エミリー・ウングワレー展(やっと完結です)

さて、やっと続きです。ずいぶんと時間が空いてしまって、何を書こうとしていたのかをやっと思い出しました。間をあけてしまうとダメですね(^^)ゝ。

エミリーの作品ですが、前回のブログにアップしたような点描以外にも、別の手法も持っています。ヤムイモをモチーフにした作品では、黒地に白で芋のツルをモチーフにした模様を描いているのですが、その色使いの明快さ、コントラストの高さ、醸し出している明るい雰囲気から、私はマリメッコのテキスタイルのようだなあと感じました。小さなキャンパスに何個も同じヤムイモの絵を描き、その絵が固めて並べて展示されていたのですが、それぞれのキャンパスの切れ目で芋のツルのモチーフがズレていて、その様子も本当にモダンに感じられました。

展示内にはアボリジニの伝統工芸品の展示もなされていて、ディジェリドゥや、アボジリジニの作った動物の模型も展示されていました。施されている塗装の手法が、エミリーの用いている点描や明快な色使いの特徴的です。彼女は部族のメンバーにボディペインティングをする職業なのですが、そこから、エミリーの絵画が彼女が担ってきたアボリジニの伝統的なボディペインティングの延長であることがわかります。そういえば私は昔プレゼントでディジェリドゥーをもらったことがあったのですが、そこに描いてあった絵の書き方も似ていたなあと思い出しました。

伝統を受け継いで絵を描いたという点では、ムパタのことも連想しました。ムパタには、ソトコト編集長の小黒さんがNYに連れて行くことでブレイクしたという逸話が残っていますが、プリミティブな表現が現代文明に見いだされてアートになる、というところが似ていますね。

S.G.Mpata―Urban primitivism

S.G.Mpata―Urban primitivism

エミリーの作品名は、その多くが「アルハルクラ」という彼女の故郷の名前になっていました。「アルハルクラ」という響きがすごく素敵で、その日1日頭のなかで繰り返していました。今回の展示では最後の方に、晩年の作品がまとめられていて、そこでの作風はもう点描ではなく、モチーフも出現していない色彩のみの作品でした。

一貫して絵のモチーフとして、愛する故郷を描き続けたという故郷への根源的な信頼や愛、故郷の「アルハルクラ」という柔らかい響き、最晩年(亡くなる2週間前です!)の作品の、何も描かれていないのに、なにかわくわくした雰囲気の伝わってくる感じ(なにか「春の日の夕暮れ」のような雰囲気だなあ、と感じました。)などに私はもうすっかり「やられて」しまいました。その日1日、すごくほくほくとした気持ちになっていたのを思い出します。実際にはその日にはあまり時間が無く、モディリアーニ展→エミリー展→森美術館ターナー展と巡り、そのあと仕事というちょっと慌てた日だったのですが、気分はなにか優しい気分ですごすことができました。(もっともターナー展でダミアン・ハーストの「親と子 分断されて」の親、そして子の「それぞれの間」に入っていたときは、また別のなんとも言い難い気持ちになっていましたが…。)

J-waveでこの方のことを知りました。日本人でこんな方がいらっしゃるんですね。
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