エロ山賊王にオレはなる!!

fujigelge2016-07-22

どうも、露木茂です。
うそです、藤です。
この前JR高槻駅に行った時、近くのバス停の柵にこんなのが吊るされてました。






歩いてる女性から靴を盗む事案が発生しています。
一体どういうコトなんでしょうか?
歩いてる女性を押し倒して靴を脱がせて奪うってコトなんでしょうか?
それとも歩いてる状態から靴を抜き盗るっていうコトなんでしょうか?
この書き方だと、ジャッキー・チェン蛇拳で、ジャッキーが道場の床をキレに掃除したところを意地悪な道場の師範代が汚い靴で床を汚そうとして、ジャッキーがその嫌がらせを雑巾で阻止するシーンみたいなのを想像してしまうじゃないか。




まあ、それはそれとして思い切った変態もいるもんですね。
だいたい靴を盗んだり、セーラー服を盗んだりって、下駄箱のやつかベランダで干してるやつでしょ?

直(じか)でいくってすげえな。
山賊的な変態ですよ。
「ここを通りたかったら身に着けてるモン置いてきな」
金銭目当てエロ目当てかの違いだけですよ。
そんなエロ山賊がわりと人通りの多い高槻にいるんですね。
で、結局どうやって盗むんだろ?
以上。

帰ってきたスーパー厨房タイム

fujigelge2016-04-25

どうも、道端アンジェリカです。
ウソです、藤です。
放置してたな〜。
前回書いた記事が去年の六月?
ヤバいですね。
去年の六月と言うコトはですよ?
去年の六月に放置したうんこに蛆虫が湧いてその蛆虫が立派な蝿になってるというコトですよ。
もう、うんこ自体風化してなくなってるんじゃないかしら?
それくらいの月日が流れたワケですよ。
その間いろいろあったねぇ・・・。
特撮限定クラブイベントでDJやったり、全国から素人の大喜利猛者たちを90人くらい集めた大規模な大喜利イベントの主催やったり、再婚したり、転職したりで大変ですよ。
まあ、そんなコトはどうでもよくて、今日は今やってる動物戦隊ジュウオウジャーの話をします。
数年ぶりのスーパー厨房タイムですよ。

私、結構期待してたりするんですよ。
ジュウオウジャー
メインライターを務めるのはまだ新人脚本家と言っていい香村純子さんですよ。
私この方良く知らなくて
「最近戦隊シリーズでちょこちょこ名前みるな〜」
くらいの感じだったんですけど、ジュウオウジャー見て
「この人・・・かなり特撮が大好きな人かもしれない!」
って思ったワケですよ。
なぜそう思ったかと言うと、物語の序盤からして二つ気になる要素があったからです。
それは、

ジューマンと呼ばれる獣と人間の間のような生き物が存在するジューランドという世界があり、そこから人間世界に放り出されジューランドへ帰れなくなった4人

主人公は人間で、ひょんなコトから4人のジューマンと出会い、地球上の生き物をゲーム感覚で殺していく「ブラッドゲーム」に興じる無法者集団デスガリアンと戦う。


ってトコ。
これだけのあらすじですでにタイムレンジャー仮面ライダークウガの要素が入ってます。
タイムレンジャーのあらすじは

未来から来た時間保護局の特殊部隊タイムレンジャーが、未来から脱獄した凶悪犯ドルネロファミリー追って現代にやって来たが、タイムマシンが壊れ未来に戻れなくなった4人。

主人公は現代人で、ひょんなコトから4人のタイムレンジャーと出会い、未来の凶悪犯ドルネロファミリーと戦う。






ここまでそっくりな展開。
で、仮面ライダークウガの要素はといいますと、

地球上の生き物を殺す「ブラッドゲーム」に興じる無法者集団デスガリアン。

この部分。


これは仮面ライダークウガの敵だった、古代の人間の天敵グロンギ族のやっていた殺人ゲーム<ゲゲル>にすごく似てます。
ゲゲルは「赤い服を着た人間を殺すとポイントになる」とか、「金属を身に着けてる人間を殺すとポイントになる」など、いろんな条件の元に人を殺していくゲームのコトです。
今回のブラッドゲームもそれに近いなと思ったんですよ。
で、なんで香村純子さんが特撮が大好きなんだろうなと思ったかと言うと、このタイムレンジャークウガは同じ2000年に放送されてた作品だからですよ。



正直、この2000年のタイムレンジャークウガは最も熱いスーパーヒーロータイムと言って過言ではない!!!


おそらく香村純子さんはこの熱かった2000年を復活させようと思ってるんじゃないかと。
このタイムとクウガの要素を使い、自分なりの特撮ヒーローを作ろうと思ってるんじゃないのかと。
そう思ったワケですよ。
で、ウィキペディアで香村純子さんのコトさっき調べたら、彼女は過去OLをやっていて、スーパー戦隊シリーズの脚本を書きたいという気持ちが強くなって、仕事を退職し2001年に上京。
脚本家になることについては、同じ女性で同様に元会社員で、28歳でデビューした小林靖子のことも意識していたという。

2001年に退職して小林靖子を意識してる

タイムレンジャーのメインライターは小林靖子だった。

まちがいねぇ!!!
香村純子は熱かった2000年のスーパーヒーロータイムを復活させる気だ!!!(憶測)


というワケでジュウオウジャーというか、香村純子に期待してます。
以上。

メッケルさん

fujigelge2015-06-25

どうも、ボキは轟二郎です。
うそです、藤です。
明日、難波の味園ビルにある紅鶴というところでまたメッケルさんというトークイベントに出させてもらいます。

【メッケルさん】
start 19:30 / ¥1000- (1drink別)


