希望とは、あるともいえないし、ないともいえない。 それは道のようなものである。
地上にもともと道はない。 歩く人が多くなれば、それが道なのだ。
<魯迅 「故郷」>
しかし、そのとき、はじめて人は気づくのである。
すべて奪われても、なお、自分が最後の一線で渾身の力をふるってふみとどまれば、
万人に平等に与えられている唯一の、そして本当の武器がなお残っていること。
それは言葉である。もうそれしかない。だが、自分で捨てない限り、これだけはだれも奪うことはできない。
<山本七平 「私の中の日本軍」>
神様を信じる強さを僕に 生きることをあきらめてしまわぬように
にぎやかな場所でかかりつづける音楽に 僕はずっと耳を傾けている
<小沢健二 「天使たちのシーン」>
2007-04-24-Tue
経営学ってなんでしょうの巻「女子大で講義する余談の多い経営学 #1」
マニアックな講義をはじめるよ
やあみなさんどうも、はじめまして。僕はこの学期、こちらの大学で中小企業論の講座を受け持たせて頂くことになりました三宅です。中小企業論は学問の範疇でいうと経営学になります。最初ですから、まずは経営学とはなんぞや? ということからはじめてみましょうか。経営学を学ぶってどういうこと?とかね。
僕がいままでやってきた他の大学の講師業でですね、こういう経営系の科目をやると、たいてい男子学生はまずやる気を出させるように持っていくまでが大変なんですね。それはどうも、今の時代経営系の学部というのは「いちばんつぶしが利きそう」で、取り敢えず特にやりたいことが見つからない無気力な学生が集まってきちゃいやすいからなんですよ。「まあ、就職のこと考えると経営学部ならまだしもなんか有利だろう。」と学費を出す親御さんも考える。だからなんか、「自分探しの旅」に出るような元気もない無気力タイプがダラダラしている事例がないではないです。
女子大ではどうなんだろう、やっぱり「つぶしがきくから」「特にやりたいことが見つからないタイプ」ばかりがビジネス系科目を受講しに来るのかな、と不安だったんですが、ある先生が、「いや、三宅さん、女子大生の場合はそれは違う、特に志望動機がはっきりしていない女子学生は、女子大の場合に無難を選ぶと英文とか国文に行くんですよ、社会的な女子大の学生のイメージってそうでしょう、そこをわざわざ社会科学に来るようなのは、かなりマニアックな学生ですよ、マニアですよマニア。」とおっしゃったんですよ。で、みなさんのほとんどは社会学科生ですよね、どうでしょう、やっぱりみなさんかなりのマニアと考えていいんですか?特に僕の講義のシラバスを読んでまだ受講しようとするのは、マニアだよね。そういう前提でいいですか?
経営学と社会学はどう違う
みなさんうなづいたようなので、ではまずこの経営学という学問を社会学科の皆さんがより深く理解するために、ここではやはり社会学を引き合いに出しましょう。どちらも研究対象を調査するために現地に赴き、様々な事例を調べます。フィールドワークというやつですね。僕も経営学に携わるものとしてフィールドワークを行ないます。
そういう観点からも見ると、経営学者と社会学者、実は調査の過程ではやっていることはあまり変わらないんですよ。僕もフィールドワークに出て経営学を研究しているつもりでも、ふとした弾みに社会学者とやっていることは変わらないのかな、などと思うことがあります。
では経営学と社会学の違いはどこにあるのでしょう?それは双方の学問が答える疑問の違いにあります。
社会学が答える疑問は、僕流の言い方をすれば、「社会って何?」 いうなれば―What is society?―です。一方の経営学が答える疑問は、「どうやって社会をコントロールするの?」―How to control society?―という風になるでしょうか。
経営学の場合は「society」のところを「the World」と言い換えた方が僕は好きですが、どうやったらうまく世界をコントロールして、自分に都合のいいように目的を達成できるのかという、働きかけ、行為を研究するのが経営学といえます。社会学が「社会」そのものを研究対象とする学問なのに対し、経営学は自分が達成したい目的に直面したとき、どうやって周りをコントロールすれば、うまく自分の利益になるようにできるか、それを考える実利的な目的意識をもった学問なのです。
つまり、なんとかしてうまく自分に都合のいいようにしたい対象をコントロールするために、自分はどうすればいいか、それを考えるのが経営学です。社会学は、「社会っていうのは今こういう風になっている」ということを考える。経営学者のように、じゃあそれをどうすれば自分の都合のいい方向にもっていけるか、いってしまえば金儲けできるか、目的を達成できるか、という問題意識は持たない、と思います。
社会学の先生から見たら、経営学はあさましいといいますか、利己的な学問だと思われるかもしれません。実際に社会学の人と話していると、たまにそんな風に見られているなと感じることもあります。でもそれは、それぞれの学問が持つ問題意識の違いを見れば、まあ当たり前かなとも思います。どうでしょう、経営学についてちょっとわかっていただけたでしょうか?
