2011-05-16 「『きかんしゃトーマス』って全然面白くない」
■[雑記]「『きかんしゃトーマス』って全然面白くない」

週末、家族で富士急ハイランドに行っていたのです。
息子は最近『きかんしゃトーマス』がお気に入りで、今回も、富士急ハイランド内にある『トーマスランド』で遊び、ホテルの『トーマスルーム』
に泊まるという、まさに『トーマス漬け』の旅行でした。
かなり御満悦の様子で、富士急ハイランドから新宿ゆきの『トーマスバス』に乗り込み、新宿のバスターミナルで下車。
それは、バスから荷物を下ろされるのを待っている間のことでした。
通りすがりの20歳くらいの男性が、『トーマスバス』を一瞥し、一緒に歩いていた、連れにひとこと。
「『きかんしゃトーマス』って、昔観てたことあったけど、全然面白くないんだよね」
その言葉を耳にした瞬間、僕はなんだか冷水をぶっかけられたような気分になりました。
彼はもちろん、いままさに『トーマスバス』から降りてきた僕たちに向けて言ったわけじゃなかったはずだけれど、その声はちょっと大きすぎたのです。
僕は思わず、息子のほうを向いたけど、まだ2歳半の息子の耳には、その言葉が届いていなかったようでホッとしました。
……いや、彼に悪気は無かったのだろうし、僕も正直『トーマス』のあまりに説教くさいところは苦手です。
原作者のウィルバート・オードリーさんが牧師ということで、「友情」とか「正義」とか「正直さ」に対して、あまりに真摯に向き合っていて、息苦しく感じることもあります。
息子の教育にとってプラスになるかどうかはさておき、僕も「きかんしゃ」好きだったから、息子が愉しんでいるのを微笑ましく感じてはいるのだけれど。
僕は帰り道で、眠っている息子の顔を見ながら、「面白くない」と公言することの迷惑さ、について考えずにはいられませんでした。
彼はあくまでも「自分はつまらなかった」と言ったのでしょう。
何も、『トーマスバス』に乗ってきた子どもたちの前で、大声で言う必要はなかったと思うけれど、それは別に違法でもないし、そもそも彼は「そこにいるトーマス好きの子どもたち」の存在など、全く意識していなかったはず。
ただ、連れに「トーマスなんて子どもだましだと思っていた、子どもの頃の自分」を、アピールしたかっただけのことです。
でも、その場で、彼のことばを聞いた子どもたちは、多かれ少なかれ、傷つかずにはいられなかったのではないかと思います。
「大好きな」トーマスバスから降りた瞬間に「君たちが大好きな『トーマス』なんてつまらない」という言葉を投げつけられたのだから。
そういうのに慣れないと、生き抜いていくのは難しい、たしかにそうでしょう。
それでも、わざわざ自分が大好きなものの悪口を聞かされる「筋合い」みたいなものはないような気がするのです。
僕が考えていたのは、「ネットで自分が嫌いなもの、あるいは好きじゃないものの批判をしたり、悪口を言ったりする」というのも、たぶん、これと似たようなものなのだろうな、ということです。
言っている本人は、「自分の考えをふとつぶやいてみた」くらいの意識しかなくても、それを読んで、傷ついたり、がっかりしたりする人が存在する可能性はあります。
自分が好きなものを貶されるのは、やっぱり悲しい。
その一方で、「悪口や批判は正当な権利だ」と言う人は多い。
そして、その言葉がこんなふうに誰かを傷つけているということを、全く意識していないように見える人も多い。
あなたがもしその場にいて、トーマスバスから楽しそうに降りてきた子どもたちのことを意識していれば、隣の知人との会話のなかでも、大声で「面白くないよね」と言えるでしょうか?
