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2011-11-01 網膜剥離

この朱色の手術風景は、プロ画家でもある、私の、S100号の油彩大作作品である。冷静な気持ちの中で、困難な病気の患者を何とか助けたいと、極端に集中した熱い気持ちを、絵の中に表している。毎日毎日、燃える使命感で、多くの人々を、眼の病から救ってやりたいと、文字通り命がけで頑張っている。

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近年網膜剥離患者の手術が激増した。初めから深作眼科にきて網膜剥離の手術を受ける患者は幸せである。なぜなら、今まで100%の患者が治っている実績がある。しかし、半数は残念ながら他院で手術を既に受けてきて、治らずに来院した患者である。これが、実に苦労することとなる。中には大学病院で8回も網膜剥離手術を受けて直らずに、深作眼科を受診して助けてほしいと来院する患者もいた。今や、日本中はもちろん世界中から網膜剥離の患者が殺到する。2回や3回の手術を受けて治らないで、苦悩の果てに、深作眼科に最後の頼みとして来る患者が多いが、これが実に困ることになる。誰が、私がである。私が断れば、世界のどこでも治せないのは分かっている。であるから、どんなに困難でも引き受けてしまう。ほとんどの困難な症例は、練習病院である大学病院での手術を受けた患者である。うまい手術を受けた患者なら、仮に追加手術が必要でも、ちょっとした工夫で治せる事が多い。しかし、経験の少ない大学病院の術者による手術では、頭をひねってしまう難しい状況に追い込まれていることがほとんである。大学病院は初心者を教育する教育病院であるから必要悪とは思うが、患者の大部分は実質が練習台になることを理解していない。もちろん大学病院でも優れた術者もいる。しかし、大学は学校であるから、基本的には手術の練習をするのに決まっているのである。しかも、予算が厳しいので、通常は手術機械も最新の物は備えるのは難しい。

私はアメリカの国際眼科学会から帰国したばかりである。毎年、学会で最高賞など受賞している。常に、世界最高のレベルを保つために、世界の誰よりも努力している。隣は、アメリカ眼科学会の会長であるが、私の国際学会での実績から、アジア太平洋地域から初めてアメリカの国際学会での理事として呼ばれた。世界の中で戦うのは、日本での競争とは次元が違うトップ競争である。その競争から得た、世界最高の眼科手術技術と設備による世界トップの眼科手術を、日本人の同胞を救うのに役立てたい。

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深作眼科での良い手術成績が日本中で評判になっている為に、網膜剥離だけに限定しても、難しい患者が多く来院し、毎週毎週20件程度の網膜剥離手術を施行している。深作眼科の手術件数は年間約一万件であるので、それから比べれは一千件程度の全体の一割と思うかもしれないが、他所で手を付けて上手くいかなっかた症例が沢山来るので、頭が痛くなるような困難な例が半分である。

また、最近はスポーツ選手の網膜剥離手術を施行することが増えた。例えば、ボクシングの選手や体操の選手。飛び込みの選手、サッカー選手、格闘技の選手、テニス選手などである。中にはゴルフでボールが目に当たり眼球が割れてしまった網膜剥離などもある。これらの難しい例でも、初めから深作眼科に来た方は深作眼科の世界最高の硝子体手術によって、全例が治っている。問題は何度も言うが他院で手術をした、治っていない症例である。このような困った症例が毎日毎日5から10例ほどは来る。

例えば、ボクシングの選手は顔面を打ち合うために、むき出しの臓器である眼球に直接障害が及びかねない。非常に網膜剥離の起きやすいスポーツである。後で述べるAも、網膜剥離を起こし、大学病院で手術を受けた。しかし、大学病院は基礎的な手術を練習する施設であり、今や先進国のトップの外科医ではまず行わない1940年代に開発された古い方法の、シリコンバンドを眼球に巻きつけるバックリング法を行うことが多い。外側からシリコンバンドで眼球を締め付けることで、硝子体線維が網膜を引いている力を弱めて、網膜を復位しようとする方法である。しかし、網膜剥離の根本原因の硝子体線維は残ったままなので、本質的な意味では治癒しない。一時的に落ち着いた状態を作るに過ぎない。根本原因が治らないので、ボクシングなどで眼に衝撃を受ければ、硝子体線維が多きく揺れることで網膜を引き、再び網膜剥離を引き起こしかねない。つまり、不完全なバックリング法後の眼ではボクシングやサッカー体操競技、飛び込み競技、格闘技などを再開すると網膜剥離の再発が怖くて、もはや競技が出来なくなる。プロでは仕事を失いかねない。

この網膜剥離術後に激しい運動が出来ないと眼科医から聞くことがあろう。しかし、これは全く間違っている。根本的な治療法ではない、シリコン・バックリング法が問題である。勘違いをしてはいけない。後で述べる、世界最先端の極小切開硝子体手術を受けなくてはならない。ただ、この硝子体手術での最先端の手術法は技術的に難しい面も多いので、目安として、少なくとも5,000例以上の手術経験があり、眼科先進国ドイツアメリカなどで専門医となったような眼科外科医による手術を受けた場合は、根本的な網膜剥離の問題を原因も全て含め治しているので、網膜剥離の再発はまず無い。よって競技スポーツには復帰できる。この手術方法の差について知らないで、網膜剥離手術後に激しい運動ができないなどと思い込まないでほしい。真実は全く違うのである。

もちろん、この硝子体手術を5,000例以上経験が無い眼科外科医からの硝子体手術は大きなリスクがある。硝子体手術は難しいのである。もちろん、誰でも最高の硝子体手術が出来るわけでは無いのだ。基礎手術教育の大学病院では、難しい硝子体手術で失敗するよりも、より単純なバックリング法のほうが成功率が高く安全である、と考えても不思議ではない。しかし、今述べたのは、プロスポーツの選手が現役復帰が出来るかどうかの話である。手術後に激しいスポーツをしないで済むお仕事の方は、別にバックリング法でも問題ないであろう。なぜならば現実に5,000例以上硝子体手術を経験している眼科外科医は、多くは無いのが現実だから。当院は年間約10,000件の眼科手術を施行している。日本ではもちろん最も多い。それでも日本人1億3千万人全ては救えない。物理的に不可能である。だから、ここは、プロスポーツ選手を何とか救って、世界を切り開いてやろう、との話と思ってほしい。

ずっと昔にあった、ある例を述べよう。彼はA君という、プロのボクシング選手を治療したことがある。Aは、将来を嘱望された有望な選手であった。それが、激しい打ち合いで網膜剥離となった。これに対して、残念ながら、彼も、大学病院でこのバックリング法を施行され、しかも2度もされていて成功せずに、視力が出なくなっていた。もはや発症から数ヶ月経っていて視力も出ないために、本人も引退を決意したわけであった。しかし、Aはそれでもあきらめずに、日本で最も手術の成績の良い眼科はどこかと調査して、深作眼科を紹介された。

当院での初診時には、大学病院で2回手術されていた眼は、旧式のバックリング式手術を施行されていたが、網膜は剥がれたままで、網膜上に増殖膜変化が強くあった。視力など出るわけが無い。しかし、大学病院からは、本人に対して、治っていると、言い続けられていた。しかし、治っていないので、徐々に本人は視力が無くなり、引退まで覚悟するほど追い詰められていた。不安な気持ちで、深作眼科に藁をもすがる思いで来院したのだ。

実際の初診時の所見は、網膜は、はがれたままで、かなりいじくられた網膜は増殖膜が強く張っていた為に、視力は0.1未満であった。最新の網膜断層撮影装置画像を本人に示し、網膜剥離が治っていないことを説明し本人も理解した。さらに困ったことに、しかも、反対の眼も網膜剥離があった。こちらは見落としていたのか、何も説明されておらず、ほったらかしであった。

Aは、気の優しそうな好青年であった。小さなやや高い声で、裸眼で0.3以上無いとプロの試合ができない、ということであった。このままでは、左目は失明し、右目も同じく低下してしまう。そもそも旧式のバックリング方法は眼に衝撃の加わる人には向いていない。なぜなら、衝撃を受けて、眼の中の硝子体線維が揺れる。硝子体線維が網膜に付着している為に、揺れた硝子体線維は網膜を引っ張り、網膜を引き破き、再び網膜剥離が起こる危険性があるからだ。バックリング手術後の網膜では、その後は激しいスポーツはできなくなる。

それならどうするか。要は先ほどより述べた、世界最先端の技術である、注意深い硝子体手術を施行することが重要である。衝撃が来ても問題ないように、増殖性の硝子体線維を除去して、剥がれた網膜を完全に付けて治し、網膜の孔を完全に閉鎖すれば良い。こうすれば、ボクシングの試合だろうが、体操の選手で頭から落ちようが、網膜剥離は起きないし、完全に治せる。これは、実際に私が多くの若いスポーツ選手、特にボクシング、格闘技、体操選手、サッカー選手、飛び込み選手などの網膜剥離を数多く手術し、再発した人がいない、完全治癒して競技スポーツも続けられることを、深作眼科での10万件以上の手術実績で証明しているから言えることである。

Aは大学病院で2回手術して、治癒せずに半年もたっている、という条件の悪さはあったが、私が断れば、選手生命を絶たれることは分かっていたので、手術を引き受けた。即座に、まずは視力が極端に悪い、すでに大学病院で手をつけてしまった眼から緊急手術をした。Aはやはりスポーツ選手であり、硝子体手術後の治療のSF6ガスを入れた後の、うつ伏せ体位をしっかり守った。そして、視力も何とか0.1未満から術後には0.8まで回復した。はがれたまま時間が経っていたので、増殖膜を処置するのは非常に困難であったが、奇跡的に回復できた。さらに、見落とされていた反対眼の網膜剥離を手術した。むしろ幸いに、大学病院で手をつけていなかったために、深作眼科で初めから手術できたので、手術も楽で、空気置換だけで完全に治り、1週間という短期間で治癒し、視力も1.2も出た。

当院では網膜剥離も、0.7ミリという極小切開のトンネルでの無縫合硝子体手術と空気かSF6ガス置換で直す。よって、ほとんど切らないこともあり、驚くほどの速さで回復する。

今まで、他院では不安な説明しか受けていなかったAが、私が、治りましたよと説明すると、実際に良い視力を回復できていたので、実にうれしそうな顔で笑顔を見せていたのが印象的であった。そして、Aは、短期間でボクシング選手として復帰していった。そして、再起をかけ、日本選手権チャンピオンになり、さらには世界チャンピオンにもなった。試合の後に眼をチェックしたが、網膜は完全に治っており、異常は出なくなった。その後、Aは再診しないが、もはや不安も無くなり、自分の世界で頑張っているのであろう。私に助けてもらったのを、もっと感謝しても良いのにと、やや不快にも思ったが、色々とあったのかもしれない。昔の話である。

僕が世界最高の技術の眼科外科医になろうと、昔、欧米の世界トップの医師や施設で研修を何年も繰り返し、今はそこで欧米の医師に手術を教える立場にある。今や世界の誰にも負けない眼科手術を提供できることを誇りに思う。何人ものプロスポーツ選手の眼を助け、いくつものプロの世界チャンピオンを生み出す手助けが出来たことは幸運に思う。

いかなるスポーツでも、頭や眼に衝撃をきたすスポーツには網膜剥離がつき物である。かなり以前に、ボクシングのT選手が網膜剥離で引退という報道があったような記憶がある。これも、旧式のバックリング法を受けていたようだが、バックリング法ではなく、当院での完全な世界最先端の極小切開での硝子体手術を受ければ、完全に網膜剥離は治り、プロ選手として復帰できた可能性はある。

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近年網膜剥離を全て直す施設として評判が高まったせいか、ますます日本中や世界中から患者が来院する。当院は年間1万件近くの数々の手術を施行する。その中で、網膜剥離だけでさえ、毎週20件ほどの網膜剥離硝子体手術を施行して、全て直している。間違いなく、日本で最も多くの網膜剥離手術を施行し、世界で最も網膜剥離の治癒率が高い施設となった。他院で何回も手をつけてくる患者が多いが、できるならば変に手をつけないで、初めから直ぐに来てほしい。網膜剥離は全く怖くない。ただし、症状が出たら他でいじくらないで、直ぐに深作眼科に来院して、直ぐに深作眼科の世界最高の硝子体手術を受けるならば、という条件がつくが。

もしも、網膜剥離で困っている方がいたら、できるだけ早く手をつけないで、当院に受診しなさい、と勧めてやって頂きたい。もちろん、白内障など他の症状があれば、これも世界最高の技術と設備の深作眼科なら、世界最高の結果を出すので、他の眼科の病気も全く問題はない。

2011-10-30 新国立美術館

昨晩、アメリカのフロリダで開催された世界中から約5万人も集まる、眼科アカデミー学会から、帰国した。私は日本人で最初のアチーブメントアカデミー会員として、世界の最先端の眼科知識と技術を討論しあう学会で毎年発表する。

しかし、日本を留守にするとせっかくの機会を逃すことがある。

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学会に出かける前には、本年度も私が入選し、130号Fサイズの私の油絵大作を展示していた独立美術協会展を新国立美術館でやっていた。ご覧になった方も多いかもしれない。二足のわらじとも言われるが、もともと油彩は6歳から始め、世界中の美術館や画廊を知っている眼からすれば、すでにプロの領域にあった。これを現在名実共にプロ画家として頑張っている。願わくば、眼科外科医として世界トップの評価を得て、アメリカ眼科学会の理事や眼科殿堂選考委員などで世界の中心にいるように、画家としても世界最高の高みまで上り詰めたいものだ。

2011-06-23 青年は荒野を目指す

f:id:fukasaku:20110115070251j:image:w640『光を!光を。開眼手術』深作秀春、作画、油彩、100F

僕が高校生の頃だったか、五木寛之さんの同様な題名の紀行小説があった。シベリヤ鉄道ヨーロッパに行きフィンランドのホテルに泊まり、そこでの恋愛などが描かれてもいた。

これは後日初めての海外旅行の時であった。僕が医科大学の5年生の夏休み時に、2ヶ月間有効のユーレルパスを使い、列車でヨーロッパを回ったときに、フィンランドで小説と同じホテルに泊まった。街のディスコに行き、そこに来ていた若い連中と酒を飲みながら盛り上がった。中でも特別に可愛い金髪の女の子と気があって仲良しになった。僕は航空大学から医学部に入った為に、もはや26歳であった。しかし、日本人は若く見えるらしく23歳ぐらいにしておいた。これはまるで小説のようなロマンスが生まれたと思った。彼女と熱気のこもるディスコを出て、外へ行こうかと、大人びた美人の彼女に何気なく年を聞いた。すると彼女は15歳と言う。え?と振り返り彼女を見た。その妖艶な唇と形の良い鼻筋の横顔には、透き通るような白い肌の上に、幼い年齢を示す金髪の産毛があった。今とは違う昔の話しである。海外に行くのが憧れだった時代に、僕の恋愛話は海外で起きた。15歳が大人びて見えたのは、西洋へのコンプレックスが有った為か。彼女は僕を好きだと言った。しかし、15歳相手では、さすがにそれ以上の恋愛にはならなかった。外に出ると、酔った顔にフィンランドヘルシンキの夜の風は夏とは言え冷たく、頭はさえて来ていた。しかし、自分の心は熱く高まっていて、僕はこのとき、世界で羽ばたいてやろう、世界に我有り、と西洋世界でも一目置かれる存在になるのだと、妙に強く確信を抱いていた。

また、当時はやっていたフォークグループが、青年は荒野を目指す、との題でヒット曲を作っていた。今でも覚えている。一人で行くんだ幸せに背を向けて、さらば恋人よ、さらば友よ、青年は荒野を荒野を目指す。挑戦し続けるのは青春の特権であるが、挑戦する青春は、若い年の問題ではなく、精神の問題なのであろう。

思い起こせば、僕はこの年になっても、気質や美意識が昔と全く変わらないことに驚く。今でも、青年は荒野を目指す、との気持ちが渦巻く。つまり、常に何かに挑戦し続けているのだ。

高校を出てからパイロットになり、しかし、当時の不景気世相から日本航空へのパイロット就職が閉ざされて方向転換を迫られた。まさか、近年日本航空が破産するとは、人生とは分からないものでもある。パイロットの道を変更し、この為に学費の安い国立大学医学部に入りなおした。父親が定年退職となったので授業料免除となり、また自分の生活費と学費全てを自活して稼ぎ勉学した。学費稼ぎが教師とともに、商業デザインで一枚につき5万円をもらってデザインした。当時大卒が10万円ほどの月給なのに、月に18万円ほど稼ぎ、休みごとに海外に行けた。これは自らの目を海外に向ける契機でもあった。卒業後の外科医から手先が器用なので眼科医に変わり、眼科の一番の研修先としてアメリカに渡った。眼科医になってからは、世界一の眼科外科医になりたいと、世界中で修行を繰り返した。世界の眼科学会で発表を繰り返し、多くの新しい手術方法などで、国際眼科学会で眼科のアカデミー賞と呼ばれる、最高賞を世界最多の18回も連続受賞して、アメリカ眼科学会のアカデミー基幹会員となり、理事までになった。その後、世界で得たこの最高の技術を、日本の同胞を救う為に、日本最大最高の眼科病院を出身地の横浜西口に作った。これが現在の深作眼科楠町本院である。