紅鶴HP
http://benitsuru.net/



このメッケルさんというイベント二か月に一回くらいのペースで出させてもらってて、毎回一般的にまだ知られてないような面白いモノを紹介するんですけど、当然段々ネタはなくなっていくんですよ。
とは言えまだネタのストックはあるんですが、段々ド下ネタや変態性を孕んだネタを出す日が近づいて来ました。
「下ネタは最後の武器だ!」
ですよ。
忍者部隊月光っぽく言うと。
まあ、そんなにお客さんがわんさか入るイベントじゃないんで、別に私の変態性とか気持ち悪い部分全開にしても構わないんですけどね。
むしろそういう部分を発表して誰かが笑ってくれるのなら此れ幸いですよ。
逆にスベったら最悪ですけどね。
で、今回私が話す内容は「昆虫残酷デスマッチ劇場版虫皇帝という動画についてです。
これについてあれこれ話ますんで、虫の殺し合いを見るのが大好きという方は是非どうぞ。

自分で言うのもなんですけど、前回のカブトボーグ結構ウケたもんなあ。
今回は流石に引くかなあ・・・。
明日のネタ仕込むタメに虫の殺し合いずーっと見てたら自分でも流石に気持ち悪くなったからな・・・。
まあ紹介するのは3〜4試合だから大丈夫だろう。
そんなワケで、明日のメッケルさんよろしくお願いします。
以上。

fujigelge2015-05-01

ベッドで寝ている女の子:「おばあちゃん、今日はどんなお話してくれるの?」

ユリ椅子で編み物をしているおばあちゃん:「そうだねぇ・・・じゃあ今日は鳥山明の作家性の話をしようかねぇ?」

ベッドで寝ている女の子:「わあ!!聞かせて聞かせて!!」










ボツ!
どうも鳥嶋和彦です。

ウソです、藤です。

ドラゴンボールが18年ぶりに新シリーズのアニメを発表するそうで。
しかもストーリー原案は原作者の鳥山明本人らしいです。
鳥山明ドクタースランプという空前のヒットを飛ばし、その後しばらくしてドラゴンボールも空前のヒット。
こんな2本の大ヒットを飛ばした人など漫画界でそうそういないです。
しかし、鳥山明の作家性について言及した記事ってあんまり見た事がないです。
あれだけのヒット作家なのに。
ここでいう作家性っていうのを簡単に言うと、宮崎駿という名はみなさんご存じだと思います。
ルパン三世カリオストロの城、トトロ、ラピュタ魔女の宅急便もののけ姫などなど、スタジオジブリというスタジオの名前まで有名にしてしまったアニメーターでありアニメ作家です。
しかし、二十数年前まで宮崎駿は一部のアニメオタクから
ルパン三世第二シリーズの<死の翼アルバトロス>の回は凄かったよな!」
とか
「第二シリーズ最終回の<さらば愛しきルパン>凄かったよな!」
とか言われたものの、一般的には誰も知らない天才でした。
そしてその後そこそこ名が知れるようになり、トトロの宮崎駿魔女の宅急便宮崎駿と呼ばれるようになり、もののけ姫あたりから、<宮崎駿もののけ姫>と呼ばれるようになりました。
前まで<○○(作品名)の>が頭に付いてたのが、<宮崎駿の>が頭に付くようになったのです。
それは「宮崎駿の作品はだいたいこんな感じ」というのが公に認知されたからだと思います。
それと同じように、今はエヴァ庵野秀明とはあまり言われません。
庵野秀明エヴァ>と言う人の方が多いでしょう。
そういう作り手の意志を第三者に言及されるコトが作家性だと思うんですよ。
で、鳥山明ですよ。
あんだけ作品がヒットしたのにこの人の作家性について語られる事はほとんどありません。
私、ドクタースランプの頃からファンになりまして、ドラゴンボールを一巻から数巻まで初版で買ってたほど鳥山明の作品のファンでして。
今回は私が知ってる鳥山明の人物像を掘り下げながら<鳥山明ドラゴンボール>について書きたいと思います。








まず、ドラゴンボールは少年漫画の王道である「成長物語」とは違うストーリー展開を繰り広げるのが特徴です。
成長物語はドイツでビルドゥングスロマンと呼ばれるジャンルで、子供だった主人公がいろんな人々との出会いによって大人に成長していくという物語です。
しかし悟空は一巻から最終巻までずっと精神は成長せずに子供のままで終わります。
結論から言うと、それを踏まえればドラゴンボールは世間が思ってるほど少年漫画の王道ではなくて、むしろ王道展開とは一風変わった作品だと言えます。

これは鳥山明は意識的に主人公を成長させないように作ってるというコトです。
鳥山明の作家としての特徴を一言でいうと<湿っぽい話>が大嫌いな人です。
所謂<お涙ちょうだい>です。
ドラゴンボールもあれだけの長期連載だったにも関わらず、湿っぽい、所謂、感動するようなシーンなどほとんどありません。
しかし、ないワケではありません。
主人公が成長しないドラゴンボールにおいて、グッとくる劇的な成長を描かれた人物が三人います。
それは、ピッコロと悟飯とベジータです。
では、その三人の成長過程を簡単に説明します。





【ピッコロ大魔王】
サイヤ人襲来編で悟空は生き別れの兄であるラディッツにボコボコにされ、虫の息になってしまいます。
死に間際、悟空はピッコロに
「悟飯(息子)をサイヤ人たちと戦える戦士に育ててほしい」
と言い、ピッコロは悟飯を預かります。
しかし、戦士に育てるつもりが日を重ねるごとに悟飯に対して親心のようなモノに目覚めてしまいます。
その後襲い掛かって来たサイヤ人のナッパが放つエネルギー弾を怯えて避けられない悟飯をピッコロは身を挺して庇い、攻撃が直撃。
そしてピッコロは悟飯に見守られ涙を流して死にます。
ピッコロは魔族(当時の設定)にも関わらず、人間でも実行が難しい自己犠牲を見せるのです。
これは今までのピッコロではあり得ない行動ですが、悟飯と出会ったコトによって心が成長したのです。




