分裂勘違い君劇場 このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

2008-03-02

とくに好きな仕事でなくても、すばらしい幸福感に包まれて仕事をする方法 15:14  とくに好きな仕事でなくても、すばらしい幸福感に包まれて仕事をする方法を含むブックマーク  とくに好きな仕事でなくても、すばらしい幸福感に包まれて仕事をする方法のブックマークコメント


「好きな仕事」をしてるから楽しい?違う違う!


実際には、仕事中、たとえば次のような時に、人は最高の幸福感につつまれるのではないだろうか。

●自分が魂を込めて書き上げた企画書をプレゼンして、人々がそれに感心し、興奮し、感激するのを見るとき。

●自分が魂を込めて作り込んだサービスを、人々が夢中になって使うのを見るとき。

●自分が丁寧に設計し、実装し、デバッグしたシステムの出来に、同僚、上司、顧客が満足し、みんなが尊敬の念のこもった笑顔で接してくれるとき。


要するに、

(1)自分の仕事によって多くの人々が幸せになる様子をリアルに実感すること

(2)人々から感謝され、尊敬されること

の2つがあると、最高に気分良く仕事ができるのだ。


一方で、いくら自分の好きな仕事につけたとしても、

自分の仕事の成果が誰のどんな役に立っているのかがあまり意識されないような仕事では、

あの高揚感、幸せの中に包まれて仕事をする感じがどうしても足りない。


実際、仕事の経験が少ない人ほど、単に好きな仕事をすれば幸福感を味わえるという幻想に捕らわれている傾向にあると思う。

しかし、十数年も仕事をしてみて分かったことは、どうやら「やりがい」というものは、

自分を幸せにすることよりも、他人を幸せにすることで得られるものだということだ。


それも、出来るだけ多くの人を、できるだけ深く幸せにすることで、ますます仕事が楽しくなる。

たとえば、iPodのデザイナーは、たくさんの道行く人々が快適そうにiPODを使っているのを見て、

日々幸せをかみしめているのではないだろうか。


結局の所、人間は遺伝子レベルで社会的動物であり、

どんなに好きなことだけやれても、

自己満足だけでは幸せになれないように作られているのである。


これは、進化論的なプロセスを考えてみれば、ごく自然なことのように思える。

たとえば10万年前、二つの原始人のグループがあったとする。

●グループAは、出来るだけ多くの他の個体を助けて幸せにしてあげることに快感を感じるタイプの個体が集まった集団

●グループBは、他人の幸せよりも、自分が好きを貫くことに快感を感じるタイプの個体が集まった集団

過酷な大自然の中で、このどちらのグループが生存確率が高いかと考えれば、

各個体が互いに助け合って生き延びようとするグループAの方が生き残ることは容易に想像できる。*1


なので、好きな仕事が見つからない人は、

「好きな仕事」をすることにこだわりすぎず、

「できるだけ多くの人々を幸せにする仕事」を探した方が得策

だと思う。


そして、「できるだけ多くの人々を幸せにする仕事」を探すときに注意しなければならないのは、

仕事によって「感謝され度合い(=幸福感)」が大きく異なるということだ。


たとえば、歩道を掃除していても、道行く人々に感謝の言葉をもらったりする。

単純な事務作業でも、丁寧に見やすく工夫してエクセル表にまとめると、

「ありがとう。きれいにまとまっているね。」と感謝される。


もちろん、それはそれでうれしい。だけど、どうしても薄いことが多い。

感謝の言葉どころか、軽く扱われ、見下され

非常に不快な思いをすることすらある。


この、「感謝され度合い」というのは、どうやら次のことによって決まってくるようだ。


(1)自分でパイを作り出したのか?

(2)有り余っているパイを食べたのか?

(3)他人を蹴落として限られたパイを奪ったのか?


