃたんじゃないかと心配なのよ。