2010-12-12 映画『ノルウェイの森』感想
■[映画]ノルウェイの森 ☆☆☆☆

あらすじ: ワタナベ(松山ケンイチ)は唯一の親友であるキズキ(高良健吾)を自殺で失い、知り合いの誰もいない東京で大学生活を始める。そんなある日、キズキの恋人だった直子(菊地凛子)と再会。二人は頻繁に会うようになるが、心を病んだ直子は京都の病院に入院してしまう。そして、ワタナベは大学で出会った緑(水原希子)にも惹(ひ)かれていき……。
2010年21本目の劇場鑑賞作品。
公開初日の土曜日のお昼過ぎの上映で観てきました。
観客は70〜80人程度。
高校生くらいのカップルから、還暦に近い御夫婦まで、かなり幅広い客層です。
ただ、ひとりで観に来ている人は、週末ということもあって、少なかった気がします。
この『ノルウェイの森』が映画化されるという話を聞いて、僕は正直「本当に完成して、観ることができるのだろうか?」と思っていました。
原作者の村上春樹さんは、原則的に自作の映像化を認めない人ですし、「日本でいちばん売れた小説」(最近また『世界の中心で、愛をさけぶ』から、1位を奪回したらしいです)であり、思い入れが強い人が多いだけに、途中でダメになってしまうのではないか、と。
それに、「映画で2時間にまとめたら、単なる『純愛映画』になってしまいそう」だと危惧していたのです。
観終えた直後の、僕の率直な感想。
「まあ、こういう解釈というか、映像化も有り、なんだろうな」
もちろん(って言うのやめてって頼んだじゃない!)、大満足はしていません。でも、17歳で最初にこの『ノルウェイの森』という作品を読み、「大学生って、こんなに好き放題セックスしまくれるのか……」ということに驚いた非モテ男子高校生だった僕は、もうすぐ40歳という年齢になりました。
たぶん、原作を最初に読んでからすぐに、この『映画・ノルウェイの森』を観たら、「なんじゃこりゃあ!」と激怒して、席を蹴って映画館を出てきたと思うんですよ。
菊地凛子を直子に起用したのは、脱ぎまくりのセックス・シーンがあるからじゃなかったのか!とか。
ワタナベ=松山ケンイチというのは、いろいろ異論はあるのでしょうが、「そんなにカッコよくないけど、このくらいならいいかな、って納得しちゃう顔」というのと「押しつけがましくない存在感」という意味では、おそらく、「唯一に近い選択肢」だったのではないでしょうか。
もともと原作でも、「顔のイメージが浮かびにくい人物」だったワタナベを、うまく「自分なりに演じている」と思います。
しかし、「こんな映画の登場人物のセリフみたいな言葉、しゃべるヤツいねーよ!」
と言われる村上作品の会話、実際に映画で観ると、「ごめん、映画でも(いや、映画のほうが)こりゃ聞いているほうが恥ずかしい」と感じたのは意外だったなあ。
むしろああいう言いまわしこそ「小説だから許される」ものだったみたいです。
そして、かなり疑問の声が上がっていた、菊地凛子さんの直子。
うーん、これは熱演、だと思います。
これ競歩?と言いたくなるほどの歩く速さも、菊地さんの名誉のために書いておくと、「トラン・アン・ユン監督の方針」だったそうです(先週の『AVANTI』で菊地さんが仰っていました)。
でも、やっぱり「何か違う」のだよなあこれ。
こういうことを書くと怒られるかもしれませんが、やっぱり僕には、菊地さんの「年齢」が気になったんですよ。
普段のシーンでは、そんなに実年齢が気にならないくらい抑えて演技をされているのですけど……
直子が泣くシーンが、この映画のなかで、何度かあるのですが、菊地さんの泣きっぷりは、「うわぁぁぁぁーーー」っていう「おばちゃん泣き」なんです。
僕はこの映画で直子が泣くたびに、「うざっ!」と感じてしまう自分が悲しくなりました。
直子は、もっと静かに、そして美しく泣く女の子で、涙を流しているときは、そっと抱きしめてあげたくなるような存在のはず(僕基準)なのに。
菊地さんの演技って、なんというか、「ハリウッドの狂った人の演技」なんじゃないかなあ。
演技としては上手いのかもしれないし、直子の「病気」のことを考えると、そういう感情の暴発のしかたのほうが「リアル」なのかもしれないけれど、僕は受け入れがたかった。
菊地さんは、「直子を演じる」ことよりも、「狂った女性を上手に演じる」ことを選んでしまったように、僕には見えました。
その結果、「もういいよ直子、ワタナベも『人間としての責任』なんて言ってないで、緑に行けよさっさと」と思いながら観てしまうことになったし。
僕は原作では、けっこう最後の最後まで「直子派」だったんだけど。
緑役の水原希子さん、僕はけっこう好きでした。
あのセリフのたどたどしさは、「演技」なのだと思いたいのだけど、それも含めて、この映画『ノルウェイの森』のなかでは、いちばん存在感があったのではないかと。
見た目が綺麗って、トクだよね……
いや、僕自身の緑のイメージは、「もっと過剰にヘンな女の子」だったので、この映画の緑は、「ちょっと気まぐれなだけの『普通の女の子』」にも感じたのです。
でも、意外と受け入れやすかったのは、あの時代の「緑的にヘンな女の子」というのは、2010年の感覚からすると「普通の範疇」に入ってしまうのからなのかもしれません。
基本的に「彼と別れました」って言う女の子は、ちょっとズルいとは思いますが。
そして、レイコさん……
ああ、僕はこの映画版『ノルウェイの森』、これはこれでアリだと書きましたが、レイコさんに関しては、「かわいそう」というか「原作のレイコさんに失礼だろ」としか言いようがありません。
「レイコさんを救う会」を作りたいくらいですよもう。
あれじゃあ、単なる色情狂じゃないか……
小説版では、レイコさんがあの施設に入るまでの、けっこう長い物語を読者は聞いています。
レイコさんが、いかに直子のことを大切にしてくれたのかも。
そんなレイコさんが、あのことをきっかけに、施設を出て、「社会に戻る」ことを選択し、「通過儀礼」として、ワタナベのアパートにやってくるのです。
あの「お葬式」の場面を読むたびに、僕は、自分が楽器を演奏できないことが悲しくてしょうがないのです。
そんな流れのあとだからこそ、「ねえ、アレやらない?」というのも、素直に入ってくるのだけれど……
いや、この映画でのあの場面は本当に酷かったというか、痛々しかったというか……
このレイコさんの件が象徴的なのだけれど、トラン・アン・ユン監督は、あまりにすべてを「性欲のみ」で解釈しすぎているように、僕には感じられました。
たしかに、村上春樹という人は、「セックス」を描くことにためらわない人だけれど、僕は、村上春樹は「性的満足のためだけのセックス」を描く人ではないと思います。
僕は、この映画を観られて、けっこう嬉しかったんですよ。