孫悟飯
セル編では、悟飯はセルとの戦いで今までの臆病で優しすぎる性格を振り切り、時には戦わねばならぬ時があるコトを知り、勇気と闘志を獲得し成長しました。




ベジータ
魔人ブウ編でベジータは絶対に勝てない魔人ブウに対し、嫁のブルマや息子のトランクスを守る為に全てのエネルギーを放出し自爆する覚悟を決めます。
最後に今まで自分の息子トランクスを抱っこもしたコトのなかった男が息子を初めて抱き、ピッコロに息子を連れて逃げてくれと頼み
「さらばだ、ブルマ・・・トランクス・・・そしてカカロット・・・」
という名台詞を残して自爆して死にました。
この時、ベジータバビディという敵によって悪の心に洗脳されてるにも関わらずですよ。
ベジータは今まで微塵も無かった<家族を守る>という気持ちを獲得しました。
ベジータは嫁のブルマとトランクスと、宿命のライバルである悟空との出会いによって心が成長したのです。
ビルドゥングスロマンを物語で体現して見せたのはこの三人だけです。
特にベジータのこの成長した姿はドラゴンボール屈指の泣けるシーンです。
この間、悟空はずっと
「オラ強ぇえやつと戦いてぇ!」
という状態です。
こいつは一切他人から影響を受けない存在なのです。
こいつが今まで遂げた成長は



・修業してかめはめ波が撃てるようになった。



・修業して舞空術で空が飛べるようになった。



・修業して界王拳が使えるようになった。



・修業して元気玉が撃てるようになった。



・修業して誰もできない瞬間移動が自分だけできるようになった。









こいつは「勉強して英検2級を取った」や、「勉強して漢検1級取った」くらいの感覚で特に精神的に成長することなく技をどんどん覚えていきます。
しかし、そんな悟空でも唯一他人からの影響を受けて獲得したモノが1つあります。
それは、





クリリンが目の前で殺されたのを見てスーパーサイヤ人なった。




というトコです。
んが(鼻濁音)、しかし。
悟空がスーパーサイヤ人になったのは感情の昂ぶりによる突発的なモノです。
別にあいつがこれで心の成長を遂げたワケではないです。
本人さえわからないまま無意識に
クリリンのことかーーーー!!!」
と言って突発的に<なんか凄い力>が手に入ったのです。
竹熊健太郎氏言うところの「イヤボーン現象」に近い感じですよ。

とは言え、この悟空がスーパーサイヤ人になる展開が最も鳥山明らしからぬ展開なんですよ。
鳥山明フリーザ編で、<悟空はフリーザを倒すタメにはいつもの修業じゃ到底倒せないほどの強敵>フリーザの強さを設定しました。
それまでの悟空はこういうピンチの場合どう切り抜けてきたのかと言うと、悟空が満月を見て大猿に変身して切り抜けてきました。
この大猿に変身するという能力も主人公自身さえも知らない元々持ってた能力で、こいつが何か精神的な成長を遂げて得た能力ではないです。
そんな大猿ですら通用しないというフリーザの強さの設定。

相手の戦闘力をハッキリ数値化させるスカウターという画期的なアイデア*1が悟空を苦しめ、このお話を描いてる鳥山明をも苦しめます。
ちょっとやそっとのコトじゃフリーザの戦闘値530000という数字を悟空は越えられないワケですよ。
物語上、フリーザに勝たせるタメには肉体的な強化以外に、主人公の心に何かしらのショック(成長のきっかけ)を与えないといけない状況に鳥山明はとうとう追い込まれちゃったんですよ。
そして悟空はこのフリーザとの戦いでスーパーサイヤ人になり、悟空は気性が荒くなり話し方も変わってしまう変化を遂げてしまいます。
たぶんもう鳥山明フリーザ編で今まで以上に連載を終了する気満々だったんだと思います。
「よし!もうこれで終わりだ!」
みたいな。
話は変わりますが、前の作品ドクタースランプのアラレちゃんはアンドロイドでした。
アラレちゃんは人工知能なのでずっと心は純粋でした。
悟空も山奥で育てられて俗世間に触れなかったのでずっと純粋でした。
ここでいう純粋は言い換えればバカというコトですよ。
鳥山明の中での純粋はバカと同じ意味です。
そして純粋は最強と同じ意味です。
そんなバカな男がクリリンの死によって人格が変わってしまうような展開は鳥山明にとって一番やりたくない最終手段だったはずなんです。
と、言うのも、それまでのストーリー上で悟空がシリアスな展開でちゃんと成長できるチャンスがたくさんあったからです。
その話はあとで書きますが。
で、結局、感情の激昂でスーパーサイヤ人に変化したのはこの時だけで、この後は踏ん張ればいつでもスーパーサイヤ人になれるようになります。
その後、このスパーサイヤ人の悟空を鳥山明は便利なパワーアップ感覚で見せます。
フリーザ編以降スーパーサイヤ人への変身の描写は、性格がちょっと荒くなった人格として切り離して描き、元の悟空は別に成長したワケではないという描き方をします。
しかし、成長したワケではないとは言うものの、一応はスーパーサイヤ人になると気性が荒くなるキャラ分けは残ってるワケですよ。
おそらくフリーザ編で連載を終了させるつもりだった鳥山明はこの後、編集のお願いがあってか作品を続行するコトになり、そして次のシリーズが始まってからこの悟空のスーパーサイヤ人変身後の気性の荒くなる設定が段々鬱陶しいというコトに気づき始めます。
それは気性が荒くなった悟空は鳥山明が今まで描いてきたピュアで純粋な主人公ではないからです。
<純粋イコール最強>こそが鳥山明の作家性なので、乱暴な性格の主人公はこの先、物語を進める上で矛盾してくるのです。
そしてその矛盾を無くすべく、次のセル編に入ると、悟空と悟飯はスーパーサイヤ人になった時の気性の荒さをなくすタメ、スーパーサイヤ人の姿のまま日常生活を送るという修業に入ります。
その結果、悟空と悟飯はスーパーサイヤ人になっても精神はいつものままという状態になってしまい、鳥山明はキャラ分けしてたスーパーサイヤ人化した悟空の人格をも無くしてしまうのです。
それからスーパーサイヤ人というものがどんどんお手軽なパワーアップとして描かれるようになるんですよ。
普通の漫画家なら主人公がとんでもないスーパーパワーを手に入れれば肉体的、精神的後遺症によって悩まされるシーンなどを描いて、スーパーパワーを手に入れた男の苦悩を描きたがります。
それはキャラクターに深みを与え、成長できる描写を描けるチャンスだからです。
先ほど言ったように、悟空の成長を描けるチャンスは物語の中でたくさんありましたが、鳥山明はずっとそれを放棄してきました。
特に顕著なのはサイヤ人襲来編です。
サイヤ人襲来編で悟飯を守る為にピッコロが死にましたが、あれは悟空の代わりにピッコロを死なせたと私は思ってます。


