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2006-03-30 「インターネット人類補完計画」の果てに

[]「インターネット人類補完計画」の果てに 「インターネット人類補完計画」の果てにを含むブックマーク 「インターネット人類補完計画」の果てにのブックマークコメント

 最近、僕にとって、サイトでものを書くことが「楽しい」と言える時間は、どんどん少なくなってきているような気がする。それは単に、エネルギーの枯渇なのかもしれないけれど。

 僕がサイトをはじめたころの5年前くらいの個人サイト界には、まだ、「自分のサイトを作るような人間」のあいだには、一種の共同体意識があったような気がする。お互いに意見の相違はもちろんあったのだが、それでも、「まあ、俺たちは所詮『インターネットで自己主張をしあっている、中途半端なクリエーターだもんな」というような感触がお互いにあったのだ。でもそこには、「ネットという新しいツールで何かができるんじゃないかという希望」みたいなものが漠然と存在していた。そういう意味では、「ネットの可能性を信じていた」僕たちは、ひとつの政党のなかの派閥みたいなものだったわけだ。そして、世間の「ネットなんて気持ち悪い」という風当たりに対しては、お互いに支えあってきた。

 思い出してみると、ネットというツールが一般的になろうとしていたとき、「ネットで世界中の人たちが、いろんなしがらみを超えて、個人対個人のままで、リアルタイムにコミュニケーションできるのではないか」と僕たちは信じていたのだ。「ネットは世界を変える」と。

 だが、今の「ネット社会」はどうだ?確かに、ネットは生活を便利にしてくれた。電話が苦手な僕もパソコンの前で「あいにく満室ですので…」なんて言われて気まずい思いをすることがなくホテルの予約ができ、田舎にいてもマニアックな書籍やDVDがamazonで買えるようになった。そう、本当にネットは「便利」だ。

 しかし、その一方で、ネットは、みんなが本当に期待していたものとは違う方向に向かってきているというのも、また事実なのだ。「コミュニケーションによって、人それぞれのギャップを埋めてくれるツール」であったはずのインターネットでは、テロリストたちが犯行声明を流し続けている。個人サイトの管理人やブロガーたちは、「誰かとわかりあう」ためにではなく、「自分が正義であること」を世界に証明するために、このネットという道具を使うようになり、この世界は揚げ足取りと水掛け論に満たされている。誰かが精魂を込めて書いた創作よりも、ネットバトルのほうが喝采を浴びる。みんなが「他人との違い」を真っすぐに前だけを向いて叫んでいる。

 そして僕は、「こんなことを書いたら、「はてなブックマーク」で取り上げてもらえるだろうか?とか期待し、でも、イヤミなコメントつけられないかな…と悩んでいる。そして結果的には、「予定調和の枠内」に着地する。結局、僕にとってのネットは、ATフィールドの存在をあらためて自覚させてくれるツールでしかないのかもしれない。ネット人口が増えれば増えるほど、ネット上の人と人との壁は高く、厚くなっていく。昔は、ネットにいるだけで、すでに「仲間」だったのに、今のこの場所は「他人」だらけだ。

 結局、僕たちは、「こういうインターネット」を選んでしまったのだ。みんなで融和するためのツールではなく、他人と衝突することによって、自分の存在価値を証明しようとする世界を。そして、僕はもう、そういうのにかなり疲れているにもかかわらず、他に居場所を見つけることもできなくて、こうして今夜も、誰も読まないかもしれない文章をダラダラと書き綴っている。

 たぶん、インターネットは、僕を救えなかった。

NokoNoko 2006/03/30 01:26 救われなかったもののひとりです。
そう、共同体意識が楽しくて、サイトをやっていたころは確かにありました。今はその感覚はどんどん薄れてきています。はてなダイアリーとかblogの中ではあるのでしょうか。

天慈天慈 2006/03/30 13:39 救われないと思うときもありましたが、総じて考えると救われたという思いの方が私は強いです。

assaassa 2006/03/30 17:57 これから生きていく上で意見が変わらない保証なんか無いですけど、現時点では意見交換の場として考えてもネットは素晴らしいものかなと思っています

