分裂勘違い君劇場 このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

2008-03-05

職場のイジメの被害者を助けてあげようとして、酷い目にあいました 13:04  職場のイジメの被害者を助けてあげようとして、酷い目にあいましたを含むブックマーク  職場のイジメの被害者を助けてあげようとして、酷い目にあいましたのブックマークコメント


私は、いろんな部署の、いろんな職位の人とお昼ご飯を一緒に食べるのが好きで、いろんなお昼ご飯友達がいました。

そんななかで、パワハラやイジメの被害者から相談され、なんとか助けてあげようと、ぼくなりにいろいろやってみたことが何度かあります。


被害者の中には、非常に聡明で、論理的で、好感の持てる方もおり、具体的な証拠もきちんとそろっており、まちがいなくこの人の主張が正しく、加害者は「そうとう陰湿な、性根の腐った、人間のクズのようなやつら」だ、と思えるようなケースもありました。


そこで、さぐりをいれたり言質を取ったりするため、加害者の方をお昼ご飯に誘ってみるわけです。

たぶん、屁理屈や詭弁でごまかすか、あるいは、開き直って

うひゃひゃひゃ。

あいつ、トロくてよ、あいつをイジメると、おもしれえんだ!

なんかムカつくことがあると、難癖をつけて、

あいつを怒鳴り飛ばすことにしてんだ。

ストレス解消、すっげえスカっとするぜ!

みたいなことを言うのかな、と想像しながら話を聞いてみたわけです。


すると、

「あいつよ、理屈はいつもご立派なんだけどさ、

形ばっかり仕事してて、中身が伴わないんだよね。

先日なんかさ、

客がムッときているのに、

空気読めずに「私が正しい」みたいなこと

延々と主張し続けるんだもん、

俺、フォローに必死だったよ。

なのによ、あいつ、打ち合わせが終わった後、

自分の力でこの仕事をやりとげたみたいなこと言うんだぜ。

俺、トサカにきちゃってよ、マジぶちきれたよ。」

というような答えが返って来たりするんです。


まったく同じ事件なのに、加害者の視点から見ると、まるで違った様相が見えてくるのです。


最初のうちは、ぼくは、被害者の訴えが正しく、加害者が詭弁をろうしているだけだろう、とおもって、被害者が事細かに説明して、証拠もある、と主張したことについて、いろいろ根掘り葉掘り追求してみるわけですが、話しているうちに、

被害者が言わなかった、

被害者に不利な事実がどんどん出てくる。

わけですよ。


それと、

まったく同じ事実・真実が、

別の視点から見ると、

ぜんぜん別の意味合いを持って見えてくるんです。


真実は一つしかありませんが、その意味は複数あるんです。


それどころか、

むしろ、加害者は陽気で素直でいいやつで、

実力もあり、理屈よりも実利を優先するリアリストで

被害者よりも加害者の方が好感の持てる人物

のように感じられてきたりすることもありました。


こういうケースを何度か経験して思ったのは、

被害者にしろ、加害者にしろ、その主張がどんなに論理的に正しく、証拠もしっかりそろっていて、

完璧に正しいように見えても、彼らは、

自分に都合のよい証拠と理屈だけを並べる傾向がある、ということです。


とくに、

「いじめる人たちは純度100%の悪の加害者で、自分は純度100%の正義の被害者だ。」

みたいな論調で「辻褄のあった物語」を語る被害者は、

例外なく、あとから被害者に都合の悪い事実がわんさか出てきました。


とくに今回のreponさんのように、

「ぼくは、ボクの後輩たちを守るためにこんな酷い会社に残ったのだ」、

「ぼくは、正義のために戦っているのだ」と、

自分が正義のヒーローだと臆面もなく言う人は、

たいてい要注意でした。


少なくともボクの経験上は、

正義のはずの被害者のいうことを鵜呑みにして、

被害者の主張をそのまま責任者にぶつけて交渉すると、

どんどんボロがでてきて、

擁護しているボクの立場がヤバく

なりました。


そういう痛い目に何度かあっているボクが、reponさんの主張を読むと、

いくつか気になるところがありました。


たとえば、

召還していないのにマッチョマンから応答が届いたので、せっかくだから質問します

わかっていて、彼らはイジメやモラハラ、パワハラを続けたんです。僕は記録に全部残していました。あらゆるつっこみに耐えうるために、秒単位で自分の行動及び職場全体の行動を記録していました。PCを使えば簡単ですよね。そして、何を言われても事実は僕の記録に残っているから、彼らは思いつきではだんだんと言えなくなってきましたよ