こうして、今は何を挑戦しているのか。この写真は実は僕が描いた、100F号の大きな油絵である。僕は今や3番目のプロの生き方として、プロ画家となっている。プロ画家の団体である、日本美術家連盟のれっきとした会員である。実は絵画暦は古く、6歳から油絵を開始しているので、一朝一夕で始めた趣味の世界では無いのである。この世界でピカソを超えてやろうとしている。大作もここ三年で30枚ほど描き、小品は300点ほど描いた。夜中と週末に描いている。このため睡眠時間はさらに短くなり平均3から4時間ほどである。睡眠も仕事も極端に集中して行っている。最近、画廊で個展を開いた。16点の購入があったが、最近の不景気の中では驚異的な人気作家誕生である。

2011-05-20 Never Ever Give Up、(決して絶対にあきらめない)

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3月11日東日本大震災は今日でも多くの傷跡と後遺症を残している。

毎日の診療と手術件数が日々増えていることからブログを書き込めなかったこともあるが、大震災後の不安な心理を僕自身も感じていることもブログの遅れている理由でもある。

福島を中心に今でも原子炉からの放射能汚染や東北や北関東地震余震で苦しんでいる。そんな中で、避難している南相馬町の患者さんを初め多くの福島からの患者さんなど、多くの患者さんが来院してくれている。彼らは避難地から不自由な交通手段を乗り継いで、深作眼科に来院してくれている。

多くの外国人が地震放射能汚染を恐れて日本を離れている。そんな中でも、海外からの眼科治療を求めて来院する患者さんはいる。また、深作眼科の世界最高の技術を習おうと海外の眼科医が研修に訪れている。

この女医さんはスペインカナリア諸島からわざわざ研修しに深作眼科に来ている。彼女は私がドイツで発表した内容や手術手技に感動してぜひ研修したいと来院している。非常に熱心な眼科医師であり、特に私の行っている網膜硝子体手術を習得したいと熱心である。

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深作眼科の硝子体手術は現在世界で最も進んだドイツ式の方法であり、BIOM4で網膜を全て観察して、23Gの極小切開でのトンネルから手術を施行する。網膜剥離の治癒率は100%であり、世界でも稀に見る好成績である。日本では網膜剥離レーザーやバックリングの方法で行う二世代前の方法で行われることが多い。これでは根本的な治癒は望めない。世界最先端の硝子体手術方法を行うべきである。しかし、これはかなり高度な技術と非常に高価な最高機種の手術機械を必要とする。私はドイツで硝子体手術の技術を習得し専門医となった為に、ドイツの最も進んだ施設と同等以上の成績を上げている。

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日本では北は北海道、南は沖縄と全国から患者さんが殺到する。そればかりか、世界から多くの患者さんが来院される。この患者さんはロシアの病院でもはや治療ができないと宣告されて、深作眼科に来院した患者である。隣のお母さんが患者で、先天奇形の小眼球症であり、白内障虹彩欠損網膜欠損など非常に難しい患者であった。しかし、幸いなことに私の手術で視力を回復して、家族中の笑顔満点で帰国して行った。

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この患者さんは中国少数民族ウイグル族で、中国新疆ウイグル自治区ウルムチから来院した。最近は中国からの患者がとても増えたが、この患者は中国国内では原因も治療法もわからず失明の恐怖の中にあった。しかし、多くの方の協力で日本の深作眼科を知り、ビザをやっと取得して来日した。幸いに、ブドウ膜炎を原因とする白内障と網膜硝子体の問題であり、手術で完治した。

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震災の後ではあったが、国際眼科学会のためにアメリカに向かった。白内障によって人間の色覚が大きく変わることを科学的に解明した発表である。

このモネ睡蓮の絵はアメリカ近代美術館MOMAの一番人気の絵画である。近代は抽象画全盛となったが、やはり、モネの描く睡蓮の絵のようなほっとできる絵画に人々は安らぎを得るようである。

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その20年後の80歳代のモネの絵を見ると、形は不明確で色は茶褐色となっている。この原因がモネを苦しめた重度の白内障である。白内障になると水晶体がオレンジ色味を持ち、まずは暗い青色を黒と感じるようになる。また進むと暗い緑色も黒色と勘違いする。全ての形は曖昧になる。これらを科学的、医学的に考察して教育的発表を行った。幸なことに、学会で最も参考になった良い発表と選ばれた。

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近年は毎日、30から40症例の網膜硝子体手術を中心としてさらに白内障緑内障を手術している。患者が殺到しているので朝から夜中まで働いている。しかし、特に夜行バスなどを乗り継いで東北の被災地から続々と来院する患者達を救うことで、私もこの大震災を共通の認識として感じている。

我々は決してあきらめてはならない。最高の医療を彼らに施行するために、いつも、”Never , ever, give up” と心の中で唱えながら粉骨砕身、人々のために働いている毎日である。

2010-09-01 GOETHE、細川護煕、佐々木豊

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幻冬舎発刊でGOETHE(ゲーテ)という雑誌がある。仕事と人生を楽しんだ文豪ゲーテに因んだ名前だという。10月号での眼科の多焦点眼内レンズ移植術について取材したいとの連絡があった。ついては患者さんで著名な方との対談をお願いしたいとあった。著名な方の患者さんは多いが、日ごろより敬愛する日本を代表する文化人である細川護熙さんにお願いした。近年特に陶芸作家などでの芸術家としてだけでなく、細川家18代当主で79代総理大臣などの経歴から文化や歴史についての著書も多く講演や取材で非常に多忙な方であるが、深作眼科の関係ならと快く引き受けていただけた。

ホテルオークラで会見場が設定されて、写真撮影や対談を行った。細川さんは知れば知るほど日本の文化人の奥深さを知るし、また細川家700年の血統が生んだ良い意味での貴種とはこういうものかと感じ入る。武家の頭領であるが同時に文化の庇護推進者の伝統を体現している。

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細川さんは若々しいが、白内障による視力障害が通常の年齢変化に伴って起こってきた。白内障には誰でもなるので、皺のように当たり前の変化であるが、視力低下は生活の質を著しく低下させる。多くの人はまずは近所の眼科にかかり、そこから紹介で大学病院や総合病院に行く方が多いのではないか?そして、日本で通常行われる眼の上からの切開で白内障を取り除き、単焦点レンズを移植することとなる。手術後にメガネを合わせ、最大で0.8ぐらいの視力が出て、まあこんなものかと終わることとなる。しかし、細川さんの凄いところは、けっして軽はずみに病院を決めていない。まして、近くの眼科にとりあえずいって診てもらおうとはしない。細川さんの人脈を駆使して、日本でいやおそらく世界で最も良い病院はどこかと調べたはずである。手術を含む治療で大切なのは、どこで誰によって手術を受けることで、これに正しい判断を下すことが治療の99%である。つまり多くの患者は最も重要な誰に手術を受けるかという99%の治療をおろそかにしているのである。あとの1%は近くの病院とか、職員が親切とか本質にあまり関係が少ないことである。単純に言えば、眼科は外科の特殊な微細技術を持った超専門家であり、腕が全ての結果を決める為に、患者は最高の技術を持つ眼科外科医に手術を依頼することが、眼科疾患の治療の全てである。

細川さんなどの凄みはこの情報が実に正確であることである。深作眼科が世界最高の技術と設備、実績を持つ眼科施設であることを熟知していて、完全に治療を任せたことである。近年の患者は非常に怖がりになっている。この眼の手術を受けることは怖いであろうから、最近は基本的に手術中は眠らせるようにしている。しかし、細川さんは全く怖がっている感じがなかった。後でお尋ねすると、完全に信頼していたので、全く恐怖感は無かったとのことであった。普段はこんな穏やかな人はいないと感じ入るのであるが、手術中の冷静沈着振りは、全く豪胆な武家の頭領の血を受け継いでいる方だと感じた。

細川さんは私が白内障手術を施行し、多焦点レンズを移植した。多焦点レンズは、外から来る物からの反射の光を分ける性質がある。単純に言えば、遠くと近くからの両方の光に焦点が合うように作られている。この焦点の合った光が眼の網膜に届き、電気信号に変換されて脳に伝わる。脳の後ろの部分でその電気信号を過去の記憶と照合しながら認識し、物が何であるかを知る。これが物を見るという行為である。細川さんは常に遠くと近くの物からの光情報に焦点が合うために、遠くと近くの物をいつもピントが合った状態で見えている。この情報から必要な情報を脳が選んで今は遠くを見ている、とか今は近くを見ているとかを意識することとなる。人間の目はあくまでも光を電気信号にかえる受容器と変換機でしかない。見るのはあくまでも脳である。最近注目される3D立体テレビであるが、あれは右の目の受容器からの電気情報と左目からの光の電気情報とを別々に与えて、その電気情報を脳に伝え、脳が過去の情報と比較解釈して、テレビ画面が立体的であると解釈するのである。つまり脳が見ることの主体であることの身近な例である。

大切なのは、この多焦点レンズを移植したならば、遠くと近くが見えるようになるのかとの一般論である。単純に言おう。決め手は手術の腕である。通常の白内障の方法では、多焦点レンズ手術後に、むしろ近くも遠くも見えなくなる恐れが多く、実際に他院で手術を受けた多焦点レンズ移植後の患者で、視力が著しく悪い患者が助けを求めて来院する例が増えた。ゲーテの取材でも簡単に述べたが、白内障手術のレベルが超上級者のレベルでなくては良い結果は出ない。CCCとよぶカプセルの窓だが、完全に正円で、ど真ん中に、しかもレンズにわずかに辺縁が架かる直径5.5ミリの正円窓のCCCを作らなくてはならない。白内障手術の終了直前のカプセルの裏面に、薄く残る皮質のかすを完全に取り除き、クリーニングをしなくてはならない。これは完全に上級者のみができることである。他院での多くの手術では、カプセルのクリーニングが不完全である。もうぴかぴかに磨かなくてはならない。もちろん、その他の小切開とか洗練された超音波白内障手術とかは当たり前のことではある。多焦点レンズの度数の誤差はなくさなくてはならない。また乱視もほとんどなくす。もしも、必要なら手術後に残った乱視は、LASIKで完全に除去できる。

このような経過を経て、細川さんのように手術後に裸眼で1.5という視力が得られる。細川さんは遠くも近くも完璧に見えるのである。深作眼科では普通の世界であるが、これは全て完璧な白内障手術の技術によって得られる成果である。現実には日本の他院で、有名な病院でも多焦点レンズを移植して、手術後の視力が悪くて、深作眼科に助けを求めに来る人が後を絶たない。多焦点レンズ手術に必要な高度な技術には、従来の単焦点レンズ手術でよい視力を得られるレベルの手術では不足である。本当に良い視力を得たいのならば、実績数10万件を超え、多焦点レンズの使用例が、世界的に見ても、もちろん日本では例外的に多い、深作眼科で手術を受けるべきである。初めから深作眼科で多焦点レンズ白内障手術を受けた方々がいかに喜んでいるか、また他院で既に手術を終了してあり早く、深作眼科を早く知りたかったと非常な落胆振りを示す患者のいかに未だに多いことか。私はできるだけ多くの人に最高の視力を取り戻し、幸せな人生を手助けしたいと思う。一人でも多くの方が、細川さんのような賢明な選択をされんことを切に祈っている。

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最近、深作眼科の一階に画廊を開いた。人気プロ画家の企画展を連続して開いている。今回は著名な佐々木豊さんの個展を開催している。大作を多く含め、30数点を出されている。小品は画廊専用のスペースで、大作はロビーとレストラン伽羅などを使い展示している。今日はギャラリートークとパーティーを行った。

基本的には患者さんとその家族に美を堪能してほしいと設営したが、今日はとくに美術のみを目的に来館された方が多かった。数百人で各会場はごった返していたが、どの顔も佐々木豊さんの魅力溢れる各年代の、傑作を見ながら喜んでいただけたようだ。

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大作が多い中で、ひとつ面白い作品がある。『二束の草鞋、ドクターF』だ。これは佐々木豊さんの説明で知ったが、ヌードを描きたいので、設定は産婦人科医が診察している傍らで絵筆を振るっているが、どうやら『ドクターF』とは僕のことであるそうだ。いずれ、僕の画業を自らの個展で世に問いたいと思う。絵画でも眼科外科医と同様に、日本人で初めての世界最高の境地にたどり着きたい、とは願っていて、努力をしたい。

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佐々木豊さんのファンと同時に、多くの著名な画家もパーティーにいらした。佐々木さんの左は僕も会員である日本美術家連盟の理事長で、二紀会理事長、芸術院会員でもある山本貞さんだ。他にも入江観さんとか多くの芸術家、また日本一画廊主の吉井長三さん、日動画廊など多くの画廊関係者などがいらした。佐々木豊人気とともに、最近元気が無い日本の文化活動に活を入れるべく、新しい美の発信地が誕生したことを喜んでいただけたようだ。

ぜひ一人でも多くの方々が、深作眼科で視力を取り戻し、またその良い視力で1階の画廊を訪ね、まずは美しい美術を鑑賞することで、心の栄養を得ていただきたいものである。

2010-07-08 バルテュス、エチカの鏡出演

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世界の画家達に大いなる影響を与えたフランス画家にバルテュスがいる。彼はインテリとして生活しながら、独特の挑発的な官能性を表現した。特に若いときは、世間への衝動的ショックを与えようと、かなりたぎり立つ欲望の形象化をしたり、不条理な場面を好んで描いた。一緒に写っているご婦人は、このバルテュスが51歳の時に日本訪問時に、学生だった20歳の節子さんを見初められ、後に結婚した、奥様の節子さんです。節子さんも絵をお描きになり、吉井画廊での個展の際の写真です。

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この作品の『街路』は、不条理に満ちた場面を描いている。この左の大人の男は少女にいたずらをしている場面が描かれたり、当時は無作法極まりない場面の連続とみなされた。これを購入したアメリカのコレクターは他のバルテュス作品とともに、ニューヨーク近代美術館MOMA)に寄贈したが、初めはこの絵の展示を同意しなかった。

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次の大作の『山』はニューヨークメトロポリタン美術館にある。ニューロークは実に多くのバルテュスの絵がある。もともと寡作であり作品数は少ない。メトロポリタンに7点で近代美術館にも3点はある。さらに5番街近くの不動産王のビルのプライベート美術館に3点のバルテュスがあった。パリのポンピドー近代美術館では少なくとも3点あった。バルテュスは絵画を独学で身につけた。バルテュスは、セザンヌが提唱した自然を見てその形態の要素を抽出して絵画を作成した考えの継承者である。f:id:fukasaku:20100410071453j:image

これもメトロポリタンにあるバルテュスの絵である。彼は、女の子が大人の女になる途中の少女に強い純粋なエロティシズムを感じていた。大人の女ではポルノになってしまうので、大人になる前の少女を表現することに強い興味を得ていたのである。バルテュスはインテリであり、フランスのサロンの優勝者がローマ賞をとり、数年間の生活費を得ながらローマで生活し作品制作するメジチ館があるが、そこの館長がバルテュスであった。バルテュスの描く油絵は、十分に計算されたテーマとともに、絵肌のマチエールを作るのに時間をかけている。

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節子さんの展覧会にもバルテュスを敬愛する面々がそろいました。中央に私。右下には、日本赤十字社の社長である近衛忠輝さんで、近衛さんは、私が敬愛する細川護煕さんの弟さんです。左下は奥様で三笠宮のお嬢さんです。間に細川護煕さんの奥様の細川佳代子さんです。私の右隣は節子さんの展覧会を企画し紹待された日本を代表する画廊主の吉井長三さんです。皆様、多彩な分野で指導的な立場での社会への貢献をされている立派な方達ばかりです。

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最近、フジテレビエチカの鏡に出演した。前回のおもいっきりDONが生放送で私の出番は約40分あった。これに比べて、エチカの鏡は10回ほども取材に来て、録画放映であったが、私の単独出演ではなかった。残念ながら、私が角膜を傷害するから止めたほうが良いと述べたコンタクト装用による近視矯正術も紹介された。これは、アメリカではオプトメトリストというメガネやコンタクトレンズを作る眼鏡士ともいえる職種の人が薦めるもので、我々のような眼科外科医は危険な方法として行わない。ここは、複数の出演者がいたために、本来の正しい意見だけが紹介された訳では無い。

