分裂勘違い君劇場 このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

2008-11-18

ネットに時間を使いすぎると人生が破壊される。人生を根底から豊かで納得のいくものにしてくれる良書25冊を紹介  ネットに時間を使いすぎると人生が破壊される。人生を根底から豊かで納得のいくものにしてくれる良書25冊を紹介を含むブックマーク  ネットに時間を使いすぎると人生が破壊される。人生を根底から豊かで納得のいくものにしてくれる良書25冊を紹介のブックマークコメント


ネットに割り当てる時間配分を間違えなければ、ネットは人生を豊かにし、自分の未来を切り開く力をくれます。

しかし、ネットに多くの時間を使いすぎると、人生を根幹から豊かで納得のいくものにしてくれる良書を読む時間を失い、自らの人生を破壊し、未熟なまま老いてしまう危険があります。


「優れた書籍」と「はてなの人気エントリに上がるような記事」との落差は、ギアナ高地の断崖絶壁どころではありません。


もちろん、分裂勘違い君劇場のような、薄っぺらくて、矛盾だらけで、勘違いしまくってて、長いだけでろくに内容のない記事ばかり掲載するうんこブログは、優れた書籍とは、比較すること自体がもはや犯罪です。


しかし、分裂勘違い君劇場より1000倍優れている梅田望夫氏や小飼弾氏の本やブログといえども、図書館や書店に並ぶ良書の前には、やはり、ゴミより幾分マシだという程度の価値しかないのです。

優れた書籍のレベルとは、それほどのものなのです。


たとえば、これから到来しつつある「大変化の時代」に対する洞察については、梅田氏や小飼氏の洞察のレベルは、トフラーやドラッカーの足元にも及びません。いや、足の裏の皮にすら達しないかもしれません。それらを真剣に吟味・咀嚼しながら読みおわると、梅田さんの本を読んで、「Webは世界を変える!新しい時代が来る!僕たちの時代だ!」などと興奮していた頃が懐かしくなるかもしれません。


豊かな生き方、人生の切り開き方についても、梅田氏や小飼氏の見識は、マズロー*1やデールカーネギーの見識に比べれば、やはり比較になりません。人間に対する洞察、人生の意味と価値についての洞察については、ニーチェの放つ凄まじい思考の圧力に比べると、圧力計の誤差の範囲内です。

人間性の心理学―モチベーションとパーソナリティ

人間性の心理学―モチベーションとパーソナリティ

道徳の系譜 (岩波文庫)

道徳の系譜 (岩波文庫)

それらを読むと、梅田氏の本やブログを読んで、「ぼくたちは人生は自分の力で切り開ける!好きなことをやって生きていけるんだ!」と無邪気に思っていた頃を遠い目をして思い出すかも知れません。*2


もちろん、梅田氏の著作は、読む価値がある優れた書籍です。ただ、彼の最初の著作であるWeb進化論をせいぜい2〜4時間程度かけて読めば、それで十分でしょう。それ以上の時間をかける価値はありません。トフラー、ドラッカー、マズロー、デール・カーネギー、ニーチェを自分の血肉になるまで咀嚼した後なら、そのことが理屈抜きに分かるようになると思います。

ツァラトゥストラ (中公文庫)

ツァラトゥストラ (中公文庫)

善悪の彼岸 (岩波文庫)

善悪の彼岸 (岩波文庫)


また、社会、経済、カネ、格差について語る小飼氏の記事や書籍を読む時間があれば、まずはマンキューの教科書を血肉になるまで咀嚼し、クルーグマンの一般向け書籍、トフラー、ドラッカー、ニーチェを読みまくった方が、はるかに良いと思います。そのあと、日本経済について知るための、さまざまな日本の経済学者の書いた本を読んで、日本経済についての見識を深めていくのが良いと思います。あらゆる権力を徹底的に批判し尽くしたニーチェを精読・咀嚼せずにに格差を語れば、話が表層的になってしまうのも不思議はありません。彼は、強者と弱者、正義と真理、善と悪に潜む背後の汚物をとことんまでえぐり出し、解体しつくし、それを乗り越えて価値を創造しようとしたのです。そのプロセスを踏まずに格差を語るから、話が浅はかになるのです。