高校生のときにはじめて読んだ本が、こうして、ようやく映像化され、中年のオッサンになった自分が、こうしてその作品を目の当たりにできていることに。
そして、その作品が、多くの人にとって、「忘れられない小説」として共有されていることに。
この作品に関しては、どんな酷い映画が公開されても、僕のなかにはすでに、僕のための『ノルウェイの森』ができあがっているのです。
だから、「ああ、トラン・アン・ユン監督は、こんなふうに解釈したんだな、ふーん、プロの監督は、あの小説を、こんな切り口で映像化するのか」という「プロの監督は、どう料理するのか?」という興味を満足させるだけでも、ある意味十分でした。
あの小説を2時間・このキャストで映画にしろと言われたら、これ以上のものを作るのは、たぶん、すごく難しいと思うしね。
実は、僕はこの映画を観ながら、「村上春樹の小説の魅力」について、ずっと考えていました。というか、考えずにはいられなくなるんですよ、この映画を観ていると。
この映画は「大切なものの喪失」を描いているという、大きなテーマに忠実な作品なんです、たぶん。
でも、僕は突撃隊の出番がほとんど無いことや、レイコさんの「内面」が描かれなかったことが、すごく寂しかったし、彼らのようなキャラクターを丁寧に、かつ魅力的に描いていることこそが、村上春樹の作品の凄さなのでしょう。
もちろん、そこをカットしたからこそ、2時間強の映画にできたのですが、逆に言えば、「村上春樹の小説の本当の魅力、ディテールの面白さは、2時間の映画では語りきれない」ということがよくわかりました。
「原作のイメージと違う」という意見は、たくさん出てくると思います。
しかしながら、僕は「原作のイメージとは違うからこそ、原作ファンにとっては、興味深い作品になっている」という気がするんですよ。
原作を未読の人にとっては、「なんか断片的なイメージ映像みたいなのが2時間続いて、いろんなことが突発的に起こる、よくわからない映画」っぽいし、トラン・アン・ユン監督は「みんな『ノルウェイの森』は、読んだことあるんだろ?」と思っていそうなので、未読の人には、説明不足で「不親切な作品」だと思われそうですけど、僕にとっては、非常に興味深い映画でした。
あと、主題歌にビートルズの『ノルウェイの森』が使われているのは、当たり前のことなのかもしれないけど、すごく良かった。
以下、久々のネタばれ感想です。映画を未見の方は、読まないことをオススメします。
本当にネタばれですよ!
僕はこの映画化を知って、冒頭のシーンがどうなるのか、すごく興味があったのです。
あの主人公が、飛行機のなかで『ノルウェイの森』を聴いて、昔のことを思い出し、キャビンアテンダントに慰められるシーン。
前から、疑問だったんですよね。
なぜ、村上春樹は、あのシーンを描いたのだろうか?と。
映画『タイタニック』の冒頭のおばあさんのシーンも「あんなの不要だったのでは?」と思ったのだけど、あれはまあ、タイタニックから昔の『絵』が見つかるという、「永遠の愛演出」にかかわってはいるわけです。
ところが、『ノルウェイの森』は、ワタナベ・トオルが昔を思い出すシーンからはじまるのだけれえど、最後まで、「いま」に戻ってくることがありません。
普通、「回想」ではじまった物語は、「その人物の現在は…」みたいな形で終わるはずです。
『ノルウェイの森』って、「過去の世界に行きっぱなし」で、「非常に不安定な形で終わる」作品なんですよね。
で、今回は、中年ワタナベ・トオルのシーンは映像化されませんでした。
ああ、でも考えてみれば、あの冒頭のシーンで、「とりあえず、この主人公は死なないってことだよな」と、読者に安心させる効果はあったのかもしれませんね。
放っておいたら、みんな死んじゃいそうな小説だから。
それにしても、この映画『ノルウェイの森』、僕が好きな場面がことごとくカットされていました。
「突撃隊」は、ファンが多いというか、村上作品のなかでも、すごく記憶に残るキャラクターであり、「突撃隊はどこに行ったのか?」というのは、村上作品のひとつの大きなテーマだと思うのですが、ほんと、「とりあえず突撃隊も出しましたよ」という程度の扱いだったのは寂しかった。
あと、ワタナベと直子に、もうちょっと普通の会話とかもさせようよ、あのルックスとあの行動では、「なぜだワタナベ……」としか思えない。
緑との火事を眺めながらのキスもなかったし(不謹慎だから、なのでしょうか)、緑のお父さんとのキュウリを食べながらの「エウリピデス」もなし。
直子が死んだあと、ワタナベが放浪する場面で、「母親が死んだから、悲しくて旅をしている」と嘘をついたら、それを信じて寿司と5000円札をワタナベに持ってきてくれた地元の男。
(僕はこの場面、けっこう好きなんです。ワタナベが「お前なんかには想像がつかないほど、美しくて大事なものが失われてしまったんだ」と内心この若い男に毒づきながら、ちゃっかりと寿司を食べ、お金ももらってしまうところが。昔はこの場面嫌いだったんですが、今は、こういうのが「リアリズム」なんだろうなあ、という気がします)
最後に、やはりあの最後のワタナベのアパートでレイコさんがギターを弾く「直子のお葬式」。
うーん、こうして思い出してみると、僕が『ノルウェイの森』で覚えているのって、「脇役」に関する場面がものすごく多いみたいです。
これらの場面がカットされていたのは、寂しくもあり、また、「映像で固定されてしまわなくてよかった」と安心しているところもあり。
正直、これから『ノルウェイの森』を読む人たちが、直子=菊地凛子で読んでしまうとするならば、それはちょっと残念だし。
それと、こうして映画になると「背景」を描かなければならなくなるので、これが「全共闘世代の物語」だということをあらためて考えました。
そうそう、最後にもうひとつ。
直子が死んだときの、足ブラブラ映像は酷いよね。キズキの自殺シーンが長々と描かれるのとか、ワタナベと直子のセックス・シーンが、露出もほとんどないのに長時間ふたりの顔ばかり見せていたのもどうかと思うし、「寝る」だの「濡れる」だのを連呼する会話も悪趣味で、観ていてうんざりしました。日本語の脚本で、誰かその違和感を監督に指摘しなかったのだろうか。
……うーん、原作未読者には、説明不足でよくわからず、原作ファンには、いろいろともどかしい。そんな映画ではありますよね。
困ったな、☆4つつけたのに、悪口ばっかり書いてしまった……この映画、けっして「嫌い」じゃないのに。


>菊地さんは、「直子を演じる」ことよりも、「狂った女性を上手に演じる」ことを選んでしまったように、僕には見えました。
激しく同意です.眼球の動きとか早足とか、喋りの速さや過呼吸…どれもリアルに演じているとは思いますが、果たして“直子”はどの程度の症状だったか?
