2012-04-21 [感想][歌詞]「つけまつける」

- アーティスト: きゃりーぱみゅぱみゅ
- 出版社/メーカー: ワーナーミュージック・ジャパン
- 発売日: 2012/01/11
- メディア: CD
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知り合いがカラオケで歌い易かったとか言って、延々と一曲リピートさせられて繰り返し聴いたが、やっぱり歌詞は明快且つ簡潔であった方が訴える力が強いと思う。まあ、なんだってそうか。
「つけまつける」に関しても、中田ヤスタカが歌うきゃりーぱみゅぱみゅの少女性を強調する為に敢えて極端に単純な歌詞を書いたとかの背景があるのだろうけれども、それでも装飾品の根源的な意味を極めて的確に表現している。特に「変身ベルト」との対比は珠玉。
本当初めて「エレクトロ・ワールド」
を聴いた時は、感性的な面でとんでもない変態野郎だなと感じたんだけれど、表現する方法が突き抜けてて注目してしまうし、完全に手のひらの上で転がされてる感じになってしまう。
先日刺青を差別しないで欲しいという主張の記事を読んだけれど、同様に装飾扱った表現としてはこの曲の方が比較にならないほどに説得力がある。個人的にはこんなポジティブな歌詞に感動するのは珍しいのだけど。
2012-01-27
■[日記]30才
早めに結婚した知り合いがそろそろ離婚するみたいな年齢になって参りました。
離婚者数は年々増えているらしいですが、よくよく思い出せば俺らの親世代ぐらいから段々多くなってきてるんじゃないかなぁと思うですね。単純に姉貴世代の同級生の親御さんには離婚した人がいなくて、俺の同級生にはちょくちょく親が離婚した奴がいるからってだけの話なんですが。
まぁ友達の親が離婚しようが再婚しようが、その後のそいつは変わっていくかもしれないけど、その時点で急に変わることはないわけで友達は友達なわけなんだけれども、問題は呼び名ですわな。
名前で呼んでたり、名前由来のあだ名だったらどうでも良いけど、名字由来のあだ名だったりしたら面倒くさいんだね。
高校の頃に毎日のようにつるんでいた友達の親が離婚したんだけど、母親に親権いったらしくて名字が変わったのね。でもそいつは転校したくなかったらしくて、母親についていかずに父方の実家に続けて住み続けてたんですわ。
当時は無自覚だったんだけど、面倒くさいよねぇ。
俺は普通に名字をAからKに変えて呼んだんだけど、一緒に遊んでた奴はAのままだったのね。普通に考えると俺が正しそうなもんなんだけど、こいつの親の離婚理由は嫁姑問題だったのよ。
するとそいつは父方の祖母ちゃんと暮らしてるわけで、祖母ちゃんからすれば嫌いだった元嫁の名字で自分の孫が呼ばれてるのは微妙な気分だったのではないかな。
まぁ、Aで継続した友達がそこを慮ってたかは知らんけどさ。
その友達とは高校卒業した後は俺も地元を出たしでバラバラだったんだけど、先日結婚式に呼ばれて会った時にはまったく変わってて、もう遊ぶこともないだろうなと思って寂しい思いもしたんだけど、それは別の話。
それともう一人の友達は母方の親戚に囲まれた中でも未だにAって呼んでて非常識っぷりを露呈してたから、祖母ちゃんに気を遣ってていうのはないな。
でももうちょっとしたら早い奴が死んだから葬式みたいな話が出てくるんだろうな。
2012-01-20
■[日記]ワンルーム・ディスコ
今日は知り合いの女の子にやたら褒められたので、ちょっと昔の話でもしようか。
そう俺がとんでもない男だといつものあれさ。
ところでみんなは「おひっこし」という漫画をご存知かな?
竹易てあしこと沙村広明作のコメディー漫画だよ。
この漫画の中で、「一度は女に言ってみたい言葉第一位(国勢調べ)」という言葉が出てくるんだよ。
その言葉についての話さ。
あれは多分大学3年だかの時のサークルの新歓コンパだったよ。4年だったかも知れない。
でも4年にもなってそんなこと言ってたのかと思われるのも辛いから3年でお願いします。
その年はサークルに女の子がたくさん入ってきてねぇ。つうか入れたんだよ。
なぜなら女の先輩から「男は勝手に入ってくるから女の子しか勧誘するな!」って言明されてたから。
だから俺たちは頑張ったよ。人生で女の子に声かけたことなんて殆ど無かったんだけど、この時ばかりはと凄い勢いで声かけたね。ナンパがあの延長にあるのだとしたら多分俺は普通にナンパできる気がする。
で同級生の男をだしに使って女の子を引っかけまくったのさ。
いや二人組だと意外についてくるもんだね。
そんで新歓コンパだ。疲れ切った俺は女の子がたくさんいるにも拘わらず嬉しくも何ともなかった。
ま、無理に連れてきた子もいたし半年経たずに止める奴の方が多いだろうとも思ってたし、早よ寝たかったんだよ。とりあえず。
でも一応下級生の世話もせないかんのでいるだけはいたんだ。
別に1年生には問題無かったんだ、でもねぇ2年生に一人俺と凄い反りの合わない女の子がいたのさ。
その子とはことあるごとにぶつかってたんだけど、大きなことにはなってなかったんだよねぇ。
でもあの時は多分イライラしてたんだろうねぇ。何の議論で何言われたかはもう忘れちゃったんだけど、相当ムカッときちゃったのさ。この若奉行は。
で言っちゃったのよ。
「この売女!」
って。
ひいたねぇ。有明海より速いスピードで引いてったよ。
同級生も、先輩も、そして1年生達も。
その後はもう俺が先輩から説教されてるのか、俺がその女の子に説教してるのかよくわからないドガチャカになってお開きになったんですよね。
でね、その後普通サークルとかだったら、下級生の手前仲直りというか、和解みたいなことするのかもしれないんだけど、そういうことも一切無くてね。
口一つきかないまま現在へ至るというわけです。
何の話してたんだっけ?
