琥珀色の戯言 このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

この日記のはてなブックマーク数

2011-11-19 『レインマンになった嫁と暮らす』を読んで

[][]『レインマンになった嫁と暮らす』を読んで 『レインマンになった嫁と暮らす』を読んでを含むブックマーク 『レインマンになった嫁と暮らす』を読んでのブックマークコメント



参考リンク:レインマンになった嫁と暮らす(はてな匿名ダイアリー)


僕自身にも以前書いたこのエントリ(『原発離婚!』)のような話があり、この「レインマンになった嫁と暮らす」、他人事だとは思えませんでした。

我が家の場合は、報道が小さくなっていくのと比例するように、夫婦で原発の話をすることも少なくなり、沈静化していますが……

ただ。

映画の前半で「何やってんだよ!」ってキレまくって、少しでも兄に普通の行動を取らせようと無駄な努力にきゅうきゅうとしていたチャーリーが、レイモンドの目に映っている世界を、レイモンドの視点から理解して、彼に共感はできないものの、たった一人の肉親としてずっとそばにいようとするようになっていく過程を思った時、そこにはこれまでの俺の文字通りハゲになりそうな苦しみに、なんというか一条の光を投げかけてくれるヒントが潜んでいるんじゃないかって思ったのだ。

レインマンの奇行を迷惑がって、施設に追いやってしまうことも一つの道だけど、

そうはできない家族にとって、できることはなんだろう。

チャーリーは、自ら悩み苦しみながら、レイモンドへの愛を見つけて再生できた。

俺はまだ、嫁への愛を見つけ出していない。

先日、『ツレがうつになりまして』という映画を観たんですよ。

『ツレがうつになりまして』感想(琥珀色の戯言)

献身的に夫を支える妻の姿に、僕は心を動かされたのですが、その一方で、「現実はそううまくいくことばかりじゃないだろ」と感じたのも事実です。

これ(彼女、嫁に愛してるとメールしてみろ:ハムスター速報)を読むと、なおさらそう思う。


『レインマンになった嫁と暮らす』の「はてなブックーマーク」には、こんなコメントが寄せられています。


まあ、「はてなブックマーク」のコメントというのは、ある意味先鋭的というか、「机上の正論至上主義的」なものが多くなりがちではあるのですが、このエントリを読んで、「最低の夫だ」とか「w」とか書いている人を見ると、こういう人たちの自由な発言を読めるインターネットって凄いなあ、と考えずにはいられません。

じゃあ、この夫は、どうすればいいのか?

「正論で説得する」というのは、難しいと言わざるをえません。

そもそも、いまの状況で、何が正しいかを100%把握することができている人などいないのだから。

夫が夫の「正論」で説得しようとしても、妻は妻の「正論」に従っているだけのことなのだし。

こういう場合、「お前らはバカだから、そんなふうに過剰に恐れているだけなんだ」という態度で、相手が「説得」されるとは思えません。


この夫を責めたり、笑ったりできる人は、どんな天国に住んでいるのだろう?

僕はそう考えずにはいられません。

これは「原発」の話が絡んでいるから、こんなふうに話題にもなりますが、夫婦関係をはじめとする人間関係なんて、ものすごく微妙なバランスの上に成り立っているのです。

そして、当人同士の努力だけでは、どうしようもないこともある。

妻には妻の側の理由もあれば事情もある。

だからといって、2人で掴まっていては切れるロープに、「それが正しいから」という理由で、切れるまで、ずっと2人で掴まっていることを強要できるものでもないと思う。


たとえば、どちらかが病気になって、ずっと介護を必要とするようになったら?

どちらかが危険な新興宗教にハマってしまい、子どもを入信させようとしたら?

ふたりの間だけの話ではありません。

どちらかの親が突然病気になって、介護が必要になるとか、子どもが何かの問題に(加害者あるいは被害者として)巻き込まれるとか、そういうことがきっかけで、堅いと思っていた絆にほころびが生じ、あっという間にほどけてしまうことは、けっして珍しいことではないのです。

通勤の帰りに、自動車事故を起こしてしまったら?

いまの「日常」なんて、そんなに絶対的な「必然」ではない。

それを、3月11日に、みんな思い知らされたはずなのに。


僕はこの夫氏を、ささやかに応援することしかできません。

引っ越してみたら、とも思うし(物理的に距離を置くことで、心理的な不安が解消されることもあります)、可能であれば、家族でネット環境から離れてみれば、とも思うのだけれども。

(しかし、この夫氏も、こうしてネットに書かずにはいられないくらいだから、ネットから離れるのはどんなに難しいことか、とも感じます)


ただ、これだけは夫氏に申し上げたい。

「それでも一緒にいたい、いなければならないと思う」っていう感情こそ、たぶん、「愛」なんだと僕は思います。

「完璧な人間の、完璧なふるまい」だけが「愛」であるわけがない。

というかさ、みんな不完全で、不安だから、「愛」なんてものが必要で、だからそれは、すごくイビツで、モヤモヤしたものなのかもしれません。


僕だって不安です。そして、みんな不安なはずです。

みんながもっと「自分だって不安なんだ!」って口にすることができれば、かえって「安心」できる人が増えるんじゃないかなあ。


夫婦だから、家族だからというだけで、人と人とが穏やかに暮らせるわけじゃないんだよね。

なんとなく、そんなふうに思い込んでいた頃の僕は、若かった。


誰でも、明日いきなりチャーリーになるかもしれないし、レイモンドになるかもしれない。

自分は絶対に観客でいる自信がある人だけが、この夫氏に石を投げる資格があります。


「頑張る」という言葉、僕は昔から大嫌いだった。

でも、40年くらい生きていると、「頑張れ」としか言いようがない状況に、生きていると直面するんだ、ということがわかってきました。

いつか手を離さざるをえない、あるいは、手を離されてしまう日がくるかもしれないけれど、いまは信じて、お互いに頑張りましょう。


それでもまだ、僕たちは生きているのだから。