普通ストーリーを考える上で、悟飯を守るのはピッコロじゃなく父親の悟空に身を挺して守らせるはずです。
主人公であり父親である悟空にそれをやらせないってどうかしてますよ。
あのベジータですらそれやったんですよ?
そんな良い死に様を息子に見せられるはずだったのに親の悟空が先に死ぬっておかしな話ですよ。
一般的に物語で<主人公に子供が生まれた>という展開は、どう考えても主人公が父親らしいところを見せるタメです。
主人公を父親として成長させるタメです。

せっかくドラゴンボールで死んでも生き返れるって言う設定もあるのに悟空に息子を庇わせないんですよ。
悟飯の中に眠ってる強大なパワーを覚醒させるには誰かの犠牲(成長のきっかけ)が必要なんで、脇役のピッコロにその湿っぽい役目を任せたんだと思います。
じゃあ何のタメに悟飯をお話に登場させたのか?
これは本人に聞かないとわかりませんが、おそらくはテコ入れとか、いつものように軽いノリで何も考えずに登場させたんだと思います。
まあ、それくらい悟空は常に成長イベントから外されてきたキャラなのです。
それは作者自身が子供で、成長したくないと思ってる節があるからだと思います。








ここからちょっと作者である鳥山明本人のコトを書きます。
鳥山明ドクタースランプがヒットした時、<徹子の部屋>に出演したコトがあります。
漫画家で呼ばれるコトは珍しいです。
それくらいドクタースランプはヒットしたのです。
で、鳥山明は徹子とのトークの間、タバコをバカバカ吸います。
徹子の部屋がヤニで黄色くなるんじゃないか?」
と思うほど吸います。
彼はヘビースモーカーなんですが、それにしてもテレビ出演のトークショーでのあのチェーンっぷりは異常です。
そして徹子とのトーク
「すげえめんどくせぇ」
くらいに適当に答えるあたり大人げなさが全開です。








あと、鳥山明はワンピースの作者、ナルトの作者、その他大勢のプロの漫画家に影響を与えてるんですけど、当の本人は常に
「え?そんなにオレ凄いの?」
っていうテンションでいつもインタビューに応えます。
ワンピースの作者、尾田栄一郎との対談でも、大のドラゴンボール好きの尾田のテンションに対しすさまじくテンション低めに応える様は、尾田栄一郎がかわいそうと思うほどでした。
その時のインタビューの引用。

尾田 あと、白桃桃(タオパイパイ)の手。

鳥山 タオパイパイ…。ちょっとビミョーなキャラになってきたぞ。

尾田 えーっ、白桃桃なんて、めちゃめちゃ有名なキャラじゃないですかぁ。

鳥山 おさげのヤツ?

尾田 そうそう、殺し屋ですよ。柱飛ばし乗っていくやつですよ。

鳥山 あー、書いた書いた。

尾田 ぼく桃白白(タオパイパイ)が好きなんですよ!

この温度差。
鳥山明は序盤の強敵だった桃白白をも忘れる男なのです。
このように、自分がいかに才能がある人間なのかいまいち本人がピンときてないのです。
常に
「え?みんなこれくらい描けるだろ?」
といわんばかりです。

努力して絵が上手くなりたいって言う人の感覚があんまりわからない人なんだと思います。
この辺はまるで悟空と同じキャラなんですよ。
例えば悟空が亀仙人と出会って初めて修業するという体験をした時、悟空はクリリンと初めて出会います。
亀仙人は二人にものすごくハードな修業のメニューを言い渡すのですが、クリリンはズルをして何とかしようとするんですよ。
一方悟空は遊んでるかのように楽しく修業をこなすんですよ。
悟空の修業シーンは全てのバトル漫画の特訓シーンに比べ悲壮感など微塵もありません。
なんか好きな事やってたら絵が上手くなってた、みたいな自分の感覚がそういうシーンに現れてるんじゃないでしょうかね。
アニメの主題歌の
「頭空っぽの方が夢詰め込める」
ってコトですよ。

その<なんか好きなコトやってたら絵が上手くなってた>という具体的なエピソードがドクタースランプの単行本に自分の過去を描いた「あのころのワシ」というオマケ漫画にあります。
その漫画によると、鳥山明は幼少時、欲しいモノは全て絵で描いたそうです。
欲しいモノとは、車、バイク、戦車、戦闘機、銃器など。
子供のころはお金もないし、好きな車やバイクは乗れないので描きまくったそうです。
そして少年期にプラモデルに出会い、車、バイク、戦車、戦闘機、銃器を今度は作りまくっていたそうな。
その趣味は本格的で、株式会社タミヤの主催する1/35フィギュア改造コンテストで入賞するほどの腕前。
鳥山明は絵がプロが羨むほど上手い、しかもプラモデル作りもプロモデラー級の才能もあるのです。
彼はずっと子供の頃にやってた好きなコトが仕事になって、しかもそのどれもが天才的に上手い。

