鶏友Kさん

また一人、鶏友Kさんを亡くした。
もう40年前になるだろうか、私がまだ相模原市で養鶏をやっていたころ、彼は秦野市で同じく養鶏をやっていた、歳も同じであり長男も同じ頃生まれたり、お互いに気があって行き来していた。
その後、彼は農場の立地条件を生かしゴルフ練習場に転進し、私は農場と自宅を埼玉県岡部町(今は深谷市となる)に移動、お互いに会う機会も減っていた。

そんな所へ突然の訃報であった、急いで仲間に彼の最近の様子を聞いてみたところ、3ヶ月ほど前まで元気にゴルフをしていて、急に発熱しそれがいつまでも下がらず、病院に行ったら肝臓ガンの末期を知らされたと言う。
彼は頑丈な男で鳴らし、業界の宴席でお互いに酔っ払って相撲をとり投げ飛ばされた記憶がある、おそらく丈夫が仇して早期の検診を受けつけなかったのであろう、まったく人の運命はわからない。

告別式の日、奥さんにお悔やみの挨拶をしたが言葉にならない、お互いに白髪が増え、過ぎた歳月の速さと世の無常を知るのみ。
最後の別れに立ち会って、お棺に花を入れ彼の額に手を触れたとたん、涙が止まらなくなった。