たとえば、事務職の求人倍率の全国平均は0.2倍。5人に1人しか雇用されない。

だから、自分が事務の仕事を得るとき、誰かを蹴落として、その人たちの雇用を奪っていることになる。

つまり、(3)の他人からパイを奪い取り、

他人を不幸にすることによって職を確保したことになる。


こういうケースだと、仕事をしていても、会社の人に、

身分の低い使用人

であるかのように扱われるなど、非常に不快な思いをすることが多い。

なぜなら、自分がその仕事をしなくても、どうせ他の誰かがやるような仕事だと思われてしまうからだ。

他にいくらでもある使い捨て部品

だと思われてしまうからだ。


一方で、あなたが会社を作り、多くの人が欲しがる、いままでにない商品やサービスを開発したとする。

そうすると、たくさんの雇用を生み出し、多くの労働者が幸せになる。

さらに、その商品を買って満足したたくさんの消費者も幸せになる。

その商品を配送する運送業者も売り上げが増えて幸せになる。

トータルで、非常に多くの人々を幸せにすることができる。

社会全体で見ても、失業者の数は減り、全体が豊かになったはずだ。

これは、パイの奪い合いをするのではなく、(1)の新しいパイそのものを生み出した状態だ。


もっと正確にいうなら、既に飽和している市場(レッドオーシャン)で他の企業を蹴落として勢力を拡大する企業は、それほど新たな雇用を生み出さない。ゼロサムゲームの要素があるからだ。

真に良質の雇用を創造し、人々を救うのは、今までにないサービスを開発し、いままでにない市場(ブルーオーシャン)を開拓し、日本全体の総雇用自体を増やす企業だ。


こういう新たにパイを作り出す仕事をすると、

自分が成し遂げた仕事によって多くの人々が幸せそうにしている様子を見る機会が多くなる。

人々から直接感謝の言葉をもらうことも多くなる。

だから、毎日を幸福感に包まれて過ごすことが出来る。

だから、はてなの近藤社長は毎日を幸せに過ごすことが出来るのだ。


また、(2)の例を挙げると、たとえば、

高負荷サーバーがしょっちゅうトラブルを起こしてシステムダウンし、

大きな被害を出して困っている会社があったとする。

しかし、優秀なサーバエンジニアがいなくて、とても困っている。


そういう状況で、その会社のサーバエンジニアになり、サーバを構築し直して運用を安定させると、

関係者たちから感謝され、尊敬され、気持ちよく仕事ができる。


このケースでは、人材がいなくて困っているところを助けてあげたのだから、

他人の雇用を奪ったわけではない。

誰も不幸にせず、幸せな人だけを作り出したことになる。



ただ、国全体の経済が縮小している氷河期のような状況では

そもそも(2)有り余っているパイを見つけるのは困難だし、

経済の血液循環も滞っていて、(1)自分でパイを作り出すのも厳しいから、

助かりたければ、(3)雇用という限られたパイを他人から奪いとるしかないことも多いだろう。


受験戦争で誰かを蹴落とさなければ自分の希望大学に入れないのと同じで、

全員分の雇用などないのだから、どのみち誰かが地獄に堕ちるしかないわけだ。


だから、本当に心の美しい人間が他人を蹴落としてまでブランド大学に入ったりしないように、

本当に心の美しい人間は、あえて他人に良質な雇用を譲って、

自分は無職かフリーター、もしくは、ブラック企業にでも行くのだろう。


ただし、さらにもっと心の美しい人間は、

「シンドラーのリスト」のように、少しでも多くの人を救出するため、

吹雪の中で大企業に寄生しながらでも起業のための力を蓄え、

不況が続く中でもなんとかビジネスチャンスを見つけて起業し、大きなパイを作り出し、

人々に雇用を分け与え、何十人、何百人という人を救出するのだろう。


また、他人を傷つけたくないが、自分も傷つきたくない、という人は、

景気の良い別の国へ行って職を得るのだろう。


自分で雇用を作り出して人々を救おうなどという発想が全くなく、

まるで自分に雇用が与えられるのが当然の権利であるかのように考える自己中な人は、

自分のところに雇用が回ってこないと、自分を被害者だと考えて、

吹雪の中で職にありついた人たちを逆恨みするだろう。


そして、ようやくシンドラーたちが作り出した雇用にありつくと、

その雇用を作り出したシンドラーたちに感謝の一言を言うこともなく、

当然の権利のように雇用というパイを貪り食うのだろう。


彼らの頭には、

誰かが雇用を得るためには、誰かがその雇用を作り出さねばならない

という発想は全くないのだ。

だから、その雇用を作り出すために、シンドラーたちがどれほどのリスクを冒し、

どれほど過酷な状況をくぐり抜けたのかなどに思いを馳せることはない。


雇用は天然資源か何かのようなもので、

石油か何かのように涌いて出るのだとでも思っている

のだろうか?

