希望とは、あるともいえないし、ないともいえない。 それは道のようなものである。
地上にもともと道はない。 歩く人が多くなれば、それが道なのだ。
<魯迅 「故郷」>
しかし、そのとき、はじめて人は気づくのである。
すべて奪われても、なお、自分が最後の一線で渾身の力をふるってふみとどまれば、
万人に平等に与えられている唯一の、そして本当の武器がなお残っていること。
それは言葉である。もうそれしかない。だが、自分で捨てない限り、これだけはだれも奪うことはできない。
<山本七平 「私の中の日本軍」>
神様を信じる強さを僕に 生きることをあきらめてしまわぬように
にぎやかな場所でかかりつづける音楽に 僕はずっと耳を傾けている
<小沢健二 「天使たちのシーン」>
2007-03-27-Tue
災害時に見える社会問題
石川では幸いそういうことはないようですが、一昨年のニューオーリンズの洪水のときの暴動のことをふと思い出しました。
市内のキャナル通りでは、略奪者らが店舗の鉄のシャッターを壊し、衣類や宝石なども奪い始めた。大型スーパーのウォルマートでは、ショッピングカートに電子レンジやクーラー、包丁のセットなど、必需品とは思えない物品を満載して盗む光景も見られたとAP通信が伝えている。
阪神淡路大震災のときの神戸でも実は略奪は少しあった。しかし、一部の地域だけで、食品・衛生用品などの日曜生活必需品が持って行かれただけで、銃や家電製品やら貴金属やら、とにかくここぞと金目のものをそのへんの大衆が奪っていくということはなかった。これ、地元の高校の同級生で父がダイエーの重役という友人から聞いたので確かな話です。(もちろん、すかさず銀行のATMの紙幣識別機やパチンコのカード読み取り機を盗んだりしたプロは、他の地域から来たようでしたが。)
マスコミは神戸で起きた現象を報道せず、日本人の被災者は冷静だ、という美談を作り上げた。それはちょっと停電しただけでも暴動を起こすアメリカ人よりは冷静だったかもしれないけれども、しかしやはり日本でも略奪はあったことはあった、と自覚しないと、これからの災害のときの備えに悪影響が出るんじゃないだろうか。危機管理戦略を立てるときの想定が甘くなりはしないかしら、とか心配してしまいます。
しかしまあ、それとは比較にならない現象がニューオーリンズでは起きていた。日頃から社会に対して反感を抱いていて、それを堰き止める秩序が失われたとたんに爆発したみたいな印象を受けます。で、あまりアメリカのメディアははっきり言いたくないみたいですけれど、ニュースに出てくる略奪者はみな黒人みたいですね。これは厄介な問題がもともと社会にあって、たまたま天災で治安機能が低下してそれが噴出しただけなのではないだろうか。
山岸俊夫さんという社会心理学の研究者が、
よく「日本人は集団主義的でアメリカ人は個人主義的だ」と考えられているが、それは浅薄な「常識」である。
日本人が集団主義的なのは、一言で言えば、日本社会には「相互監視・相互規制のしくみ」が存在しているからである。だから、その「しくみ」から解放されたところでは、日本人は「旅の恥はかきすて」的な行動をとることがしばしばあるのである。
これは、社会的ジレンマ実験で、相互監視・相互規制のしくみがある場合とない場合を実施して、その結果を日米で比較すれば明らかである。![]()
- 作者: 山岸俊男
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ということを書いてらしたけれど、これをむかし読んだときに、日本人でもともかくアメリカ人、ってそんな大づかみな言い方で大丈夫かいな、と読んで思ったのでした。実験対象は有名大学の学生らしいから、あくまでそのサンプルの限りで、と釘を刺しておくべきではなかったか。とはいったって、アメリカの各都市の各エスニシティ・グループによってモラルのあり方に違いがある、というのは調べるのが大変だろうなあ。これはやはりエスノグラフィ的手法しかないか。
ちなみに神戸の震災のときの暴動・略奪のはなしは、いっぺんマスコミの人に問い質してみたかったので、後にお目にかかる機会があったある全国紙の論説委員長、という人に話して、「なんで日本のマスコミはあのとき、被災者を実際よりも美化したんですか?事実と異なる日本人温厚民族説は、同じように事実と異なる日本人残虐民族説ほどでなくても、やはり我々の社会が危機に備えるときに誤った事実認識として害をもたらすのではないでしょうか?」と食って掛かってしまったことがありました。(まあこのことだけでなくても、ぼくはマスコミの震災報道全般には非常に大きな不満を感じていたのですが。)
するとその委員長さんは、「被災地の外から取材に訪れた記者にとって、いろいろ苦しい事情もあるだろう被災した人たちの行動の暗部を報道することは、なかなか出来るものではなかったですよ。こうした災害時の報道の場合、不特定の相手への批判になることは、地域全体を貶めることになりかねないから、難しいんです。」と率直に返答してくださいました。そう伺うと、その大変さもわからないでもなかったから、ぼくはその方の誠意を感じてそれ以上の批判はしませんでしたが、今回の略奪事件を報道しているアメリカのマスコミは、じゃあどういうつもりなのか、日本とどう考えが違うのか、知りたくなりますね。まああれだけの規模では糊塗しようもないけれど。どっちの姿勢を責める気もなく、それぞれ考えがあるんだろうと思います。
こういう社会悪、というとルイジアナの黒人を擁護するように聞こえるのもなんですから言い方を変えると、こういう社会的にかなり広く共有されてしまった不徳義的行為とそれに至る歴史的・心理的背景、を研究することも必要だと思います。差別に対する被害者意識が自らの犯罪を正当化する心理とか、なかなか見据えるのも勇気が要りそうですが。
そしてこういう非常時にこそ、その社会が抱えている問題、それをかくあらしめていた思想、が浮き彫りになったりもする。ぼくが震災について考えるとすぐに旧社会党系政治家たちとそれを支持した地域住民たちの反自衛隊感情が災害救助活動にどれだけ障害になったか、を強く想起します。自分の社会に対する問題意識も、そのへんから出ているように思います。050903