なので別に大人にならなくてもいいし、彼自身の心に闇の部分がほとんどないんじゃないのかと思うんですよ。

こういうところが作品に反映されてると思います。
これが鳥山明を誰も語りたくないポイントだと思います。
天才の心に闇があるから語りたくなるってモンですよ。
こいつつまんねぇただの天才なんですよ。


そして鳥山明の絵の凄さの一つにデッサン力というのがあります。
プラモデルやジオラマ、フィギュア制作が、ただでさえ絵が上手い彼にこの立体感の表現が更に加わったんだと思います。
鳥山明の絵で何が凄いのかというと、キャラクターをどの角度からも立体的に描けるスキルによって描かれる複雑なバトルシーンです。
この人のバトルシーンは何やってるのかがちゃんとわかるんですよ。
こう言っても、
「え?当たり前じゃないか」
と思われそうなんですが、一目見て何やってるかわかるバトル漫画ってあんまりないです。
それくらいバトル描写を描くのは非常に難しいです。
この構成力は映画好きで映画を見まくってたというところが大きいんでしょうね。
バトル漫画読んでてちょいちょいあるのが、
「え?これどうなってんの?」
とか
「え?このコマの絵は何してるとこ?」
っていちいち読んでるページの手が止まるとこ。
でも鳥山明のバトルシーンでページをめくる手が止まるコトはないんです。
ここが凄いんです。
そんなワケでドラゴンボールの中でも名バトルシーンであるベジータVSリクーム戦>をどうぞ。






続いてもう一バトル



















いかがでしょうか?
何やってるか目を止めずにスムーズに読めると思います。
そして、この凄さが読者に中々伝わらないのが鳥山明なのです。
地上戦、空中戦、湖に叩き落されるシーンと、複雑なシーンてんこ盛りでも何やってるかわかるし、何より絵で重力が伝わるのが見事です。
そんな絵の才能があるのに、作中でいかに手を抜くか(効率よく描くか)を常に考えてるのも特徴の一つです。
彼がめんどくさがりなのは有名で、漫画でもスクリーントーンを貼るのはめんどくさいからほとんど使用しません。
でもトーンを貼らずに漫画を描くのはかなり絵が上手い人しかできないコトです。
トーンを貼れば絵が下手な人でもなんとなくそれっぽく見えるんで絵が下手な人はやたらトーンに頼ります。
このトーンを貼らない作風はその後の少年ジャンプの作風になっていくほど他の漫画家に影響を与えます。
漫画家がトーンを貼りたくなるポイントの一つとしては、例えばキャラクターの服です。
キャラクターも増えてくるとどうしても服にトーンを貼りたくなってきます。
この打開策を鳥山明<重ね着をさせる>というテクニックで手を抜いてないように見せます。
そして、服のデザインは極力シンプルにしています。

手を抜いてないように見える重ね着の一例



そのシンプルな服に、民族衣装の雰囲気を取り入れたパターンもあります。
例えばピッコロの頭に巻かれてるターバンとか。



ターバンを巻いた漫画のキャラなんて見た事なかったんで当時新鮮でした。
その他にもいろんなキャラクターが中国やモンゴルあたりの民族衣装を参考にしたであろうデザインの服を着て登場します。
ドクタースランプの時はキャラクターにいろんな服を着せていたのに、ドラゴンボールからはあまりややこしい服を着せないようになっていきました。
これもインタビューで読んだんですが、ドラゴンボールからは絵はアクション中心に変えていくと言っていました。
絵をアクション中心にするというコトは、ややこしい服を着せないという意味も含んでいると思います。
ややこしい服を着せて格闘シーンをさせると画面がゴチャゴチャするからです。
「このバトルシーン何やってるかわからない」
のほとんどは服のややこしいデザインや装飾品や模様のせいです。
キャラクターをシンプルなデザインにするのは昔のアニメーターの人の考え方に近いです。
キャラクターを極力シンプルにした方が絵は動かし易いのです。
なので鳥山明の<めんどうくさい(効率化)>の積み重ねのおかげでドラゴンボールはバトル漫画なのに読み易い作品になっていると思います。
そういう点でいうと荒木飛呂彦のバトルシーンは服がゴチャゴチャして読みづらいです。
でも大好きです!
荒木先生!





それと鳥山作品で特徴的なのは動物とロボットと宇宙人が好きという点と、女性という存在を卑しいと思っている点にあると思います。
鳥山明は実際にたくさんの動物を飼っていますし、本人も自分の動物好きを公言してます。
動物好きのエピソードとしては、鳥山明ドクタースランプで意外にもハートウォーミングな話を数話描いてます。
それを数話ピックアップしてみます。






・ハンターに殺されたクマをセンベイとアラレちゃんが助ける話。



・交通事故に遭った犬をアラレちゃんがウンチと名付け、そのウンチは実は宇宙人で宇宙船に帰してやる話。



・村で見つけたペンザラシという、ペンギンとアザラシのミックスみたいな動物を遠い北国のオーサム地方にいるお母さんの元へ帰してやる話。


・宇宙人のルマルマ星人が宇宙船の故障で帰れなくなったところにアラレちゃんと出会い、母船に帰してやる話。


・ヤクザみたいな虎がアラレちゃんの持ってきた文鳥を育てるコトによって、昔の優しさを取り戻す話。







だいたい動物と宇宙人絡みです。
あと、ドラゴンボールでもハートウォーミングな話があります。
それは



レッドリボン軍と戦っていた時、レッドリボン軍に作られた人造人間8号(通称ハッチャン)を悟空が助ける話。



これはロボットの話です。
鳥山明は人間を使った湿っぽい話などほとんど描かないのに、<動物と宇宙人とロボットの湿っぽい話はアリ>という一線を持っているのです。
これは先ほども言った<純粋>だからアリなんです。
その逆で、女性に関しては極めて俗物として描きます。