とありますけど、


そもそも、

「秒単位で自分の行動及び職場全体の行動を記録」してたら

まず仕事にならない

ですよね。


仕事もろくにやらずに、自分が正しく、相手が間違っていることを証明するために、

「秒単位で自分の行動及び職場全体の行動を記録」

するような人って、どんな感じの人か、想像してみてくださいよ。


repon氏は以下のような点で問題があった可能性があるんです。


「おまえも空気の奴隷になれ」って?「空気読め」の扱い方次第で人生台無し

論理的に正しければ、相手は納得するのか?そうじゃないだろう?感情と利害の構造をうまく調整することによってのみ、人間は納得するのであり、論理的に正しいから納得するというのは、あくまで、感情と利害の調整が終わったあとの話である。完全に優先順位が間違っている。土台を作らずに家を建てようとしているようなものだ。論理は、あくまで、利害と感情の構造を組み立てるための道具でしかないのだ。


「おまえも空気の奴隷になれ」って?「空気読め」の扱い方次第で人生台無し

そして、人間の本質とは、「論理の機械」ではなく、「利害と感情の機械」だと思う。もしすべての人間が、一切の損得を気にかけなくなり、一切の感情をなくしたら、人間のあらゆる行動の理由がなくなる。仕事をする理由も、恋愛をする理由も、人を殺してはいけない理由も、生きる理由すらなくなる。人間世界とは、複雑に絡み合った利害と感情の網の目で形作られたものなのじゃないかと思う。

そこにそのビルが存在し、そういう形になっているのは、それによって得する人間と損する人間とむかつく人間と喜ぶ人間がいるからだ。

あまり高いビルを建てると、景色が悪くなって気分が悪いという人、できるだけ高いビルを建てた方が、儲かるという人、この場所に住みたいという欲求を持つ家族たち、ここに人が引っ越してくれると、客が増えると考えるスーパー、都市計画上、ここにビルがあると都合の良いお役所の人たち。

そういう複雑な利害と感情が織り込まれた結果、それがそうして存在する。都市において人間が目にするほとんどすべての景色は、そうやって形成されたものだ。決して、そこにビルを建てるのが、「論理的に正しい」からではないのだ。人間は、青ざめた正しい論理でできているのではなく、赤く燃え立つダイナミックな喜怒哀楽と損得でできている。

そして、そこにそのビルを建てるのに、もっとも重要な能力は、技術力でも論理的思考能力でもなく、そういう複雑な利害関係と感情関係を調整し、組み立てて、自分のビジョンを現実化する能力だ。


つまり、reponさんが事細かな証拠を記録して、上司やおつぼねさんを「論理的に」やりこめたところで、

それは小学生が相手を言い負かしたようなもの

なんですよ。


たいていの場合、そんなことやっても、ますます関係がこじれるだけですよ。

むしろ、自分が論理的に正しいことを完璧に証明すればするほど、

相手の怒りや憎しみは膨らんでいくケースの方が多い。

正論は相手を傷つけ、怒らせ、憎しみをつのらせるんです。


なぜかというと、

自分が加害者であることを明確に意識している下劣な悪人でも

「基本的には」自分の方が正しいと思っている

ということが多いからなんですよ。


この「基本的には」ってのが、マジックワードなんです。

加害者ってのは、自分が悪いことをしている意識はあるんだけど、

自分の感覚の中ではそれを正当化するものをもっていて、

「それは当然なのだ」と感じていることってけっこう多い。


なので、細かな証拠を集め、相手の悪を証明すればするほど、

関係はこじれ、不毛になっていくことが多い。


こういう場合は、いくつか選択肢があるんだけど、

たいてい一番現実的なのは、以下の引用に示すように、wiseに行動すること。

優秀な人材に変身するキッカケに出会うか、未熟なまま老いていくか

芦屋氏を「攻略」する方法を考えるはずだ。

つまり、これは、顧客の会社の人々だけでなく、芦屋氏も含む、トータルの意思決定メカニズムを操作するゲームなのだ、ということを割り切って、芦屋氏を含む全ての人の利害と感情の構造を調整し、だれもが納得するように、芦屋氏を巧妙に誘導し、顧客も誘導するだろう。