グローバル経済を動かす愚かな人々

グローバル経済を動かす愚かな人々


また、社会や経済についての小飼氏の議論は、概念や言葉の定義が現代経済学の専門用語との互換性がないために、まったく発展性がありません。たとえば、彼の使う「インフレ」という言葉の定義は、経済学者のそれとは違います。彼の定義する、おカネの価値も、経済学者のそれとは違います。だから、彼が経済学者と議論しても、ろくに話がかみ合いません。小飼弾氏のブログや本をいくら読んでも、経済の専門概念や用語を使って書かれた、見識の深い経済学者達の本を読めるようにはなりません。

それに比べると、マンキューの教科書はすばらしく発展性があります。そこで語られている概念や用語は、世界中の優れた経済学者たちの展開する議論と共通のものですから、マンキュー経済学を読むことで、世界中の優れた経済学関連の書籍を読むための堅牢な土台が構築され、あとは読めば読むほど見識が深まっていくのです。


また、トフラーやクルーグマンが行う経済学批判が極めて本質的なものであるのに対し、小飼氏の行う経済学批判は、そのほとんどが、すでに過去にさまざまな経済学者によって行われてきた陳腐なものか、単なる経済学の無理解と偏見の産物か、的外れの批判のいずれかであり、とくに見るべきところはありません。

経済学の効用、限界、問題点については、小飼氏よりも、経済学者たちの方が、はるかに深く理解しています。

富の未来 上巻

富の未来 上巻

富の未来 下巻

富の未来 下巻


それに加えて、小飼弾氏はあれほどの本を読みながら、哲学というものをまるで理解していません。

http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/50671754.html

なぜ哲人たちが、死に恐怖しつつも死に挑戦しないか、私にもわかる。少なくともわかるような気がする。

<略>

哲人は他者の生を押しのけてまで得る「不死」を、「非モテ」は他者の愛を押しのけてまで得る「モテ」をそれぞれ嫌悪しているというわけだ。私はそれをHumility、謙虚と呼んでいる。立派な見識であるとも思う。

こういう意味での「謙虚」であらねばならない、ということを前提とするなど、哲学者としてはありえないことです。謙虚であることを好むために、謙虚な結論を出すように論理を展開するとしたら、そんなものは哲学でも何でもありません。哲学というのは、徹底的に容赦のない思考です。あらゆることに対して容赦がないのです。自分に対しても、他人に対しても、悪に対しても、善に対しても、強者に対しても、弱者に対しても、希望に対しても、絶望に対しても、幸福に対しても、不幸に対しても、人間の最高価値に対してすら、容赦なく徹底的に分析・追求するのです。哲学自身ですら、その追究の対象から逃れる特権的地位にはいられないほど容赦がない思考なのです。

哲学とは、道徳的とか、謙虚とか、役に立つかとか、そういう一切の制約の外側で、ゼロリセットで思考することです。倫理にも実用性にもしばられず、一切のタブーを設けず、「ほんとうのところはどうなのか?」を徹底的に突き詰めるのが、哲学的思考なのです。哲学者は、人間の倫理や常識を超越して思考するから、哲学者なのです。結果的に謙虚な行動という結論が出たとしても、あくまでそれは突き詰めた結果たまたまそこにたどり着いた結果に過ぎず、哲学者が道徳的に気高いためにその結論に達したわけではないのです。


これは、哲学の基本中の基本で、これらの徹底した思考よって生み出されてきた多くの成果が、われわれの社会の根幹を支え、形作っています。それは、あらゆる学問、文化、社会制度を根本のところで支えているのです。彼は何千冊もの本を読みながら、そのいちばん肝心なところを理解していないのです。そういう人が、人間と社会についての洞察や見識をいくらブログ記事や書籍に書こうが、それがなかなか深い物になりにくいのは、当然のことでしょう。彼の本やブログより、優先して読むべき書籍があるのは、当然のことなのです。


それから、小飼弾氏の本の読み方は、単に本を精読・咀嚼しない、というだけでなく、自分を破壊しない、出血しない読み方なのではないかと想像します。だから、小飼氏は、いくら本を読んでも、小飼氏のままなのではないでしょうか。ひたすら知識が増え、視野が広がるだけの読み方です。ひたすら、土台の構造はそのまま直線的に進歩発展していくだけの読み方です。本の内容が自分の内臓に突き刺さり、大出血を起こしながら、死闘を行うような読み方をしないのです。土台からぶっ壊され、建物の根本構造が変形してしまうような読み方をしないのです。だから、多くの場合、本は、小飼氏の精神世界をすっと通り過ぎ、いくつかのインスピレーションをもたらすだけのものに過ぎなくなってしまうのではないでしょうか。