ドクタースランプのペンギン村にいるアラレちゃんの友達、黄緑あかねという少女は不良で金にやらしくずる賢いというキャラです。
ドラゴンボールのブルマはわがままで自分勝手な女です。
チチも悟空と結婚後、地球が滅亡するより息子の悟飯の将来の方が大事というイカレた女です。
ランチさんは普段はカワイイ萌えキャラですが、くしゃみをすると銀行強盗を始めるという怖い女です。
ほとんどの女性を俗物で夢がなく自分勝手でお金が大好きで凶暴な存在として描きます。
「中身がカワイイ女なんているワケねぇじゃねぇか」
というのが彼の女性観です。
彼は女性を<性的魅力のあるねずみ男のように描きます。
酷い言い方をしましたが、たぶん彼にとって女性は大人なんですよ。
ドラゴンボールの登場人物で俗世間のコトを良く知ってるのはブルマやチチのみです。
ドクタースランプのあかねちゃんもそうです。
この三人の女性キャラの特徴的な台詞は
あかね:「お前何も知らねぇんだなぁ」
ブルマ:「あんた何も知らないのねぇ」
チチ:「悟空さは何も知らねぇだなぁ」
だと思うんですよ。

女性を大人の象徴として描いてるコトが多いです。
それは鳥山明が自分は子供で、女は大人だという認識があるんだと思います。
他の読み切り作品で大人じゃないカワイイ女の子が主人公なのは「PINK」と「CHOBIT」という作品だけだと思います。
この二作品は鳥山明が大嫌いな多少の恋愛要素のある異色作品です。
あと、純粋じゃない悪い男子の主人公の漫画も鳥山明は描いてます。
GO!GO!ACKMAN>とか<SAND LAND>とか。
でもどちらも悪いといってもただの悪ガキで、たいしたことない悪事しかできなかったり、悪い事を失敗したりするキャラなんですよ。
悟空やアラレちゃんは純粋(バカ)として描きますが、悪事を働くタイプのコメディキャラは<愚か>なんですよ。
スッパマンとミスターサタンもこの愚かの部類ですよ。
鳥山明が自身でスッパマンとミスターサタンが大好きだと言ってたんでこういうバカで愚かなキャラが性に合ってるでしょうね。
おそらく鳥山明は大人になるというコトは小賢くなって俗物でつまらない存在になると考えているので主人公をバカに設定して成長させたくないんだと思うんですよ。






で、話はドラゴンボールに戻りますけど、結局物語上で描きたくない成長物語を押し付けたのはピッコロと悟飯とベジータですよ。
最後の魔人ブウ編になるとこの三人はちょっとずつ大人になってキャラが多少変わるんですよ。
悟飯はビーデルという彼女ができて甘えた感じが抜けて大人になりました。
ピッコロは神様やネイルとの融合により宇宙人なのに登場人物で一番の大人になりました。
ベジータは自爆して復活したあと、自分が自爆しても倒せなかった魔人ブウとたった一人で互角に戦っている悟空を見つめ、
「がんばれカカロット・・・お前がナンバーワンだ!!」
と言う名台詞を吐いて、他者を認められる程の大人になりました。
他の仲間も最後の魔人ブウ編では敵が強大すぎて自分たちはただの足手まといだというのに気付き、戦いには参加できない状態に。
戦いに参加できない人たちは、諦めてしまった人たちというコトです。
戦いを諦めた人は悟空を助けるタメに動く大人(俗物)になったのです。
あのプライドの高いベジータですら
「がんばれカカロット・・・お前がナンバーワンだ!!」
と言った後からは、地球を守らねばならないという気持ちになり、自ら悟空をサポートする役目に回ります。
ずっとプライドの高かった戦闘狂いの男がここへ来て責任感を獲得します。
しかも、ラストバトルで地球にいる人間の元気を元気玉に集めて撃てという最終的な決断を悟空に命令したのもベジータですよ。
カカロット・・・きさま今まで何度地球を救った・・・?たまには地球のやつらにも責任を取らせてやるんだ」
と自らの口で責任という言葉を口にします。
そして悟空の元気玉に元気を分けろと地球の人々に説得したのがあの愚か者のミスターサタン
この辺は普通は主人公が全て提案、実行してこのピンチを乗り越えてヒーローとして成長するパターンじゃないですか。
ここに悟空の決意とか覚悟はないんですよ。
悟空はここへ来ても地球の危機を何とかしなければいけないという責任で動いていないのです。
仲間を救いたいという気持ちも劇中で表現されません。
それを感じているのはむしろベジータミスターサタンの方なのです。
では悟空は一体今まで何のタメに闘ってきたのか?
それを劇中でベジータがこう推測します。
「あいつは勝つために闘うんじゃない。絶対負けないタメに限界を極め続け闘うんだ・・・!」
と。
実はこれは鳥山明自身が実際に経験したコトです。
鳥山明は絵の才能はあったものの、漫画家デビューするのにはかなり苦労しました。
それは絵が上手いという技術と、面白い漫画が描ける技術は決してイコールではないからです。
絵が上手くても漫画の内容が面白くなければデビューはできないのです。
鳥山明は担当編集者の鳥嶋和彦に自分の漫画を1年で500ページもボツにされ、苦労の末ようやく漫画家になれた人なのです。
そのコトを自分の過去を振り返った漫画<あのころのワシ>で、
「ワシは負けず嫌いなのである」
と言っていました。
<漫画家になりたい>より<負けたくない>という気持ちで漫画を描いていたと自ら言っていたのです。
自分の気持ちを作品内で一切投影しなかったドライな男が、最後の最後で作品内で自分の正直な気持ちを露わにしたのです。

