分裂勘違い君劇場 このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

2006-11-16

実際には、いじめる側のメリットは小さくコストが大きいのだが、その損得勘定ができないからいじめが起こる 10:19 実際には、いじめる側のメリットは小さくコストが大きいのだが、その損得勘定ができないからいじめが起こるを含むブックマーク 実際には、いじめる側のメリットは小さくコストが大きいのだが、その損得勘定ができないからいじめが起こるのブックマークコメント

いじめる側のメリットが大きくコストが少ない限り、いじめ発生は不可避だろうの補足。

実際には、いじめる側は、トータルではすごく損なのだけど、世間知らずな上に頭が悪い子供は、その辺の損得勘定ができないのじゃないかと思います。


たとえば、シロクマさんが挙げるいじめのメリット:

・クラス内において自分達がボス集団であることの誇示

ですが、ボス猿にもいろいろ種類がいると思うんですね。

もちろん、「自分に逆らった者を容赦しない」、というところまでは、ほとんどのボス猿がやると思いますけど、「卑怯な弱い者いじめを繰り返す」というのは、別の話であって、それをやるかどうかは、タイプによって違ってくる。

で、卑怯で陰湿な弱いモノいじめを繰り返すようなタイプのボス猿は、実際には、やっててあまり「おいしく」ないと思うわけですよ。


そもそも、「自分よりも明らかに弱い者に、卑怯で陰湿ないやがらせをして優越感を味わう」という行為が「かっこ悪い」という感覚は、子供たちだって持っている子はけっこういるんじゃないですか?

弱いモノいじめをしない気高いボス猿の方が、子供たちの尊敬を集めるし、格上だし、慕われるんじゃないかと。そういうボス猿の方が、やってて、ずっと気持ちがよく、人生の損得勘定としては、はるかに大きなメリットがある。


子供たちの大好きなマンガでも、アニメでも、映画でも、「弱いモノいじめ」をするキャラは、醜いキャラか、安いキャラであることの方が、多いですよね。

平然と人を殺しまくり、強姦し、悪事をはたらきまくる、アンチヒーローですら、自分より弱い者にせこくて卑怯ないやがらせをして、優越感を味わうというショボイ日常を送ってることはまずありえない。

クシャナがダークな野望へ突き進む姿はカッコイイと思われることもあるかもしれないけど、彼女は、弱い人に、陰湿で卑怯でせこい嫌がらせをして喜ぶようなキャラではない。人の命をなんとも思わないレプカですら、単にダークな野望に忠実なだけであって、弱い者にせこい嫌がらせをして喜んでいるようなレベルの低いヒマ人じゃない。


その辺の美的感覚は、すでに持ってる子供も多いと思うわけですよ。


だから、そういう、せこくて、卑しくて、矮小な、ボス猿は、ちょっと風向きが変わったら、手のひらを返されるリスク要因を増やすわけだから、権力基盤がか脆弱になっちゃう危険性もあると思うんですね。

少なくとも、権力基盤というのは、ボス猿に逆らった者を的確なタイミングで弾圧することで保たれるものであって、単に「陰湿で卑怯な弱い者いじめを繰り返す」というのは、トータルで見ると、それが最上の策とは、とても思えない。頭の悪い戦略ですよ。


だって、いざ、集団が分裂し、戦国時代になったら、そんなかっこ悪くて、ムカツク人の味方なんて、できればしたくないもん。自分の立場が危うくならない限り、ヒーローにつくにしろ、アンチヒーローにつくにしろ、できるだけ、よりカッコイイ、じぶんのあこがれるようなボス猿の方につく子がけっこう出てくるリスクがあるわけで。


だから、その辺の損得勘定のできる、計算高いボス猿は、弱い者いじめなんて、しないわけですよ。


また、シロクマさんが挙げる別のいじめのメリット:

・女の子からの視線

については、損得はもっと明快で、あきらかに弱いモノいじめは損。


子供たちの大好きなアニメの登場人物で、「自分よりも明らかに弱い者にいやがらせをして優越感を味わう」という男性キャラが好きだという女の子は少数派。

しかも、その少数派ですら、その男性キャラが放つ悪魔的な魅力に惹かれているだけだったりして、「自分よりも明らかに弱い者にいやがらせをして優越感を味わう」という行為を繰り返すがために、その男性キャラが好きなわけじゃない。


