琥珀色の戯言

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マイケル・ジャクソン THIS IS IT ☆☆☆☆☆

映画『マイケル・ジャクソン THIS IS IT』オフィシャルサイト

あらすじ: 2009年6月、1か月後に迫ったロンドンでのコンサートを控え、突然この世を去ったマイケル・ジャクソン。照明、美術、ステージ上で流れるビデオ映像にまでこだわり、唯一無二のアーティストとしての才能を復帰ステージに賭けながら、歌やダンスの猛特訓は死の直前まで繰り返されていた。

日曜日の18時からの回を鑑賞。
この時間帯というのは、夕食の時間と重なるのと通常料金での上映になるため、そんなにお客さんがいないことが多いのですが、だいたい30人くらいの入りでした。
僕は、この映画の話を最初に聞いたときは、「追悼商法みたいで、なんかイヤな感じだなあ。マイケルだって、プロのパフォーマーとして、メイキング映像みたいなのを無断で公開されたくないんじゃないか?」と感じましたし、もともとマイケル・ジャクソンは「知ってはいるし、ベスト版は持っているけど、とくにファンってほどじゃない」という存在でしたので、まさか自分がこの映画を劇場で観るとは思ってもみませんでした。
でも、この映画、あまりに評判が良いので、現在公開中の作品に他にめぼしいものが無いこともあり、今日観ることにしたのです。

この映画は、「マイケル・ジャクソンと一緒にステージに立つはずだったダンサーやスタッフたちの喜びの声」から始まります。「マイケルと仕事ができるなんて夢のよう!」「彼は『頂点』なんだ!」彼らは、ステージが開幕する前に、マイケルがこの世を去ってしまうことなど、想像もしていません。

正直、マイケル・ジャクソンのロンドン公演が中止になったとき、僕はこんなふうに考えていたんですよ。
「復活がかかった大事な公演をキャンセルなんて、マイケル、もうパフォーマンスができなくなってるんじゃないの? この公演そのものも『演る演る詐欺』みたいなものなのでは……」

この映画を観ていたら、そんなことを考えていた自分が、恥ずかしくなってきました。
どの時点から、マイケルの身体が変調をきたしていたかはわかりませんし、この作品に使われているのは、リハーサルの最初の時期のマイケルのコンディションが良かった時期のものなのかもしれません。
でも、少なくともマイケル・ジャクソンと彼のファミリーは、観客に「日常を忘れさせる」ために、最高のステージを作ろうとしていたし、それは、かなり完成に近づいていたのです。
この映画を観ていると、「ラスベガスのホテルのショーみたいに何年も続けるのならともかく、一人のアーティストのコンサートに、こんなにお金と手間をかけて、儲けが出るものなのか?」なんてことを考えずにはいられませんでした。

率直なところ、マイケルのパフォーマンスそのものは、彼の年齢や体調によるものなのか、それとも、リハーサルだからなのか、いわゆる「全盛期」と比べると、ダンスのキレも集中力も今二つ、三つくらいの曲がほとんどです。「マイケル・ジャクソンの死」というセンチメンタリズムがなければ、「これは『売り物』としては未完成すぎる」と言われてもしょうがないのではないかなあ。
しかしながら、マイケルのような「最高のエンターテイナー」が、どんなふうにステージを完成に近づけていくのか?というのを観る機会はそんなにありませんから、「世界最高峰のコンサートを作ろうとした人々のドキュメンタリー」としては、すごく魅力的な作品です。

そして、「パフォーマンスがいまひとつ」って言った直後ではあるのですが、逆に、「未完成なリハーサル」だからこそ、「本質的なマイケル・ジャクソン」が見られる面もあるんですよね。
僕にとってすごく印象的だったのは、ジャクソン5の名曲『I Will Be There』をすごく大切そうに歌っていたところと、ラスト近くの『BILLIE JEAN』でした。
とくにこの『BILLIE JEAN』は圧巻。
ダンサーもおらず、セットもまだ準備されていないステージに立ち、ひとりでウォーミングアップのようにリラックスしてこの曲を歌い始めたマイケル。ダンスの動きは「リハーサル仕様」で、本番に比べれば、あくまでも「ポイントを押さえる程度」。
ところが、歌いはじめると、マイケルはまさに「ポップの神様が降りてきた」かのように、どんどん歌に集中していきます。
曲が佳境に入ると、舞台の上の、たったひとりのマイケル・ジャクソンから、僕は目が離せなくなりました。いや、英語だから、歌詞の細かい意味なんてわからないんですよ。そんなに派手なダンスもない。でも、とくにマイケルのファンというわけでもない僕が、見とれてしまったんです、本当に。

曲が終わったときには、ステージを観ていたスタッフからも大歓声。
何が凄かったのか、言葉でうまく説明することができないのだけれど……

この作品を観ていて、もうひとつ、あらためて実感したことがあります。
それは、「ミュージシャンとしてのマイケル・ジャクソンの凄さ」。
マイケルといえば、どうしてもムーンウォークなどのダンス・パフォーマンスが最初に思い浮かぶのですが、この作品のなかで、ミュージシャンたちは、マイケル・ジャクソンをこんなふうに評していました。

彼ほど完璧主義なポップ・ミュージシャンは他にはいない。

マイケルは、本当に「オリジナル通りの演奏」を要求してくるんだ。

作品中に、曲のテンポや表現について、独特の表現でスタッフに指示をするマイケルの姿がみられます。
この作品でのマイケルのダンス・パフォーマンス(あるいは歌)が「本番のステージに比べれば未完成」にもかかわらず、観ていて心を打たれてしまうのは、「曲そのものが素晴らしいから」なのでしょう。
最高のレベルのダンサーとシンガー、ソングライターが宿った、ひとつの身体。
それは、ひとりの人間には、ちょっと荷が重過ぎる大きさの「才能」だったのでしょうか。
少なくとも、シンガー、あるいはソングライターに特化すれば、もっと長生きできたかもしれませんが、それじゃやっぱり「マイケル・ジャクソンじゃない」。

マイケルの大ファンというわけではない僕にとっても、この作品は、本当に、観てよかったと思える映画でした。
逆に、ファンの人は、「未完成なパフォーマンスを、本人の意思を確認しないで映画として公開すること」に対して、複雑な感情もあるのではないか、という気がしなくもありません。
ただ、冒頭に出てきた「マイケル・ジャクソンと仕事をするのが夢だったスタッフやダンサー、ミュージシャンたち」にとっては、実際に観客の前で一緒にステージに立つことができなかっただけに、この映画が公開されたことで、少しだけでも「夢をかなえることができた」のではないかと思います。
それだけでも、この映画には「存在意義」があるのではないかなあ。

観客は、日常を忘れさせてくれるようなステージを望んでいるんだ。

いろんなスキャンダルもあったけど、少なくとも、ステージの上のマイケル・ジャクソンが、「最高のアーティストであり、エンターテイナー」であったことは間違いありません。
マイケル・ジャクソンなんて大嫌い!というのでなければ、ぜひ一度観てみてください。
僕は、『Heal the world』が流れてきたとき、涙が止まらなくなりました。

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