対象をコントロールする「問題」
では経営学がコントロールする対象ってなんなのよ、というところを考えていきましょう。
先ほど経営学が答える疑問は―How to control the world?―だといいましたが、この言葉の通り、その対象は非常に広範囲にわたります。僕は製造業の調査をけっこうしていますが、製造業のほうでは機械設備とか商品素材を、自分の思い通りの形にしたいときや動きをさせたいときに、それを制御するといいます。工学から来た言い方ですね。ここでいうコントロール、制御はそういう意味合いです。
では経営学は何を制御してどうしたいのかというと、なんらかの問題となっている対象を制御して解決したいということなのです。
では「問題を解決する」ということはどういうことかを説明しましょう。
ここに自分の思い通りにならない対象があって、それを都合のいい、有益な対象に変えたいと思ったとします。その際、この対象はどういうメカニズムで動いているの? 自分が使い方を知らない機械を動かすときのように、どのボタンを押せばどういう結果になるの? というように、はじめに内部のメカニズムを理解する必要があります。
たとえば新しくDVDプレイヤーを買ったとしましょう。まず説明書を見ますよね。どのボタンを押せば再生できるかを知ろうと思うでしょう。これが内部のメカニズムを知る、ということになります。次にこの対象に何らかの働きかけをします。ここでは再生ボタンを押す、ということです。すると自分の望む目的、つまりDVDの再生ができる、となるのです。思い通りの成果を出させたい(出力させたい)とき、まず何を入力したらいいの? そんなところから経営学は問題解決のアプローチをはじめます。
最初、この対象の中身がどういう風に成り立っているのかわからないから、何を入力したらいいか、わからない。でも対象の仕組みがわかれば、どういう入力をすれば、どういう出力が出るか、見えてくるはず。そうならば、こういう出力が欲しいから、こういう入力をしよう、というように、世の中を見るようになります。
この対象は、工業製品をつくる機械であったり、なかなか思うように働かない社員であったり、なかなか自分の店で買い物してくれない消費者であったり。個人的なことで恐縮ですが、まあ、活気がない受講者だったりするわけです。働かない社員だったらボーナスを奮発して発奮させ、きちんと働かせよう、買ってくれない消費者だったら値下げして買ってもらおう、活気がない受講者だったら……。
いまあげた具体例を一般化していうと、制御したい対象についてよく分析を加え、思い通りの出力を得られるように入力を決定する、となります。そのノウハウを身につけようというのが経営学。だから、いってしまえば経営学とはハウツーの知識ともいえます。その知識をどうやって得るのか?望みどおりの出力を得るためには、対象をうまくコントロールする必要があります。そのためには再三申したとおり、対象がどういうメカニズムで動いているのか分析しなければなりません。これを仮説構築といいます。だから経営学を学ぶ成果というのは、うまく仮説構築ができるようになることである、と僕は考えています。
問題ってなんなのだ
さて、ここまで問題問題といってきましたが、じゃあ経営学でいう問題って何? という疑問が生じますね。
問題ってなんでしょう? たとえば「〜問題」という言葉をよくききます。環境問題、社会問題などなど。単位の問題もあるでしょう。一限早すぎて遅刻するから目覚ましを鳴らさないと、っていうのも一つの問題といえるかもしれません。
なんにでも当てはまる定義をここで提示します。誰にいっても「そうだね」って納得される定義。一番抽象的にいうと、問題とは「理想と現実のギャップ」です。さきほどの社会問題、環境問題、国際問題、人口問題など、もっといい状態がありえるのに、それに達していない、そこにギャップがある、こういう状況を問題といえるのではないでしょうか。
いま現実よりもっといいものがイメージできるのに、目の前の現実はそうじゃない、それが問題なんです。今よりいい状態のイメージがないとしたら、ギャップがないわけだから問題がない。また、現実が理想を達成できている幸せな状況なら、これもまた問題がないわけです。でも、世の中えてして理想と現実にはギャップがあります。現状よりもいい状況を構想できるわけです。そのギャップ、理想と現実の差を埋める、それが問題の解決です。