しかしながら、ゴールデンの時間帯の放送だけはあり、実に多くの患者からの問い合わせがあった。実際に千人ほど番組をきっかけに日本中から来院した。これらの患者の多くが、他所の病院で見捨てられた困難な症例や失明寸前の方々であった。

もともと、深作眼科は日本中、いや世界から患者が来ている。サッカーで知られた南米パラグアイからも患者が来たことがある。今日も、中国の患者が来院して、次回の手術のための日本入国ビザ取得の診断書を書いた。ハワイからは多くの患者が来る。ハワイの眼科レベルはあまり良くないが、手術医療費は信じられないほど高い。最近は海外からの医療ツアー受け入れを宣伝しているタイでも、こと眼科手術のレベルは高いとは言えない。タイで一番の病院で網膜剥離手術を受けたが調子が悪いとタイ在住の日本人が来院した。網膜がはがれたままであり、当院で緊急手術して直した。フィリピンからも黄班円孔の網膜剥離の患者が来た。フィリピンの一番良い病院でも無理だと言われたとのこと。深作眼科で2週間入院予定で手術した。1週間で網膜円孔がふさがり網膜剥離も治ったので、他の網膜剥離の緊急患者と代わってもらった。

深作眼科は網膜剥離の手術で全例100%が治っている。もちろん世界最高の成績だ。この評判を聞いて、日本全国から患者が殺到している。最近は網膜剥離の手術は全てが洗練された硝子体手術と主に空気で押さえて直す。深作眼科は日本で最も多くの眼科手術を施行している。これに対して、入院ベッドの全数が相対的に少なく、入院日数を短くしたり、日帰りも半数では行っている。

日本中から患者が来院すると、多くは救いようが無いとしか言い様がない末期の患者がかなりいる。一昨日手術した患者は網膜炎、緑内障白内障の患者で、視力は無く光のみわずかに感じるだけであった。しかし、手術後に今まで見えなかった眼が見えるようになった。わずかでも見えなかった方には大いなる福音です。患者が今まで全く見えなかったのが先生の顔が見えると手を合わせて感謝する。この患者の感謝が我々の張り合いです。緑内障で40ミリHgと高い眼圧であるのに、大学病院でほうって置かれた高校生を手術した。術前視力は0.08しかなかった。もはや失明しかないとおもわれたが、その日に緊急で緑内障の手術を深作眼科で施行し、半年間も高かった眼圧は正常となっただけでなく、右は0.8で左は1.0も視力が出た。いったん失明した人でも眼圧を下げることで、予備に残っていた視神経の機能が出てきて視力が出たようだ。まさに奇跡が起きたのだが、何事も決してあきらめないで、できるだけ早く深作眼科で治療することで奇跡がおきる可能性はある。世界から来るよりも、沖縄鹿児島北海道離島から来る方々は、2日がかりで横浜の深作眼科に来る。今日も沖縄の患者さんを手術した。琉球大学医学部ではもはや治療できないと放置された網膜疾患と白内障である。これも何とか救えるであろう。

毎日毎日数十人の新しい患者を診て、数百人の再来患者、数十人の入院患者、そして毎日数十人の手術を施行する。私は手術時間は世界で最も早い。急げば白内障は3分で済むし、通常は2時間かかる網膜剥離の手術も40分程度だし、通常は1時間かかる網膜黄班円孔や黄班上膜は20分ほどである。患者は痛みも無く、網膜剥離白内障など全例が治っている。今までに約10万例の眼科手術を施行した。世界で最も多くの症例と最も多くの病気を最高の成績で治癒している。

それでも、未だに深作眼科を知らないで、手遅れになったり、他の施設でいじくられて視力が出なくて何とかしてほしいと来る患者があとを絶たない。もはや深作眼科の活動は崇高な使命感で、一人でも多くの失明の恐怖にいる人々を救おうと戦っている。このためにできるだけ多くの人に情報を知らせてやりたい。眼科の病気は正しい高度な手術で手遅れにならないように治療すれば、全ての病気は治ることができる。この事実を日本人の全ての患者が知る必要がある。

インターネットの情報は玉石混合で、怖い。近くの小さなS眼科で無理をして網膜剥離の手術を何回もして、なんと眼球を摘出した患者が来た。患者がその眼科を選んだ理由がインターネット検索で名前が出たからだそうだ。そのS眼科は患者獲得にインターネットを駆使しているようだ。しかし、手術の実力も無いのに困っている患者を誘導して、網膜剥離で来た患者を治すどころか眼球を摘出したり、眼内レンズを2枚入れて視力が全く出なかったり、内斜視の患者に外斜視の手術をして反対方向に眼がずれたり、眼瞼下垂の手術が得意と宣伝して手術でさらに眼が下がったり、恐ろしい限りで、これら全てが当方に助けを求めてきた実際の例である。医師の仕事は自己責任であるから、むちゃくちゃをしてもコントロールされないこともある。このS眼科での事故が当院に流れてきて、これらの気の毒な患者を何とかしてやりたいと同情する一方で、S眼科の無軌道ぶり、とくにインターネットを使った患者への実態と違う過大な期待と誘導を繰り返していることに激しい怒りを覚える。インターネットを利用する患者はその情報について本当に正しいのかどうかをじっくりと見極めなくてはならない。S眼科で一方の眼を眼球摘出された患者の、残りの他眼は網膜剥離で失明寸前であった。網膜剥離レーザーを打つ、とS眼科のO医師は宣伝しているようだが、網膜剥離の網膜にレーザーを打てば穴だらけになる。この患者も残った眼の網膜は穴だらけにされて、しかも重症の糖尿病網膜症で、当方も頭を抱えるような重症患者であった。しかし、私はかつて、網膜治療の最も進んだドイツで、欧州の網膜硝子体手術を学んだが、その技術で手術を施行した。そして、私の手術後に、残った眼は1.2の視力を取り戻した。初めから深作眼科に来れば両眼とも1.2が出たはずなのに、片目は無残にも義眼である。くれぐれも患者の皆さんは正しい情報を吟味して、本当の医療を受けなくてはならない。このような間違った情報を発信し、患者に多くの苦痛を与えるS眼科O医師はいったいどのような良心を持っているのだろうか?私には理解ができない。医療は人々の幸せを得るための使命感に満ちた神聖な職業であるあるはずだ。手術に向いていない医師が自分の興味だけでインターネットを駆使した宣伝をし、まして手術施行をしてはいけない。

医療は断じて生活の糧を得るための仕事では無い。失明の恐怖から救いを求めている患者の為に、患者の為に自らの命を削り、患者を命の限り救おうとする聖職である。そのためには世界の果てでも学びを得て、常に切磋琢磨し、世界の進歩についていかなくてはならない。日本人の中にいかにこの覚悟があるであろうか?少なくとも技量が世界レベルで無ければ、患者の眼に手術をしてはならない。しかし現実はどうか。私は年間約6000眼を手術するが、この何十倍を施行しないと多くの患者を救えない。現実的には、深作眼科に来院した患者は実に運の良い宝くじに当たったような幸運の持ち主であるだけだとしか言いようが無い。なぜなら、深作眼科は眼科の全ての分野で世界最高レベルの治療を提供している、世界的にも稀な、奇跡に近い施設であるからである。

2010-03-22 生きることの意味

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大げさなことのようで、実はいつもまじめに考えなくてはならないことであり、かつその答えはとても難しい。

僕が高校生のときは、生きることはなんだ、と自問自答しながら、ある哲学者が、“生きるとは経験することだ。”と述べていて救われた気がしたものだ。つまり、生きることの優劣でなく、生きること自体が、色々と経験すること自体に価値があるということであった。

高校生時代は、先も判らず、暗中模索であったが、とりあえずは興味を持つものに没頭した。

高校生のときに当時、格好いいなとまた海外に行くことにあこがれた僕は、50倍の難関であったが、宮崎の航空大学に入学しパイロットの道に入った。しかし、その後の石油ショックなどで方向転換を余儀なくされて、勉強しなおして、医学部に入った。当時の医学部は現在の80校の半分の40校しかなく、特に国立は現在よりずっと入学が難しかったが、入学後の待遇は良かった。幸い国立大学は授業料が、公立幼稚園の月の8000円より安く、月に3000円であり、親の収入の差で志望が限定される現在の仕組みより、もっと民主的であった。しかも、2年生からは親が定年となったために授業料免除となり、豊富な奨学金と自分のアルバイトで十二分に自活できた。思えば、徒手空拳であっても、自分で自分の道を切り開ける良い仕組みが日本にはあった。

パイロットの免許は取ったが、日本の不況でパイロット採用が無く、日航パイロットの道を断念したときは断腸の思いであったが、今やその日本航空が実質的につぶれてしまい、転進した後に、眼科外科医として世界最高の実績と世界中からの患者の救いとなっている。パイロットであったら機長として退職しこの若さで引退となっていたかもしれない。人生とは分からないもので、あの哲学者が、人生とは経験することなり、と言った意味は感慨を持って実体験と感じている。

先日、私の患者さんでもあり、かつ人生の偉大な先達といえる細川護煕さんの湯河原のお宅を訪ねた。言うまでも無く、細川さんは元総理大臣として著名であるが、細川家700年の血脈が生んだまことに稀有な日本の誇る紳士である。

細川さんは60歳で政治家を引退して、その後、陶芸の世界に入り、今や陶芸世界の超人気作家でもある。さらに、書に優れ、文章家としてもプロであり、その晴耕雨読の生活を実践される生き方は憧れでもある。

細川さんは母方の祖母の近衛さんが使っていらした湯河原の別邸を気に入っていらして、それを譲り受けて、今は生活の場としている。湯河原は今やかなり開発されているが、山のずっと上の細川邸は町の喧騒が全く聞こえない、実に閑静なところである。敷地内に湯河原温泉の源泉があり、庭にはお湯が流しっぱなしでコンコンと湯が湧き出ている。お宅は古い日本家屋ではあるが、暖かいので驚いたが、床にこの温泉湯が床下暖房として使われているのだそうだ。細川さんは食事も健康的で、ご自宅で搗いた蕎麦山菜天麩羅をご馳走していただけた。冬の日の中で温泉の床暖房で南からの日差しが心地よい中で、細川さんと文学や芸術を語り合うことは、僕にとりまことに至福の時間であった。細川さんはいつも穏やかでいて、ところどころにユーモアたっぷりのお話のタイミングが心地よい。

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母屋の近くに作業所がいくつかある。これは、焼き物を作る釜のひとつで、楽焼を作るための高温の釜である。この釜の中にひとつひとつの作品を高温で焼くが、細川さんは上から長い金属の長柄棒でつまみ位置を整えながら、消防士のような耐火服を着込み焼くのであるが、釜の蓋を開けたときに、髪の毛や眉毛を焦がすこともあるそうな。芸術家の顔がそこにはうかがい知れる。

別の棟には轆轤がおいてある。細川さんは立って轆轤を回す。全体を眺めながら近くや遠くから眺めるのに適している。僕も油絵をプロとして描くが、近くでみたり離れてみたりする距離の変化やとり方は見方にとって非常に重要である。

細川さんは2年ほど前に、見え方が少しおかしいと深作眼科を受診して、私が白内障手術を施行して、多焦点眼内レンズを移植した。さらにしばらくして、少しある乱視LASIK法で完全に除去した。今や、裸眼で1.5の視力があり近くもどんな細かい文字も読める。面白いのは、私の手術以前の細川さんの本にある写真では眼鏡をかけている。しかし、私の手術以後の写真では裸眼姿である。その答えは、私が施行した、多焦点眼内レンズ白内障手術とLASIKなのである。すべての視力表がすべて裸眼で見える、超人的な目に変えたのである。

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屋敷の上に、独特のお茶室がある。伝統的な形とは違うが、これが実に心地よい。例によって、床下には温泉の暖房が入っている。窓からの採光も充分である。細川さんはここでお茶を振舞うだけでなく、読書や昼寝にも使っているようだ。炉は平安時代の1000年も前の釜が置かれている。この釜は京都の古道具屋さんが持ってきたが、替わりに細川さんお気に入りの自作の茶碗を3つも持って行かれたそうだ。

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細川さんとはまた毛色が違うが、努力と信念と才能で自分の宇宙を切り開いた敬愛すべき方に安藤忠雄さんがいる。細川さんと一緒に直島の安藤さんの建築と美術を見た。細川さんが細川700年が納得できるお殿様であるが、安藤さんのその馬力は大阪城豊臣秀吉のような気がする。違う世界の敬愛すべき日本を代表するお二人は実に魅力的な方たちだ。これらの方たちが、私を世界最高の眼科外科医として選んで眼のことでいらっしゃることは大変な名誉であり、また、日本の中で世界最高の眼科医療を提供し続ける覚悟をさらに強く持つ励みにもなる。

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私は、ずっと佐々木豊さんの指導を受けて、さらに今は大津英敏さんの指導を受けて、美学の分野で世界が驚くことを見せてやろうと思っている。眼科手術の世界で世界一と実に多くの受賞と実績を上げられたが、美学のと医学を結びつけた世界は自分にしかできないものであるからして、これを世に問うのは自分の責務であると思う。

この絵は、独立協会展のなかで両側の二枚はアフリカでの取材から作製した油絵で、130号と100号の大作である。今後は小品と大作とで個展も考えている。絵を描くことは、実は自分の哲学を眼で見える形に昇華するものであるからして、私のように世界の中で、もまれてきた経験による哲学美学を表現することこそ芸術であると断言できる。

2010-02-10 おもいっきりDON生放送出演

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1月の18日の4チャンネルの人気ある昼番組"おもいっきりDON"に生出演しました。

そもそもは中山秀さんの、ウチクル担当のプロデューサーを手術して、多焦点眼内レンズを移植したのですが、彼は手術後には両眼とも裸眼で1.5で、近くも細かい辞書の字さえ裸眼で良く見えるようになりました。このことを中山秀さんに教えたところ、そんな世界第一の深作先生をぜひ紹介したいと、別の番組ですが、おもいっきりDONのプロデューサーから出演の依頼がありました。

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そもそも、白内障手術は眼科で最も多いのです。どの施設も手術をします。しかし、結果は全く違うのは多くの患者さんが感じているとおりです。深作眼科は18年間連続で、眼科手術の質のランキングで世界第一位を維持しています。さらに網膜剥離での成功率が100%と、信じられないような良い成績です。しかし、これは当然です。理屈に合った、科学的な態度と常に研究を怠らないで世界最先端を歩んでいること、また常に最先端で最良の機械を使用していることです。

先進医療の多焦点眼内レンズ移植術は裸眼で全てのものを見ることが可能な新世代の手術です。レンズだけならどの施設でも調達できます。しかし、このような精密な手術を要する最先端手術では、手術そのものの腕の差が歴然と出ます。多焦点レンズ手術は15年ほど前から海外では行われ、私も海外で実施して来ました。その果実を日本の患者さんに3年前から提供しています。近年では、日本でも多焦点レンズについて宣伝しているのを見ます。しかし、実態は、日本全体の3分の1の症例は深作眼科で施行しています。さらに、当院での手術後結果の良さは、世界中でも最も良い結果です。やはり、同じ多焦点レンズを使っても、結果は全く違います。白内障のカプセルの窓を中央にずれも無く完全な円形で作る技術と、カプセル内側に薄く残った皮質を完全に取り除く、上級者のみ可能な高度な技術が、良い結果には絶対に必要です。これらは完全に上級者のテクニックです。これを甘く見て、通常の白内障手術の後に多焦点レンズを移植すると、かえって近くも遠くも見えない結果となります。やはり、私のように今までに10万例の経験があり、世界の主要な学会でほとんど全ての賞を受賞して、アメリカ眼科学会で役員をして、いち早く最新情報が得られる、このような多くの困難であるが本質的な項目に近づける眼科外科医のみが、多焦点レンズ移植術後に良い視力結果を得られるのです。

おもいっきりDONの出演者の方々も目の悩みを抱えている方がほとんどです。皆さんもまた深作眼科にいらして手術を受けたいと、CMの間の時間に個人的な相談をいくつも受けました。

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おもいっきりDONは生放送ですが、朝からリハーサルを繰り返します。リハーサル相手は番組のプロデューサーやディレクター、また局アナの馬場アナウンサーなどです。2回目のリハでは中山秀さんも入ります。しかし、ゲストはぶっつけ本番です。その結果は、リハーサルでの想定問答集は全くはずれで、関係ない質問が飛び交いました。初めは、そんなの聞いてないよ。と、私自身の声が上ずってトーンが高くなっていたと思います。しかし、色々と真剣に聞いてくるゲストの方達は、私にとって患者さん達なんだと思い至ってからは、患者に話すようにとてもスムースに話せました。