雪見雪見 2006/03/30 18:56 わたしはネットで書くようになって7年ぐらいになります。あの頃はネットをやってるなんてマイノリティでしたし、悪いことをしているわけでもないのに後ろめたい気がしたものです。マイノリティ同士、みんなでわいわいと助けあったり喧嘩したりしながら楽しんでいました。
あの頃、自分やまわりの人たちの<気持ちの温度>が今とは比べものにならないほど高かったなぁと思います。
わたしもあの頃の書く楽しさを100とすると今は30ぐらいに下がっている気がしますが、それはきっと自分の個人的な状況が変わってきて、その結果書く内容が変わり、読みにきてくれる人たちのタイプも変わったからだろうと思っていました。でも今回Fujiponさんの文章を読んで、自分だけではない現象なのだなぁとあらためて認識しました。
なんでも新しいものがスタートするとき、人の気持ちは熱いのでしょうね。時間がたってだんだん温度が下がることはしかたないし自然なことだと思います。そして、温度があまり高くないということにもきっとそれなりの良さもあるのではないでしょうか。「熱い仲間」は素敵だったけど、「一見少々クールな他人」にも良さがあると思うのです。わたしはそんな風に思っていきたいです。

( ゜д゜ )( ゜д゜ ) 2006/03/30 22:38 きみはじつにばかだな。
闘わなきゃ現実と。

delphinusdelphinus 2006/03/31 00:32 孤独に歩め.悪をなさず,求めるところは少なく.林の中の象のように

nn 2006/03/31 00:50 mixiやSNSといったクローズドなネットワークサービスが流行っているのはこういうところにあるのだろうか

euphoriaeuphoria 2006/03/31 03:08 なんとなく「全ての言葉はさよなら」の歌詞を思い出した

3day3day 2006/03/31 03:35 Xbox360のネットワーク参加者が日本ではまだまだ少なく
黎明期かつ、未来を熱く語り、体験出来る雰囲気なんては
差し詰め、インターネットの黎明期に通じる所があるみたいですょ
そこに参加し、自分が老いたいのか?世界が変わったのか?を試すのも一興かと

okinonokinon 2006/03/31 06:12 10年前、中学生の頃にインターネットの理想に憧れていました。
5年前、大学で「普通に」使う頃には自分もその担い手のひとりになれると思えました。
いま、社会の外の「世界」に繋がるはずだったネットが、社会の中の「世間」になってきている感があります。
それでも、こうしてfujiponさんと袖振り合うことができるから、まだあの頃の期待は、補完計画は続いているんじゃないかと思っています。

tomtom 2006/04/03 10:19 >ネット人口が増えれば増えるほど、ネット上の人と人との壁は高く、厚くなっていく

この一文、非常に同感です。
たとえば、配偶者がハード面の設定をすべてやってくれて、自分は使うだけという人も増えました。そういう人には、「サイトが重い」とはどういう状態なのかさえ、わからないようです。そういうレベルの違いも、お互いの理解を難しくしていると思います。

モアレモアレ 2006/04/07 11:18 揚げ足取りや俺様主張は神経質で陰険なオタクっぽい人達の間の事だけでしょ。
自分を証明する場所がネットで意見を表明する時だけ存在するからそれが否定されたら自分まで否定される様で非常に恐怖する気持ちを持つ。
他の事で自分を持ってたらもっと余裕を持てる。

こけしこけし 2006/04/14 05:33 この文章、最後ネガティブだけど、5年くらい前は
とてもそういう期待感が高かったね。”もせあ”なんて解るんじゃないか?*笑*
ネットは今、仮想社会となりつつあるわけで、GoogleEarthが3Dソフト会社を
買収したのだって、現実社会を仮想社会へ移行しようとしてるだけ。
仮想社会と現実の壁が薄くなってきたからこそ、他人との壁が高く見えるんだよ。
現実社会が仮想社会に移ることで現実社会の常識が覆されてるけど
仮想社会の常識を覆すことをしてみたらいいじゃない。

Wataru AuroranWataru Auroran 2007/03/08 21:50 GIGAZINEからきますた
僕が昔のネットで思い出すのは…「先行者」と「田代祭り」
楽しかったなぁ。

きもいきもい 2007/03/09 15:52 なれあいが好きならmixiでもやれば!
なに悲劇にヒロインぶってんの

fujiponfujipon 2007/03/09 16:03 >きもいさん
それはmixiに失礼&mixiに対する認識不足です。
あと、僕は男ですし、日本語としては、「悲劇に」という言葉遣いは誤りで、「悲劇の」が一般的です。もっと日本語を勉強してから悪口を書きにきたほうがいいですよ、哂いにきたはずなのにかえってみんなに笑われるなんて、かわいそうに……

