2008-08-31 夏と花火と私の死体/はてなブックマークのコメント一覧非表示機能
■[本]夏と花火と私の死体 ☆☆☆☆

- 作者: 乙一
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2000/05/19
- メディア: 文庫
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内容(「BOOK」データベースより)
九歳の夏休み、少女は殺された。あまりに無邪気な殺人者によって、あっけなく―。こうして、ひとつの死体をめぐる、幼い兄妹の悪夢のような四日間の冒険が始まった。次々に訪れる危機。彼らは大人たちの追及から逃れることができるのか?死体をどこへ隠せばいいのか?恐るべき子供たちを描き、斬新な語り口でホラー界を驚愕させた、早熟な才能・乙一のデビュー作、文庫化なる。第六回ジャンプ小説・ノンフィクション大賞受賞作。
この作品が『ジャンプノベルズ』に発表されたのが1996年。
これを書かれたとき、乙一さんは16歳でした。
当時、「この若さでこんな作品を書くなんて!」とたいそう話題になったのですが、僕は「ケッ、若いってだけで話題づくりのために受賞したようなガキの小説なんか読めるかよ!」と、読んだこともないこの作品を嫌っていた記憶があります。
結局、乙一さんは「一発屋」などではなく、現在でもトップランナーとして活躍されていて「栴檀は双葉よりも芳し」ということわざを実証されているんですけどね。
今回「気軽に読める薄めの本」を書店で探していて、200頁あまりのこの文庫を買って読んだのですが、表題作『夏と花火と私の死体』には、すっかり引き込まれてしまいました。いや、リアリティがないとか、どこかで読んだような「どんでん返し」だったとか、いろいろ感じたところはあるのですけど、なんだかとても「続きが読みたくなる作品」なんですよね。乙一さんは、子どもの「幼さ」と「残酷さ」を緻密かつ容赦なく描いていて、それができたのは、当時の乙一さんにとって、「子ども」というのがまだ生々しい記憶だったからではないかと思うのです。
この作品の「解説」で、小野不由美さんがこの本を読んだ当時の「感想メモ」を紹介されています。
「さて問題は、『わたし』の死体の一人称なのだが。――これが、すごく変。そう、変なのだ。これは五月という殺された少女の一人称ではない。死体を抱えて右往左往する子供につきまとった亡霊の視点ではない。これはむしろ、『わたし』という自称を持つ神の視点なんだと思う。五月という少女の一人称、彼女の視点は、死を契機にして神の視座へと昇る。――そう考えたほうがいいのではないだろうか。この神はかつて五月という9歳の少女であり、五月の記憶を持っており、五月の情感の残滓を留めているのだが、確実に記述上の『神』だ」
「この、神の視点に昇った五月の語り口が、実に微妙で気持ちいい。――なんとも奇妙で収まりが悪くて気持ち悪いのだが、その、どうにもモゾッとした感じがすごく快感で、しかもこれがサスペンスとの折り合いがいい。
明るい夏、のどかな田園風景、牧歌的な田舎の集落、それを綴っていく死体、その何とも言えない、モヤモヤした語り口の――異物感というか違和感というか、その落差が素晴らしい」
この作品の「狂言回し」は「死んでしまった五月」なのですが、この小説のすごいところは、「死んでしまった少女が淡々と物語の進行役をつとめていること」なのではないかと思います。
普通、こういう特別な視点で書かれる場合には、「なぜこの人物が語り手なのか?」が説明されるはずです。
「この世に無念を残したので、霊として存在している」とか「実は死んでいなかった」とか。
でも、乙一さんは、そういうことを全く説明せずに、この物語を書いているのです。
「それって変」なんですよ本当は。でも、その「変」なところがいちばんこの小説の怖いところなのかもしれません。
もしここで、「五月視点の理由」を言葉にしようとしていたら、この小説はつまらないものになっていたような気がします。そういう「説明しないセンス」こそが、乙一さんの才能なのかな、と。
ところで、僕がいまこの小説を読んで痛感したのは、「若すぎることとか人生経験の少なさというのは『書けないこと』への言い訳にはならないのだ」ということだったんですよね。
「ネタになるような専門知識がないし……」とか「人生で特別な経験をしたことがないから……」というような「書けない理由」を考えてしまいがちだけど、この『夏と花火と私の死体』を読むと、誰でも経験しているはずの「ごく普通の夏休みの記憶」だけでも、面白い小説というのは十分に書けるのです。