そして鳥山明はこの最後のバトル、魔人ブウ編のラストの成長イベントからも主人公を外し、心の成長をベジータに押し付けました。
今まで描いてきたこのドラゴンボールという話を最後まで成長物語でも英雄譚にもせずに、ちゃんと鳥山明らしい<王道の展開からの外しによるエンターテインメント>でこのラストバトルを終着点に持って行きます。
その顕著なシーンとして、先ほども言った地球の人々を説得する大事な場面を愚か者のミスター・サタンに任せるシーン。
地球が滅びるかもわからない危機的状況で、コメディリリーフだった脇役中の脇役のミスター・サタンを使ったコトによって、悟空は物語上で英雄にもならなかったのです。
物語上で人々から英雄として崇められたのはミスター・サタンの方なのです。
ここまでちゃんと物語を盛り上げながら主人公に戦闘以外何もさせず湿っぽい話から逃げ切ったのは凄いです。
鳥山明の作家性が一切ブレていない。
本人は意識して描いてないと思いますが。
で、結局魔人ブウと最後まで戦えたのは唯一精神的に成長しなかった悟空でした。

他のみんなはちょっとずつ大人になっちゃったんですよ。
でも、悟空はそれについても寂しいとは思わないんですよ。
バカだから。
そして仲間たちも悟空がブウを倒した後でもいつまでも変わらないあのままの悟空なのが嬉しいワケですよ。
何故なら悟空だけはいつまでも初めて出会った時のあの頃のままなのだから・・・。





最終回にこういう描写入れられるとグッとくるでしょ?
普通の漫画家はこういう
<何故なら悟空だけはいつまでも初めて出会った時のあの頃のままなのだから・・・。>
みたいなのを最終回に持ってきて劇中でクローズアップさせて泣かせにかかるんですよ。
これは悪い事じゃなくて漫画家なら当たり前のコトです。
しかしドラゴンボールはこんな安易な最終回で終わりませんでした。
地球の滅亡を食い止めた悟空に仲間は普段通りに接します。
当時、
「え?これで終わり?」
みたいな終わり方をしたドラゴンボールの最終回は不評な意見が多かったです。
結局鳥山明は最終回であってもそういうジーンと来る終わり方をやらずに自らの作家性を貫き通しました。
感動させると小賢く計算高く見えるんで。
つまり、たとえ最終回でもあからさまに<悟空はいつまでも変わらないオレたちのヒーロー>みたいにして終わらすってコトは、作者の大人の目線が入ってるってコトですよ。

キャラの心の機微を描いて泣かしにかかるのは大人の人がするコトですよ。
もしそんなコトやったら鳥山明自身が大人になっちゃったってコトですよ。
私のような読者は大人みたいな演出する鳥山明の作品なんて読みたくないんですよ。
安易な感動話にさせるというコトは、純粋(バカ)をずっと描いてきた鳥山明の作家性に反する終わり方です。
唯一ピッコロだけが最終回で
「ひさしぶりに見たな・・・あんなに嬉しそうな悟空は・・・」
みたいな大人な台詞を控えめに言います。
それはピッコロが仲間の中で飛び抜けた大人というキャラ設定を守ってるからです。
決して全員にこんな大人っぽいコトは言わせません。





で、ドラゴンボールの実際の最終回はと言いますと、悟空は魔人ブウを辛くも倒し、十年後、悟空は天下一武道会で集まった仲間以外の選手に魔人ブウの純粋な心を持って生まれ変わったウーブという少年と出会います。
まだ自分の強さに気づいていないダイヤの原石ウーブにワクワクした悟空は天下一武道会の試合を放って、ウーブを連れて飛んで行くんです。
悟空は自分の手でこの純粋なウーブという少年を最強の男に育て、これからの地球を守る役目をこの子に託すコトに勝手に決めます。
でも実際は最強になったウーブと試合をしてみたいというのが本当の目的でした。
悟空はやっと敵ではない強い奴と運命的に出会えたのです。
良い話ですね。










いや、だからウーブじゃなくて自分の嫁と息子の相手してやれよ。
お前ホントにずっとガキだな。
流石、鳥山明クオリティ!
以上。

*1:元ネタは「未来忍者」っていう映画に出て来た気合いを数値化させるヘッドバンドだけど。

般若が如く

fujigelge2015-04-17

どうも、佐川一政です。
人肉って美味しいですね。
うそです、藤です。
ここ最近ずっと龍が如く0をやってたんですけどようやく昨日クリアしました。
龍が如くシリーズは3以外全部やってるそこそこのファンです。
なぜ3はやってないのかと言うと、発売前のトレーラー映像見た瞬間
「これは駄作に違いない」
という判断をしたからです。
で、龍が如く3をニコ動のプレイ動画で見て済ませたんですけど、結果やっぱり駄作だったなというのが3の印象です。
そんなワケでちょっと龍が如くの話していいですか?
私このシリーズに興味を持ったきっかけは、やっぱり主人公がヤクザってとこですよ。
今までずっとゲームの主人公って少年や女の子ばっかで、舞台設定はだいたいこの世界とは違うどこともわからないファンタジー世界でモンスター倒すってのがパターン化されててちょっと食傷気味だったところへこのゲームが現れたワケですよ。
映画のジャンルに<ヤクザ映画(任侠映画)>ってのがあるくらいですから別に主人公をヤクザにするってたいしたアイデアじゃないんですけど、当時ファンタジー世界で主人公の少年や少女がモンスター倒す話ばっかりだった中で、時代を逆行して今時任侠モノってジャンルをチョイスした<思い切り>が逆に新鮮だったんですよ。
しかも主人公が初っ端から刑務所に入れられ、10年の刑期を終えた頃には30オーバーになって出所するというヤクザ映画の定番もしっかり抑えてる展開も衝撃でした。
まだ誰も手をつけてないジャンルに手を出すのはとても勇気のいるコトです。