ななしななし 2007/11/27 04:08 ネットやってる人は他人を罵って人の悪口だけかき立てて その癖自分だけは罵られるような人間ではないというような感じの人間性に見える。
顔が見えないのを良い事に それを隠れみのにして 自分の事 棚に上げて 人を キモイってかき立てたり、その事実を 指摘すると 開き直りのように [ネットじゃ普通だ]と言ったり。

でも、本当は他人とのコミュニケーションを取ったり 色々な情報を得たりする便利な物なのに それが他人を中傷する為のツールになるのは パソコンを使う人達の 人間性の悪さだと 思う。 そういう人達は他人の揚げ足は取るけど 自分の 行いの 悪さを認めない。

cantamacantama 2008/03/04 13:03 ありがとう 私は助かりました
補完計画を進めて行きたいと思います

fixdiscfixdisc 2008/08/27 21:40 >>ななし氏
いわゆる”煽り”と呼ばれる人たちのことですね。
けれどそういう人間性の悪さってのは人間が普遍的に持っているものだと思う。
このストレス社会ですよ?まさか常日頃から”きれいなジャイアン”状態な人もいないでしょう。
煽っている人についていえば、彼らは煽り自体が彼らにとってのコミュニケーションなんですよ。
ほら、よくいわれるでしょ?煽りはスルーが鉄則だって。
煽りと馴れ合いは紙一重です。彼らは”煽りという名の馴れ合い”をやっているんですよ。

>>管理人氏
私はサイトを持ったことがありません。
昔からネット上の掲示板などにもほとんど書き込んだことがありません。
その上で書き込みをさせていただきます。

私は過去にネットサーフをしている時はもっぱらロム専でした。
それがブログというツールがでてきて、
その記事を書く人ではなく記事そのものが重視されるようになってきたのではないかと思います。
2chなどの匿名掲示板でもその傾向が強いです。だから、
2ちゃんねるが盛り上がるダイナミズム
http://www2.econ.osaka-u.ac.jp/~matumura/2ch.html
これの
>議論発散傾向
ではレスの面白さを競い合ったり、馴れ合ったり、煽り合ったりすることで場が形成されていきます。
>議論深化傾向
では議論発散傾向より内容がさらに重視されます。
又、記事主体になり私なんかも非常に書き込みやすくなりました。
記事を読み、コメントを書く時に著者の人生の背景を読み取らずに済むからでしょうか。
記事単体の主張のみがすぅーっと頭に流れ込んでくるような感覚です。
背景を知らなければ著者本人に感情移入をする必要もなく、文本体と向き合えるからなのかもしれません。

文は著者が”何のために書くのか”が意識されていなければその文は死にます。
自分のために書くのか、特定の人に書くのか、不特定多数に書くのか、誰でもいい誰かに書くのか。
書く根源理由は「伝えるため」か「記録として残すため」か「記憶として残すため」の三様ですね。

ネットは表現の宝庫です。アマチュアであれプロであれ、
絵描き、デザイナー、音楽家、文章作家、詩人、WEB設計士、
WEBへの俯瞰者、情報意見交換その他にもたくさん。
私は過去のWEB情勢がどんなだったのかは完全には知りません。
けれど今日のWEBは匿名掲示板やブログなどが登場したことによって、
これまでの人々の意識がただ単に表出しただけと私は見ます。
その意識を調べていったら上が発表する世間の意識調査より、よっぽど興味深い何かがわかると思います。
だけど、いくらなんでもサイトが増えすぎました。

ネットって、「認識されなければいないのと同じ」という認識が書き手側にあると私は思う。
でもそんなことはない。私の様なROMの人も確実にいる。そのことを絶対に忘れないでいただきたい。
.htmlであれ.jpgであれ.midiであれ、それがデータとして残っている以上は永久に人に認知され続ける。
そして認識されることのない”ROM”に確実に影響を与えている。
ネットは蓄積されいくものですから。ネットそのものが歴史なんです。

検索を例に出してみます。検索は固有名詞のみで検索をすれば単純にその固有名詞の情報が出ますが、
そこに単語を足すだけで検索者の恣意性が反映されます。
でも検索されなかったサイトも検索者に認知されなかっただけでネット上に確実に”ある”んです。
当たり前すぎると思われるかもしれませんが、検索者にとって
検索しきれなかったサイト、見ることができなかったサイトを知る術はありません。
検索者にとってそれらのサイトは”ない”ことになります。