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放送後の問い合わせは非常に多く、もともと患者が多い病院がさらに多くなっています。特徴的なのは、難しい患者が多いことです。大学病院や総合病院の眼科ですでに手術を受けて、病気が治らず、どんどん視力が落ちている方々が、藁をも掴む気持ちで日本中から来院しています。不思議なのは他院ではなぜ網膜剥離が直せずむしろ網膜をぼろぼろにして後の治療ができないほどに追い込んでしまうのか。深作眼科では網膜剥離手術の成功率は100%ですから、他院での手術後の網膜が剥がれたままの方があまりにも多いことに愕然としているのです。私はドイツで網膜の手術、とくに硝子体手術を習得して、かつヨーロッパの網膜硝子体学会の専門医になっています。機械もBIOM4という日本では深作眼科にしかない機械で網膜全体を把握しながら、23G の最新式硝子体機械と27Gのキセノンライトや網膜専用の顕微鏡下で手術を進めることで、完全に全症例で網膜剥離を治せるのです。

多焦点レンズの手術はあくまでも遠くも近くもそのままで良く見える手術です。とくに若い人の白内障手術には圧倒的に利点が多いのです。単焦点レンズ移植では老眼の問題が若い人も悩ませます。アトピー性皮膚炎の方には白内障がとても多い。眼が痒いので、眼を叩いたりこすったりすることで、外傷性の白内障になります。さらには角膜にも力が加わり、円錐角膜を起こしたり、網膜も裂けて網膜剥離も多くあります。最近の20歳代のアトピーの患者ですが円錐角膜と真っ白になった白内障の方を手術しました。このような例こそ深作眼科のような超専門家施設でしか手術はできません。この方は、光しか感じなかったのですが、深作眼科に運良く来院して、角膜移植術、白内障手術、多焦点眼内レンズ移植術を施行しました。この結果、もともとは光だけ感じる光覚弁だったのが1.0みえるようになりました。多焦点レンズを使っているので老眼を感じることなく、遠くも近くも良く見えて喜んでいます。

2009-11-26 2009年度、アメリカ眼科アカデミー学会受賞。

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先般、アメリカサンフランシスコで行われた世界最大で権威のあるアメリカアカデミー眼科学AAO(American Academy of Ophthalmology)に参加した。

私は日本人で初めてのアカデミー眼科学会のアチーブメントオーナー会員で、これは今までにアカデミー会員として、学会の講演や受賞などの実績を表彰された、成果を成し遂げた(アチーブメント)名誉ある(オーナー)会員のことです。

今回また、白内障の新しい手術手技を紹介した手術ビデオがベストビデオとして表彰されました。春のASCRSと秋のAAOが世界二大学会ですが、常に世界最高の技術を求めている深作眼科の姿勢が、世界の晴れ舞台で毎年世界の第一位の成果として表彰されるのは、患者さんと共に喜びを分かち合いたいと思います。

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世界の中で活躍するようになってから、やはり世界で活躍する多くの方々との知己を得ました。日本人も最近は世界の大舞台で活躍されている方も増えつつあります。この写真はそんな日本人の一人で、世界遺産選定で有名な国連の組織のユネスコの事務長である松浦さんがいます。松浦さんはフランス大使として長年勤務した後、ユネスコ事務長に選ばれ、世界遺産選定でも尽力し、特に無形文化財世界遺産に取り入れたり、文化遺跡の保存に功績があります。

ユネスコには多くの美術品があります。知人の安藤忠雄さんはユネスコ本部に瞑想の間を設計されました。しかし、ユネスコには簡単に入れないので、松浦さんに見学をお願いしました。朝、パリのホテルで待つと、松浦さんが送られたユネスコの事務長専用車が迎えに来ました。ショーファーつきの車で移動の途中から雰囲気があります。

写真は、パリのユネスコ本部の最上階にあるレストラン奥のパーティールームに飾ってある絵画の前で、松浦さんの奥様と撮った写真です。松浦さんの奥様も大変博識であり、ユネスコの多くの美術品をご案内していただけました。

私が入選出品した、独立美術協会の大先輩の奥谷博さんもこのユネスコ本部で個展をなさったそうです。先日、奥谷さんご夫妻が、私のところにいらしたときにユネスコの個展の様子や松浦さんのことなどをお話してくれました。国際機関や美術の分野でも国際的に活躍する日本人が増えてきて、分野は違えども誇らしい気持ちに成れます。ハーグで小和田さんとお会いして、お話しながら日本に帰ったら教育者として活躍されるだろうと思いましたが、さらに国際裁判所所長に選ばれて延期になりましたが、今後の世界はますます国際化が進み、日本人も国内の中だけの感覚ではすまなくなりそうです。

医学は特に、国際化が進み、医学で最も難しい眼科外科は世界の最先端で活躍するには、国内だけの視線では常に10年は遅れてしまいます。世界ではもはや行わない方法が、日本では未だに行われ、術後視力がよく回復しない例は多くあります。医学の共通語は英語ですが、こと医学に関しては英語で学習すべきであり、これができないと世界の学会で討論に入れず、最新の知見を得られず、日本人が馬鹿にされる原因ともなっています。

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写真のように、ユネスコは芸術の都パリにあるために、窓からの風景も芸術の香りがします。エッフェル塔や近衛兵の練兵所などユネスコ本部の近隣が見られます。

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また、ユネスコ芸術家が多くの作品を寄贈しており、一般公開はしていないものの、芸術作品がそこら中にあります。ところが管理が悪く、とんでもないところに名作が置かれています。写真はヘンリムーアの彫刻の傑作ですが、ビルとビルの間の狭いスペースに放置されています。ピカソの大壁画も掃除の道具置き場に描かれており、それを見たピカソが怒ってサインを拒否したそうですのでサイン無しです。ミロの大壁画も妙なところに置いてあり、まるで粗大ごみのようです。

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ユネスコ本部ビルの中庭にお目当ての安藤忠雄さん設計の瞑想の間があります。これはイサム野口の日本庭園風の庭の隣にあります。日本人の一口募金で建立されました。この写真は内部の様子です。天井の周囲から注ぐ光が気持ちを瞑想へと誘います。安藤さんのこの天井脇から光が降り注ぐ形は、最も得意とする方法です。

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ユネスコのような大きな組織では、せっかくの美術作品も結構粗雑に扱われていてもったいない限りです。他日、私の好きなルオーのアトリエを訪問しました。このアトリエも公開されていません。吉井さんが日本のルオーをほとんど扱っていますが、吉井さんに同行してルオーのアトリエに訪問できました。駅の見渡せる天井の高いアパートメントを生涯アトリエとして使い、いまはそこが孫のルオーさんらによって運営されるルオー管理財団の事務所ともなっています。一緒の方が孫のルオーさんで、もとパイロットの方です、退職後にルオー財団の理事長として管理をしています。非常に温厚な方で、ルオーの描いた宗教画に相応しいような人格者と感じました。ルオーは吉井さんのおかげで身近に感じる作家の一人です。生前のままに残されたアトリエで、分厚く残った絵の具が盛り上がっているパレットや絵の具で固まった太い絵筆を立てかけてあるのを見ると、今にもルオー本人がそこに出てくるような錯覚を覚えました。画家としての私の気持ちに強く感動を抱かせる空間でした。

2009-10-08 美を求める心

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最近とにかく忙しい。その理由のひとつは、多くの困難な眼の病気を抱えた患者さんが日本中や世界からさらに多く来院して、診療と手術に忙殺されていることはもちろんのことです。また、さらに近年、油彩の絵を描くことにプロとしての意識で夜中に作品を作成していることが上げられます。

日本での画家のプロデビューにはいくつかの方法があります。そのひとつが、公募展への挑戦です。公募展の中で、最も難しいとされるのが、秋の独立展と春の国画展です。

私の特徴はできないといわれると益々燃えて挑戦したくなることと、いったん集中すると人智を超えたような神がかった集中力を見せることです。

普段、長く油絵を教えてもらっていた著名な画家の佐々木豊さんの著作に“プロ美術家(画家)になる”というのがあります。佐々木さんは情緒的なロマンチックなエロチックなすばらしい色彩の絵を描く世界的な画家です。さらに文筆に優れ、多くの美術連載物や啓蒙書を書いています。その著作のひとつがプロ画家になる、です。私は佐々木さんの著作3部作を2冊ずつ買い、色々なところに持ち歩き数十回と読み、影響を受け、これはプロになるしかないなと思ったわけです。佐々木さんに公募展に挑戦したいと相談すると、独立や国画はプロになる者の挑戦する団体で、難しいと、暗に止めるのです。私はできないとか、難しいとか言われると、むきになって挑戦したくなるのです。人ができるものを同じ人間である自分ができないはずがない、と思うのです。患者が、非常に困難な症例にたいし、これはできませんか?と聞くのは禁句です。それまでとても無理だと思っていたのが、できないか?と患者から問われれば、私にできないか?などの言葉を吐くな、私にできないものはないと非常な闘争心に似たアドレナリンが沸いてくるのです。ですから、私の病院では日本や世界で、とても無理だと見捨てられた患者が殺到して、私はこれをなんとかしようと悪戦苦闘することになるのです。間違いなく、深作眼科に来る患者の難易度のレベルは世界最高です。しかし、不思議なことに、自分でも心の底で無理かなと思っている患者の病気でも、何と神がかった力が私に乗り移ったとしか言い様がない力で多くは直してしまっています。

こんな自分ですので、佐々木さんから、暗に無理な挑戦のような言われ方でしたのでなお更奮起して、プロの登竜門である公募展に挑戦することとしました。直近の秋の独立展は人気作家の奥谷さん、絹谷さん、大津さんといった芸術院会員でもある方たちが属しているプロ集団です。

夏に南アフリカ学会で講演した後に、有志たちとサファリツアーに行きました。そのときにスケッチや多くの写真を撮り、それらを元に130F,100S, 100F と3枚の大作の油絵を同時に描き進めながら展示作を決めました。

写真の最初にあるのが独立展から届いた入選通知です。昼間は患者さんの診察と多くの手術を施行しなくてはなりませんから、この大きな油絵は夜中に描いていたのです。いくら集中力と決してくじけない意志力は誰にも負けないものがありますが、毎日3−4時間睡眠で集中するのは実に厳しく、同時に絵を描かずにはいられないプロの心情そのものになっていきました。仕事以外は全て絵に注ぎ込む生活は、悩み事が有っても、悩んでいる暇が無いというほどすさまじいもので、ずっと集中が続いていることによる脳の神経細胞が熱を持ってうなっているような感触でした。

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これは私のアトリエにある入賞作で、額装前です。冬の南アフリカの木立の中にホーンビル(角笛嘴)鳥を描いたものです。この鳥はかなり大型鳥で、南アフリカの山岳部にいます。

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大津英敏さんの個展のパーティーで、奥谷博さんと佐々木豊さんと一緒に写真を撮ったものです。まだプロ芸術家としては若輩者ですが、意識はこの道の第一人者とすでに親しくお付き合いをお願いしています。もっとも、眼科手術の分野では世界一の技術があるわけですから、いつか手術でお役に立てるということを加味して、画家としても世界の第一人者の仲間入りをさせていただいているのだろうとは理解しています。

このように眼科の診察と眼科手術、さらにプロの画家としての生活はまことに大変ですが、意義深く、人生の時間を噛み締めながらすごす想いです。

こう思いながら今日もモデルを前にして油絵を描いていると、細川護煕さんからお電話頂き、お知り合いの芸術家の方の目の病気を見てほしいとのご依頼でした。先日も二川さんがいらして、芸術写真の世界的な大家の方の手術のご依頼でした。私の中では多くの芸術の仲間の諸先輩方のお役に立てることは名誉であり喜びでもあります。

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この写真は私の右に白州さん左は細川佳代子さんです。白州さんは美術評論などの文芸家で著名な小林秀雄さんのお嬢様で白州次郎白州正子さんのお嫁さんです。細川さんは前に述べましたが、白州さんも裸眼視力が1.5で、遠くも近くも裸眼でとても見えると喜んでいらっしゃいます。

私は今までに約十万件の眼科手術を施行しています。あらゆる眼科分野の手術です。白内障は世界最高の技術であることは世界のベストドクターズの最初に紹介されます。近視矯正手術はレーシックやフェイキックIOLは日本どころかアジア太平洋地域で最初に施行しています。老眼の矯正はアメリカ学会でグランプリをとったほどの専門家中の専門家です。多焦点眼内レンズ移植手術で多くの日本の著名なセレブを手術治療して、近くも遠くも裸眼で見えるような白内障手術を非常に多く施行しています。ドイツで専門医になった網膜剥離への硝子体手術で100%の成功率で直っています。多くの手術法を開発して世界の学会で多くの賞を受けた緑内障も時期が遅すぎなければ手術でその視力を保っています。眼瞼下垂などの形成外科はアメリカでトレーニングを受けた日本では稀な専門家です。東洋医学漢方専門医でもあることから難病の網膜色素変性症を積極的に治療しています。米国のアイバンク協会会員であることから新鮮な角膜をアメリカより輸入して非常に多くの角膜移植手術を行っています。

いまだに、お近くや職場の近くで手術をしたけど思わしくなく、何とかしてほしいと来院する方があとを絶ちません。大変お気の毒ですが、いったん手をつけた目はもはや、最高の結果は出ないのです。深作眼科で行う手術は早いだけでなく、できるだけ眼への傷を少なくして、精密な操作をすばやく正確に行っています。そのための設備は世界で最新最高のものを常に更新しています。技術と経験は最高であるのは言うまでもありません。

国が行う中立の立場の技術のコンテストでもあればよいのですが。公開された公明正大な技術競争が行われるべきです。患者が希望するのは病気から救われることです。患者は気の毒に情報が足りないのです。剣豪の時代なら宮本武蔵のように、他流試合にて剣の腕を正々堂々と競えたかもしれません。もっとも宮本武蔵でも保守的名門の姑息な井の中の蛙集団である吉岡一門の卑怯な待ち伏せで、下り松にて数十人の相手と剣の試合をしなくてはならず貧すれば鈍する者達です。名門などとふんぞり返って新たな努力をしない者などは、古今東西こんなものです。しかし、その数十人の吉岡一門をたった一人の武蔵が、すべてを討ち果たしたのはすさまじいものです。まさに”正義は勝”のです。

ちなみに、後世、宮本武蔵は細川さんの熊本藩にて剣術師範となり多くの著作も残しています。あれから700年たち、眼科を剣術に置き換えれば、世界最高の技術を常に追求している私自身は宮本武蔵のようなもので、その患者さんとして細川さんがいらしたのは、歴史は廻るものなのでしょうか。

患者にとって救いは口コミだけです。口コミをもとにした、オリコン16万人の患者調査で、医療満足度が日本の全ての科で唯一、深作眼科が10点満点中10点だった施設だとの事実が、患者の口コミの正しさを証明します。深作眼科の技術に挑戦したいものがあれば喜んで競争したいものです。我々は公明正大な競争なら眼科手術技術において、世界の誰にでも勝てると確信を持って言えます。

2009-08-23 南アフリカに世界の眼科の希望が集まる

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南アフリカに世界の眼科の希望が集まる

8月8日から10日にかけて、欧米を中心とした世界最先端の眼科外科医が南アフリカ眼科学会を行いました。私も日本から唯一の招待講演者として講演してきました。

世界の最も有力な話題は、老眼の矯正です。この老眼を治す手術方法を長年提案してきた私は、まさに世界の第一人者として世界中の先進的な眼科医を教育してきました。

私が現代の調節性眼内レンズの理論を提案して、その生理学的性質を解明し、眼内レンズが調節によって動くことを世界で初めて証明し、アメリカでの眼科世界大会で、眼科のノーベル賞といわれるグランプリを受賞したわけです。これは欧米諸国では熱狂的に受け入れられ、すぐに4社の欧米のメーカーが私の理論に基づき、調節性の眼内レンズを製品化しました。その後改良を加えられ、今や白内障の最先端手術の半数が老眼を治す手術を行うようになりました。

一方、日本はどうでしょう。私が、アメリカでグランプリを受賞してその成果を日本の学会で紹介したところ、全く理解されずに、何と大学の眼科を中心として、眼内レンズが動かないことは証明されているなどと不遜な間違った無礼な反論のみでした。昔は誰も証明できなかったからだというだけであり、眼内レンズの動きなど誰も知らなかったのです。それを動かないなどと、知らないことはまずはけちをつけるいつもの日本の後進性でした。私が世界で初めて証明したその事実を欧米の眼科学会と機械メーカーは絶賛の声で迎え、かつ製品化して、今や手術の半数が私の理論に基づく手術症例です。しかし、その最先端の知識は、ようやく日本でも少し興味を持たれ始めた程度です。

このような例は嫌になるほど経験しています。私は二十歳代で米国の眼科の研修を受けたことで、初めから世界最先端のレベルから始めています。それを日本に持ち込んだところ、多くがけちをつけられる有様でした。今や常識の白内障手術後の眼内レンズ移植手術を、あんな危ないものと日本の大学はけちをつけました。世界では眼内レンズは常識であるにもかかわらずにです。