この際、芦屋氏が醜悪な人間であるとか、頭が悪いとか、そういうことは、問題にならない。

変に中途半端に賢かったり、善良だったりするより、強欲で適度におバカな上司の方が、操縦しやすいものだ。

つまり、この場合、芦屋氏など、単にチェスゲームをすすめる上での、コマに過ぎないのだ。


優秀な人材に変身するキッカケに出会うか、未熟なまま老いていくか

なぜ、坂本君は、wiseになれないのかというと、

第一に、誰でも正しいことをするべきだ、ということを主張するだけで、物事を動かせると思っている。

第二に、上司や会社に甘えている。

とくに、この一点めが、intelligentな人たちの、根深い病なのだ。

「誰でも正しいことをすべきだ」ということと、「それを実際にどう実現していくか」ということは、全く別のことなのだ。

世の中で正しいことを実現していくには、世の中が正しいことを前提として行動してはいけないのである。

坂本君は、「芦屋氏が正しい意見に従うのが当然」という前提で動いているが、それは、無菌室でしかできない手術を、雑菌だらけの日常空間でやるようなものだ。

そんな安易な前提の元に行動するようでは、顧客も正しい意見に従うに違いない、という前提で行動してしまうときがやってくるだろう。

そもそも、世の中は、正しいか間違っているかの2分法では動いていない。常に、その中間で、様々な妥協をしながら、結果として、正しい方向にどれだけ近づけることができるか、そういうゲームなのである。

そして、2点目の、安易に上司を味方だと思っているのも、致命的だ。

上司は、自分より賢いとは限らず、正しいとも限らず、それにもかかわらず、自分は上司のオーソライズのない行動はとれない、という現実を直視するところからはじめないと、プロジェクトは上手く動かせない。


要するに、「repon氏はいくらでも相手の利害と感情の構造を操作し、組み立てていく行動がとれたのに、それを取らず、むしろ、周囲の上司やおつぼねさんの方が、はるかに建設的な行動をとっていた」

のにもかかわらず、repon氏だけは少しもそうは思えていなかっただけ、という可能性はなないのか?ということ。

あるいは、もしかしたら、上司やおつぼねさんに話を聞いてみたら、「repon氏が理屈ばかり達者で、えらくピントのずれた、不毛でカンにさわる行動を繰り返していた。」とか「イジメというほどのことをやったつもりはない。」などと言ったりする可能性はないのか?


裁判で検察側の主張を一切聞かず、弁護人の主張だけを聞いて善悪を判断するようなもので、repon氏の自己申告だけを聞いてrepon氏に非があったのかどうかを判断する、っていうのは、そういうことなんですよ。


なので、ぼくは、少なくともrepon氏の自己申告をそのまま鵜呑みにして、ダンコーガイが間違っていてrepon氏が正しい、と考えるのは、いささか幼稚であるように思える。

少なくとも、このケースに限って言えば、そのときのrepon氏の上司やおつぼねさんなどの関係者の言い分も聞かないうちから、誰が善で誰が悪かを判定できると信じているのは、世間を知らないガキだけだ。


加害者と被害者の両方の言い分をじっくり聞いてみると、「空回りしているのはrepon氏の方じゃないの?」と思えてくる可能性も十分にある。

それどころか、もっと恐ろしいことに、被害者と加害者の両方の言い分を聞いてすら、どっちの言い分が正しいのか、よく分からなくなってくるということがよくある。すくなくとも、ボクの時はそうだった。


実際に直面して見りゃわかるけど、こういうのは、裁判より、よっぽど判定が難しいんじゃないかとすら思えてくる。

裁判の場合、明文化された法律の条文があるし、「推定無罪」とか、近代法の基本原則が確立されているので、はるかに判定しやすいんじゃないのか?

