すべての発言に公共性や議論を求めると窮屈になっていかないか?

をみて。

元々の梅田氏の発言は自分の思ったことを呟いただけのものだ。梅田氏が「理解不明だ」と思ったことは間違いのない事実である。梅田氏のエントリは思ったことをそのまま書いたものであり、他の人にどうにかしろと言ってはいない。
どうにかしろと聞こえたならそれは受け手の解釈である。

私には梅田氏のエントリはどうしても議論を求めるエントリには思えない。こういったエントリはどちらかというと共感を求めるだけのものだろう。
そういったエントリにまで公共性を求め、議論に発展させていき、問題だ、正論だ、などと言うのはナンセンスだ。

一部ではてなが窮屈だと言われているのは、上記のように共感を求めるたぐいのエントリにまで公共性を求め、議論をし出すKYなエントリやコメントがはてはブックマークなどで集まってくることが原因ではないだろうか。