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fujiha 絵巻物語

2016-07-31

頬なでる潮風〜私説・源氏物語〜 5

「いみじゅう美しげにるやう」(栄華物語)な人がありました。

円融天皇に入内した、尊子内親王(966-985)承香殿女御のことです。

賀茂の社、東遊、物語の筋を超えるような出来事(前掲、紫式部さんの年譜のように)の関連で、『源氏物語』の発想に影響を与えた人物の一人だと思います。

尊子内親王の年譜

968年 3歳 賀茂別雷神社上賀茂神社)、賀茂御祖神社下鴨神社)の斎院に。東遊。

970年 5歳 紫野斎院に。

979年(円融天皇と交わした和歌)

   亀の上の 山をたづねし 人よりも 空に恋いふらむ 君をこそ思へ

   たづぬべき 方だにもなき 別れには 心をいづち やらぬとぞ思ふ

980年 15歳 円融天皇に入内 、翌月、大内裏が焼ける

981年 16歳 二品

982年 17歳 4月自ら髪を切り、出家

984年 19歳 三宝絵詞がつくられる

985年 20歳 薨去

妃の宮、火事が起きたことから、妃の宮に掛けて火の宮ともいわれます。後に中宮彰子さんにかかわる紫式部さんにとっては、ときめいていながらも、「時代の中枢から逸れていったような」(松岡正剛さんの表現)あはれを感じる御方です。

多くの人に好かれ慕われ、慶滋保胤さんは、尊子内親王を「仏の化身」と称えています。

源高明さんが罪を被せられた安和の変藤原伊尹さん兼家さんらの陰謀か。実はよく解明されていない変)などの争いがあった中。兼家さんの娘(詮子さん)は円融天皇に入内し、のちの一条天皇を産みます。藤原道長さんの娘の彰子さんはこの一条天皇に入内。「家庭教師」として紫式部さん登場。

詮子さんの次に、円融天皇に入内した尊子内親王は、20歳の若さで薨去しましたが、同時代を生きた紫式部さんにとっては、尊子内親王が生きた軌跡は自分の夫である宣孝さんや仕えた彰子さん、そして一条天皇、円融天皇を繋ぐ輝かしく「あはれ」なものに感じたと思います。・尊子内親王

 A−賀茂社の斎院−賀茂祭−東遊−夫宣孝さんの舞

B−円融天皇(父)に入内−一条天皇(子)、中宮彰子−時代の中枢に

 C−藤原伊尹さん兼家さんら肉親の死−時代の中枢から逸れていった家

Aについて、『源氏物語』須磨の巻では、光源氏が政変とのかかわりを避けるために、都を離れ須磨に発つ前に、下鴨神社を参拝した様子が書かれています。

(賀茂祭の斎王の御禊の日、葵桂をかざして、)

 君(光源氏)も御馬より下り給ひて御社(下鴨神社・糺の森)の方を拝み給ふとて、神にまかり申し給ふ。

 憂(浮)き世をば 今ぞ別るる とどまらむ 名をば糺(ただす)の 神にまかせて

 光源氏が人を人と思わないような政変を避け、「しかたがない。あとは神に御任せいたします」とします。時代の中枢から逸れていく光源氏。

このように見ますと、

B「時代の中枢」とC「時代の中枢から逸れる」の両面が書かれ、それが現実と物語(過去の出来事も含め)が糺の森の「烏の縄手」(下鴨神社の御祭神賀茂建角身命象徴、八咫烏)へお参りする縄のように長くて細い径)のように絡みながら人の心のありかた、国柄のありかたを本文と和歌で織りなしているのが『源氏物語』だと言えます。紫式部さんは、中枢側と中枢から逸れる側の双方を「あはれ」と観ています。このあやういバランスの上に成り立つ視点を他の誰よりももち、思慮深く考えていた人物こそ、円融天皇と尊子内親王だと思います。円融天皇と宣孝さんが光源氏?「いみじゅう美しげに光る」尊子内親王への思いやりをもてるような主人公を光源氏としたのでしょうか。

源氏物語は、多くの人物モデルとの関連が研究されています。わたしは、源氏物語は「円融天皇

と今は亡き尊子内親王、そして、いろごのみの夫宣孝さんらに捧げられた」物語としてとらえて読むと面白いです。

「北山のなにがし寺」や「一条天皇が円融寺(今の龍安寺)朱山に眠る円融天皇の近くに御陵を造りたい」としたことなど、つづきます。

東天紅東天紅 2016/08/07 21:21 そういうことで源氏物語と龍安寺がつながっていくのですね。
上賀茂神社で突風とは凄いですね。6月のテレビ番組で女優さんとお笑い芸人さんが伊勢神宮を参拝した時の突風にも驚きました。

先月、北九州市の戸畑祇園を見てきました。昼は普通の山笠ですが、夜は309個の提灯をピラミッドのように高さ10mまで組み上げた提灯山笠に早変わりします。4つの神社合同のお祭りですが、若戸大橋の戸畑側の下の恵美須神社は、平家の落人が漁民として生き延び、出雲から美保神社の御分霊を勧請して建立された神社との説明があり「あはれ」を感じました。
北九州は映画のロケ誘致に熱心で、この日は小倉の大通りを12時間通行止めにして、水○豊さん、反○隆史さんの「相棒-劇場版4」をエキストラ3千人も参加して撮影していましたが、戸畑は綾○はるかさんの名作「おっぱいバレー」の舞台になったことがあります。

ふじ葉ふじ葉 2016/08/08 16:48 東天紅さん
ご存知のように、京は、北から南へ、ゆるやかな傾斜になっています。室町幕府(足利氏)の花の御所や相国寺は、御所の北に造り、御所を見下ろすような意図があったとも言われています。一方、龍安寺(元円融寺)の朱山は天皇陵があるところで、そこから南に下りますと、足利氏の菩提寺、お墓、木像のある等持院(現在は、立◯館大学のキャンパスの所も昔は、等持院の寺域でした)があります。ここでは、天皇が足利将軍を御覧になるかたちになります。
お祭りのお話もありがとうございます。
映画といえば、先月は、蚕ノ社から広隆寺、蛇塚古墳を散策した折り、昔の大映(日活)、松竹、東映の映画撮影所も巡りました。数多くの時代劇や映画を生んだ土地でもありますね。アルバイトの時に、装束のまま入った東映の食堂も懐かしかったです。四条、高瀬川、フラン◯ワさんの近くにある、釜飯やしゅうまい、京野菜が美味しい月◯さんの女将さんは、子役でよく映画に出たかたです。京ことばも容貌も美しいかたです。(コメント表記を一部訂正)

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