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世界の眼科手術の指導者が集まり最新の情報を交換しています。深作眼科が世界最先端でい続けられる理由は、この世界の指導者との友達付き合いにあります。しかし、日本人では私しか招待されないのです。世界の常識が日本では10年も後に来る理由を見る思いです。

日本は眼科手術は常に世界の常識から10年は遅れた状況にいるのは日本国民にとり大変な不幸です。世界の眼科医学はものすごいスピードで進歩しています。ところが、日本の医学がなぜに世界の常識となっている新しいことに常にけちをつけるのでしょうか。まずは、海外の学会で発表できるような先進性や英語語学力が無いことがあります。また、新しいことへの積極的な興味や新しいことの提案への尊敬の念が不足しています。新しいことにまずはけちをつけてみるとか、大学のような苔むした白い虚しい塔とも言うべき白い虚塔(巨ではない)で井の中の蛙になっても生きていける状況があります。正当な競争が行われていない。

でも患者も悪い。眼の病気になるとまずは総合病院の眼科に行きたがる。結果が悪くて、初めて良い病院はどこか探して、深作眼科に来る。今や網膜剥離手術を毎週4−5例行い、深作眼科に初めから来た人は全てが治癒して喜んでいます。

問題は大学を中心とした総合病院で網膜剥離手術を施行して、直らないまま何とかしてくれと来院する人が同じくらい多いことです。先週も5人も他院で網膜剥離の手術を受けた人が助けを求めて来院した。ある航空会社の客室乗務員ですが、客の荷物が落ちて眼に当たり網膜剥離が起きた人がいます。大学病院で、古典的なシリコンバックリングの手術を受け直ったとされ、他眼は問題ないとされていました。傷が汚いので相談したらバックリングを取ろうとされ、当院に相談に来ました。当方で精査したところ、バックリング手術した眼の網膜剥離は直っておらず、はがれたままでした。さらに反対の眼も、網膜裂孔と剥離が認められました。傷が汚いのもありましたが、失明に繋がる網膜剥離を直すことが先決と説明するとショックだったようですがほっともしていました。この患者さんが、初めから深作眼科に来院していれば、23Gの小切開無縫合硝子体手術で手術後の傷跡も消えて、網膜剥離も完全に治せたでしょう。実際は他院で大きく結膜を切られていて汚い傷は直せないし、肝心の網膜は両眼ともはがれたままだったわけです。このような例は決して例外ではなく実に多く経験します。

白内障手術として18年間連続で世界最高とランクされていて充分なはずの私が、7年前までに一念発起して、ドイツで4年間の研修をして、さらに網膜硝子体手術のレベルでも世界最高に引き上げました。さらにその後、欧州の網膜硝子体手術学会の専門医試験に合格しています。日本では2人だけです。

以前には、私も、網膜の手術を大学病院に紹介していたのです。この結果は患者に気の毒な目に合わせてしまいました。私は日本の大学病院が欧米の大学に比べて非常に後進的なことを当時は知りませんでした。私も患者と同じウブなものでした。

大学病院は初心者教育や練習する場ですから、必要悪かもしれませんが、手術を練習する場であり、最先端の技術を提供する場ではないことを認識する必要があります。アメリカでは常に評価されるシステムがあり、大学病院のレベルを我々のようなアメリカ眼科学会の指導医がチェックをしますから一定のレベルは確保されます。ここが日本と欧米の眼科の差でしょう。また、欧米の眼科外科は医学部の最高のエリートであり、非常に厳しい競争に勝ったもののみが手術を許可されます。日本のような目医者といった侮蔑語で言われるようなものは欧米ではまずは無いのです。

この結果、今や我々の施設は、白内障緑内障手術だけでなく、網膜硝子体手術でも世界のどこにも負けない世界最高のレベルにあります。繊細な神経が集まっている網膜は傷害した後では回復は難しくなります。ぜひ、手をつける前に、深作眼科に直行してください。網膜剥離糖尿病網膜症、加齢黄班変性、血管閉塞性の病変などちゃんとした初期治療をすれば直る病気をいたずらに放置や不完全な治療により失明する不幸を避けてください。我々の最も辛いのは、来院したときにもはや手のつけようも無い手遅れの病態を見ることです。早く深作眼科を知りたかったと落胆する患者さんを見るにつけ、このブログが人々を助けるきっかけになれば良いと祈るばかりです。

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南アフリカ学会の後で、皆で山岳地帯へサファリに出かけました。動物園と違って、自然の動物の何と魅力的なことか。

キリンは首がとても長いのですが、当然脳に血液を送るために心臓は大変な強い力で血液を送り出さなくてはなりません。血圧が高いのです。それでは水を飲むときに頭を下げたときはどうでしょうか。高い血圧がさらに脳に集中して、脳内出血が起こりはしないか心配しました。実は頭の後ろに少し黒い場所があるのですが、そこが弁の作用をして、脳への血圧を首の位置によらずに一定にする機能を果たしているのです。こんなことを日本では誰も知らないのか初めて聞きました。

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アフリカゾウは耳が大変大きいのですが、耳を触ってみると冷たいのです。肩近くの心臓部分はあったかくてすぐ耳に障ると冷たいのです。実は耳は放熱をしています。血管が多くて暑いときには耳から放熱するために耳を大きく開いています。なぜ、知っているかって?実は今回、象の上に乗ったのです。アフリカゾウは乱暴と言いますが、子供の頃から訓練すればよく人間の言うこと聞きます。

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ライオンはやはりは百獣の王といわれる迫力があります。夜に湖に水を飲みに来ます。以前の夜のサファリ時に湖で待っていたところ、いつの間にか27頭のライオンが回りにいて肝が縮んだことがあります。ライオンから身を守るのは車の中でじっとして立たないことです。ちなみに車の第一人気はトヨタランドクルーザーで昔のイギリスレンジローバーは壊れやすいと敬遠されています。

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道を行くと、よくインパラの屍骸と出会います。インパラは鹿のようなかわいらしい動物ですが、肉が美味しいので肉食獣に狙われます。

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インパラの群れは、強い一匹のオスの下で多くのメスがハーレム状態でいます。他のオスは別のオスだけの群れを作り、強くなったオスは、メスの群れの中に一匹だけいる強いオスに戦いを挑戦します。そのオスが負ければオスだけの群れに舞い戻ることになります。

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ライオンは通常子供はメスといて雌は複数で行動します。一方、オスは群れ全体を少しはなれた場所で見ています。もしくは単独で行動します。ライオンの声はあまり聞くことはないでしょうが、うなるような声で低く迫力があります。

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突然オスと出会って、あまりにも近くに寄ってしまうと、車の中なら安全といわれても恐ろしいものです。

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世界中の天才的な眼科外科医達と家族同様な付き合いをして、お互いに高めあう関係を維持しています。これがひとえに深作眼科が常に世界最先端でいる理由でもあります。眼科のことなら迷うことなく深作眼科に来院することで世界最先端の治療を受けられます。深作眼科の知識と技術は世界中の最先端の医療を担う仲間の医師からももたらされているのです。

2009-06-17 花も花なれ 人も人なれ

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花も花なれ、人も人なれ

細川護煕さんは吉井さんのご紹介から、以前より患者さんとして来ていただき、白内障の手術治療も当方で行い、経過良好です。今回、奥様の佳代子さんにも白内障治療をご依頼頂き、多焦点レンズによる手術治療で、遠方と中間、近くと裸眼での視力を最高の結果を得ております。

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細川佳代子さんは以前より、多くのボランティアでの活躍を存じ上げていました。今回、佳代子さんの著書である“花も花なれ人も人なれ”を頂き、一気に読み終えました。佳代子さんの子供時代から、護煕さんとの出会いと結婚、さらに政治家の妻から、現在の多くのボランティア団体の代表と活発な活動を、ユーモア溢れるエピソードと共に紹介されています。角川書店から1600円で出版されています。ご一読をお勧めします。

細川護煕さんも佳代子さんも大変お忙しい方ですが、このようなお忙しい方であるからこそ、医療機関を選択する術も、また情報を得る人脈もお持ちです。ですから、迷うことなく、世界最高の眼科治療機関である深作眼科での白内障手術を選ばれました。

眼科手術はどこで誰に手術を依頼するかが99%の成功を約束します。多くの方が誤解しているのが、大学や総合病院の眼科手術を過大評価していることです。大学はいうまでもなく、研修を得る目的の施設です。総合病院の眼科も通常は大学の関連病院で眼科手術の経験を積む目的を持っています。何も好きこのんで経験に供する必要はありません。誰に手術を依頼したいのかを、その実績を冷静に判断して決定してください。深作眼科は約10万件の眼科手術を経験して、かつ白内障緑内障、網膜硝子体手術、形成手術、角膜手術など全ての眼科手術で世界最高の設備と最高の技術を提供できるのです。このような施設は世界でも非常に稀ですが、実績が証明しています。眼科の世界は特殊な専門家の世界です。多くの方は、正確な情報を知りません。中途半端な情報が患者の選択を迷わせます。

これを書いていて、新聞テレビ欄で、マスコミ操作がお上手なある医師のテレビ出演があったことを知りました。4分間での白内障手術とありますが、彼は少なくとも私より手術の操作は明らかに遅く、不正確です。彼は白内障のカプセルを綺麗にクリーニングすることをしません。つまり手術操作が不完全です。それでも4分かかるのですから遅いわけです。クリーニングをしないし、かつレンズが長くはもたない種類のレンズを使用するために、術後の視力があまり良くないし、10年もすればレンズは劣化する。現に不満を覚えた患者が何人も当院で治してほしいと来院している。中にはA医師を訴えるという患者もあった。それを私は患者をなだめて問題とならないようにした。しかし、また間違った情報を伝えるために番組で患者を騙す情報を伝えるならば、かばう必要も無かったかと後悔します。

以前に、網膜剥離の患者さんの眼球を摘出したS眼科について述べたことがある。そのS眼科は相変わらずインターネットで間違った情報を流し、網膜硝子体について経験も設備も知識も欠けているのに、初心(ウブ)な患者をそこへと誘導しようとしている。何のための医師の仕事と思っているのか。およそ医師は使命感を持った聖職である。間違った情報で、劣悪な医療を患者に押し付けて不幸な結果を作っている。実に嘆かわしいことです。

N大学眼科などの大学眼科は、加齢黄班変性にたいしてPDTというレーザー治療で失明者を量産している。私は、何度もテレビや新聞で、この海外ではもはや否定された、かえって悪くなるPDTをしてはならないと主張してきた。しかし、それに対して、日本人は外国の人とと違う。日本人には効くんだと言う。正気かと思う。日本人と外国の人との眼が別物だと主張するごまかしが、いかに多くの人の視力を奪ったか。これらの、日本の中に蔓延する医学が引き起こす医原性の病態は、患者も注意して避けなくてはならない。テレビ、インターネットなどの情報は間違いも多く、玉石混合ですから、まずは、疑ってみましょう。口コミや実際の成績を冷静に参考にしましょう。

このように、患者さんはこと手術に関しては、もっと慎重であるべきです。細川さんだけでなく、日本のトップの人々が深作眼科を選ぶという、正しい判断を下していることを参考にするべきです。

我々深作眼科は眼科手術治療を聖職と使命感を持って考えています。ですから、常に正しい情報を伝える努力と、世界最高の技術を維持し、世界最高の設備に常に更新する努力を怠らないのです。このような眼から見て、あまりにも間違った情報が患者さんに伝わりやすい現状に対して、大いなる憤慨と危惧を覚えております。

細川佳代子さんの著書の題名は、細川ガラシャ夫人が石田三成からの人質になるのを避けようと自分の胸を突かせた際に呼んだ辞世の句から取ったものです。つまり、『散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ』です。苦しみの中でさえ、あるがままを受け入れ、精一杯生ききった満足感がむしろ現れているのでしょう。あるがままの自分の姿を発見することの大事さを述べているようです

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細川護煕さんは政治家をおやめになってから、陶芸家として立派なプロになられた。以前からの書道家としての姿もある。、さらに近年は吉井さんの影響もあるのか、絵画の世界に飛び込んでこられた。私も、近年の吉井さんとの交流から、フランスや日本の多くの偉大な芸術家や家族との交流を経験し、大いに触発された。この経験から美術の夜間教育機関で専門的な画家としてのスタートをする決心をし、その準備を始めた。

先日、ヨーロッパ学会から招待があり、ローマで講演を行った。その講演の合間の時間を都合して、ローマの風景を油絵で描いた。私は、パリで昔活躍した佐伯祐三が実に早い描きで一日に油絵を2−3枚描いていたと読み、影響された。学会中日と学会の終了日の2日間で油絵を4枚描いた。

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このテレベ川岸ではサンタンジェロを含む川岸と橋を描いた。

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また、他の2枚は古代ローマの代表的な遺跡のフェロ、ロマーノを描いた。この場所は実に世界中の観光客の多いところだった。朝早く描きに行ったときは調子良かった。時間の経過と共に、周りからイタリア語ドイツ語フランス語、英語が聞こえてきた。見回すと30人以上の人々が私の周りで、絵を覗き込みながら、色々話したり写真を撮ったりしている。やたらとイタリア語で話しかけてくる。どうも地元の絵描きと思っているようだった。

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イタリア学会の講演では学会誌の記者の注目があり、3本の論文が出版されることになった。この打ち合わせ最中に実はカメラが無くなった。この為に、学会の写真が消えてしまい、写真構成が充分取れなくなってしまった。

ローマは実に古い遺跡が多く残っている。このコロッセオという、円形競技場は5万人以上の人を収容する、剣闘士などの命がけのショーを見学する場所として使われた。時のローマ皇帝が市民の娯楽としてショーを行った。地下には猛獣や剣闘士がせり上がるような仕掛けがあり、その跡がある。時には競技場に水を張り、戦艦を浮かべ海戦のショーも見せた。映画のグラディエーターはCGでの再現であるが、現存の遺跡をみるとその大きさに圧倒される。いつの日か、佐伯祐三をしのぐ絵を多く描いておみせできると思う。

今は、夜間講座で、2人のモデルを使い、自作のキャンバスに50号の油絵を描いている最中です。昨年までは絵画のコレクターでしたが、今や作家でコレクターであるという、日本では特異な存在になりました。睡眠時間を削り、眼科治療と絵画作家の二つの顔に特化しているような、猛烈に忙しい生活を送る毎日です。

2009-04-18 2009年度アメリカ白内障屈折矯正手術学会を再び制覇!