残念ながら私の中の直子とは一致しません.
おそらく原作ファンにとってはその人なりの“ノルウェイの森”があり、皆少なからずともそれが銀幕上に再現されることを期待したことと思います.しかしながら劇場作品は監督の解釈であり、菊地凜子のアピールであり(彼女自身、初読時にかなり影響を受けてオーディションにも自演のビデオを持参したくらいですから)、いきなり抜擢で科白棒読みの水原希子であり、つげ義春の短篇漫画に出てくる主人公のような松山ケンイチでしたから、みな頭では判っているものの期待していた内容とのギャップに少なからず違和感を感じたのではないかと思います.
これほどまでに原作のイメージが個人に強く残るような作品を、原作出版国である日本において映画化するということが結構危険な賭であることにトラン監督は気付けなかったのかなぁと、残念な思いです.
最後にレイコさんとセックスするならお葬式の場面をすっ飛ばしてはいけませんよね。
あとレイコさん・・演技ヘタかな・・緑はそれが許されるんですけど
あと菊池凛子さん顔がでかいような・・・ちょっと太った?
あ〜悪口ばっかりですいません、私もこの映画嫌いじゃないんです・・
ワタナベと直子が公園で強風に吹かれてるカットとかいいシーンもたくさんあったので
「レイコさんを救う会」メンバーに入れてください!
本当にレイコさんの扱いがあんまりです。
1人で観た映画だったので、やり場のない気持ちを受け止めてくださる文章に会って救われました。
役者さんはとてもイメージに合っていて歌声も素敵で魅力的だったのに・・残念すぎます。
それだけに、彼女のことを掘り下げると、緑も直子もくってしまったかもしれないとは思いますが・・そしたらそれでいいじゃないか!と思うのです(泣!)
直子についてもほとんど同感です。
でも映画を見られたことはよかったです。
当時のことを思い出して、懐かしかったりブルーになったり・・
日常が組み替えられる感じというんでしょうか。
この小説を初めて読んだ時もそういう感じを受けました。
違和感を覚えると思いますが、私はすごく上手
だなぁ、凛子すごいなぁと思いました。
見た目ではなくて声と話し方で内面を十分表現して
いると思いました。
レイコさんは、私のイメージだと賠償美津子さん
だったので、皺の話とか声とかね・・・うぅむと。
脇役のお話のほうが確かに印象に残り作品ですね。
再確認しました。
映像きれいだった・・・・
検索でたどり着きました。
私なりのノルウェイの森の世界があるので映画見るかすごく迷っていました。
原作をご存知の方の率直な感想を伺いたかったのでありがたいです。
感想を拝見してあ〜なるほどと思いました。
やはり二時間にまとめるには多少無理があるようですね。
私も脇役に思い入れがあるので残念です。
見るかどうかまだ決めかねていますが、見る覚悟?ができたら見たいと思います。
貴重な感想、ご意見ありがとうございました。
ググってここにたどり着きました。僕もレイコさんを救う会に入りたいものです。
自分もブログで記事を書きましたが、僕がもやもやと思っていたことがかなりちゃんと書かれていて、すごくスッキリしました。
思い入れが強い映画だから、なんでも否定してしまうというような感じじゃなくて、批判点面凄く納得できました。
この感想とても分かるな。
今回の映画だめだけど、ノルウェイの森が好きだから
許せる・・・かな見たいな。
ノルウェイの森の空気感、雰囲気は十分あったと思うし、
お洒落で物静かな感じもしたけどね・・・
やっぱり直子が違う・・・
直子が出るとチャンネル変えたくなってしまう・・・・
自分的には、緑役の人に菊地凛子のエキスを入れてやれば面白いかなっと思ったりして。
(ビジュアルではハツミ役が菊地凛子のエキスを入れてもあり?)
菊地凛子の演技は直子ぽいけど見た目が・・・
あと、皆が思っていますが、重要な場面がほとんどカットなのが
ありえない。
性描写シーンを半分にしてそのようなシーンを入れてほしかった。
映像を綺麗に撮ってフランス映画!?のようなお洒落な雰囲気を出したかったのかも知れないが。
とりあえず、映画を見たら無性にノルウェイの森を
映画の雰囲気を混ぜながら即効で読みたくなる作品でした。
この感想とても分かるな。
今回の映画だめだけど、ノルウェイの森が好きだから
許せる・・・かな見たいな。
ノルウェイの森の空気感、雰囲気は十分あったと思うし、
お洒落で物静かな感じもしたけどね・・・
やっぱり直子が違う・・・
直子が出るとチャンネル変えたくなってしまう・・・・
自分的には、緑役の人に菊地凛子のエキスを入れてやれば面白いかなっと思ったりして。
(ビジュアルではハツミ役が菊地凛子のエキスを入れてもあり?)