いや、それができるからこそ乙一は天才なのだ、ということなのでしょうけど、逆に言えば、「自分の手持ちのカードの少なさを嘆いているだけで書こうとしない人間には、いつまで経っても『作品』なんて書けない」ということなのでしょう。
併録されている短編『優子』は、「この年齢にしてはすごい」と感じたくらいの「作者の年齢を意識してしまう」レベルの作品だったのですけど、表題作には一読の価値があると思います。
■[WEB]「はてなブックマークのコメント一覧非表示機能」への現時点での雑感

はてなブックマークのコメント一覧非表示機能について - はてなブックマーク日記 - 機能変更、お知らせなど
はてなブックマークでは任意のサイトをブックマークする、ブックマークした際にコメントを付与することは基本的にウェブの活動の範囲内であり、ブックマークサービス利用者の自由であると考えております。
一方、これまではブックマークのコメント一覧はサイトの作者様の意志に関わらず公開されるものでしたが、このとき、サイト作者様の意向によってはコメントを非表示としたい場合もあると考えています。
ブックマーク/コメントの自由は維持しながら、サイトの作者様の意思によりブックマーク/コメント一覧を非表示にできるよう、本機能の追加を行いました。
本機能をご利用いただくにあたっては、以下の点にご注意ください。
・「エントリーページのブックマーク/コメント一覧」のみが非表示である点にご注意ください。(ブックマークやコメントが不可能となるわけではありません。) そのブックマークしたユーザーのページを直接閲覧する、お気に入り機能経由でこれまでと変わらずブックマークやコメントの閲覧は可能です。
・meta タグが設定されたページのみがコメント非表示となります。有効範囲がサイト全体ではない点にご注意ください。そのサイト全体をコメント非表示としたい場合は、全ページに meta タグを追加してください。
・現状の仕様では、コメントを非表示とするかどうかの判断はそのページが初めてブックマークされた時にのみ行っております。一度ブックマークが寄せられたページを途中からコメント非表示とする機能は現状はサポートしておりません。
この「コメント一覧非表示機能」についての現時点での雑感。
基本的には、こういう選択肢ができたことは、非常に歓迎すべきことだと思うし、これまでの「はてな」の姿勢からすれば、飛躍的に「ブログを書いている人の側を向いた」改良でしょう。
僕のブックマークする側、そして、される側としてのいままでの経験から考えると、あの「エントリーページのブックマーク/コメント一覧」っていうのはすごく便利で、ある程度以上(50、あるいは30くらいかな)の数が集まると、それだけで、そのエントリに対する「はてな界隈での空気感」みたいなものを象徴してしまうように感じられるのです。
アクセス解析を参照すると、「エントリーページのブックマーク/コメント一覧」経由で元のエントリを読みにくる人ってけっこう多いんだよね。
「ホットエントリ」から、面白そう、あるいはブックマークコメントが多いエントリを選び、まずコメントを読んで興味がわいたら元のエントリを読む、という流れ。
そのことそのものは、けっして悪いことではないのだけれど、ブックマークコメントで、ある種の先入観を抱いた状態で元のエントリを読む人が多くなったり、いわゆる「炎上」しそうなエントリを好んで読む人たちが存在しているように思われます。
そういう「炎上させたい人たち」にとって、「みんなと一緒にエントリを叩く楽しみ」を低下させるこの機能は、非常に効果的なのではないかと。
「一覧非表示」であれば、コメント一覧での「ネガコメ大喜利」(スター=座布団)みたいなものも減るはずです。
いろいろ「抜け道」が指摘されてはいるけれど、少なくとも、「敷居が上がる」「多くの人に見られにくくなる」というだけで、かなりの効果は期待できるんじゃないかな。
ネット上の大部分の人は、「ちょっとでも面倒なこと」は敬遠してしまうから。
しかし、この「はてな」からのリリースを読んでいると、「はてな」にとっては、これはまさに「苦渋の選択」だったのだな、ということがよくわかります。「はてな」のサービスのなかでも多くの利用者を持つサービスのひとつなだけに、慎重になるのも理解できるんですけどね。
今回「非表示」にできるのは、あくまでも「コメント一覧」のみ(つまり、個々のコメントは、つけた人はもちろん、その人を「お気に入り」に入れている人なども見られるわけです)、「meta タグが設定されたページのみがコメント非表示」という、ネット初心者にとってはかなり「敷居が高い」方法(多くの人が指摘しているように「ブックマーク一覧を拒否」したいのは、ネットでの誹謗中傷に不慣れな初心者の割合が高いはず)、そして、「そのエントリが『ブックマーク一覧を拒否』するのかどうかは、ネットに最初にアップした時点に決めておいてくれ、その後の変更は認めない」という姿勢。
