2009-05-26 僕秩プレミアム!/ネットの中の「わたし」
■[本]僕秩プレミアム! ☆☆☆

- 作者: ヨシナガ
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2009/04/09
- メディア: 新書
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内容紹介
待ち合わせは19時17分? 検索サイトは神……?
デジタルクリエイティブ時代を生き抜く著者による『脱力系気づき』が満載!
これが“デジタル世代”のリアルな頭の中!『僕の見た秩序。』や『ゆかいな誤変換。』のヨシナガが、会員限定サイトや人気携帯ゲーム機だけで特別公開していた珠玉のエッセイを厳選して書籍化!日常の中にある小さな不思議を見つけ出し、ネットが社会を変えていくことを面白がる。もう「僕たち」をロストジェネレーションだなんて呼ばせない。デジタルクリエイティブな社会を楽しく生きる「よかった」が盛りだくさん!!
「気付き系」のショートエッセイ集としては、読みやすい、けっこう良い本なのではないかと思います。
がんばってネットでの雰囲気を出そうとしているし、イラストもちゃんと入っているし。
ただ、率直な印象としては、「これで税込870円というのは、ちょっと高いかな……」という感じです。
読み物としての「軽さ」は魅力なんだけど、値段が「重い」。
文庫で500円以下くらいだったら、まちがいなくオススメできると思うのですけど、870円あったら、もっと長時間楽しめる本もたくさんあるしな、とか考えてしまいます。
最近新書の価格高騰が目立つのですが、「アフタヌーン新書」は、「漫画雑誌から生まれた日本一カンタンな新書!」とうたっているわりには、価格設定が簡単じゃないんだよなあ。
なんか「オタク狙いのぼったくり商法」みたいにしか見えん……
「物心ついたときからコンピューターが身近なところにあった世代」であるヨシナガさんの「感性」というのは、10歳も違わないはずの僕とはかなり異質なところもあるし、やっぱり似ているところもある。「これはすごい!」という驚きはあまりないかもしれないけど、「そう言われてみればそうだな」と頷ける作品です。
こんな話は、かなり興味深かったです。
(最近の「ケータイで読むマンガ」について)
これらの新しいマンガに共通するのは、
「ページという概念を捨てた」
ということだと思う。
紙のマンガ誕生以来、何十年も枠として存在しつづけた「ページ」という単位。
しかし、解像度の低い携帯やパソコンでは、ページ単位でマンガを扱うのは難しかったのだ。
そこで最小単位を「コマ」にまで分割することで、読みやすさと紙が同等になったため、一気に業界が活性化したのではないか。
ケータイマンガを配信する側はすでに「20ページの作品」とは言わず、「100コマくらいの作品」というように、コマ単位で作品を分けているという。
やっぱり大きな成功の陰には大きな発明があるものですよね。
こういう話は、「コンテンツを作る側の人」じゃないと、なかなか伝わってこないのではないかと思います。
そういえば、ちょっと前に「週刊アスキー」で、インリン・オブ・ジョイトイが売れた理由として、
「インリンは『M字開脚』のように、小さな画面でもわかりやすい大きなポーズでアピールすることによって、携帯画面でのグラビアを成功させた」という話が書かれていました。
僕は「インリンのどこが良いのか、よくわからなかった」ので、これを読んで目から鱗が落ちたんですよね。
なるほど、そういう戦略もあるのか、と。
最後はちょっと脱線しましたが、この『僕秩プレミアム』と同じ系統の本を最後に2冊御紹介しておきます。
どちらも僕のオススメ。
「ハンバーガーを待つ3分間」の値段―企画を見つける着眼術 (幻冬舎文庫)
- 作者: 斎藤由多加
- 出版社/メーカー: 幻冬舎
- 発売日: 2007/09
- メディア: 文庫
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- 作者: 佐藤雅彦
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2005/10
- メディア: 文庫
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■[WEB]ネットの中の「わたし」

ほぼ日刊イトイ新聞「今日のダーリン」2009年5月26日(たぶん27日になったら、もう読めなくなってしまうと思いますのでお早めに!)
お国の大事について語ることも、
世界の平和について演説することも、
歴史的な偉人についての研究を発表することも、
芸能ニュースについておしゃべりすることも、
同情すべき他人について訴えることも、
「わたし」のいないままで、いくらでもできます。
同じ日本語ですから、
「わたし」が、いようがいるまいが、
そのちがいもわかりにくいものです。
ぼくも、そうしていますけれど、
まるまる全力で「わたし」のいる文章だけ書いていたら、
おそらく社会で生活できなくなるので、
「わたし」をしょっちゅう外してものを言います。
だけど、「わたし」を外すことを習い性にしてしまうと、
「わたし」は、蒸発してしまうように思うんですよね。
この糸井さんのコラムを読みながら、僕はいままでモヤモヤしていたものが、ようやくちょっとクリアになった気がしました。
僕は、「わたし」の存在を感じさせてくれるブログやサイトが好きなんだなあ、って。
ネット上には、「常識として〜」とか「男というものは〜」とか「日本人は〜」というような前置きで、「わたし」不在の「自分の考え=一般常識」と思い込ませるような言説が溢れています。
でも、こういうのって、実は、「お前の考えは間違っている」って言われるのが怖いから、主語を曖昧にしたり、「それが常識であるような書き方」をしているだけなのではないかと。
そういう人が書くものは、概して面白くないんです。
だって、「他人に責められないこと」「自分を正しくみせること」ばかり意識して書かれていて、個性も新しい視点もないから。
僕は、「自分語りウザイ」と言われても、「わたし」の目や耳や心を大事にしているサイトやブログが好きです。
「わたし」のない世界は、マスコミや専門家に任せてもいいんじゃないか、とすら考えています。
みんなが、教育評論家みたいに育児を語ったり、映画評論家みたいに映画を語ったりする必要なんてないはず。
僕はもっと、ネットの中の「わたし」の声を聴きたい。

いつも楽しく拝見させていただいています。(調子が悪い時はためておいてまとめ読みですが)
紹介されている本はとても興味深いものです。インターネットで大体の内容がわかってしまうので買わないことがほとんどですが。さらにトラックバック(でいいのでしょうか)も充実しています。
お子様もいらして、いろいろ大変な時期かと思います。気候が変わりやすい今日この頃。お体に気を付けてください。
ブログをやっていると、貶されたり怒られたりすることは数あれど、褒めていただけることは少ないので嬉しいです(褒められているようなコメントを見ると、まずタテ読みできないか確認してしまいます)。
僕としては、こうして本の感想を書いたり内容を引用したりすることによって、なるべく多くの人に、その本に興味を持ってもらいたい、できれば読んでもらいたいと考えております。
優れた本というのは、「ネットでのあらすじでだいたいわかる部分」以外のところに魅力があると思いますし、面白い本の著者や製作にかかわった人に、何らかのかたちで還元されてほしいと願っています。
僕の駄文が、そういうきっかけになってくれればよいのですが。
はるさんも、くれぐれも御自愛くださいませ。今後ともよろしくお願いいたします。