菊地凛子の演技は直子ぽいけど見た目が・・・
あと、皆が思っていますが、重要な場面がほとんどカットなのが
ありえない。
性描写シーンを半分にしてそのようなシーンを入れてほしかった。
映像を綺麗に撮ってフランス映画!?のようなお洒落な雰囲気を出したかったのかも知れないが。
とりあえず、映画を見たら無性にノルウェイの森を
映画の雰囲気を混ぜながら即効で読みたくなる作品でした。
結構原作に忠実な感じなのに、残念な感じになることもあるんだなぁ、と改めて映画化の難しさを感じました。
レイコさんの件は本当に残念です。でも私はやっぱり「直子を救う会」も作りたい(泣)
キャストが決まった時、配役には村上春樹氏はかかわっていないようなので、日本側スタッフが映画祭の賞取りのために推したんだろうなぁ…と感じましたが。
もし菊池凛子が主演女優賞を取ったとしても素直に共感できません。
確かに菊池凛子は演技派で相当頑張ったと思いますが、直子って素人でもいいからイメージを重視して(ビジュアル的にも)選んでほしかったです。
髪の毛ってすごく印象的に描かれていたと思うのですが、あのゴワゴワヘアーと透明感のない肌で、もう生理的に受け入れられない・・・。
直子とハツミさんて初恋の象徴みたいなものだから、顔の造作という問題ではなく、美しくあってくれなくては。
美しいどころか、正直気持ち悪かった。
映像や音楽はすばらしく、監督のこだわりが感じられただけに、キャストももっとこだわってほしかったなぁ。
泣きたい期待は裏切られたけど、充分評価できる映画でした。
SEXシーンが長いのと、直子の自殺シーンの残酷さは皆さんの評の通りです。でも、
自然(背景)を生かした(いくつかの)シーンは、私が原作に持つイメージを超えて
美しかった。
ただ、直子が雪原で、本当に地の果てみたいなところで、自殺するのは、イメージと違いすぎた。さわやかな幸せすら感じる、常緑樹に雪の積もった芳醇な森の中で、直子だけが世界との違和感から死に行き着くというのが、私のイメージでした。森に迷い込むような。背の高い木立に吸い込まれるような。(森ではないけれど、過去に一度だけ阿美寮のまわりにありそうな自然の中に迷い込み、直子の気配がして鳥肌が立った覚えがあります。)
サイドストーリーのいくつかが抜け落ちていたのは残念です。
上映時間伸ばせないなら、中途半端に出すよりむしろ全部削ってもいいんじゃないかと。
中盤からワタナベのセリフまわしが鼻につき出して、誠実に生きる女性に対して、男性はこうも不真面目か!と感じてしまい、結局は愛や喪失に対する男女の共通認識には、至らなかった(「悲しみを悲しみ抜くことで何かをつかむ」には共感できなかった)。
変な文ですみませんが、結論は、未読の人に勧めるには、主人公の存在が足りないかな?という感じです。
なるほど冒頭の飛行機の場面はそういう意味あいもあったかもしれませんね。
ワタナベはどうにかまだ生きている。そう読者に伝えたかったのかもしれませんね。緑がその後どうかったか知りたいですね。そこは読者の想像におまかせということなんでしょうか。
私もレイコさんがこの小説で一番好なキャラです。
人を惹きつける話し方や行動。まだ若いワタナベに人生を教えていく場面もあれば、ワタナベに私にも手紙を書いてと言う少女らしさももっている一面もあり、とても愛らしいキャラクターでありました。
ラストに新幹線に文句をつけならがらワタナベの所へ会いにくるエピソードが一番印象に残っています。
二人だけで直子の葬儀をして、二人とも直子のためにもこれから生きていこうという流れから結ばれる二人。あのセックスシーンは二人ともリラックスしてて、この小説のセックスの中で一番丁寧に書かれいる箇所だと思います。だからとても印象に残ったのかもしれません。
レイコさんが旭川へ旅立つ出発間際の駅で流した涙はたくさんこのとを物語っていると思います。ワタナベと直子からの別れ、8年もいた施設を出る勇気、これから実社会に対する不安。様々な思いがレイコさんの思いがあの涙に凝縮されいたのだと感じました。その切ない思いを感じワタナベは人混みの中でもレイコさんを抱きしめてキスをしたのではないでしょうか。
この小説を二十代に初めて読んでから随分とたち、私もレイコさんの年を超えてしまいました。それでもレイコさんのような人間に成れてないような気がします。
長くなりましたが、感想を拝見していましたらコメントを入れたくなる衝動にかられてしまいまいた(笑)
今まで小説から映像化された映画をたくさん観てきましたが、最近ようやく映画なんて原作を超えること自体が不可能だと気付きました。良い意味でも、悪い意味でも、映像がサウンドとコンビを組んで、すさまじい勢いで洗脳してくるので、一度観てしまえば、映画のことを綺麗に忘れ、再び原作に戻るのが、せめて私にとって、難しい且つ空しい作業です。せっかく頭の中に自力で作り上げたキャラクターの顔やしぐさ、しゃべり方や声まで、全て無慈悲に取り壊し、想像力に限界をもたらしてくるのです。
fujiponさんは私の三日分のランチ代に相当する金額を出して、わざわざ劇場まで足を運んだのに対して、私なら絶対に観ないなんて言い放つのは、あまりにも失礼な行動だと存じておりますが、先ほど言ったように、自分にとって特別な小説なので、一生ぽつりぽつりと自分だけのノルウェーの森を頭の中で観ていきたいと心を決めました。
長文で大変失礼をしました。ブログを立ち上げて、みんなに意見を述べられる場を提供してくれて、本当にありがとうございます。
私も小説の冒頭のシーンに興味がありました。あのシーンの井戸の話と直子の顔を思い出せなくなってきたという話が個人的にはすごく重要だと思っていたので、映画に出てこなかったことに驚きました。あと、「死は生の対極としてではなく、その一部として存在する。」というセリフもなかったような・・・
松山ケンイチはよかったのですが、自分の中の直子と違いすぎました。映画始まってすぐに「俺の思っている直子と違う」って心の中で叫んでました。加えて、セックスのシーンとかもう気持ち悪すぎて目をそむけました。直子は個人的に好みの女優さんが良かったですね。
上の張さんもおっしゃっているように、自分の中の作品に対する印象にノイズが入っただけで、敢えて見る必要がなかったように思えます。
ずっと迷ってました。
映画を観るかを・・・
生涯でこんなに魅せられた本はありませんから
数日前からまた読み直し素直に最後のページを閉じる事が出来たので映画を観に行く事を決めました。
自身の感想は思った通りの散々な映像でした。
原作を知らないで観た方は???なのでは・・・
彼たちの心の中を文字として識っていればこそ繋がっていく映像です。
かなりの違和感を感じました。
松山ケンイチはイメージです。
でも直子とレイコとミドリは勘弁です。
菊地凛子はナシです。ありえない。
大人の女が猫なで声で無理に演じているとしか感じず・・・おぞましい!!!