それが、何千冊本を読んでも、小飼氏の人間と社会の理解がこのようなものである理由なのではないかと想像します。



それから、マズローを知らない方々のために、マズローの簡単な紹介を。

マズローが目指したのは「第三の心理学」です。マズロー以前に心理学は2つありました。精神病の人を研究する心理学と、客観的データを統計処理して平均的な人間の行動の法則性を解き明かそうとする、行動科学的な心理学です。

すなわち、病人の心理学と、平均的な人間の心理学ががあったわけです。

しかし、陸上競技において、速く走る方法を知りたいなら、病人を研究するでしょうか?平均的な人間を研究するでしょうか?

そうではないでしょう。オリンピック選手の走り方を研究するべきなのではないでしょうか。

すなわち、マズローの行ったのは、最高に健康な精神の研究です。人間性の最高の高みの研究なのです。

人間の中に眠る、最高の可能性を限界まで引き出し、花開かせる研究なのです。

マズローの心理学

マズローの心理学

完全なる経営

完全なる経営



もちろん、トフラー、ドラッカー、マズロー、デール・カーネギー、ニーチェ、クルーグマン、マンキューだけではまるで十分ではありません。それらは、入り口に過ぎないのです。たとえば、科学とニセ科学についてなにかの記事を書く前に、大森荘蔵は読んでおいた方がいいと思います。


また、これらの多くは、それほど難解な本でもありません。デール・カーネギーはずいぶん昔から世界中で愛読されている自己啓発本の定番ですし、マンキューの経済学の教科書は、高校を出たばかりの少々出来の悪い文系の大学生でも十分に読めるでしょう。トフラー、ドラッカー、マズローも、とくに専門知識無く読むことができます。クルーグマンの一般向け書籍も、楽に読めます。

人を動かす 新装版

人を動かす 新装版

道は開ける 新装版

道は開ける 新装版


もちろん、もっとずっと軽い本でも、アルファブロガーの記事や本なんぞより、はるかに良質な本がたくさんあります。


たとえば、いきなりニーチェを読む気力が湧かないなら、竹田氏や永井氏のニーチェ解説本から読み始めてもいいと思います。ニーチェの原文の翻訳を直接読んでもそれなりに分かりやすいし、やっぱり訳本を直接読んだ方が、解説本では得られない深い味わいを得られます。というか、解説本は、ニーチェそのものではなく、竹田氏のニーチェ解釈、永井氏のニーチェ解釈であって、ニーチェそのものとは別物として読んだ方がいいと思いますが。

もちろん、ニーチェばかりにこだわると偏ってしまうので、さまざまな哲学エッセーを読むことで、より深く自分の人生に納得し、人間と社会の奥深さを、日々豊かに味わうことができるようになります。

ニーチェ入門 (ちくま新書)

ニーチェ入門 (ちくま新書)

これがニーチェだ (講談社現代新書)

これがニーチェだ (講談社現代新書)


ポジティブで建設的で健康な考え方が好きな人なら、竹田氏や西氏の書いた哲学エッセーが向いているかもしれません。

ポジティブな考え方には反吐が出る、徹底した絶望を逃げずに直視したいという人なら、中島義道氏がいいでしょう。

建設的だの役に立つという考え方などクソ食らえという人は、永井均氏の本が肌に合いそうです。


自分が存在するとはどういうことか?生きているということはどういうことか?死ぬとはどういうことか?自分とはなんなのか?世界とはなんなのか?その答えを自分はすでに知っているという思いこんでいる人には、永井均氏の転校生とブラックジャックは、いったい何を問題としているのかピンとこないと思います。しかし、そうでない残りの人たちにとっては、この本は、生と死と世界の意味についての高密度な思考を楽しめるかもしれません。


主観は客観をいかにして認識できるか、という問題に結論がついている、主観は客観を認識できないのだ、と思いこんでいる人は、大森荘蔵を読めば、主観-客観という問題設定そのものが、思考の錯覚だったと気がつき、世界が違って見えるようになるかもしれません。

知の構築とその呪縛 (ちくま学芸文庫)

知の構築とその呪縛 (ちくま学芸文庫)