ところが、法律に違反しているかどうかを判定するのではなく、「道徳的な善悪」や「正義はどちらにあるのか?」「道徳的にだれが悪かったのか?」という話になると、明文化されておらず、しかも、統一もされていない価値観のぶつかり合いが生じる。


とくに、ボクが今までに接したケースだと

例外なく、被害者は経営者視点がヌルかった。


「会社の経営がどうなろうか知ったことか!経営は経営者の責任だ!そんなものよりオレの正義が大切だ。」という人と、「会社の経営をよくするためにみんなで頑張ろう」という人では、そりゃ、世界の見え方が違いますよ。



つまり、判定するには、自己申告者の感情的なバイアスが大きく、情報が不完全で、しかも、判定基準が不統一、かつ、不明確、という壁にぶつかりまくって、結局、客観的な判定ができない場合もあるんだ。



それから、重要なことなのであえてはっきりと念を押しておくと、

とくに注意しなきゃならないのは、

だから「repon氏に非がある」とか、

「repon氏の自己責任だ」ということには絶対ならない

ということ。


http://d.hatena.ne.jp/demidemi/20080304/p1

で、パンピーが困ってる時にマッチョに助けを求めるとどーなるかというと『マッチョマンに尋ねればマッチョな答えしか返ってこない』ので『マジ死ねるアドバイスが降ってくるだけだ』なのだ、というのが主旨だと思う。

いやー、ゲラゲラ笑った。その後、色々と納得したけど。


具体的に言うと、地上400メートルの高層ビルで火事に巻き込まれて死にかけたパンピーが「どうすれば良いの? マッチョマン!」などと助けを叫ぶと、マッチョマンはニヤリと歯を光らせて「燃え盛る炎の壁を突き抜けて、最上階にいる美女を助けて窓を破って脱出しろ! 放水ホースは命綱の代わりに使えるぜ!」みたいな回答が返ってくると思えば良い(笑)

パンピーな人は実際に実行してみて死亡するか、あるいは「マッチョな行動が出来ないのは自分が悪いのか」と自己嫌悪したりする。

それらは根本的に間違ってて、「出来るか! ぼけ!!」と叫ぶのが正しい(笑)

その後で、自分の出来る範囲でマッチョの真似をするか、まずはヘロヘロな自分が死なないように避難したりするべきなのだよ。


ようするに、「reponさんが置かれた状況では、いくらでも切り抜ける方法があった」

という言説で注意しなきゃならないのは、「主語」が空欄になっているということなんです。


その主語のところに、頭の切れるタフガイを当てはめれば、この命題は真になるかしらんが、

当時のreponさんをあてはめれば、偽になるかもしれない。


そして、ここでいつも「本人の日頃の努力次第でなんとかなったんじゃないの?」

という主張がなされて、被害者の自己責任が無限に追求されるわけだけど、それにも釘を刺しておく。


たしかに、repon氏が置かれたような状況でさえ、上司やおつぼねさんを「攻略」できちゃうような人ってのけっこういると思う。*1


でも、それって努力したからなれるかどうか、疑問を感じるときがあるんですよね。


そもそも、なんでもかんでも努力と工夫でなんとかなる、と言い出したら、おそらく、高層ビル火災で美女を助け出すマッチョマン以外は、ほぼ全員被害者が悪いことになっちゃいます。