キャストの名前も覚えていませんがレイコはあんな綺麗じゃない筈。
それに髪が整いすぎてます。おばさんぽい前掛けもNG。
ラストは直子の形見の服でワタナベくんに逢いにこなきゃ・・・
ワタナベくんと二人でお葬式をするからこそ「あれやろうよ」も「僕も同じこと考えてたんです」に繋がる筈
まるで年上の女が若い男と情事している様にしか見えず心震わせる素敵な場面を汚された様で不愉快です。
すべてに残念な映画でした。大切なものがすべて抜けています。
観終わって六時間が経ちますがまだ気持ちを拭えないでいます。
残念でなりません。
でも、失望しました。
16歳高校生時代のある二日の午後、僕は教室にこの小説を読んだ後、非常に感動させていただいたけど、僕の心の中にすべての感動はこの「ホラー映画」らしい作品に壊されてしまいました。
監督がこの映画をつくった時、想像した観客は疑いなく欧米映画祭の審査員しかなかった、もちろん東アジア、および東南アジアの観衆の感じを全然考えていません。
お葬式の前に、すきやきしますよね、確か?
村上作品にとって、お料理ってすごーく重要だと思いませんか?
なのにうどん(らーめん)って!!!ねえ!
原作を初めて読んでから20年以上経ちますが、
繰り返し他の村上作品とともに読んでいます。
喪失の反対側で、必死で明るくたくましく生きる道を選ぶ
レイコさんと緑が私は大好きなのですが。
強く生きるってキャッチが映画の本編に感じられなかったと思いませんか?
赤と緑、生と死、明と暗・・・そんな原作の持つ、はっきりした二面性が
映画になると同じ色になってしまったのがとても残念。(センチメンタル色)
もちろん特攻隊についても、あんな扱いなら削除して欲しかった。
何より「自分に同情するな」という予言に後に打ちのめされる主人公の姿が
この話の肝だと思っておるのですが。
でもこの作品のお蔭で、村上ファンの方の意見が聞けて嬉しかったですけど。
決して「嫌い」でないけど私としてはツッコミどころ満載の「解釈」でしたが…
それらのツッコミを言い当てていただいたような気がしてとても気分が良かった
のでコメントを残していきます。
まったく、『「村上春樹の小説の本当の魅力、ディテールの面白さは、
2時間の映画では語りきれない」ということがよくわかりました。』
彼の小説がわたくしたちひとりひとりのこころに喚起するイメージ一例と
してこの映画をとらえるならば、このたびの解釈も「あり」なのかなあと思いました。
上において、小説に向くこと、映画に向くことについてもご指摘されておりますが、
本作品が映画における可能性を充分に追及したとは言い難いような気がいたしました。
わかりにく文章で申し訳ありませんが、おじゃまいたしました。
<嫌いな点>
1.この小説が言わんとしている根本的な点を伝え切れていない(おそらく作り手や役者が小説を理解しきれていない)。もう、これが致命的な点。主人公「僕」と精神病患者「直子」の恋愛映画になってしまっている。原作はこのような単純な設定ではないはず。原作では、直子以外にもたくさんの「精神的にどこかおかしい」と見なされるキャラクターが描写され、無言の「仲間意識」のような点が描かれているが、この映画では直子だけが「明らかに」精神的に病んでいるという設定。2時間と言う時間的制約があるにせよ、この点はきちんと映像化して欲しかったしすべきだと思った。作り手が原作を表面的にしか理解していない、あるいは、原作を無視した単純な恋愛映画に仕上げてしまった、と言わざるを得ない。非常にがっかり。
2.それ程重要とは思えないセックスシーンの多用とサスペンスドラマのようなおかしな展開
気持ち悪い。これほどセックスシーンが描写される映画を観た事がない。最後のセックスシーン等、完全に原作を理解していない(あるいは無視している)セックスシーン。直子の首つり映像や音楽はなんだかサスペンス・ドラマみたいで冷めた。
3.雰囲気が非常に暗い。原作にあるユーモア感がまるでない。後半、気分が悪くて仕方がなかった。
<良かった点>
1.時代背景を丁寧に描写している。私はその時代に生きた人間ではないので、その背景が知れて良かった。適切な描写なのかどうかは分かりませんが。
2.前半40分位迄のテンポの良い展開は技巧的。短い時間で原作を伝えようとしている点は好印象。ただ、直子の誕生日以降のシーン(40分?50分?以降)は、私は、もう観る気が失せてしまった。
「大した作品に仕上げていないだろう」と予想し敬遠していたが、誘惑に駆られ、観て「がっかり」というパターン。期待している人は期待せずに観に行くべき。本当に『ノルウェイの森』が好きな愛読者はこの作品を観て怒る人もいると思う。私も原作は10回以上は繰り返し読んでいます。
端的な感想と皆さんのコメントに共感大です。
「価値観の多様化」という錦の御旗に疑問を持つ私からすれば、「これはこれで監督の解釈だ」とは到底認められない作品でした。
少なくともここにコメントされている皆さんは、空港シーンやお葬式や火事キスや髪留めその他のディテールに強い思い入れがありますよね?レイコさんや永沢やハツミさんや突撃隊の人物設定にも共通の捕らえ方をしているのではないですか?