ビジネスの世界ではソリューションなんていいますが、これは問題解決が自分はできますよ、ということです。だからうちの会社と取引しません? というときに、「うちの会社はソリューションを持っています」なんていいますが、それは「御社が持っている問題を、うちはアドバイスや仕事の受注で解決できますよ」ということ。経営学者たちは、それはどうやればできるのか、いろいろ考えて来たんですね。
近代経営学が生まれた時代背景
ここでちょっと経営学の歴史を振り返ってみましょう。実は近代の経営学は、100年ちょっとの歴史しかないのです。長く見てもせいぜい百数十年です。
近代経営学は二十世紀初頭のアメリカ東海岸で産声をあげました。他の学問はどこで発生したなんてはっきり言い切れるものではありませんが、こと経営学に関してははっきり言い切れるんです。二十世紀の初頭に経営学的な問題意識が芽生えたのが、アメリカの東海岸においてでした。
2002年かな、レオナルド・ディカプリオが主演した「ギャング・オブ・ニューヨーク」という映画が上映されました。これは1863年におきた事件を元にしたお話です。この映画ではアメリカがまだ農業と手工業の国だった頃、ネイティブアメリカンと、アメリカに移住してきたばかりのアイルランド移民、この二つの層に属するギャンググループ間の対立を軸にした物語が描かれています。
その頃の社会の有力者層、いわゆるワスプがアメリカを事実上支配する前からいたネイティブアメリカンは、立場的に弱いマイノリティーに追いやられていました。一方、移住してきたばかりのアイルランド移民たちも辛い仕事にしかつけない状況でした。それで手に手に鍬やら金づちや銃を持って争うわけです。だから彼らのたいていはどうも農業・牧畜業・手工業に携わっていた、そんな彼らの時代がこの映画の舞台。1860年代から1870年代のことです。
この映画の時代から何十年かたち、チャップリンの映画、「モダンタイムズ」が製作されました。1936年のことです。見たことがある人、あ、けっこういるね。この時代にはすでにアメリカの労働者は、ベルトコンベアと大量生産のなかに身をおいていました。この二つの映画の間の時代に経営学の萌芽を見ることができます。いったい何があったのでしょう。「近代工業化」という歴史的事件が起きたのです。経営学もその時に生まれました。
二十世紀初頭のアメリカ、様々なバックグラウンドを持つ移民たちは貧しく、教育レベルも低い状況でした。工場ではこういう人たちが働いていたのです。この人たちをまとめ、きちんと働かせるのは難しい。では彼らを経営者が望むように働かせるためにはどうすればいいか、「科学的管理法」、サイエンティフィックマネジメントというものが必要なんじゃないかと考えた人があらわれたのです。
要は、ほっといたら文句はいうし、職場でへんな派閥ができちゃうし、適当にだらっと働くかもしれない。それに対し、ちゃんと働けばそれなりの評価をしますよ、見返りを与えますよ、というように決まりをつくる。また、評価をしやすくするためには、各人にそれぞれが行なうべき仕事を設定するとか、普通にやっていたら一日どれくらいの仕事ができるはずだから、その分を超えたら頑張った分としてボーナスをあげましょう、とか、仕事の向き不向きなど、色々配置したり給料を考えたりなどの工夫が必要だという問題意識で編み出されていったのが近代経営学なのです。その舞台が二十世紀初頭のアメリカ東海岸の工業地帯だった。
基本的に経営学というのはこの考え方の先に続く現象、いかに効率的に、安く大量に同じものをつくるかという、マスプロダクション、つまり大量生産の世界にあわせて構築された知識です。
中小企業の商品企画力
でも中小企業はこれとちょっと違う。特に現代日本の中小製造業企業はもともと無駄を減らす減らさないで競っている組織ではもうないし、従業員間でお互いの仕事の領分もお互いがわかっていれば、マニュアルで決めるほどもない。家族経営のお店や従業員が数人程度の小さい町工場だと、二十世紀初頭のアメリカ東海岸の移民たちに必要だった、ある意味「堅苦しい」経営学は必要ないはずです。代わりに中小企業に必要なのは、何をやったら大企業に勝てるか、あるいは棲み分けられるか、を考えることだと僕は考えているのですが。