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2009年度アメリカ白内障屈折矯正手術学会ASCRSにて学会賞を再び受賞。18回目の大賞であり、世界で最多の栄誉に輝いた。

春に行われる、眼科の世界大会が、本年は米国のサンフランシスコで開催された。世界中から最先端の手術療法と臨床研究が発表された。学会最終日に、恒例の本年度の眼科学会最高賞の表彰がありました。

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本年はアメリカ映画のアカデミー賞にて日本の映画が受賞した。この際に、受賞者にオスカーと呼ぶトロフィーが授与された。実は眼科学会でもこれに良く似たトロフィーが贈られる。我々はこれもオスカーと呼んでいます。アメリカ眼科学会は、完全な実力主義であり、外国人でも特に差別はされません。要は最高か否かでしかなく、アメリカの最も良い文化です。

2009年度のアメリカ白内障屈折矯正手術学会にて、再び連続して、この栄誉ある受賞を受けることができました。

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学会会場のサンフランシスコアメリカ人が最も住みたいと、人気が高い場所です。良い大学も多く、うまいレストランも多く、人々も親切で、治安も良いところです。偏見があまり無いので、同性愛者の人々も多く住む都市です。

ケーブルカーで有名です。坂が多いために、ケーブルカーが無い頃は、馬車が坂を登れずに滑り落ちたりする事故が多発していました。そこで、地下にケーブルを通して、そのケーブルを掴むようにして木製の写真のようなクラシックな車両が坂を運転しています。

ケーブルカーが出来てからは、坂の上に大金持ちが住むようになりました。なんといっても景色が良いですから。しかし、サンフランシスコ地震が多く、20世紀初頭のサンフランシスコ大地震で個人豪邸は倒壊しました。その後は数々の高級ホテルが丘の上に建っています。

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サンフランシスコ湾の中ほどには、アル、カポネなどの凶悪犯が収監されていた監獄島のアルカトラッツが見られます。陸地からすぐ近くなので、脱出は不可能、と豪語したのが不思議な気がします。実はサンフランシスコ湾は寒流の為にとても寒く、潮流の流れも強く、かつ海峡にはサメがいるために、仮に脱出できても無事には済まないのです。ところが、あるときに、自分の顔を紙粘土で作り寝ているように見せて、スプーンで掘った穴から脱出した者がいます。クリント、イーストウッド主演で映画化されています。アルカトラッツ島に観光船が出ているので、何年も前ですが訪ねたことがあります。実際に使われた、人の顔を模した紙粘土や穴を掘ったスプーンが展示されています。果たして本当に脱出は成功したのか、この脱出劇の顛末は誰も知りません。しかし、死体も見つからず、消息も分からないので、脱出に成功したとされています。そのおかげか、その後に、この脱出不可能の監獄島は閉鎖されました。

観光で訪ねると、独房の中にも入れます。中に入っていると、突然に電気錠でドアを閉められてギョッとさせられるのはご愛嬌ですが。アメリカでは移民をまず収容したエリス島がニューヨークにありますが、人々の写真を見ると、個々の生活に思いが馳せます。このアルカトラッツは、移民とは別の囚人という人生ですが、歴史のかなたに流れていった時間を感じるという意味では、エリス島で感じたような妙な深い感慨を同様に受けたものでした。

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授賞式では元学会会長のソルントン先生や選考委員長のフィッシュカインド先生など、私にとって長年交流を続けている先輩眼科外科医と旧交を温める場所でもあります。私は眼科の技術をアメリカで教育を受けたことから、学会でもアメリカの世界大会が最も慣れ親しんでおりかつ最高の努力を傾ける場所です。常にアメリカの眼科医療レベルが世界の先頭にあります。そのアメリカで私は多くの世界中の眼科医の指導を続けることが、ひいては深作眼科のレベルを常に世界最高の状態であることができる源です。

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今回も新たな挑戦で、眼科形成外科の手術法への受賞です。全ての方が、年齢と共に皮膚がたるみ、かつ筋肉が緩みます。眼を開ける瞼が下がってきます。これは眼が見えにくいだけでなく、眼を開けるのに眉毛を上に引き上げるようにします。眉毛が上がるときにおでこの筋肉は緊張してそれが首や肩の緊張をきたします。これにより頭が重くなったり、首や肩が凝ったりします。患者さんはこれに対して整形外科、脳外科、はては精神科などに行く方が多いのです。でも、原因が眼ですから治るわけがありません。多くの頭痛、首や肩の凝りなどの多くはこの眼瞼下垂が原因なのです。当院のレーザーメスを使った、最小限の出血で最大の効果と最速の回復を可能とする手術により、患者さんの苦痛を取り除けます。こんな当たり前の病気でも結構ちゃんと治療されていないことが多いのです。深作眼科は白内障緑内障、近視矯正などの眼の前の部分だけでなく、網膜剥離糖尿病網膜症などの眼の後ろの部分でも世界最高の技術と設備で対応しています。他所で回復できないような状況になってから何とかしてほしいとくる方が全国から来ます。患者は異口同音に、深作眼科を早く知りたかったと嘆きます。患者さんは貴方のお友達や知人、家族に対して、早く世界最高の治療を受けに、深作眼科に行きなさいとアドヴァイスしてやってください。これが、貴方と周りの人々を幸せにする方法です。

2009-03-15 おいしい生活

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写真の二川幸夫さんは建築写真では世界一の実績と哲学を持ち、GAという世界的に著名な建築写真の専門誌を出版されています。自分が気に入った建築の写真しか撮りませんが、二川さんに写真を撮ってもらえることは、建築家のステータスとさえ言えます。また、建築哲学についても世界一等の博学者です。

たまたま、視力低下を訴えて、私の病院を受診し、私の執刀で白内障手術を受けて、その後は視力が両眼とも1.5に回復し、世界中を車を自ら運転して取材に行けるようになり、とても喜んでいただいています。

その後、私が建築について素人であったために、素人同然の設計屋に騙されて、ひどくダメージを受けたことがありました。この苦悩時に、私に建築へのアドヴァイスだけでなく、人生の師ともまた年長の友人ともなっていただき、多くの薫陶を受けました。二川さんは話しているだけで、周りのものが元気になれる、エネルギーとオーラを発しています。世界中の建築家建築のアドヴァイスを求める識者とのエピソードを聞くと、自分もまるで世界の建築家と伍しているかのような気持ちになってきます。

ブログでも出てくる安藤忠雄さんを見出したのは、二川幸夫さんです。安藤さんから聞いたのだが、“住吉の長屋”を作ったときに、突然、二川さんが安藤さんを訪ねて、この建築の写真を撮り、『おい安藤、俺がお前の写真集を出してやる。』と、凄みのある声で突然言われ、数年後に“安藤忠雄建築写真集”を出版して、その後安藤さんは著名になったと安藤さんご本人の言です。

また、二川さんは大変な食通であり、まずいものを食べるくらいなら食事しないほうがましというくらいで、世界中のうまいものを堪能しています。その二川さんの日本での第一の店が、京料理では日本一の京味で、写真はここへご一緒させていただいたときのものです。

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二川さんの親友でありかつ日本一の京料理の名人が写真の西健一郎さんです。京味というお店を東京で開いています。もともと、西さんのお父さんは明治の元勲で食通の西園寺公望公の料理を作っていた日本一の京料理の名人でした。西健一郎さんも初めは京都のたん熊で料理を修め、新橋に出てから京味を開いたわけです。その後、多くの文化人や芸術家、政財界などに多くのファンがいます。基本的に、京味は初めての一見さんは予約が取れないので、情報が限られていますし、常連客で予約は一杯です。

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私も二川さんのお供をしてからファンになり、両親、友人、スタッフなど連れて食事の機会があります。京都の有名な料亭はほとんど知っていますが、やはり京味の深い味わいには一日の長があります。最近、ミッシェランの星が話題になっていますが、京味は取材拒否店ですので、出ていません。しかし、ミッシェラン東京三星店は、残念ながら味は期待はずれで、本当の味はこのような京味のようなところにあるのです。

西さんはテレビや月刊文春などで連載紹介され、最近はNHKプロフェッショナルで出ました。西さんの生涯修行の心意気があることで、あのような究極の味が出るのであろうと思われました。

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世界中には実に味を求めた本当のプロフェッショナルが多いのです。私の地元の横浜で最高のお店は、この写真の元町梅林です。元町梅林も女将(おかみ)がよくNHKに出ますので、全国的に知られていますが、何よりも、そのまじめな食材を求める究極の姿勢が素晴らしいのです。トマトでも、魚でも、豆腐でも、その食材は日本の最高のものばかりを使っています。お上は前から良く知っていますが、目の病気で最初に残念ながら大学病院に通ったのです。そこでレーザーを打たれ、とても痛いだけでなく、恐怖を味わったために放っておき、結局見えなくなってしまいました。私は客として通っていたのですが、遠慮して私には何も伝えずにいて、私も知りませんでした。年とともに、どう見ても見えにくそうかなと思っていたのですが、ある日私の病院を受診しました。残念ながら大学病院で黄班部にレーザーが入れられているので、視力回復は制限がありますが、硬くなってしまった白内障に対して、私が手術を執刀しました。その後の視力は0.01から0.6まで回復し、また料理の名人の世界に戻って行きました。もし、初めから私の病院で網膜も治療したならば、1.0以上は出たと思います。黒澤明監督がご贔屓であったようで、真の芸術家は、元町梅林のまじめな、おいしいものを求める姿勢を感動と共に味わえます。

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世界にはおいしい世界が広がります。アメリカ学会でいつも講演しますが、このニューオリンズはもともとフランス植民地であったことから、アメリカでは特異の文化があり、特にジャズ音楽と独特な食事文化があります。この店は長い歴史があり、ホウレンソウとカキをオーブンで焼いた独特のロックフェラーオイスターで有名です。実は横浜のオイスタバーでも同じ名前でメニューに有るのですが、全く別物です。食事でももっとまじめにやれと腹が立ちました。本物を知らない者に有名な名前だけを真似して、恐ろしくまずい別物を食わせるのは、ほとんど犯罪的です。まるで、最新の白内障手術や網膜手術といって、実は全く別物の古くからの方法の手術を施行し、視力が出なくても平気な現代の医学の状況と似ています。本物を見極めるのは自分の命を守る自分自身の役目です。もっとも、眼科は深作眼科に来れば、全ての分野で、網膜の手術も、白内障手術も世界最高の設備と技術を受けることができます。

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東京のミッシェランの星はあてにならないと申しました。しかし、パリの星は参考になります。ここはトュールダルジャンです。年代物のワインを蝋燭で照らしながら、オリを除くようにデカンタに移しています。先日、日本のフランス料理店で同じようなことをしていましたが、単なるパフォーマンスで、形だけ真似ても、本質を捉えなくては駄目だと思いました。本物を知る眼を養わなくてはなりません。

深作眼科に来る患者は重傷者が多く、多院でいじくられた方が多い。他所ではこう言われた、と延々と患者の付き添い家族が述べます。今までの治療過程への不満ですね。それを聞くに、患者とその家族が、病気を治すための本質的な態度に著しく欠けていることを感じます。手術をどこで誰から受けるかの選択が非常に重要であり、治療の90%を占める本質的なものですが、多くの方はこれに気づいていないのです。下手に手をつけて、視力がかえって落ちて、回復の可能性が低くなるまで来てから、やっと多くの人に聞いて、深作眼科を見つけ出し、何とかしてくれと来院します。しかし、我々は魔法使いではない。科学者であり、しかも医学という不十分な科学の世界です。不十分と認識しているからこそ、世界最高の水準にある現在でも、より良い状況を日夜追い求め努力を重ねています。

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この、うなぎは、私の患者さんでもあります 野田岩の社長さんが料理してくれた、大好物の野田岩横浜本店での天然うなぎのかさね重です。白焼きと蒲焼のハーモニーは最高です。最高の天然ものですから値も張って一万円以上します。ところで近くのダイエーでは中国産の蒲焼が500円くらいで売っています。もちろんうまくは無いし、ひょっとすると農薬も心配です。うなぎは値段が違うので分かりやすい。しかし、白内障手術や網膜剥離手術の値段は保険で費用が決まっています。例えてみれば、野田岩の天然物のうなぎの蒲焼とダイエー中国産うなぎの蒲焼が、同じ値段の1000円で売られているようなものです。日本の患者さんはある意味で幸せです。深作眼科の白内障手術は眼内レンズもアメリカでは2倍の保険請求ができる高価なレンズを使い、常に最新の機械設備で、完全無菌室で感染症も無く、10万件という手術経験の日本で最も経験の深い術者が、世界最高の安全性と結果で手術施行するのです。蒲焼で言えば、天然物のうなぎを、野田岩の経験豊富な料理人が、備長炭で丹念に焼き、炊き立ての新潟魚沼コシヒカリの上に乗せ、ぴかぴかに磨いた古材の光が気持ちよい個室の中で、気持ちよい仲居のサービスで、うなぎと飯を深々と味わうのに、一万円ではなく千円しか請求されないようなものです。日本の患者も冷静に、不完全な医学の中で、良い結果を得たいのならば、よくよく調べてから医療機関にかかってください。でも、眼科は簡単です。深作眼科にて世界最高の白内障手術と網膜手術、屈折矯正手術、形成手術、緑内障手術、角膜手術などなど迷うことなく、かかることができます。手をつけずに、取り返しのつかなくなるように悪くなる前に、速やかに来院してください。それが、貴方を救う道です。

2009-02-06 美しきものを見る眼差し

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建築家安藤忠雄さんから、瀬戸内海直島の本を送って頂きました。その中に見るべきポイントに付箋がありました。左の写真は地中美術館のウォルター、デ、マリアと安藤さんとの空間作品です。右は草間さんの南瓜です。

直島は、かつて三菱の精錬所から排気ガスで島の緑が荒れ果てた状態だったようです。約20年前に、ベネッセの福武さんが、アートの島を作ろうとし、島に緑を植え、美術館やホテルを作り、いまもさらなる発展中です。この結果今では、世界に知られるアートの島となっております。直島の多くの建築の設計を安藤忠雄さんがされて、建築アートの融合が図られています。

安藤さんからのお誘いもあり、さっそく、週末の土曜朝の飛行機で高松に飛び、ボートで直島におもむきました。

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現地では、安藤さん、吉井さん、細川さんご夫妻、イナックスの伊那さんなど以前からのお知り合いの方々も来てくれました。

この写真は左前に細川さんの奥様、安藤さん、細川さんと一緒に直島のホテルのひとつのレストランの昼食時です。細川さんの奥様は障害者の子供を救うボランティア団体の会長をされていて、今度の総会が大阪であるとのことです。


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私は直島のなかで、部屋にアートを取り入れた、オバールという楕円形の形をした、島の頂上に立つホテルに宿泊しました。この写真は一番人気のオバールの403号室です。部屋の壁にはリチャード、ロングによる“人差し指によるエイヴォン川の泥の環”という題のアートが描かれています(Richard Long; River Avon Mud Fingerprint Circles)。リチャード、ロングはこの部屋に2週間滞在して、部屋のアートだけでなく、本館の壁や床にいくつものアートを作り出しています。素材のほとんどは直島周辺で調達しましたが、泥は故郷イギリスのエイヴォンから取り寄せました。

このオバール棟はわずかに6室しかなく、スイートは2室で、このスイート403号室は山の上から瀬戸内海の絶景も望め、人気が高くてなかなか泊まれないようです。今回は安藤事務所で押さえてくれたので泊まれました。

世界中からの観光客が多く、来場者の2割は海外からのようです。著名人も多く、アルマーニは日本に来ると必ず東京から直島に来て、このオバールに泊まるそうです。安藤さんが現在、ヴェニスで作っているピノ美術館の注文主のピノさんは、グッチやサンローランなどのブランドや投資会社など多くの会社の経営者ですが、この直島にも来たそうです。美術だけでなく安藤さんの建築を見に来るという目的のようで、私と同じです。

安藤建築は美術と共同で新しい空間を作る試みを随所で試みています。地中美術館では美術品を包む空間として、美術品に負けないくらいの感動をもたらす空間を形づくっています。

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この木造建築も安藤さん設計です。南寺と呼んでいますが、中は芸術空間です。人間の持つ、視機能の生理学的な科学を利用しています。ジェームズ、タレルによる作品です。この南寺は、人間の眼が持つ、“視機能の暗順応”の理論を利用しています。中は真っ暗闇ですが、しばらくなかのベンチで座っていると、徐々に正面の長方形と両脇の光が浮かんで見えてきます。

また、地中美術館では、人間の目の機能の、“光の補色の理論”を応用しています。青をあてていると、白い面が黄色く見えます。逆に補色は反対色の影響も受けます。これを2箇所の展示で利用しています。区切った平面の色味を、他面の白い面の色での色味の変化により、区切った空間の色を変わって見えるようになります。

深作眼科は日本で最も多くの眼科手術を施行する施設です。白内障手術の多くの経験があります。白内障手術後の色身の変化を説明するのに、この色彩の補色理論が使えます。白内障は黄味がかった水晶体レンズを取り除きます。つまり、黄色いフィルターから物を見ていた患者さんが、白内障手術後は透明なフィルター無しの状態になります。黄色の補色は青色なので、黄色いフィルターの白内障を取り除くと、補色の青色が強調されます。つまり、白内障手術後にしばらくの間、少し青みがかって見える『青視症』は、この色彩の生理学で証明されます。

色彩の生理学アートに利用することは、眼科と芸術の顕著な融合です。私もむしろ視機能の専門家としてタレルに負けない作品ができるはずです。

地中美術館でもモネが展示していました。モネの晩年の作品であり、かなり色味が抑えてあります。これはモネ白内障に罹患しましたが、手術を恐れ、ほうっておいた為に、ほとんど見えない状態で過ごしながら、絵を描いていたからです。

現代は非常に幸せです。深作眼科のように世界トップの手術成績を残せていれば、モネも安心して、深作眼科での手術をしたと思います。

現実に多くの芸術家白内障手術を施行しています。日本だけでなく世界から手術希望の患者さんが来院します。深作眼科で白内障手術を施行したプロの芸術家が、しみじみと述べています。『色ってこんなに鮮やかで、綺麗だったのですね。』と。f:id:fukasaku:20090131144134j:image

直島には、町の中心地の本村で使われなくなった家屋を利用して、多くのアートの場所として再生しています。

この写真は直島で昔盛んだった、製塩業で栄えた大きな家の中に、千住博さんの代表作“ザ、フォールズ”を展示しています。日本画ですが、絵の具の垂らし込みとエアブラッシでの表現でアメリカで評判をとりました。

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芸術があることで、そこの風景は一変します。直島過疎化の進む島ですが、アートの島として世界に認知され始めています。この島の使われなくなった桟橋に草間弥生さんによる『南瓜』が置いてあります。これがあるだけで、風景ががらっと変わるのです。実に楽しい空間になります。