幸せを求めて一生懸命な人たちの自己欺瞞にうんざりしている人なら、中島義道氏の「不幸論」はうってつけです。自分は不幸なのだから、不幸な自分をごまかして幸せになったと思いこむより、血の出るほど不幸を直視して生きる方が、はるかに豊かな人生を味わえるという可能性に気がつくかもしれません。

不幸論 (PHP新書)

不幸論 (PHP新書)


また、哲学エッセーばかり読んでいても、人生が貧しくなります。

優れた文学やノンフィクションは、理屈っぽい哲学を、軽々と超越する何かがあります。

哲学は人間の精神の骨格を作り上げますが、文学やノンフィクションは、その人間の精神の骨格を、脈動する血肉で満たします。

いや、それ以上の何かです。


たとえば、トリイ・ヘイデンはすばらしいです。

精神障害児や知恵遅れの子供たちを教える特殊学級で教える教師の体験記(実話)ですが、著者の天賦の文才も加味して、全精神を乗っ取られるほど話に引き込まれます。障害児の世界からは、通常の人間世界以上に人間の本質が伝わってきます。

とくに「よその子」は、魂を引き裂かれるほど感情移入しました。涙が止まりませんでした。読後、しばらく茫然自失しました。


ジャックロンドンの「どん底の人々」は、1902年のロンドンの貧民街の潜入レポートです。

野放しの資本主義がどれほどすさまじい暴力装置、いや、屠殺装置となるのかが生々しく伝わってきます。

100年以上前のルポルタージュなのに、つい最近のことのように、筆者の行動を追体験できます。

どん底の人びと―ロンドン1902 (岩波文庫)

どん底の人びと―ロンドン1902 (岩波文庫)


それと、祖母・母・娘と三代が、中国の近現代の激動の歴史を生き抜いた自叙伝として

生き生きとした描写が面白く、歴史のうねりを感じさせるのが「ワイルド・スワン」ですね。

ワイルド・スワン(上)

ワイルド・スワン(上)

ワイルド・スワン(下)

ワイルド・スワン(下)


たとえば、我々は、仕事でも、生活でも、ネットでも、誰がどう悪くて、何がどうして正しいのか、対立したり批判したり同意したりすることがありますが、この善悪の価値判断基準はどこから来たものなのでしょうか?何が正義で、何が悪であるかを究極的に決めているものの正体は、なんなのでしょう?

これについて、善悪の価値判断基準は、全て文化の産物に過ぎない、と主張する人もいますが、進化人類学の本をいろいろ読んでいくと、それが浅はかなものの見方であることがだんだん分かってきます。

正義も悪も、多分に進化論的プロセスの産物であるところがあり、我々の本能レベルに組み込まれている情動や感覚と切り離して考えることはできません。我々の道徳観念は、数百万年に及ぶ進化の過程で獲得されてきた形質が核となっている部分が、想像以上に大きいのです。そして、類人猿や狩猟採取民族の行動、文化、社会を観察・分析し、進化の産物としての人間性、倫理、文化、人間関係、社会を研究する学問が、進化人類学です。

その進化人類学の入門としては、立花隆氏の「サル学の現在」や、フランス・ドゥ・ヴァール氏の著作が優れています。

サル学の現在 (上) (文春文庫)

サル学の現在 (上) (文春文庫)


きりがないので、この辺でやめておきますが、ここで紹介したのは、読む価値のある本の、ほんの一部に過ぎません。

言いたいのは、ネットに時間を使いすぎると、それらの価値ある本を読む時間を失う、ということです。



アルファブロガーというのは、証券化バブルにそっくりなところがあります。アルファブロガーバブルです。

証券化バブルは、証券化された金融商品を人々がその金融商品の実体的な価値をしっかり吟味せずに値段をつけ、転売を繰り返したために、実体経済と大きく乖離した値段が付けられ、バブルとなって崩壊しました。

アルファブロガーバブルはこれに似ている側面があります。アルファブロガーの見識のレベルを人々が十分に吟味しないままそこに群がるから、アルファブロガーバブルが起きてしまうのです。*3


