19世紀ドイツを中心とした生物学的精神医学の登場とその終焉:ショーター『精神医学の歴史』(1999)

エドワード・ショーター「第三章 初期の生物学的精神医学」『精神医学の歴史――隔離の時代から薬物治療の時代まで』木村定訳、青土社、1999年、93–143頁。

精神医学の歴史―隔離の時代から薬物治療の時代まで

精神医学の歴史―隔離の時代から薬物治療の時代まで

 第三章「初期の生物学的精神医学」は、19世紀ドイツを中心とする精神医学の生物学的アプローチに関する章である。この時代は精神医学の中心がアサイラムから大学へと移った時代でもあった。
 ドイツでは、1865年にグリージンガー(Wilhelm Griesinger, 1817–1868)がベルリンのシャリテ病院精神科教授になったことが、アサイラム精神医学に対する大学精神医学の勝利を意味していた。グリージンガーの精神医学に対する見方は、精神病は神経と脳の病気とするものであった。彼はまた精神医学は他の医学分野との統合部分にあるべき医学であると信じていた。一方で、ドイツの生物学的精神医学を奉じる教授たちは、基礎科学研究に重きを置き、臨床医学に対してはほとんど関心を払わなかった。
 フランスでは、大学に精神医学部門を創設することはかなり遅くまでおこなわれなかった。19世紀を通じて、フランスの精神医学研究は大学ではなくアサイラムでおこなわれ、そのことは法律によって定められていた。しかし、1875年になるとやっと国内の4つの医学部で精神医学が講義されるようになった。そのためにフランスでは偉大な精神医学者はシャルコー(Jean-Martin Charcot, 1825–1893)を除いて生まれなかった。なお、シャルコーは正確には内科医であり病理学者であり、神経疾患の研究をおこなったが、彼の議論を引き継ぐ研究者はあらわれなかった。ただし、精神医学の生物学的アプローチ自体は幾人かの精神医学者によってアサイラムでおこなわれた。たとえばモレル(Bénédict Morel, 1809–1873)は19世紀半ばにアサイラム精神遅滞の形態を器質性に注目して「変質」について論じたし、マニャン(Valentin Magnan, 1835–1916)もまたアサイラムで院長をつとめながら、モレルの「変質」概念を引き継いで、ヨーロッパに考えを広げた。なお、この概念は20世紀初頭には精神医学者の間では流行遅れになったが、民衆の変質に対する恐怖は持続し、ナチスドイツにみられるような民俗衛生学へとつながっていくことになる。
 イギリスの精神医学は大陸に大きな遅れをとっていた。20世紀初頭においてもイギリスには精神医学の学校はなかったし、医学校でも顕微鏡を使った実験研究などは進められなかった。ただし、イギリスの精神医学がすべて生物学的アプローチを取らなかったわけではない。早くは1809年にエリス(Sir William Charles Ellis, 1780–1839)は狂気が脳と脳膜の病気と関連していると述べており、19世紀イギリスの精神医学者たちはおおよそ精神病を生物学的に捉えようとしていた。19世紀半ばから病院や大学でも精神医学が講じられるようになり、モーズリー(Henry Maudsley, 1835–1918)の強い訴えによって、彼の死後の1923年に「精神病の原因と病理の正確な科学的研究」の部門が医学校につくられた。これは、1865年にグリージンガーがドイツの大学でおこなった精神医学クリニックに58年遅れている。なおアメリカでは、19世紀末にマイヤー(Adolf Meyer, 1866–1950)が脳を精神活動の基質と捉える生物学的アプローチを導入している。アメリカの精神医学の特徴は、大陸とは異なり、精神医学の教育と研究が分離されていたことであった。
 以上のような生物学的精神医学は、ドイツ人のクレペリン(Emil Kraepelin, 1856–1926)の登場によって終焉を迎えることになる。つまり、これまでのように精神病の症状を死体の脳の変質に関連づけるのではなく、目の前にいる患者の生活史と関連づけようとクレペリンは考えたのであった。目に問題があったために、同僚がやるように顕微鏡を覗くことができなかったクレペリンは、精神病を生物学的にではなく心理学的に捉えることを志した。たとえば、患者の入退院前後の症状をカードに書き込み、それらを検討することで病気を分類しようとした。こういった成果は1883年から教科書の形であらわされ、1893年の第三版は精神医学の歴史上重要なものとなった。しかし、1896年からクレペリンは、精神病の診断ではなく、予後の正確な判定をより重視するようになった。つまり、患者や家族が将来を確実に予見できることが、診断の意義であると考えるようになった。この発想は現在の精神医学の権威である『精神障害の診断と統計のための手引き書』(いわゆるDSM)に引き継がれる。このようにして、これまでの生物学的精神医学は、疾患のラベルを増やすだけで、臨床上でのメリットをほとんどもたらさなかったことに対し、クレペリンの精神医学は原因を闇雲に追い求めず、患者の症状に即した診断・予後を目指したのであった。