少なくとも、あの若者だって、子どもたちに面と向かっては、言わないだろうと思います。
「そんなつもりはないのに」誰かを傷つけてしまうというのは、すごく悲しいことです。
でも、それは、いまこの瞬間にも起こっていることだし、僕自身も、ネット上で同じことをやってしまっているのです。
批判は「権利」ではあります。
悪口だって、友だち相手の雑談の中であれば、吊るしあげられるような犯罪ではありません。
でも、それが「誰かを傷つけてしまう可能性」については、意識しておく必要はあります。
ネットの場合、まさに「誰に読まれるかわからない」のだからなおさらのことです。
誰がどんな状況で読んでいるのかわからないのだから、今日の「トーマス嫌い」の若者よりも、はるかに深く誰かを傷つけているかもしれないんですよね。
相手の顔が直接は見えないから、「意識していない」だけのことで。
本当は、「自分の好きなものについて褒める」ことに専念できればいいのだろうな、とは思うのだけど……


それは決して自分自身が批判されたことと同義ではありません。
ですから私は批判をすることに遠慮をする必要はないと思うのですよね。悪意に満ちた人格攻撃などでなければ。
自分の好きなものを否定される悲しみは経験する意義のある悲しみだと思います。
まあ今回の若者はあまりにも発言の場所が悪いとは思いますが。
あと、トーマスは面白いです。
しかし、それをネットにまで拡大解釈して自由な発言を萎縮させるような論調には賛同できません。
自分の好きなものを嫌っている、または自分が評価しているものを評価していない人を目の当たりにしたことのない子供って、どれだけ弱々しくて過敏で繊細な大人になっちゃうんでしょうね。
まぁ子供向けのコンテンツを子供の目の前で大人が悪く言うのはちょっと憚られる、ということくらいしか共感できない文章でした。
彼が昔どれくらいトーマスが好きだったかというと、自分の赤い自転車を「ジェームズ」と呼んでいたり、従妹がイギリスから買ってきてくれたトーマスのTシャツを「明日も幼稚園に着ていきたいから今晩洗って!」と頑固に主張したり、「とーますとゆうびんれっしゃ」という小さな絵本を一字一句違わず暗誦してみせたり(当然親は馬鹿になりましたが)、プラレールのトーマスの後ろに東海道新幹線の客車をひかせていたり、枚挙に暇がありませんが。
でも、敢えて申し上げます、そんな「トーマス・フリーク」だったウチの息子でも言うかもしれません、言うでしょう、「『きかんしゃトーマス』って昔観てたことあったけど、全然面白くないんだよね」と。
否、fujiponさまの息子さんもあと僅か数年後、幼稚園に入ってお友達から、悪趣味きわまりない「レンジャーもの」の洗礼を受けた途端に、「トーマスなんて全然面白くないんだよね。」と言う可能性大ですよ。
そしてレンジャーものが、やがてゲームになり、ゲームも「ポケモン」なら可愛いもんで、行くところまで(どこ?)行ってしまいますよ。
それが「子供の成長」です。そして親にはわかるのですよ、「全然面白くないんだよね。」というのは、成長した青年の含羞であることを。20歳前後では、「トーマスって凄く好きだった」とはまだまだ発語できない青い時期なのだということを。
だから、どうぞ、今の息子さんだけを見るのではなく、将来の息子さんの姿かもしれない今の若者たちも、暖かく見守ってくださいね。
そして、小さな子供たちの方がピュアな分、十分逞しくて、大人が何を言おうと、「トーマスへの愛」は微塵も揺るがないと断言してしまいます。fujiponさまは今、幸せな父親を生きていらっしゃるのですよ。
タイトルだけ見ると、特定の作品を愚弄している貴方の方が文中の男性以上に無神経に思えます。
ビデオも何回か繰り返してダメになるほど見たのも私にとっては良い思い出です。
そして、昔は怖い話など見ていた時は、トーマスには当時の本編でのナレーションの語りやイギリスの紹介の番外編などのおかげで逆に励まされていたりもしました。
ですが、もう・・・ トーマスはもう時代が変わってしまい
ましてや、最近では制作会社スタッフの影響で、日本では放送局や声優・脚本やキャラの設定の変更などには本当にがっかりしました。
そして・・・、現在のトーマスは、本当に幼稚な作品になってしまい
面白さや魅力などが失せてきているので
私も昔愛していたものに否定されたり、評判されたりと悲しみと寂しさを感じています。
あとは、”昔のトーマスは怖い”、”つまらない”などと言われて傷つく気持ちは私も痛いほど、凄くよくわかります。
私も小さい頃は、トーマス達の事は怖いとも思ったこともなく、そしてつまらないとは別に思いませんでした。
でも、最近ではそういう評判などが多発して、意見が分かれてしまい
荒らしの元になることもあります。
最近私も評判は控えておりますが、私はいつまでもトーマスは大好きですよ。
こんないい歳してこんな文章かいてしまい申し訳ありませんでした。