バブルが終わってみれば、アルファブロガーは、普通の人とさほど変わらないことがわかると思います。

彼らはダメ人間ではないですが、超人でもありません。

彼らは善人でもなければ、悪人でもありません。

ただただ、普通の人なんです。


そうして、「普通の人」として、彼らを見てみれば、彼らはなかなか良くやっているということが分かります。

「普通の人」としては、じつにすばらしい記事を書くし、すばらしい本を書く。

すばらしい「普通の人」なんです。

アルファブロガーバブルが起きず、人々のネットと読書とリアルな仕事と生活の時間配分さえ適切になるのなら、

彼らはネットを豊かにしてくれる、ネットには欠かせない存在なのです。


もちろん、分裂勘違い君劇場というブログは、一貫性がなく、勘違いしたことばかり書いている、

アルファブロガーの1000分の1の価値もないうんこブログですから、

そんなブログに何を書かれようが、彼らは歯牙にもかけないでしょうが。


ともあれ、ネットに時間を使いすぎていると思われる方は、

この際、ネットの時間を減らし、良書を読む時間を増やしてみてはいかがでしょうか。


おそらくその方が、ネットの記事も今までの何倍も深く楽しく読めるようになり、

世界が全く変わって見えることと思います。

人生も、はるかに深く豊かで心から納得のいくものになっていくかもしれません。


あと注意点ですが、私は、上記に挙げた書籍の内容が正しいとも思っていませんし、賛同もしません。また、正しいと思ったり、賛同したりすることもお勧めしません。あくまで、人生の刺激や肥やしとして利用価値がある、という話です。たとえば、以下のような問題点があります。

・初心者にはニーチェは有害だ(ニーチェは、過激な煽り、挑発、レトリックが満載で、誤読を招きやすい)。

・マズローは疑似科学だ(科学理論としてはインチキだ)。

・竹田氏のは哲学ではない(哲学としてはインチキだ)。

・永井均のニーチェ理解は浅薄だ。

・中島義道氏は、死と絶望に対する感受性が強すぎて、普通の人がついて行けない。

・立花隆氏の科学本は、いいかげんな記述が良く出てくる(彼のインターネット関連の本は本当に酷い)。

・デールカーネギーは、よくある自己啓発本の元祖で、まともな教養の本じゃない。

・経済学は実際の仕事や生活にはほとんど役に立たない。


しかしながら、これらの本は読み方次第です。

マズローの本は、科学ではなく、単に「よりよい生き方をする人間」に対する示唆を与えてくれる本だと考えれば、すばらしい人生の肥やしになります。ケインズの「一般理論」が誤謬と矛盾に満ちていても、そこに多くの示唆的なアイデアやものの見方がちりばめられているのと似ています。そこに書かれている理論の正しさが重要なのではなく、そこにちりばめられている人間に対する洞察が、さまざまなインスピレーションを与えてくれるのが重要なのです。

また、竹田氏の本は、哲学ではなく、哲学風味の人生に対する考察だと考えれば、やはり分かりやすくて良い本です。

立花隆氏の科学理解は、本職の科学者に比べると浅いですが、そのぶんはるかに分かりやすく、入門書としては優れています。

永井均氏が浅薄かどうかは、その人の好みによります。

デールカーネギーは、よくある自己啓発本ですが、自己啓発本の中では、かなりすばらしい部類に属すると思います。

経済学は、仕事や生活の役には立たないですが、それによって世の中をより深く味わうことができるようになります。


というわけで、これらの点には、十分に注意して読まれますよう。


ちなみに、これらの本のリストは、あくまで「梅田氏や小飼氏の本やブログを読む」ということに対する「対案」として挙げた一般向け・入門書的リストなので、単純にお勧め図書を挙げるとしたら、また別のリストが出来上がります。また、僕自身の愛読書リストも、これらとは別になります。

*1:マズローは心理学の本としてではなく、人間性についての深い思索の本として読むのが良いと思います。科学というより、思想書。

*2:もちろん、マズローにしろ、トフラーにしろ、ニーチェにしろ、陳腐・トンデモ・危険な部分もたくさんありますし、鵜呑みにすると、むしろ有害にすらなりえます。自分なりのやり方で慎重に咀嚼・吟味してゆく必要があります。

*3:もちろん、このアナロジーが当てはまらない側面もある。証券化バブルは、転売によって値がつり上がっていくことでおきたが、アルファブロガーバブルは、転売ではなく、多くの人がブックマークするので、それが人気エントリに上がり、それによってさらに多くの人がブックマークするという雪だるま効果などによって起きた。

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