琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

『白夜行』感想

http://www.tbs.co.jp/byakuyakou/

 正直最初の30分はかなり苦痛でした。なんだかもうひたすら「出口のない迷宮」を観せられているようで。僕はこんなこと偉そうに書いてますけど、基本的には楽しいことや気持ちいいことのほうが好きな人間なので、あの子どもたちが置かれた状況のあまりの痛々しさに、「もう観るのやめようかな…」と何度も思いましたよええ。感想をネットに書こうと思ってなかったら、チャンネル替えましたきっと。「ようやく明日は金曜日という夜に、なんでこんな救いようのない話を観ているのだろう」ってかなり真剣に感じたもの。
 それにしてもあの子どもの頃の雪穂役の女の子(福田麻由子さん)は、本当に凄かった。なんというか、同じくらいの年でも、あの年頃では、女の子のほうがものすごく大人だったよなあ、とかあらためて思い出したもの。それを考えると、成長して綾瀬さんになって、むしろ「子ども返り」してしまったのではないかという違和感も無きにしもあらずなんですけど。というか、ほんと今日の第1回だけでもうお腹一杯。武田鉄矢も、もし仮に子どものどちらかがが犯人だとしても、そんな真実暴いたって誰も幸せにならないんだからうやめとけよ、とかも思ったし。
 ただ、僕は自分があの子どもだたら同じことをしたかもしれないと感じたし、大人っていうのは、やっぱり「自分の子どもには見せられないようなこと」をやっちゃいけないのだよな、と心から反省した。僕は幼児趣味は全然ないので、そういうことを言うのは「差別」だと思われてしまうかもしれないけれど、そういう趣味に対してまで「個人の嗜好だ」という感じで寛容になってしまっている今の社会やネットに対して、危機感を持ったのは厳然たる事実。やっぱり、「ダメなものはダメ」なのだ。大人にとっては、浮気だって「遊びの範疇」なのかもしれないけど、そういうものが子どもの心に与える影響っていうのは、大人が思っているよりもはるかに大きいものだし。
 実は僕は原作未読なのですが、このあと「トラウマを理由に2人が悪いことをしまくる」というような話だったら嫌だよなあ。でもほんと、このドラマって本来18禁にすべきものじゃないのだろうか。「失楽園」とかよりも、はるかに観た人間の心にダメージを残しそうだし、子どもだったらなおさらだろう。結局「セカチュー」コンビで歌まで柴咲コウかよ!というのはあるんですけど、逆に、だからこそ「救いようがある」ドラマなのかもしれないけどさ。これ、確かに続きが気にはなるけど、観ても幸せにはなれそうにないよなあ。今後も観続けるかどうかは悩ましい。ヘタしたら録画だけして一生観ないかも…

「白夜行」続き

 雪穂の子ども時代の福田真由子の評価が高かったみたいだけど、僕は泉澤祐希の演技にも拍手を送りたい。雪穂というのは、もともと「演技しながら生きるようになってしまった女性」で、そういう意味では、福田真由子は「上手な演技」だったし、それに対して、泉澤祐希は、亮司を傍からみれば幼稚に見えるくらい真っ直ぐにやっていて、それがこの2人の関係にはすごくふさわしかったように思えるのだ。お互いの役柄に合っているという意味では、どちらがというわけではなくて、両方とも素晴らしかったと思う。僕は「自分の演技の上手さを押し付ける演技」よりも、泉澤祐希のような「役柄を生かすような演技」のほうが、なんとなく好きだ。
 それと、このドラマを観て「面白い」という感想がけっこうあったのに、実はちょっと驚いている。だって、あの内容は、どちらかというと「目をそむけたくなる」ようなものではないだろうか。生活苦から娘を売る母親(「お母さんも同じことをして、お前を育ててきたんだからね!」というのは、本当に痛々しい)と一見平和そうに見えているものの、実際は崩壊しており、少女買春をやめられない父親。さすがに、どこにでもある話ではないだろうけれど、大人の視点からすれば、あの親たちだって「自分がこんなふうになっても、おかしくないのではないか」という気もするのだ。あの人たちは、本当にダメな大人だけれど、大人というのは、多かれ少なかれダメな存在なのだし。だからといって殺されてもいい、なんてことはないのだけれど……
 でも、どうなのだろう?この「白夜行」って、今の世の中では、「こんな話は、もう観たくない…」と考える人がたくさんいるほどの「酷い話」ではないのだろうか?

人間は考える葦である

きまぐれ遊歩道 (新潮文庫)

きまぐれ遊歩道 (新潮文庫)

↑の本には、星新一版「トリビアの泉」のようなコーナーがあるのだが、そのなかで、パスカルの有名なこの言葉に【葦はイネ科の植物。葦はいずれ枯れるのを知らないでいるが、人間はそれを知っていることがちがう」との意味である。パスカルの父は官吏で、「数学なんか勉強してもむだだ」と言い、むすこは好奇心を抱き、まず、その分野で業績を残した。】という解説を加えている。
 僕はこの言葉を「人間は『考えることができる』ということができるという点が、唯一ほかの生物よりも優れているのだ」と解釈していたのだが、本来は、「死を意識できる存在である」という意味だったようだ。あるいは、「考える」というのは、「死を意識する」というのと同義なのかもしれないが。

アクセスカウンター