著者に会いたい 野口武彦氏

●今日の朝日新聞の読書欄「著者に会いたい」は野口武彦氏であった。野口先生の近著『慶喜のカリスマ』は3年ぶりであるとのこと。髄膜炎脳梗塞脳出血と、3つの大病に立て続けに見舞われ、ようやく右手の指1本でパソコンを打てるように回復され、半年がかりで書き下ろされたという。闘病生活を支えられた奥様は、「回復の狼煙」と喜ばれているとある。
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野口 武彦(のぐち たけひこ、1937年6月28日 - )は、東京出身の文芸評論家、国文学者、神戸大学名誉教授。
経歴 [編集]1956年東京都立戸山高等学校を経て、1962年早稲田大学第一文学部を卒業。早大時代は全国学自治会連絡会議(全自連)のリーダーであった[1]。その後東京大学文学部卒業、東大大学院博士課程中退。神戸大学文学部助教授、教授、2002年定年退官、名誉教授。ハーバード大学客員研究員、プリンストン大学客員教授を務める。1973年、『谷崎潤一郎論』で亀井勝一郎賞、1980年、『江戸の歴史家』でサントリー学芸賞、1986年、『「源氏物語」を江戸から読む』で芸術選奨文部大臣賞、1992年、『江戸の兵学思想』で和辻哲郎文化賞、2003年、『幕末気分』で読売文学賞受賞。
                 【ウィキペディア】より抜粋
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●私は、先生が神戸大学時代に発表された論文、著書を拝読し、多くの事を教えられていた。いわゆる国文学者としての域を超えた批評眼の持ち主として敬服していたのである。その後、私は専攻の道を反れて、江戸後期の旗本の主婦の日記に取り組み、全3冊を出版した。昭和56年のことである。しかし、当初、どなたも日記文学としては認めてはくれなかった。これは、後で知ったことであるが、そのような状況の中で、野口先生は、この『井関隆子日記』を刊行と同時に読んでいて下さり、これを女性の日記文学として評価して下さっていたのである(「一葉日記の雅文体と散文――女流日記文学復権――」『国文学』昭和59年10月号)。その時は、文学がわかる人に出合えた、と本当に嬉しかった。
●大変な御病気にかかられ、ようやく回復され、しかも、パソコンに向かって、御自分の見識を発信される先生に畏敬の念を覚える。野口先生、くれぐれも御無理をなさらず、執筆をお続け下さい。
■著者に会いたい 野口武彦氏 5月19日