想像するに、ゲームをプレイする層はガキばっかりだからこんなのヒットするワケないと開発者はいろんな人に言われたと思うんですよ。
でも蓋開けたら龍が如くは様々なシリーズを重ねヒットシリーズになって今に至るワケです。
で、このゲームの魅力の1つを挙げるならば、それは登場人物のカッコいい台詞。

「目の前で女殴られて引き下がれるほど、大人じゃねえんだよ」

とかそういうの。
このシリーズ、シナリオは様々なヤクザの組織抗争がメインなんで話がとてもややこしいんですが、正直この辺はテキトーに流しててもいいんです。
かなり無理のある展開も多いんで。
それよりキャラの台詞やケレン味のある演出が大きなポイントとなっています。
なのでこのシリーズの良し悪しはいかにキャラクターにシビレる台詞を要所要所で吐かせるかにかかっているワケですよ。
ここさえ押さえていれば、ある程度の
「え?」
っていう突っ込みどころは大目に見れると言って過言ではありません。
主人公の桐生さんが虎二頭を素手で倒すとか。
しかし!!!
それはシリーズ1〜5までの話です。
今回の龍が如く0は、1より前、つまり主人公の桐生一馬がまだペーペーの下っ端だった頃の話なので、今までのようなハッタリで進むストーリー展開で済ませるワケにはいかないのです。
何故なら、その1つに、1で出て来る登場人物で誰が死なないというのはもう1をプレイしてる人は知っているというのが大きなポイントです。
すでにプレイヤーは誰が死なないかが分かっているので、
「今こいつはピンチに立たされてるけど死ぬワケないよな。だって1で生きてたし」
と思ってしまうので話のテンションを保たせるのが非常に難しかったり、
「こいつとこいつは今険悪な関係だけど結局元の鞘に収まるんだろ?」
っていうのもわかってるワケです。
つまり様々な制約のある中で話を進めなと矛盾が生じるワケです。
今回の龍が如く0をプレイし終えて、正直お話に納得がいってるワケではないですが、
「ま・・・まあそういうのもアリだとしよう・・・」
と、いつも以上にそこは大目に見てプレイしているのです。
随分長々と書きましたが、ここでハッキリ言っておこう。
私は龍が如く0に納得いってないんだ!!!
それは、真島の兄さんというキャラの扱いに他ならない!!!
真島の兄さんとは、龍が如くでトップクラスで人気のあるキャラです。
このキャラはどういうキャラかというと、ヤクザから狂犬と恐れられる程何をしでかすかわからないような心が読めない男でして。
そもそもこの男に人間の心があるのかさえわからないクレイジーな男なワケですよ。
そんな狂った男の過去がようやく明かされるというのがこの龍が如く0の最大の見せ場と言って過言ではないです。
今回の龍が如く0の話は、主人公の桐生一馬と、この真島の兄さんの2人をメインにしたお話なのですが、真島の兄さんのお話が完全にルパン三世カリオストロの城のルパンみたいになってるのです!!!
もう完全です。
若い頃の真島の兄さんは心優しいお兄さんとして描かれてるんですよ。
でも。
でもそこに怒ってるワケではないのです。(怒ってたのか)
「人間、そういう一面もある。いくら狂犬と恐れられてる兄さんも元からそういう人間じゃなかたんだろう。おそらくこの先兄さんが狂犬に覚醒(闇落ち)する展開が待ってるに違いない」
と思いながらプレイしてたんですが、そいうシーンがなかったんですよ。
いや、あったはあったんですが、それをストーリー上で見せるのではなく、ラストシーンに取ってつけたように真島吾朗が本人の口で
「オレ今日から狂うから」
みたいな台詞で終わらせちゃったんですよ。
心の動きを物語で表現しないで本人に台詞で言わしちゃったんですよ。
これ説明するのは難しいんですけど、<最初は優しかった男が地獄の淵で狂ってしまったという展開をストーリー上でハッキリとした演出で見せて欲しい>というのがプレイしてる側のカタルシスじゃないのかと。
それが一応地獄の淵に落ちた展開もあったにも関わらず、真島の兄さんは最後までカリオストロのルパンのまま終わっちゃうんです。
「やつはとんでもないモノを盗んで行きました。あなたの心です・・・」
みたいな。
「兄さんそれじゃあ今まで(1〜5まで)のあの狂ったキャラはずっと演技だったの?」
ってコトですよ。
<1〜5までの真島吾朗の狂人ぶりは全て演技だった>という結論。
シリーズずっとプレイしてきた人間にとってはこれは興醒めですよ。
流石にここは大目に見れるようなモンじゃないですよ。
せっかく桐生一馬と真島の兄さんの過去を振り返るっていうファンサービスなのに、ファンを興醒めさせてしまったワケですよ。
<優しかった男がある一件で狂ってしまい、時折見せる優しさがその名残>くらいに思わせて欲しかった。
実際のエンディングだと<狂犬真島は偽りの姿で、実は心優しい男>に見えちゃうワケですよ。
女性ファンはあれ見たら
「真島の兄さんホントは優しい人だったの?素敵ー!」
なんて言ってるかもしれなですけどねぇ・・・。
真島の兄さんが狂うシーンいくらでもあっただけにもったいないです。
あと真島の兄さんが愛用してる武器のドスのエピソードも欲しかったよなあ・・・。
なんでこんなに真島の兄さんに拘ってるのかと言うと、私、龍が如くの公式イラスト賞に真島の兄さんのイラスト送ったくらい真島の兄さんのファンなんだ!!!

え?
桐生一馬はどうだったって?
どうだったっけ?
以上。


真島の兄さんベストセレクション