乱暴な言い方ですけど、それが日本人読者の共同幻想を構成していると思うのです。
しかしトラン監督はそれら日本人読者の共有している思いを「一切」排除して、自らの映像美にだけこだわった作り方をしてしまった。絵作りは見事かもしれません。スチル写真は綺麗です。でも残念ながら原作小説がある作品なんですよね。
原作らしさを補完すべく(?)登場人物はかなりの分量で原作どおりのセリフを喋ります。
しかし、ディテールを省略しているため全くシーンとして繋がっていきません。すべて上滑り。
「もしや海外ではダイジェスト版しか売られてないのか?」とすら思わせるような脚本です。
「そもそも2時間強で村上春樹の映像化は難しい」という意見もよく見かけますが、その意見にも賛成しかねます。
なぜなら不必要なシーンが多く盛り込まれているからです。キヅキの車中自殺を事細かに描写する必要がありますか?脱ぎもしない菊池凛子との性交シーンはあの尺が必要ですか?(そのくせ重要なセリフを性交中に喋らせてしまう野暮天ぶり)、松ケンの裸をあんなに見せる必要がありますか?
全体を通じて、描いて欲しかったディテールは全てカットされ、不必要なシーンが追加されているのです。
要するに監督の「編集能力が低い」のか「原作理解度が浅い」のか、どちらかでしょう。監督の意思で改変・追加した箇所に批判が集中しているのがその証拠だと思います。
プロットの時点で「何を残して何を切るのか」をもっと練っておけば2時間13分でもこんな酷いことにはならなかったはずです。
「レイコさんとのお葬式」を排除して「松ケンの岸壁号泣」に時間を割いてるわけですから、再生の物語ではなく悲恋・純愛ムービーにしたかったというのがトラン監督の意思なのでしょう。もちろんプロデュース側の意向でもあるのでしょうが。
ともかく「性欲過多の勝間和代」みたいに描かれたレイコさんが不憫でなりません。
最後に。
直子とミドリ、一学年しか違わないんですよね?
松ケンは年齢不詳に見えるからまだしも、菊池凛子と水原希子が一歳違いに見える?
やれやれ。
・現代人が1969年の風俗世相を映像で表現するのは、これが精一杯かな、
です。
キスギの自殺とか、レイコさんが少女に迫られたのって、1960年代の価値観ではどう見られていたのでしょう?
キスギの両親は近所から
「あの家、息子さんが自殺したのよ」「どんな教育していたのかしら?」とか、
1960年代前半に「少女にレズ行為を迫った女」とか。
その中でハツミさん役の女性は、大成功だったと思います。
レイコさんが物語後に自殺したんだろうなとか、
ラストで緑は幸せになったのかとか、
物語の謎とされていたところに監督の解釈過多だとは思いました。
私だけかと思ってたら皆さんもそうだったんですね‼
ミドリはとっても可愛くて好きでした。
直子もおなじくらい可愛かったら良いのにな…と思いながら観ていました。
ワタナベがミドリを見ている時の目は嬉しそうにキラキラしているけど
直子を見ている目は疲れてウンザリしていて残念そうだな…とか
そんな事ばかり考えてしまいました(・_・;
もっと正統派美人で若い直子が観たかったし
菊池さんを観たのも初めてだったんですけど
別の映画で観れば魅力がわかったのかなーと思いました☆
原作がすごいと、色々な無理が生じてしまうのかな?
作品を作るうえで深刻になりすぎてチグハグになってるような感じがしました。
映画評論できるほど映画を観ていませんが、率直に無理を感じました。
菊池さんは自ら直子を志願したらしいですね。
私も好きだからその世界に入りたいと思う事がありますが、
無理に願望を通そうとしないで自然の流れにまかせるほうが良いという教訓を得ました☆
話がそれてしまったけど、
直子の違和感を感じたのは原作を読んでないからだろうか?っていう疑問が
この記事のおかげでスッキリしました。
ありがとうございました(*^^*)
ノルウェーの森は僕がまだ学生で、とても悩んでいたころに、相談に乗っていただいていた方から勧められて読みました。2晩で一気に読んで、感動してもう2回読み返しました。どうして村上春樹さんは僕のことをこんなにわかるのだろうと驚きました。こんなに深い喪失があって、同時にとても温かい絶妙な癒しがあって、読み終わってとても自分が癒された気がしました。色々な友人に勧めて、すごく良かったと言うやつもいたけど、つまらなかったというやつもいました。当時はこんなに素敵だけれど売れる本じゃないだろうなんて思っていました。大はずれだったけれど。
その後どこかで村上さんは、この本は映画化したくないと書かれていた気がします。それから僕は村上さんのそれまでの作品やその後のほとんどの単行本を発売後すぐに買って読みふけってきました。どの長編小説も、短編小説も、アンダーグラウンドのような作品も、エッセーも、エルサレム賞のスピーチも、一部の主なものしか読んでいないけど翻訳も、最近出たインタビューもどれも、本当に文体に触れるだけで温かくなります。いつも自分になれるような気がしています。村上さんをとても大好きです。村上春樹さんと河合隼雄さんとアーシュラK.ル=グウィンさんがいなかったら、僕はきっと人生の途中で死んでしまったのではないかと思います。少なくとも今の自分はいないです。この方々の本を愛してやまないし、つらい時にとても救われて生きてきたと思っています。
この作品の映画化を知り、上手な作品でなくても構わないから観たいと思いました。とても楽しみにしていて、公開後すぐに観て、翌日もう1度観ました。音楽はとても素敵だったし、役者さんの演技もとても上手でした。映像もきれいでした。でも何故か、2回観終わった後、とても悲しくなりました。「あれ?ノルウェーの森ってこんなだったっけ?」僕はだいぶ原作を忘れていました。そう感じて他の方の感想をとても知りたくなって、このサイトに出会い、よく見ていました。そして原作を無性にまた読みたくなりました。24年ぶりに、原作を2回読み返しました。原作は映画とは細部でずいぶん違っているように思います。多くの省かれてしまった場面も本当はとても意味があると思います。原作の良さが自分の中にまた蘇ってきました。原作は本当に奇跡のような物語で、何も足す必要がないし、どこもここも省くことができないのではないかと感じています。瞼の中にシーンや気持ちがイメージできます。そういうすごい本ですよね。