ああ、そうだ。みんな、相手が男だろうが女だろうが、譲れないところは絶対譲っちゃ駄目だぞ。
2010-02-28
■[本][感想]烏有此譚
- 作者: 円城塔
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2009/12/16
- メディア: 単行本
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結局人に限らず脳という個体毎に用意されたスタンドアロンのシステムに利用している以上、他の個体が何を考え、何を思っているのか。もしくは何を考えていないのか、思っていないのかを関知することは不可能事であるが、それでも人は社会性を持つ、持たなければ生存が極めて難しい生態であるが故に、他の個体とのコミュニケーションの密度を生物の中でも極めて重要視する種となったのだと予測できる。
その手段の中でも言語は特に精緻に発達して、音声によって現在を伝えるだけにとどまらず、それを記号化して時間的障壁を越えて情報を残すこともできるようになった。
結果この小説なのだけれども、わからない。
今読んでいるあなたは小説はわかるだろうか?
しょうせつ せう― 【小説】
(1)文学の一形式。散文体の文学で、一八世紀以後、近代市民社会の生活・道徳・思想を背景に完成した。作者が自由な方法とスタイルで、不特定多数の読者を対象に人間や社会を描く様式。〔坪内逍遥が「小説神髄」で novel の訳語として用いた〕
(2)もと中国で、日常の出来事に関する意見・主張。また、それを書いた文。
◆アクセント : しょうせつ 0
提供元:「大辞林 第二版」
小説 - 国語辞書 - goo辞書
何が起こっているかがわからないとはどういうことなのか。誰が誰なのか。誰が出てきたのか。誰がいるのか。いないのか。どこにいるのか。何が起こったのか。「二」と「曰」とは何だったのか。「二」までの内容が理解できていたのか。膨大な注があることで理解できていたのか。理解した気になっていただけなのか。内容があったのか。理解するとは何なのか。
もはやわからないエンターテインメント。ドロヘドロがわからないとか言ってる場合じゃねぇ!
2010-02-27
■[本][感想]グローバル定常型社会―地球社会の理論のために
- 作者: 広井良典
- 出版社/メーカー: 岩波書店
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最近しきりにベーシックインカムの話題が出てきたり、失業率の高さが自己責任論以外の切り口で語られるようになってきたのは、2007年の「「丸山眞男」をひっぱたきたい〜31歳フリーター。希望は、戦争。〜」が原因になっているように思う。別にセーフティーネットや福祉政策が社会的に必要なことはわかっているし、悪化した雇用状況の改善に椅子取りゲームの訓練を主とする現在の就職支援策が無効であろうことも理解できるのだけれども、どうしても個々の状況まで社会的な大きな問題の中に包み込んでしまおうとする流れには疑問を持たざる得ない。確かに椅子の数は少ないし、自分を含めて座れていない人間は多いのだろうけれども、やはり現在を生きる人間は全員同様の状況を生き抜かなければいけないわけで、その中で漏れてしまう原因は事故の問題として受け止めざる得ないのではないだろうか。過去の自分の浪費した時間から目を逸らし、責任を全て他へ押しつける生き方は卑怯であり、潔いとは言い難い。確かに15年早く産まれていれば同様の生き方であったとしても状況は全く違ったものになったであろう。だがしかし今現在、こういった状況に陥るような時代に産まれ生きている責任はどこにあるのか。産まれた責任を父母に求める論は可能かも知れない。しかし生きている責任までをそこに求めることはできない。現在の責任はやはり自己に帰結すると考える。今状況は悪く、諦めることを強要する時代の訪れの予感さえあるけれども、だからといって自分に起こっていることを自分で引き受ける覚悟は時代に関係無く、むしろこのような苦難の時代にこそ忘れるべきではない。もしそれを忘れてしまえば、もし朝が訪れたとしても残っているのは惨めな時間を漫然と過ごした残り滓ばかりだろう。まぁ生きていればの話だが。あと、こういった話は本の内容とはあまり関係がない。