だから、

「おまえらが雇用にありついたから、俺の雇用が無くなったのだ。俺にも分け前をよこせ。

おまえらが分け前をよこさないから、俺は悲惨な目にあった。同情してくれ。同情しないヤツは悪魔だ。」

などと言ってはばからないのだろうか?

雇用が天然資源であるなら、これはゼロサムゲームということになり、確かに彼らの主張はスジが通っている。


彼らは、ここ数百年、世界経済全体が成長を続け、世界の総雇用自体が成長を続けていることを、どう考えているのだろうか?

天然資源が、キノコか何かのように、自動的に自己増殖しているだけだとも思っているのだろうか?


そして、心の汚れた人は、他人の雇用を奪っておきながら、

「私は他人を蹴落としたのではなく、単にサバイブしたのだ」

と言葉をすり替えて誤魔化してしまうのだろう。


しかし、どんな言い訳をしようが、どんな贖罪をしようが、

氷河期の中で他人を蹴落として生き残ったのは、緊急避難でしかない。

海で遭難し、自分がおぼれ死ぬかどうかの瀬戸際の時、

自分が助かるために他人を蹴落としても罪には問われないが、

平時に他人を海に蹴落としたらそれは犯罪なのだ。


いまだに氷河期に身についた習慣が抜けきれず、

他人を蹴落として自分だけ雇用にありつこうとする人がいるが、

そういう人たちは、アメリカの平和な町に帰ってきているのに

まだベトナム戦争のジャングルの中だと勘違いして暴れ回る

ランボーみたいなもので、ひたすら迷惑だ。


現在の日本では、他人の幸せのためにも、自分の幸せのためにも、

次のような基準で仕事を選ぶべきなのだ。


(1)自分でパイ(雇用)を作り出して、パイを人々に分け与える。

(2)パイを作り出せなければ、せめて有り余っているパイを食べる。

(3)どうしても限られたパイを奪うしかなければ、せめて群がる人の少ないパイを食べる。


そして、この(1)や(2)にを行うためには、

マッチョであることが必須条件なのは明らかだ。


プロジェクトが苦境に陥ったとき、

「自分はわるくなかった理由」を10個考え出すことに時間を使ってしまうような弱虫ウィンプに

パイ(雇用)を作り出し、分け与え、他人を救うことなどできやしない。


プロジェクトが苦境に陥ると「その状況から抜け出す具体策」を10個考え出すことを最優先する

タフなマッチョこそが、パイを作りだし、人々に雇用を与え、救い出すことができるのだ。*2


いまからでも遅くない。

これを機に精神の筋トレをはじめ、あなたもムキムキマッチョを目指してみてはどうだろうか?


それは、単に自分自身を幸せにするだけでなく、日本全体、いや、世界全体を豊かにしていく仕事の仕方なのだから。


この50年の統計だけ見ても分かるように、実際そのようにして、世界中の起業家たちが雇用を生み出し、

富を生み出し、何億もの人が貧困ライン以下の生活から救い出されて来たのだから。


もちろん、マッチョになった人全てが良質の雇用を作り出したわけではない。

しかし、良質の雇用を作り出し、人々に分け与えた人は、ほとんどがマッチョだったのだ。

*1:参考:西田利貞著「人間性はどこから来たか」、立花隆著「サル学の現在」

*2:ちなみに、私の場合は、最初からそこまではできず、氷河期のほとんどを(2)有り余っているパイ(=それをできる人材が足りなくて困っている仕事)を食べて過ごした。もちろん、そのとき蓄えた力を使って、その後起業したが。

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