最後の点に関しては、「エントリを書いた人が、いつでも好きに『コメント一覧の表示/非表示』を選択できる」ようなシステムって、そんなに難しいことじゃないと思うのですよ。少なくとも、「はてなダイアリー」で書かれているエントリについては、「ボタンひとつで表示/非表示」を切り替えることは可能なのではないかと。実際、書き手にとっては、そのほうが「便利」ですよね。「これは危険なエントリだ」と思ってアップしたら意外とブックマークコメントでの反応が興味深かったり好意的だったりして、「これならみんなに見てもらいたいというケースはたくさんありそうです。
これはあくまでも僕個人の感覚なのですが、「はてな」の人たちは、「ブックマーク狙い」の記事、「上から目線の弱者バッシング」には厳しいけれど、書いた側が「こんなこと書いたら叩かれるかな……と思いながらも書かずにいられなかった『心の叫び』的なエントリには、けっこう優しかったりするのです。
にもかかわらず、「はてな」は、「著者にその選択権を与えるのは、一度アップする瞬間まで」だと現時点では設定しています。厳しいよね本当に。『捨て身』で書くなら、それを公開する時点で覚悟を見せろ、と。
「ああ、「本当は『ネットの自由』のために、こんな機能はつけたくないんだよ俺たち」という「はてな」の人たちの本音が聞こえてくるようだ……
まあ、厭々ながらでも、こういう対応をしてくれたのは素晴らしいことなんですけどね。
しかし、書く側からすると、この機能に関して言えば、ありがたいのと同時に、ちょっと怖いところもあります。
ひとつは、こういう「対応策」がアナウンスされると、「それでも『ブックマーク一覧表示』を回避しない」という行為に大して、書き手がそういう「選択」をしたのだ、つまり「悪口言われたくなければ、metaタグ入れとけばいいじゃん」という主張をする人が出てくる、という可能性があるのです。
そして、「一覧に非表示だから(多くの人の目に触れにくいから)、何を書いてもいいんだろ?」という考えを持つ人が出てくるのではないか、という不安もあります。あるエントリに対する「ブックマークコメント」は、その数が増えれば増えるほど、アクセス解析などで本人が目にする機会が多くなりますが、「多くのコメントの中に埋没していたネガティブコメント」が、「ひとりの人間の意見」として突き刺さってくることもあるかもしれないのです。
100個のコメントのなかに、50個悪口があってもそんなに効かないけど、1通の短いメールが心に刺さる、そんな夜もある。
僕の予想では、企業はさておき、個人のブログ・ダイアリーでこの機能を使う人は、ほとんどいないのではないかと。
「ブログを多くの人に読んでもらう」ための手段としては、「ブックマークを集める」というのは、けっこう有効な手段なんですよね。そして、多くのブックマークを集めるブロガーというのは、エントリを書きながら、「このエントリには異論・反論のコメントがつく」ことを想定しているのだと思うのです。むしろ「狙っている」「釣っている」ようにみえることもしばしば。極論すれば、「ネガコメだって1ブックマーク」、そのくらいじゃないとアルファブロガーはやっていけないのではないでしょうか。
書いている側としては、「コメントが肯定3割、否定7割くらいなら、世間一般としては『理解されているほう』だと考えるべきだと思います、実感として。
結局のところ、「ブックマークされることの怖さを知らない人、そして、その怖さと同時にメリットも熟知している人は使わない(あるいは使えない)」システムなので、実際にはあまり使われない機能だとは思いますが(「ブックマークされることの怖さしか知らない人」っていうのは、かなり少数だろうし)、こういう機能ができたことには、はてなの「ブロガーへの歩み寄り」を感じて嬉しかったです。
今後、「はてなダイアリーなら、エントリの著者の好きなときにコメント一覧をボタンひとつで表示したり非表示にしたりできます!」というシステムにしたら、「はてなもようやく大人になったなあ」とようやく安心して僕も「卒業」できるんですけどね。
あと、個人的にもうひとつ愉しみにしているのが、いままで「コメントはエントリの著者への批判じゃなくて自分への備忘録」と言いながらせっせとネガコメ書いてたブックマーカーたちが、この「一覧非表示エントリ」に対して、ずっと今までと同じようなコメントを書き続けるのか?ということです。
書き続けられるよね、純粋な「備忘録」ならば。
この機能、僕も使ってみようと思います。たぶん、普段づかいのカードとして。……もう一回!(と、蒼井優さんが出ているイオンカードのCMを観たことがない人には何だかわからないことを書きながら退場)