管理人氏がご自身のインターネットへの期待をATフィールドに喩えていることを、
人と人との繋がりが欲しいというふうに私は解釈します。
実際匿名掲示板やブログによって、コミュニケーションにさらに歯車がかかるのでしょう。
しかし、皮肉なことに管理人氏が挙げている
>誰かが精魂を込めて書いた創作よりも、ネットバトルのほうが喝采を浴びる。
このネットバトルこそ人と人の繋がりの証左ですよ。
結局管理人氏は何をネットに期待しているのですか?
そして何に対して自己完結的に失望しているのですか?
残念ながら管理人氏のこのエントリーは書き手側からのみの視点だと思います。
姿は見えないけれど読み手のみの人も参加していることを忘れないで下さい。
ネットは玉石混合に入り乱れた様々なサイトが”あり”それに関わる人が”いる”だけです。
又、一つの情報に対してどう捉えるかの人の価値判断も様々で、
人によって「玉」と「石」が逆転することも有り得ます。

そもそも管理人氏はネットへの期待とおっしゃってますが、
これは「ネットを使用する人に対しての期待」ですね。
”ハリネズミのジレンマ”ですよ。傷つき、ボロボロになった人だけが本当の優しさを知っている。
匿名掲示板やブログなどで人と人が繋がることで、
瀕死の傷を負うこともあれば死に物狂いの愛情が芽生えることもあります。

もしかして
>ネットというツールが一般的になろうとしていたとき、「ネットで世界中の人たちが、いろんなしがらみを超えて、個人対個人のままで、リアルタイムにコミュニケーションできるのではないか」

個人対多を意識するからしんどくなるのではないですか?
多を意識するのは公私混同を起こさないためには有用ですが恥の文化の重圧に押しつぶされてしまいます。
多を意識するのはいわゆる”世間体”や”一般人”を意識するのと同じでそのもの自体の実態はありません。
実態は”多くの個人”に過ぎません。
人もネットも一期一会。色々書きましたが、私の伝えたいことがちょっとでも伝われば幸いです。
とにかく、無理をしないでじっくり休んでください。

fixdiscfixdisc 2008/08/29 02:34
追記という形で連レスです。

たぶん寂しいのでしょうね。
馴れ合う人も煽る人も荒らす人も。
ブログというツールも従来型ホームページに比べ、
コミュニケーションツールという側面がどうしても大きい。
掲示板と決定的に違うのは、訪問者がサイト管理者と対するかその場の全員と対するか。
アクセスカウンターを気にする人や、mixiの連鎖性。話題の共有。
人数や値段、順位や点数、数値という絶対的価値に、ついてまわる相対的価値の意識。
騒ぎ立てるマスコミだって本質的にはそうかもしれない。
マスコミは他者への好奇心のほうが強いが、構って欲しい心理と似ている気がする。
嫉妬と寂しさは対極の位置にありますが同時に起こります。

ブログと従来型ホームページが本質的に何が違うのかは分からないが、
少なくとも”型”があらかじめ用意されている。
世界が便利になる分だけスキルを構築する必要がなくなるため、
その人個人ではなく界隈的に見て必然的に能力(表現力)が下がる。
なので均一化が起こりやすい。同時に、唯一他とは違う「文」に着目されやすくなる。
だからそのサイト管理者やそのサイト自身も「文」で判断されやすい。
「文」によるものが大きいため「文」による情熱や”いさかい”もその分増える。
文を使うことも、文に使われることもある。
”使われる”というのはよく批判的文脈で用いられるが、それは人に「自我」があるため。
人間至上主義の、”人”の特権意識。
言葉は生きている。魂が宿っている。だからこそ私たちは書き続け、表現し続ける。

>「インターネット人類補完計画」の果てに
というタイトルを付けたのは意図的ですか?
孤独を忌避する気持ちは誰もが持っているけれど、
LCLの海に自ら溶け込んだら”個人の死”を意味しますよ。
人は「分かり合えない他人」であるからこそ面白いんです。

そんなあなたに金子みすゞ氏のこの詩を贈ります。
>わたしと小鳥とすずと
>金子 みすゞ

>すずと、小鳥と、それからわたし、
>みんなちがって、みんないい。
文部省検定教科書38光村国語323小学校国語科用 光村図書 国語三上わかば P.16,17より
参考:http://www.owari.ne.jp/~fukuzawa/misuzu0,.htm