でも考えたらワタナベの深い心の痛みなんて映像ではなかなか表現しきれるものではないと思います。最近あまり本が売れないようだけれど、本ならではの良さがあると思いました。原作は村上さんの作品の中で例外的なリアリズムの恋愛小説で、一見わかりやすいように思われてしまうのかもしれません。でも本当は決して誰にとってもわかりやすい作品でもないし、誰でも好む作品でもない、とても深い物語であるように僕は思います。僕にとってはとても特別な本です。そしてきっと多くの人が同じようにこの本から癒されたのだと思います。このサイトの感想やコメントからもそれが伝わってきます。深い悲しみと痛みに結びついたとても切なくてやさしい深い生の癒しあいの物語だと思います。村上さんはこの作品について、個人的とか、特別とか、本流ではないとか書かれていたように思います。だからこの作品は村上さんの個人的な体験や内面にかなり強く結びついて作り上げられたのではないかと改めて思いました。だから村上さんにとって1作だけのリアリズムの長編小説でもあるのかなあとも思います。その後の作品の深まりもとてもいいですね。でもこのとても好きな作品を読み直して僕は村上春樹さんだけでなく、陽子夫人の人柄にもとても接したくなりました。
映画は似ているようで原作とはだいぶ違ってしまったのではないかなと思います。このサイトを読んで多くの方が同じように感じられていると伝わってきて嬉しいです。そして原作を再び読み終わって、とても強い感情や衝動におそわれました。原作の冒頭みたいに不思議に自分にもそれはやってきました。原作は決して美しいという言葉で表現しきれる物語ではないと思います。ところがトラン・アン・ユン監督は美しさにこだわられたようですね。美しくはないかもしれないけれど、生々しい温かみみたいなものが原作にはたくさんあったのに、そこがすっぽり抜け落ちてしまった感じがします。その違いでどうしてもこの映画に違和感を覚えてしまいました。あと足ぶらぶらは僕にとっても強烈過ぎました。違う撮り方にして欲しかったです。直子が亡くなったのは原作では夏ですよね。結局、映画は村上春樹さんの作品ではなく、全く違うトラン監督の作品だったのでしょう。ディテールが違い、カットされる場面が多くなると本当に全く違ってしまうのだと思いました。映画は、レイコさんに限らず登場人物のキャラクターもほぼ全員違うと感じました。大事なところでのセリフやしぐさが違うと感じました。全体としてとても単純になったと感じました。ここから先は原作の中身に触れるので、まだ読まれていない方はこれから先の僕のコメンントを読まないほうがいいと思います。ここでやめておいてください。
先ず緑はワタナベと軽々しく笑顔で握手してはいません。すぐにワタナベの前でスヤスヤと眠ってなんかいません。どちらも最後のほうのとても重要な場面ででてきたとても意味が込められたしぐさではなかったでしょうか。ワタナベと緑がお酒を飲んでいて、緑が「今私が何をしたいと思う?」と聞くのにワタナベは「勘弁してくれよ」とは言っていませんね。ワタナベはとても尊重して聞いていますし、わがままを言っても受け入れてくれるワタナベに緑は特別にピッタリくる気持ちを覚えていき、ワタナベだって救われていきます。ワタナベは一生懸命自分なりに人に対してとても誠実に言葉を選んでいたはずです。それにそんな簡単なセリフだけで緑はワタナベに対して怒って会わなくなったのではありませんよね。緑がワタナベにしばらく会わなくなるのはもっと根源的で、とても大事な事情がお互いにあったはずです。直子とも緑とも会えなくなったワタナベの孤独や苦しさや痛みやらが原作からはとても強く伝わってきます。そしてそのワタナベと緑のつらさの後で、二人が強く相手を二度と離したくないと感じあう場面がとっても丁寧に素敵に書かれていました。とってもいい場面だと思います。そこが映画ではほとんど描かれていなかったですね。それにワタナベは最後の場面の電話で「愛している」なんて言っていません。そんなに軽くないし、タイミングはそこではないはずです。確かに大事な電話なのだけれどここもちょっと違うなあと感じてしまいました。緑はとても生きていく愛情を感じさせるしっかりしたいい娘ですが、働き者で、ワタナベにはわがままをたくさん言って、聞いてもらって、振り回して、あくまで僕にとってはなんですが、かわいい娘というよりもとても感性の豊かな魅力的な人物のイメージで、映画の表現とは違いました。ここは僕にとってはとても大事な部分です。
直子について書きます。原作では直子はもっとワタナベにやさしかったように感じたし、取り乱した後でも少しして落ち着いてからはワタナベを傷つけないように、直子なりに「ごめんなさい」と気づかっていたように思います。愛美寮をワタナベが初めて訪ねて直子が来た時、それを直子は嬉しいと伝えて顔をワタナベに寄せました。映画の中でワタナベが手を直子に伸ばしたとき、そっとどいてしまうしぐさがありましたが違和感を覚え悲しくなりました。原作ではそんなしぐさ書かれていなかったです。ノルウェーの森をレイコさんが弾いてくれても直子は泣いていません。その後でキズキとのことを話して激しく泣きました。それでもレイコさんはハッとしてなんかいなく落ち着いて、ワタナベに「いいのよ、べつに。気にしなくていいのよ」と温かく話しています。後で自分の深い心の傷の長い話をワタナベにするところ、直子が泣くことはとても良いと諭すようなところ、直子とワタナベをとても好いて唯一よく理解して受け止めてくれているところ、繊細なのにユーモアがあふれていてとても温かいところが原作ではとても良かった。レイコさんは物語の中ですごく大事な存在ですよね。直子はキズキとできなくてワタナベとできたセックスにとまどっていたけれど、原作では暴れる姿は書かれていなくて、むしろ後でごめんなさいと気づかって、ワタナベに対して嬉しい気持ちを伝えていたし、とてもやさしく接していましたよね。ワタナベとのセックスはとても気持ち良かったとレイコさんに最後に告白しています。直子とワタナベとの牧場などでの親密さもとても丁寧に書かれていました。その親密さをワタナベはとても大事にしていました。だからこそ喪失の大きさが計り知れないと読んでいて感じました。ワタナベは直子と会えなくてつらい時期が長かったけれど、最後のほうまで楽観的でいて、引っ越した後で直子が亡くなる前にレイコさんから届いた手紙を読んで楽観的な希望が崩れてしまい大きなショックを受けていたところはとても大事だったと思います。ショックを受けすぎて、緑のことも考えられなくなって、緑まで傷ついた流れはとても大事なところですよね。
