琥珀色の戯言

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必笑小咄のテクニック

必笑小咄のテクニック (集英社新書)

必笑小咄のテクニック (集英社新書)

 翻訳家・エッセイストの米原万里さんによる「人を笑わせる話のツボ」をさまざまな角度から紹介した本。「笑い」が好きな人、ユーモアがある文章を書きたい人にとっては、とても参考になる本だと思います。まあ正直「笑い」のセンスとしては、ちょっと前時代的なんじゃないかな、という気がするし、「笑い」といっても「爆笑」というよりは、唇の端をちょっと歪めてニヤリ、という感じのシニカルなジョークが多いのですが。
 正直、米原さんの政治的な言及、とくに小泉・ブッシュ批判については、典型的な「良心的知識人」っぽくてやや引いてしまうのですが(もちろん、ある種の「笑い」は「政治」を無視しては語れないところはあるにせよ)。
 それにしても、米原さんってこんなに豪快な人だったとは!

 この本の末尾には、2005年の晩秋に書かれた米原さん自身による「あとがき」があります。
 それを読んで、癌の転移を知りながら、この「笑い」についての本を執筆されていたということを思うと、なんともいえない気持ちにさせられてしまうのですけど。
 人間にとって、切実に「笑い」が必要なときって、「笑えない状況」のときなんですよね、きっと。

壺算

↑の米原さんの本に、こんなネタが紹介されていました(上方落語の「壺算」という有名な噺だそうです)

「へぇ、お越しやす」
「嬶(かか)が新しい水壺買うてきてくれ言いよりまりてな……」
「へぇへぇ、右ん棚が十円もん、左ん棚が五円もんになってます」
「ごっつう高こおますなあ……この左ん棚の白いんがええわ。遠いところから来てるんやから、せいぜい気張ってや!」
「そうでんなあ、どぉーんと勉強して、四円! これ以上はまからしまへん」
「そうでっか。そなら失礼しますわ」
「三円! 儲け度外視ですわ」
「ほな、もらおうか」
「ありがとさんでおます。へぇ、たしかに三円いただきました。どうぞ、これからもご贔屓に」
 ところが、店を出ていった客が半時も経たぬうちにまた戻ってまいります。
「へぇ、お越しやす。おやまあ、さっきのお人やおまへんか」
「嬶に見せよったら、この壺は小さい言いよりまるのや。右ん棚の大ぶりな壺もらいますわ。せいぜい勉強してや」
「七円!」
「六円!」
「殺生な……仕方ありませんな。手え打たしてもらいますわ」
「おおきに。そいでこの小さい方の壺は下取りしていただけまっか」
「よろしおます。三円で引き取らせていただきまひょう」
「さっきの三円と壺の下取り賃三円と合わせてちょうど六円や。ほな、この壺、もろていくで。包まんでもええがな」
「へぇ、おおきに。またお越しやす」

 米原さんの記憶によると、中学時代の数学の教科書に、「このまやかしを証明せよ」という問題でこの落語が紹介されていたそうですし、15年前には、イタリア人の詐欺師が同じ手口で両替を持ちかけて、東京・上野の商店の軒並み騙したことがあったそうです。
 しかしこれ、話全体としては、「三円しか出してないのに、六円の壺をせしめるなんておかしい」のは感覚的にわかるのですが、「(数学的に)まやかしを証明せよ」とあらためて言われると、ちょっと頭がこんがらがってしまいますよね。

結婚式に友人の参加ゼロ!

http://www.yomiuri.co.jp/komachi/reader/200607/2006070400032.htm

いや、ネタであってもらいたいとも思うのですが。
僕は「結婚式(というか「披露宴」)」って、「呼ばれたらよっぽどの理由(病気とか海外の学会での発表とか)がない限り、出席しなければならないもの」だというイメージを持っていたんですけど、これを読んでいると「人数合わせで呼ばれる」とかいうようなケースもあるし、出席を断られるのって、そんなに珍しいケースではないんですね……
しかし、

「利用するときだけ利用するというあなたの考え方が嫌」と言われてしまいました。もう一人の友達に電話してみると「自分でしてきたことを振り返ってみたら?」と言われてしまい、ずっと友達だと思っていたのにショックです。

って、そんなキツイことを直接「友人」に言われるのって、いったいどんな酷いことを今までこの人がしてきたのかと想像すると、なんだか恐ろしくなってきました。そして、その「復讐」の場として、「結婚式」が選ばれるというのにも。
テポドン撃ち込んだりしないかぎり、ここまで言われるなんてありえないような……

あっ、でも僕も一度だけ出席を断ったことがあったな、そういえば。

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