さらに、たとえ、弱いモノいじめをする人を、女の子が好きになることがあったとしても、それは、ラナがコナンを好きになるような仕方で好きになるわけじゃない。舞城王太郎の阿修羅ガールのヒロインが、クラスメートの金田くんを好きになるような意味で「好き」になるわけじゃない。


弱いモノいじめをするような男の子が女の子から得られる好意というのは、単にそいつが強いからとか、金を持っているから、というような、安くて卑しい打算に基づく空虚な好意であることが多く、最初は良くても、しだいに心が殺伐としてくる。


ようするに、「好き」にも、いろいろあって、安くて健康に悪いジャンクフードのような「好き」もあれば、繊細な香りで体が底から暖かくなるような、そして、最高の高揚、いや、生きる意味すらをももたらしてくれるような「好き」もあるわけで、そんなジャンクフードみたいな安っぽい「好き」のために、いじめを繰り返すなんて、かなーり頭が悪い投資行動なわけですよ。


なにより、娑婆の醜悪な政治ゲームをくぐり抜けてきた、親の目からみても、「自分よりも明らかに弱い者にいやがらせをして優越感を味わう」という行為は、純粋に打算的にみても、「得」な行為にはまず、思えないと思いますよ。


魑魅魍魎の渦巻くリアルなサラリーマン社会においてすら、弱いモノいじめを繰り返しても、幸せにはなれないことは、明らかで、むしろ、最終的には、余計なリスクを抱え込み、自分の立場、ひいては、収入基盤すらあやうくするような、愚策でしかない。


ようするに、弱いモノいじめをすることで、安い快感を味わい続けることは、行動科学でいうところの、オペランド条件付けなわけで、自分自身の脳神経システムをプログラミングしているわけです。せっせと、安くて卑しい人格システムを開発しているわけですよ。


そりゃ、あきらかに、破滅的な行為です。


そんなことよりも、いかに質の高い信頼関係を築き、親交を暖め、友情を結び、いざという時に、自分の味方をしてくれる人を増やすか、そういうスキルを、子供のうちから磨いておく方が、はるかに得でしょう。

そういうスキルを磨き、自分の人格を、より高いレベルで構築していくことは、長い長い時間がかかるものであって、社会に出てからこれをやり始める人と、社会に出る前に、このシステムができあがっている人では、現実的な物事の処理能力において、格段の質の違いが出てしまいます。


で、まとめると、いじめをすると、2つの時空間において、大きな損をするわけです。


一つめは、現在自分が生きている時空間での損。

もう一つは、自分が大人になってから過ごす時空間における損です。


つまり、現在の学校生活自体が、もっと楽しくできるはずなのに、それをつぶしてしまっていることが一つ。

もう一つは、大人になってからの、社会適応能力も下がり、損をすること。


なので、この問題の根源は、子供たちが、安いジャンクフードしか食べたことがないってことです。

それしか食べたことがないから、それしか食べたいと思わないだけなんですよ。

極上の料理を食べたことがないので、それを食べたいと思わないわけです。


そして、世の中にあふれる、多様で豊穣な料理を味わうことなく、コカコーラとポテトチップスの味しか知らないまま死んでいくなんて、グロテスクなほど悲惨な人生なわけで、自分の人生が、そういう腐敗臭を放ちはじめていることを、いじめる側の子供たちが、気づいていないのが問題なんですよ。


だから、だれかが「おまえ、臭いぜ。」って、教えてあげるといいのですが、まあ、陰湿ないじめが続く教室ってのは、たいてい、みなが腐っているので、誰も臭いに気がつかなかったりするわけです。

したがって、教師が悪いとか、親が悪いとか言っていても、問題の解決にはならないわけで、現実には、この辺の問題をふまえた上で、教室という河川に清浄な水が循環するような仕組みを作るなど、システム的、生態学的なアプローチの方が有効なのだと思いますけど。

つまり、もっといろんな形で民間人を学校に入れたり、教室をガラス張りにしたりと。人間のできている民間人の校長とか教師を増やすとか、生徒の両親や、地域住民を、なんらかの形で、学校の生態系と少し混じるような仕掛けを入れるとか。

この問題は、そもそも根治するようなことはありえないのだけれども、少しはましになるかもしれませんよ?