何事も絶対的な価値観は無いのです。世界は考え方や工夫でいくらでも変わるのだという、普遍的な哲学があるようです。


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これはベネッセハウスの白い壁に、リチャード、ロングが描いた、403号室と同じ題名の『人差し指によるエイヴォン川の泥の環』です。安藤建築が建っていたところに、世界から直島に直接来た、多くの芸術家が、現地の直島で作製したものです。

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これに比べて、地中美術館は、安藤さんと芸術家達とが討論しあいながら共に製作した芸術空間です。

代表作はウオルター、デ、マリアのタイム、タイムレス、ノータイムです。中央に大きな花崗岩の球体があり、大きな安藤空間の中で自然光が溢れています。周囲には27体の金箔をほどこした木製の彫刻を配置しています。一枚目の安藤さんから送っていただいた、写真の本のカバー表紙の左側の写真がそうです。

この写真は、地中美術館のなかにある最も瀬戸内の見晴らしの良い、福武さんの会長室の中です。手にしているのはウオルタ、デ、マリアの作品の中にも使われた彫刻です。福武さんは20年をかけて安藤さんとこれらの空間を作りました。

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ベネッセハウスのなかには実にさりげなく多くの美術品が展示しています。

これは、フランスのセザールのコンプレッションです。これは金属のコップをつぶしてつけたものです。パリのカルチェ財団の美術館の地下に、車を小さくつぶしたものが何体も展示していました。これを見た人は、びっくりします。これがいったい芸術なのか?と。これが、セザールのコンプレッション(圧縮)の代表作です。セザールの他の代表作は親指の大きな彫刻です。山梨清春芸術村にあります。吉井画廊の吉井長三さんはセザールを良く知っていて、清春村にもセザールは滞在しました。

現代芸術は、見る人に戸惑いと、新しい感性、新しい驚きを感じさせるものです。パリのポンピドーセンターにある国立現代美術館で、男性用の小便器が置いてあり、これに“泉”という題名が付いていました。デュシャンという作家のものです。このような驚きを最初に行って、人々の心の中に驚きをもたらすのが、現代美術の潮流です。

これに比較して、レオナルド、ダ、ヴィンチは科学者であり、モネはロマンチストでしょう。私は科学者でありロマンチストであります。私にとって驚きは、普遍的な美しい世界をこの世に表現することです。

私は3歳から絵を多く描き始め、6歳から油絵を開始したように、早熟で芸術の世界に憧れを持ってきました。高校生時にはプロの画家になることも考えました。

この情熱は医学へ、特に眼科手術の分野で究極の世界を追及しています。私にとって、眼科の手術は、まさに芸術の世界であり、けっして妥協をしない完全な世界を追求する努力を常に続けています。世界の頂点を何度も極めた自分であっても、不完全なもの感じ取って、日々努力を重ね、より良い眼科手術の世界を追及しています。必死で救いを求めて来院する患者さんの為に、自らの命を削りながら、完璧な手術後の世界を提供すべく努力をしています。少なくとも、今の世界最高の芸術的な極みでの眼科手術を提供しています。眼について、特に手術が必要な困った方が周りにいる方は、できるだけ早く、何も手をつけずに、深作眼科を受診するように勧めてください。

2009-01-21 美しきものを愛でる心

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私は横浜生まれの横浜育ちですが、学生時代に他所に暮らした経験があります。パイロットの航空大学時代は宮崎の南国生活を味わいました。その後の医学部生時代は関西で暮らしたく思い6年間を良くも悪くも昔からの価値観が漂う石山寺近くに住んでおりました。学生の遊ぶ町は京都河原町あたりですから今でも京都学会があるとできるだけ参加します。

京都の古美術を扱う老舗の柳さんはその道の達人ですが、先日柳さんを訪ねて面白いお話に時間の経つのも忘れました。柳さんのお店を入ると小さな畳敷きの間がありその周りに椅子が配置してあります。ここが、よく訪ねられた白洲正子さんの指定席でした。白洲正子さんは骨董についての鑑識眼は相当のものであり、柳さんも逆に色々と教えていただいたことも有ったそうです。柳さんと白洲正子さんとの縁から細川護熙さんの陶芸作品を展示会を開き販売するようになったとのことです。12月初旬に毎年開催してるようです。今年の陶芸展示会の直前に、私は細川護熙さんと銀座で食事をしておりました。食事の後に東京駅からすぐ帰るとのことでしたが、湯河原に帰ってから、展示会に出す陶芸作品の箱書きを、これから明日に掛けて250ほど書かなくてはならないとのことでした。陶芸の箱書きは絵画で言えばサインであり鑑定書の役目をしますが、なかなか大変なことです。柳さんのお話では京都の展覧会を楽しみにしている方が多いそうです。私も、眼科外科医としては世界の頂点を極めていると言えますが、趣味の領域の油絵ピカソのごとくのプロの領域に高めたいものだと興奮した思いでした。

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現在、白洲正子さんと白洲次郎さん関連の美術展が横浜そごう美術館で開催されており、私も訪ねました。そのなかに白洲次郎さんから、細川護熙さんが参議院議員初当選したときに出した、お祝いの手紙が展示してありました。

細川さんに白洲さんを良く知っているのかとお聞きしたところ、祖父の細川護立さんが白洲正子さんの父の樺山愛輔さんと友人であり、かつ父親の細川護貞さんが吉田茂さんと親しく、その側近の白洲次郎さんと親しかったと、昔からの知り合いだったそうです。細川護立さんは白樺派の美術紹介に関与しましたが、その流れで吉井画廊の吉井長三さんが後に白樺美術館を清春芸術村内に作り、また細川護熙さんと懇意になり、ひいては吉井さんと親しい私が細川さんとも親しくさせて頂くことになったわけです。不思議なご縁から、日本の近代史の流れに私も身近にいることを実感しております。

私は、芸術の世界に身を置くことが最も落ち着く気がします。私の本業である眼科外科医も、私にとっては芸術の世界です。単に手術するだけでなく、芸術の域にある美しい仕上がりの手術を追及することは、患者の見える機能を最高度に引き出すことになります。日本は保険制度で誰の手術でも同じ値段で設定されています。これは細川さんの美術品の陶芸茶碗でも、特売市で売っている大衆用の数百円の茶碗でも同じ値段をつけるようなものです。逆に言えば、深作眼科の世界最高の手術を世界基準では信じられないような安い費用で受けることができるわけです。患者さんにすれば幸せなことです。深作眼科で手術を受けた幸運な人は、ぜひ他の病気で悩んでいる人に紹介してやってください。いまだに、毎日、他の施設で手術を受けて視力が出ないで何とかしてほしいと、藁をも掴む思いで深作眼科に来院する人が全国から来ます。そのような方々の異口同音の言い方は、早く深作眼科を知りたかった!です。貴方も他の方が後悔しないように、早く深作眼科に行くように紹介してやってください。貴方の幸せを他の人に分けてやることこそ、多くの人々を幸せにする道です。

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テレビの司会などで有名な脳学者の茂木健一郎さんの明快なトークを楽しんでいます。NHKの番組のプロフェッショナルはなかなか面白く、茂木さんが実にうまく話題を引きだしています。彼は、自分の脳が喜ぶことをしなさいと解説しています。

脳だけの世界ではそれも可能です。しかし、眼科手術は脳の精神活動ではどうしようもない世界です。芸術的な仕上がりの手術を可能としている眼科外科医の手術を受けることしか、患者は満足できません。私は今まで、約10万件以上の手術経験があります。しかも全ての分野の眼科手術です。白内障手術が最も多く6万件以上です。近視矯正手術は世界でも最も早く、もちろん日本では最初に始めています。網膜剥離では成功率100%です。初めにアメリカで眼科外科医のトレーニングを開始し、白内障や近視矯正はアメリカでの訓練で20代から最初から世界最先端の方法で始めています。当時の日本では全く理解されなかった超音波白内障手術で眼内レンズ移植術、近視矯正手術など20数年後では日本でも当たり前となったものを20年以上先んじて開始してアメリカなど世界で教えてきました。網膜もドイツで専門医としてのトレーニングを受け、網膜剥離の手術もドイツのシステムでBIOMシステムで網膜を全て見ながら手術できるために、非常に安全で確実な網膜手術ができます、ですから世界でも稀な網膜剥離手術成功が100%なのです。

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吉井さんの人脈の凄さはつねずね感じています。例えば大女優の司葉子さんともお話しましたが、お尋ねになられた眼の問題について解答しました。日本の女性は年齢に比較して若く見えますが、眼は確実に年齢を重ねています。無理せずに芸術の域に達している眼科施設での検診が肝要ですし、特に手術は元に戻れませんから、最高度のレベルにある施設で手術をしないと後悔しかねません。眼科では深作眼科での手術こそが世界最高の結果を出していることから、決断を迷うことはありません。

2008-12-20 日本の将来は如何に?価値を創造するということ。

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先日、乃木坂にあるギャラリー間で、安藤忠雄さんの初期の傑作である住吉の長屋の実物大模型を見に行った。ギャラリートークがあったためか、実に多くの老若男女で狭いギャラリーはすし詰め状態でした。私も後ろのほうで立ち見でいつもの安藤節を堪能しました。ある人が安藤さんを建築界のロックスターといっておりましたが、まんざら間違ってない指摘で、最近のベトナムでの講演会ではオペラ座に7000人すし詰めで、入りきれない人へ大学で追加講演したそうです。2月は台湾での講演がありますが、数万人来ると見込まれるそうです。ギャラリー間での講演が終わり、私を見つけた安藤さんから会議室で待ってくれと言われ撮った写真です。

この後に、私立の開成高校の父兄と生徒の講演会に頼まれているとのことで、私もご一緒しました。私の高校生の頃は成績の良いものは公立高校に行き、大学も国立に行き、授業料も実に安く、大学医学部でも年間3万6千円で、当時の幼稚園の十数万円よりずっと安かったのです。ところが、いつのまにか公立中学や高校は悪平等の妙な思想から、怠けることを若者に覚えさせたために、教育ママ、パパは私立の受験に血眼になり、公立の学力地盤沈下が始まったようです。私の頃は、横浜でも一番できる生徒は私の出身高校の県立横浜翠嵐高校に行き、少し下が私立の栄光や聖光に行きました。東京も一番は都立日比谷など公立へ行き、少し下が開成などの私立に行ったようです。教育は国民の最も重要な権利です。教育の機会がお金に左右することは何としても解決するべきです。国公立などをもっと充実させ、努力をする優秀な子供が、無料かそれに近い安い金額にて、最高の教育を受けられるようにすることが本人の為のみでなく国の将来に最も重要です。最高とは、もちろん受験勉強などでは無く、考え創造する力を伸ばす教育をするべきです。受験などははしかみたいなもので、その時は必死でも、後で全く無意味なことと分かります。受験などで燃え尽きないで、大学に入ってまた社会人になってからの努力と勉強が重要であることは言うまでもありません。

聞くところによると、今や開成は大変な進学高校らしく、安藤さんも、なんで自分が呼ばれたのかな、と言われていました。安藤さんは経済的な問題で、高校しか出ていませんが、しかし、独学で建築を極め、世界の最高の大学で教授を務め、東大でも教授となり、今は名誉教授で、学長候補でもあるようです。おそらく開成高校としては独学で世界の頂点を極め、開成の価値観からすれば最高と思う東大の教授のさらに上まで行ったから興味を持ったのでしょう。

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講演の前に開成の校長などと雑談をしていましたが、多くの先生方の前で、直接は関係ない私がこらえきれずに、『開成は大変な受験校と聞きます。私も昔経験しましたが、あんなくだらない受験に血眼を上げる指導は教育とはいえないんじゃないですか?私も世界に出てみて、実に日本人で世界に眼を向け通用する人が少ない。高校生には大きな夢を持って、この夢の為に努力することへの教育をしたほうが良いと思いますが。』といったようなことを述べましたら、校長は虚を突かれたような顔をしていました。安藤さんも講演で述べていました。東大の入学式に祝辞を頼まれたそうです。そのときに入学式に学生は3千人で父兄が2階席に6千人も居たそうです。今重要なのは子供がもっと逞しくなり、親離れ、子離れしなくてはいけない。東大生もほとんど絶望的です、と述べていました。安藤さんの事務所でも東大大学院卒の若いのが多いそうですが、あまりにもできないので怒って、お前はあほか、親の顔が見てみたい、と怒ったら、その東大大学院卒の若手は、後日、本当に両親を連れてきたそうです。安藤さんは、その若手職員は言葉の意味も分からんのか、ほとんど絶望的です、と繰り返していました。今日の日本を見ていると、実に、人々の視野が狭くなってきています。その害毒の原因のひとつは受験がありそうです。開成だけが悪いのではありませんが、日本中が本質的な重要な教育を忘れて、くだらない受験のみに走り、本質を見抜く力を得るチャンスを失った若者が、そしてそれを甘やかす親世代の中年世代も本質を見抜けずに、右往左往するか、裏で“ずる”をするようなありさまです。

私は一年前のブログで、まだ無名のオバマ氏がアメリカ大統領になるかもしれないと予言しました。オバマ氏の演説は実に魅力的であり、アメリカにはまだ望みが有るなと思いました。

一方、現在の経済不況の中で、日本のリーダーであるべき存在の、首相になった麻生さんはオバマさんに比べ、そのあまりにもひどい能力の無さと、人格的に問題がある発言を見ると、安藤さんの言葉ではないけれども、ほとんど絶望的な気分になります。2兆円というお金をばら撒くようですが、なぜ国民にとり最も重要な教育と医療にその2兆円を使わないのか。

医療と教育の崩壊は、日本が瀕死の重症状態であることの証拠です。2兆円があれば、明日の日本のための教育を向上させ、家の収入に関係なく高度な医学などの教育を誰でも受けるチャンスができます。医療は現在、未来の国民に希望を与える最も重要な用件です。国による考えの無い、医療費削減により医療機関は軒並み赤字を強いられています。医師は使命感で朝から夜中まで身を削りながら消耗しながら働いても収入は上がりません。患者がわがままになり、かつてでは想像もできない患者からの理不尽なクレームがあると医師の使命感が削がれ、もはや仕事への情熱も失いかねません。麻生さんは2兆円をばら撒くような、おろかな政策を改めて、国民に最も重要な教育と医療にその2兆円を使い、再び輝きを取り戻し、かつて世界の中で一流の教育や医療と言われた状況を取り戻すべきです。

安藤さんは講演の後に著書の販売とサイン会を開いています。この著書の印税を安藤さんは、公の社会基盤や福祉に使う基金に寄付をされています。写真は開成高校の講堂でのサイン会模様です。

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講演が終わり吉井画廊に来ました。安藤さんも以前より良くご存知の陶芸家の黒田さん(兄はイラストレーターの黒田さん)の白地の高温で焼いた素焼きの作品群を見ました。このようなほとんど絶望的な日本の現状ですが、吉井画廊にふらっと寄って、芸術作品の世界と向き合うと、何か勇気が湧くような、ほっとする救いがあります。サミュエル、ウルマンが昔、詩のなかで言っておりましたが、青春とは心に夢をもっているかどうかで決まる、夢を失ったものは若くても老人となり、夢を持ち追い続けるものは、いくつになっても青春である。日本の若者がもっと夢を持ち、そのために命がけで懸命に本当の意味の勉強をする、そんな当たり前の世界に早くなってほしいと思えた、長い一日でした。

2008-11-28 Life is beautiful.人生とは、かくも面白く美しい。

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昨夜、日本一の画商として知られる、吉井長三さんの“銀座画廊物語”(角川書店)の出版記念会があり参加しました。

吉井さんとの出会いは、私の患者さんとしてが最初ですが、もともと画家を目指していたこともある私にとっては、医学以上の、美術の世界の師匠となり、(おこがましいですが)年長の友人としてもお付き合いいただいています。パリを中心に、サントロぺやオランダなども共に旅をして、その波乱万丈の人生を身近にお聞きしてきました。その、話のエッセンスではありますが、吉井さんの歩んできた記録が出版されたことは、わが身のことのようにうれしいものです。実はこの本は吉井さんの人生のほんの触りだけです。機会があれば、銀座の吉井画廊に出向き、一枚の画の購入がきっかけで吉井さんの世界に触れることができるかもしれません。私は絵の購入とは、その画廊主との時間や価値観を共有する面があると思います。僕は最も幸運でしょうが、吉井さんの美の世界にはまり込み、その人生の美しさや楽しさを味わっています。絵を購入するなら、デパートなどで物品として購入することの空しさを避け、美の先達である尊敬かつ敬愛できる吉井長三さんのような画廊主から購入したほうが絶対に楽しく世界が広がります。

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お客さんは実に多士済々でした。会場でこちらに手を振る外国の方に気づきました。実は本日11月28日から吉井画廊で12月11まで開催する、フランスの著名なコルディエ展の為に来日したご家族でした。以前紹介したサントロペの風光明媚なラポンシェホテルを経営しています。ここはフランスなど多くの芸術家や映画スターらに人気で、なかなか泊まれない場所ですが、私も、吉井さんも、わたしの隣の細川さんも宿泊してそのすばらしさを堪能しましました。

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この会場には多くの著名な方とその方たちも私の患者さんが重なっています。たまたま、昨日、一昨日と続けて両眼の白内障手術と多焦点眼内レンズ移植術を施行した方がいます。お二人は知る人ぞ知る著名な方です。総合広告業で有名な“電通”の中興の祖である吉田さんご夫妻です。昨日手術したばかりですが、外見には手術した形跡も無いほど完全な回復です。しかも、遠方は両眼とも、裸眼で1.2も見え、かつ近くもめがねが無くて本をすらすらと裸眼で読んでらっしゃります。つまり、今後の人生は遠くも近くも中間も、全てが裸眼でよく見える人生となります。めがねもコンタクトも要らない人生って最高でしょう?