こういう状況をすんなり切り抜ける人って、

ぼくの友達には多いというか、

ぼくとつきあいの深い友人はたいていそんな感じの人なわけなんだけど(笑)、

文字通りの意味で「生物学的」に異なってる可能性があるなー、とよく思います。


近年の脳研究からますます明らかになってきたように、脳のケミカルなシステムは個人個人でずいぶん違う。

脳の神経伝達物質とか、レセプターとかのあるシナプス結合のあたりの分子構造とか、もうそういうレベルで違う。

脳や感覚器の物理的なレベルで、知能が違うし、ストレス耐性が違うし、感受性も違うし、空気読む力も違う可能性があるんじゃないかと思う。*2


だから、努力や本人の自由選択でそうなったのだから、それはrepon氏の責任だ。

というのは、間違っている気がします。

「reponさんの自己責任だから、これはreponさんが悪かったのだ」ということを主張するために、

このような、自己啓発的ストーリーを語るのは、明らかに間違っている。


じゃあ、ダンコーガイは、repon氏に対して間違った記事を書いたのか?というと、それも疑問。


だって、ダンコーガイのあの記事を読んで、参考になった人はたくさんいるもの。

明らかに、意味のある、有意義な記事なんだ。


だから、問題はその記事の使い方なんだ。

読者が、自己啓発記事として、自分の人生のこやしにするぶんには役に立つし、

repon氏にしてみたところで、感情的なわだかまりを捨てて、

「へー、マッチョはこう考えるんだな。

少なくともあのときのおれにゃできなかったけどな。

でも、今後の参考になることもあるかもな。」

ぐらいに読んでおけば、さして問題はない。


ただ、今回の件で、ぼくとして気に入らなかったことを言わせてもらうと、

こういう風に、現実にはほとんど証明も反証もできないことについて、

「repon氏の年収分を賭けてもいい」というのは、なんか違和感を感じた。


証明も反証もできないことに賭けてもいい?

そんなの、誰だって気軽に言える。

つまり、何かを賭けているフリをして、その実なにも賭けていない。

ジョークとして言う分にはありかもしれないが、あれはジョークというより、単なる言い過ぎだ。

だから、そこのところが、いやな感じがした。*3


あと、一方的に自分が悪くなかった事実ばかりあげつらうどころか、

まるで自分が後輩を救うという正義のために会社に残った、というrepon氏もどうかと思った。

repon氏の記事を読んで、

「とにかく自分を正義化できそうな理屈なら、なんでもお構いなしにいれてやれ」

という印象をうけた。冷静さが感じられない。その冷静さの欠落が、記事の説得力を大幅に落としてしまっている。

客観性を期すために自分に不利な事実も入れておこう、という公平な姿勢は少しも見られないんだ。

上司やおつぼねさんや会社の経営者の言い分・正義についての考察が弱い。

それをひしひしと感じる。

ボクの経験上、そういう文脈で自分の正義属性を語り出す人間の主張は、たいてい聞くに堪えない。


もちろん、これは単にブログというメディアの限界でもある。

repon氏のあの記事は、はっきり言って極論だ。

極論というのは、全体のバランスなんか無視して、一つの視点からだけ論をガンガン尖らせて主張するということだ。


そして、極論というのは、主張が明確で、とても読みやすい。短時間に一気に頭に入ってくる。

だから、極論はブログというメディアととても相性がよい。

バランスのよい議論は、平板な印象があって、読みにくいのだ。ブログ向きではない。


repon氏としては、せっかくだから、自分の考えを多くの人に聞いてもらいたかったのだろう。

だから、形式として極論を選択した、というのは、十分ありうると言える。




というわけで、たぶん、いろいろひっかかるところはあるものの、

現実問題として、この件は明確に白黒つけられるようなものではない。

これだけでは、どっちもどっちとか、ケンカ両成敗とか、私は中立とか、

そういうことすら言えない、ということ。


少なくともボクには、情報が足りなさすぎて、一番根本のところでは、

だれがどのように正しいとか間違っているとか、これだけではとても結論は出せない。


はてな村のみなさんのご意見を参考に、

ぼくなりにいろいろ考えてみたいと思う。

*1:正確なことは、その状況に出くわして見なきゃ分からないから、だだの推測だけど

*2:主に、動物実験の結果等から類推できる、という程度の話。人間ではなかなか確認が難しい。

*3:その上、「私の年収」と言わずに「君の年収」と言うあたり、彼ならリアルに普通に、さしたる痛みもなく払える金額なのが、保険かけてる感じだよなぁ、と。