そのショックの中で孤独に過ごすワタナベにとても共感して読みました。つらい、つらい本当に孤独なきつい3月と4月と5月を過ごしますよね。そんな中でのバイト先の伊藤とのやりとりもとても温かくリアルで良かったです。もっと前ですが緑の父親とのキュウリとエウリピデスの場面も良かったです。そんな不思議で温かいエピソードがいっぱい原作の物語では出てきます。それらは一つも欠かさないものだなと感じます。ハツミさんも素朴で優しい姿も書かれていますね。直子が死んだ後東京を離れて、ワタナベは声を出さずに汗のように泣いていたし、途中で緑にも電話しています。レイコさんはずっと連絡が取れなくて心配して手紙をくれて、ワタナベが電話してから、外の世界がとても怖かったのに直子がいない愛美寮が寂しく、旭川に行く決心をして、ワタナベの気持ちを察して生きていくための忠告をしたくて上京してきます。新幹線に文句を言って、直子の話をしてくれて、大家さんのところへ行って、すき焼を食べて、直子の淋しくないお葬式をします。そして「あれやろうよ」「同じこと考えていたんです」になる流れは本当に省いて欲しくなかったです。決して訪ねて来てすぐ泣いていないし、むしろ冗談ばかり言っていますよね。うどんを食べただけで突然に「寝て。するべきだと思う」「本気ですか」ではないですね。ここは本当に全く違いすぎます。皆さんが感じるように。そして上野まできちんと送ってから別れ際、会話の中で自然に涙が流れ、人目もはばからずに思わず口づけをしてというあたりは本当に温かかったです。村上春樹さんの作品の中で、会話や手紙ってとても大事で魅力的だし、そこにはとても正直さ、誠実さ、切なさ、悲しみ、やさしさやらを感じます。傷ついているのにワタナベは相手を傷つけないように選んでしゃべっている言葉から、とても誠実さがにじみ出ているように感じます。しゃべり方に緑が惹かれたのも原作ではよく共感できます。人のしゃべり方って、その人となりが本当によく出るように最近感じています。
こういう深いあたりは映画で再現するのはとても難しいのだと思いました。やっぱりいい本はいいです。本ならではないでしょうか。でも映画を見たおかげで、また原作の本のノルウェーの森の世界に細部まで浸れたのはとてもとても良かったです。自分もまた生きなければととても強く思えました。こういう感情はとても久しぶりです。生きる喜びを感じます。また読めて本当に良かったです。
ありがとうございました。
私も原作が好きで、もう何十回も読んだんですよ。
・・・で、あの作品を2時間ちょっとの映画にまとめるのは正直大変かな?とは思っていましたが、期待はしていました。
松山ケンイチはキャストとしては、ありだと思います。(ハンサムって訳じゃないしワタナベに通じるような気がするし 良かったと思います)
ただ、皆さんのおっしゃる通り菊池凛子はひどいと思いましたよ。
本人が幾ら演じたくてビデオを送ったからと言っても、他の人(もっと、若くて美しくて可憐でけなげな感じの)人を起用するべきだったと思います。
レイコさんの事もそうです。
何故、彼女があの施設に居るのか?最後のお葬式・・・イロイロとカットされていて不自然でした。
(私の中のレイコさんのイメージは夏木マリさん、緑は平山アヤちゃんです)
やっぱり、あの小説を映画化する事は難しかったですね。
好きな小説なだけに残念でなりません。
私はごくごく最近(と、言っても5年くらい前)に友人から薦められて「ノルウェイの森」を読んだので、成人してかなり大人になっての「ノルウェイの森」(笑)だったせいか、思春期に何度も読まれた琥珀さんとは読後感がまた違うと思いますが、琥珀さんの映画の感想に頷いている一人です。
ただ、小説の冒頭シーンについては、映画で一番描いて欲しかったシーンだったので、琥珀さんの感想を読んで私は人と違った読み方をしたんだな〜と思い、お邪魔させて頂きました。
というのも、私は「ノルウェイの森」を暗いな〜と思いながらもどうなっちゃうの?と気になり、春樹ワールドに惹き込まれ、ラストまで読んでグッときて、そして、何故かまた冒頭シーンに戻りたくなって、読み返して更に胸にズーンときたという感じだったので、私にとっては冒頭シーンはこの作品のかなり重要部分になってるので、映画を観た時は逆に冒頭でガッカリしてしまった、というわけです。
なので、琥珀さんの感想をなるほど〜!って思ったのです。
映画に関しては「青いパパイヤの香り」のトラン・アン・ユンさんでしたので、結構期待してしまったせいか、ガッカリ度がハンパありませんでした。
余談ですが、レイコさんは私のイメージは桃井かおりさんを老けさせた感じだったので、映画のキレイで若すぎる女優さんに、一番違和感を感じました。
皆さんはどうなんですかね〜。
それではお邪魔しました。
私も原作を数え切れないくらい読んでおり,おそるおそる映画を見に行った者です。
最後のレイコさんがワタナベを訪ねるシーンのひどさに「よくもまあ,村上春樹があの脚本を許したな」とビックリしました。(ちなみにレイコさんのイメージは,私的には,今よりはもう少し若い倍賞美津子です。)
ワタナベと直子がキズキの死を共有したように,レイコさんとワタナベは直子の死を共有した。だから二人にしかできない,煙草とワインとレイコさんのギターの「お葬式」があり,直子の両親が行った「あんな寂しい葬式」を,レイコさんは,忘れて,自分とワタナベのお葬式の方を覚えていなさいと言う。映画では,その部分が抜け落ちたまま,ワタナベと寝て「喪った7年を取り戻せたわ」とかいう映画のレイコさんに,超落胆。レイコさんに誘われたワタナベの「ええ?本当にやるんですかぁ」とかいう映画でのセリフも超,超,落胆。あり得ない。
大切な人(直子)の死を共有しているから,そして,直子を喪って後も,また現実の世の中でそれぞれ生きていかなければならない,そのやるせなさというか…だからこそあの二人が「アレやろうよ」「不思議ですね。僕も同じこと考えていたんです」となると思うのですが…。
長くなりましてすみません。お邪魔しました。