白内障手術は濁りをとることに関心がありますが、世界最高レベルの治療では、手術後に裸眼で生活できるという、ちょっと前では想像もできなかった夢の世界が現実となります。多焦点レンズ移植術は、白内障手術が完璧な出来でないと良い視力は得られず、従来からの単焦点レンズより視力が落ちかねません。最高の結果を出すには、小切開から、完全に正円なカプセルの窓を真中心にCCCで作り、炎症の出ないように超音波白内障手術を極短時間で施行し、カプセルをピカピカになるまで磨いて、皮質の残渣を完全に取り除くような、超上級者の技術が必要です。つまり、多焦点レンズの世界こそ世界最高の技術力である深作眼科で手術を施行することで、最高の結果を得られるのです。現在の日本ではまだまだ認知度が低いのか、実際の施行例は1500例程と少ないのです。しかし、日本全体の施行数の3割以上は深作眼科で施行しており、全例ですばらしい成績を残しています。ちなみにアメリカではビバリーヒルズなどでは、白内障手術時の半数以上がこの多焦点眼内レンズ移植であり、世界ではすでに数十万例が施行されています。あとは、技術の問題なのです。

分野は違っても、日本一のいや世界一の画商人生を切り開いてきた吉井長三さんと、世界最高の眼科手術センターを開設する私どもとは、志では同じなのかとも思います。

夢を語る人生は、じつに面白くまた意義深いものです。人生は美しい、Life is beautiful.

2008-11-10 ファンであること

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僕は本来かなりの天邪鬼です。他の人が有名な芸能人とかスポーツ選手もしくは著名なセレブなどに、素直に憧れの眼を向けてサインしてくださいなどと近づくことを尻目に見ても、自分から近づくことはまずありません。米国の学会帰りの飛行機で隣にゴルフの丸山茂樹野球大リーガーの長谷川などと隣り合わせになった時も、ゴルフや野球のファンである自分がかえって意識したのか一言もしゃべりませんでした。そんな自分ですが、素直にファンであると近づけることがあります。

以前、門外漢の建築で手ひどい失望を味合わせられて、非常に苦しんだことがありました。そんな中でたまたま患者さんとしてきていただいた、世界最高の建築写真家二川幸夫さんに声を掛けていただきました。私のことを深く心配していただきました。建築についても2−3年勉強してみる眼を養わなくては、と指導を受け、二川さんに建築という違う世界での師となって教えていただきました。

そんな中で、不思議と縁があったのが、安藤忠雄さんです。テレビをたまたまつけると、NHK で安藤さんについて放映していたことが何度もあります。安藤さんの住吉の長屋をいち早く紹介し最初に世界にその才能を喧伝したのは二川さんです。その後も、日本最高の画商の吉井さんやリュウマチ専門病院院長で著名な福原さんなどからも別個に安藤さんを紹介されました。安藤さんの多くの著作も読み、また作品もできる限り見ました。パリにいたときは、国連ユネスコ事務局長の松浦さんの奥様に案内をお願いして安藤さんの瞑想の間を拝見しました。

写真にあるように、今日、安藤さんから送っていただいた本は、多くの著書の中で初めての自伝です。非常に多忙の安藤さんから、自筆の手紙を添えて、本を送っていただけました。他の所員に頼んでも良かったはずですが、安藤さんご自身で手紙を書かれ送っていただいたことに、私は素直に感心しまた感謝し、ますます身近に感じています。安藤さんは建築だけでなく生き方そのものがすばらしく、また実に誠意のある方です。いつも多くの、建築だけでない、啓示をもらっています。自分自身が、素直にファンでいられることを喜んでいます。

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安藤さんは知れば知るほど奥深い方です。今日、超ハードなスケジュールで世界中の建築新風を運んでいます。僕もファンであると同時に、眼科外科の分野では、安藤さんに負けないほどの世界最高の眼科外科手術を患者さんに提供する努力を怠らないように、極めたと思われる現状でも、さらに完璧を目指して日々精進しております。

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この写真は安藤さんの住居建築では最高傑作のひとつの城戸崎さんのお宅です。城戸崎さんは丹下健三事務所で副社長として多くの丹下建築の采配をした著名な建築家です。現在は独立して、主に最高級の個人住居を設計する建築事務所の社長さんです。たまたま、ソニー創業者盛田さんの家族である奥様ともども私の患者さんです。その城戸崎邸を二川さんとお訪ねした時の写真です。二川さんも私の患者さんで、両眼とも1.5の視力を回復され、今でも日本にいるよりヨーロッパアメリカなど世界中で建築写真の依頼を受け、世界三箇所にあるご自宅から、自分で車を運転して、1000キロぐらい平気で移動しています。

深作眼科は、世界最高の眼科手術を提供していますが、これは世界で活躍されている多くのセレブが患者さんとして来院されることでも分かります。セレブの違いの特徴は、ものの価値を見抜く力がぬきん出ていることです。自宅の近くだからとか、総合病院で内科にかかっているのでそのまま同じ病院の眼科で手術を受けたとか、そんな安易な判断はまずしません。実に豊富な情報網を持っており、その情報を駆使して、眼科手術を受けるなら、絶対に深作眼科が良い、最良の選択であることを見抜いているのです。

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この写真は、アメリカビバリーヒルズの眼科病院で屈折矯正手術で著名なアシール医師Dr.Kerry Assil(中央)といるところです。アシール先生は昔からの私の知人ですが、アメリカでは多焦点眼内レンズ移植術での老眼矯正では第一人者です。ビバリーヒルズアメリカのセレブが多く住む地域です。彼らは、費用がやや高いとしても手術後の見え方のより良い質を求めて、白内障手術後に約50%の患者さんが多焦点眼内レンズを選択しています。

私も、1995年より老眼を治す老眼矯正の先駆者として研究を続けてきました。アメリカが多焦点眼内レンズでは先行していますが、日本でも昨年末より認可になりました。深作眼科では日本でいち早く多焦点レンズ移植術を開始しました。現在日本で最も多くの多焦点眼内レンズの使用経験を持ち、多焦点眼内レンズによる白内障手術を最も多く施行しています。多焦点眼内レンズ移植で、近視や遠視を治すだけでなく老眼も治しています。レーシックを日本で最初に開始した私は、手術後に残った乱視やわずかな誤差を後日レーシックで微調整しています。

LASIKレーシックや強度近視矯正のフェイキックIOLなどは日本で最初に開始している深作眼科のほうが早くから取り組んでおり、多焦点レンズ移植でも世界最高レベルにあります。

より情報を持っている日本中のセレブも、最高の手術を希望して深作眼科に来院しています。実際に多くの日本のセレブが深作眼科に来院し、この多焦点眼内レンズを使った白内障手術を受け、遠くも近くも裸眼で見ることができることを満喫しています。

深作眼科に来院された方は、宝くじに当たったような幸運の持ち主です。手術をされて見えるようになった幸運を他の人にも分けてやってください。人は自分の幸せだけを考えてはいけません。世界最新最高の眼科施設にめぐり合えたことは本当に幸運なことです。あなたの幸せを他の方にも知らせ紹介し、あなたの周りの人も深作眼科で手術を受け幸せになることは、まさに人の良心の発露であり功徳でもあります。

2008-11-03 眠れぬ夜の為に

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以前、細川さんが総理を退任してから修行し、陶芸のプロとして大成されたことを紹介した。今、京都で老舗の道具屋さんで展示会をしています。これも素晴らしいのですが、僕は、細川さんの書には今までの蓄積があるためか、本物の芸術の輝きがより感じられます。これも、以前紹介した、日本とオランダの修交400年記念の会が会場の関係でロッテルダムになりそうで、細川家の多くのものが展示されます。もっとも、パリでも計画されていて、日仏修交150年記念です。吉井さんの尽力でパリ、サンフランシスコでも開かれるようです。自己を表現することが芸術ならば、生きることは常に芸術性を含んでいるのでしょうか。

私も、しばらく休んでいた幼少の頃よりなじんだ絵画の世界に戻ってきました。欧州学会が有るときなど、パリのモンパルナスなどに滞在し、街角にいくらでも絵になる風景があるのです。寸暇を惜しんで画を描いていると、自分が芸術の世界に引き込まれることを感じます。

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フランスのモンパルナスピカソやモヂリアニ、藤田嗣治などの多くの芸術家が活躍していた頃、夜のカフェのロトンドやドームなどでは、眠れぬ芸術家が日夜出没していたのだろう。お金が貯まると、芸術家は遅くまで開いている隣のレストラン、クポールで食事をした。

欧州学会の後に、パリで過ごした私は、街の風景をスケッチして疲れた身体で、クポールで、パリの美術界で著名な吉井さんと、食事をしていた。しばらくして、隣に妙なフランス人が座った。彼は4人前はありそうな大きな皿を頼み、中には多くのカキやえびが並んでいる。やけに親しそうにこれを食べないかと誘う。自分の上着を私の横に置くので変とは思ったが、それよりもこちらを向いて話しかける時につばが飛ぶのが気になった。吉井さんは私の上着の上に服を掛けたので、何か取られるのではないかと気が気でなかったと後で告白した。我々は変なフランス人にかまわずに、金が入るとこのクポールで食事をしていた藤田やピカソなどに思いをはせて、モンパルナスの夜を語り合っていた。すると、大皿とワインボトルを半分残して隣の男は席を立った。そのまま慌てるでもなく、悠然と出口に歩いていった。私は漠然と、あの男はレストランの関係者なのかなと思っていた。すると、あわてて3人の従業員がその男の後を走りながら追いかけた。なんと、隣の男は無銭飲食の男だった。あまりに堂々としていた。しかし、私の上着に貴重品を入れてなくてよかった。パリは大体が治安は良いが、地下鉄やモンマルトルの移民が多い地区でスリに会ったことがある。

昔は学会の後で、背広のまま貴重品も持ち歩いたところ、モンマルトルのサクレクール寺院からの帰りに、マスタードスプレーを顔にかけられ、手荷物を奪われそうになった。同行のアメリカ人医師が大声を出して追っ払ってくれたが、アラブ系の10代の子供だったようだ。この後、貴重品をできるだけ持ち歩かないようになり、かばんは持たなくなり、財布などだけポケットに入れるようになった。

地下鉄ではジプシー風の男の子が新聞を突き出してきて、注意を引いているうちに、他の女の子が私のポケットの中に手を入れて財布を取ろうとした。10人くらいの小中学生くらいの子供たちだが、よくスリの被害はあるようだ。この後、手を入れられないように、ホテルの小さなフォークをポケットの中に入れていた。しかし、これもすかっり忘れていたところ、自分で忘れて思わずポケットに手を突っ込み、結構自分が痛い目にあったものでした。

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フランスは食の文化が進んでいるだけあり、おいしいレストランが多い。この夜の食事はStresaストレッサというパリで最高のイタリアレストランで食事した。もともと、フランス料理中世まで単なる田舎料理しかなかった。そこへ、イタリアのメジチ家からフランス王家に輿入れした皇后が多くの料理人をイタリアから連れてきて、これが今日のフランス料理が世界3大料理といわれるグルメの国の元となった。フランス料理はソースを多用したり、バターを多く使うために、オリーブ油を多用するイタリア料理のほうが日本人には馴染みやすい。その中でこのストレッサは多くの画家や俳優などが集まり予約が取りにくいほどの質を保っている。

眠れない夜こそ、このようなおいしい食事をゆったりととり、眠くなった時に眠るのが健康的であろう。

ところが、日本では最近不眠症が非常に多く、内科や精神科で、安易に睡眠薬を処方されています。ちょっと悪いとレンドルミンアモバンなど。マイスリーは軽いから心配ありませんよ、などと手軽に処方される。依存性も余りありませんよとさえ言われて、気軽に始めてしまう。

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およそ、効く薬には必ず副作用があると認識すべきことが、忘れられているようです。睡眠薬を多用することは、薬物依存をつくり、より多くの困った、とくに精神症状をおこします。

私は海外に行くことが多いのですが、外国に出かけてすぐに朝から学会や手術をしなくてはならない。また、日本に戻れば多くの患者さんを診て、多くの手術をこなさなければならない。まことにきついスケジュールがあります。日本とアメリカヨーロッパなど海外と行き来し、かつきついスケジュールをこなすには時差ボケは大きな問題です。眠れないと翌日に響くので、眠れないことへの恐怖心がありました。このために、以前は私も睡眠薬を何種類も使っていました。睡眠薬を続けて使うと、だんだんと効かなくなり、量が増えてきます。また、夜になると、もしも眠れなくなったら、明日に影響したらどうしようと、いつも恐怖がわいてきます。

いつかテレビの徹子の部屋で、ミッキー、カーチスさんが、睡眠薬マイスリーを、明日の用事で睡眠不足がないように、“保険として軽い副作用の少ないマイスリーを服用している”と、述べていました。まさに、これこそ、本人が気づかないで陥った薬物依存の状況です。なぜなら、僕も全く同じ感覚だったから理解できます。保険として、とはそこに不眠症の眠れないことへの恐怖があります。軽い副作用の少ない、とわざわざ言うのは、自分自身に悪いものではない薬だと言い聞かせたいのです。

その後、私の睡眠薬マイスリーは量も増え、不眠への恐怖から逃れたいことで、毎夜眠る前に服用しました。そうこうして、ひじやひざの裏に痒い発疹が出始め、これが身体にも広がってきました。皮膚科での診察では、石鹸での洗いすぎといわれ、確かにプール、ジム、睡眠前と3回もシャワーを浴びていたので、皮膚科ででた軟膏を使ったわけです。しかし、直らず、発疹は酷くなり、痒くかきむしってしまい、自分がアトピー体質に変わったかと思ったものでした。さらに、やけにイライラすることが増え、自分はどうしたんだろうと不安になったものでした。

しかし、自分は医師であり、この原因を追究することにしました。発疹の出る原因を調べ、因果関係から、おそらく睡眠薬を多く飲むことで薬疹が出たかもしれないと結論つけました。薬をきっぱりと止める決心をして、もう眠れなくても良い、起きていれば良いと、結論し、眠れない恐怖に打ち勝ちました。1週間が過ぎてから、週末にゴルフをしたところ猛烈に眠くなり、死んだように何時間も寝ました。それでも眠りへの恐怖感は夜になると出ました。1ヶ月を過ぎると不眠症が嘘のように、夜にベッドに入ると、すぐに眠れるようになりました。それでも、夜の睡眠薬への誘惑は感じるのです。薬物、アルコールタバコなどを断つのは、この誘惑に負けないことです。少しでも使用すると、必ず依存性が出ます。この眠れないことへの恐怖は、睡眠薬の弊害をしっかりと納得することで克服できます。それにしても、薬物への依存性とは恐ろしいものです。

睡眠薬は中枢性の薬効を持ちますので、睡眠薬を服用することで、身体から本来出るはずの、睡眠ホルモンのメラトニン分泌が押さえられます。つまり、睡眠薬不眠症を引き起こしているのです。睡眠薬はまた中枢性の薬なので精神症状もおこし、不安症も引き起こしたり、恐怖感が起こるだけでなく、非常に怒りやすくイライラしたり、逆にうつ状態になり、なにもかも嫌になったりすることもあります。

睡眠薬を完全に止めて、数ヶ月が過ぎてからは、不眠症は完全になくなり、精神上の不思議ないらいら感がなくなりました。自分自身の睡眠薬服用の経験から、多くの患者さんが睡眠薬に頼っている現状を何とかしたいと、時間を割きながら睡眠薬を止めさせる指導をしています。およそ医師は使命感で選んだ仕事ですから、一銭にもならない事ですが、睡眠薬安定剤タバコなどを止めさせ、身近な誘惑と害悪から患者を救う努力をしています。

薬であっても、およそ薬効のあるものは必ず副作用があるものです。医学はつねに良い点と共に悪い点もあるのです。このバランスを常にチェックしながら、とくに副作用を悪い点を気にしながら治療をする必要があります。