さあ、ようやっと本論に入ってきましたが、中小企業が大企業と違いを出し、大企業に負けないために必要なのは、商品の企画力だ、というのが僕の説です。「どんな商品が売れるのか」をうまく考えていい答えを出した人・企業こそが売れるものを作ることができ、商売がうまくいく。
無駄を省くことも大事ですが、それは昔から考えられてきたことで、もうかなりみんなできるようになっている。現在では最後に残った問題として、商品企画に力を注ぐ時代に来たのです。
たとえば戦後間もない日本。みんな貧しくて食べ物もなかった。食べ物が一番欲しかった。味にこだわっていられないからできるだけ大量に生産をしようとし、さらに効率的に多くの人々の口に入れるために、うまいこと都市に輸送して、いかに無駄なく売るかが考えられてきました。このときはどんな商品が売れるかなんてあんまり考える必要がなかったのです。
そうした戦後の混乱を乗り越えてきた日本は、基本的に欧米のライフスタイルを輸入したので、何が素敵な暮らし方なのかというコンセプトの創造を海外に頼ってきました。どんな商品が売れるのかをあまり考える必要がなかったのです。たとえばアメリカでテレビが生まれた、ビデオが生まれた。すると、当時の日本が考えるのは、それをどうやって安くたくさんつくることができるか、そして、アメリカより安いものを作ったら売れるのではないか、ということでした。もちろん、小型化できれば全然違った楽しみ方ができるじゃないか、というソニーのような企業もあったわけですが、それはレアなケースだったと思います。
そんな時代には商品企画という問題はあまり重要ではありませんでした。なぜかというと、理想のライフスタイル、こんな暮らし方は楽しいんじゃないか? ということを、改めて考える必要もなく外国から見てかなりのことが学べたからです。ところが現在のように日本が豊かになると、多くの人たちはもう欲しいものはたいてい持っているようになる。するとどんな商品が売れるのかという問題に関し、安ければいいとか、欲しい人がここにいるから、そこにいかに早く輸送するか、みたいな次元の話ではなくなってきました。
問題が深くなってきたのです。かつて欧米から輸入してくるだけだったライフスタイル、価値観を、自分たちの手で生み出さなくてはいけなくなったのです。「幸せって何だっけ?」を自分たちで見つけなくてはならなくなってきた。これがここ二十年ほどの間で経営学に起きた非常に大きな変化です。
昔は工場でちゃんと働かない人たちをまとめて管理する仕組みを研究していた経営学ですが、もうそこは昔からの蓄積で解消されてきた。最近は、じゃあ、そもそもどんなものが売れるの、ということを考える方にシフトしてきたのです。たいてい欲しいものは手に入るようになりました。そこから踏み込んでもう一つ、人が欲しくなるものをつくってますか?、わかってますか? また、自分が売りたいものを消費者に欲しいと思わせる説得力を持っていますか? というような、ライフスタイルをうまく相手にわからせる、広めさせることを含んだ問題にまで発展してきているのです。
どの会社でも、特に中小企業はこの商品企画力が駄目だったら非常につらい状況に立たされます。よく言われる「下請け」に甘んじなければならない。安く無駄なく大量に、を追求していたかつての日本ですが、現在は豊かになり、海外に素敵なライフスタイルの参考を探せなくなると、そもそもなにがいい商品なの? もっといえば、その商品を使ったどんな暮らし方、ライフスタイルをいま日本の消費者が望んでいるの? あるいはまだ望んでないの? まだ消費者は気付いてないのかもしれないけど、どっちの方向に誘えば消費者は魅了されるの? という、深い方向に移ってきたのです。そんな問題を、中小企業こそ気にして、考えなければならなくなっている。
仮説構築力
そのときに先ほどいった仮説構築が大事になってきます。つまり日本の消費者にはこういうものを提供すれば、人々は喜んで、いくらくらいなら買うんじゃないか?、あるいはライバル社の製品が売れていることはわかっているが、それを買うのはどういう人で、どういうつもりで買っているのか、なんてことはメディアもライバル社もおしえてくれないから、このあたりの町でこのあたりの店でこういう商品が売れるのは、まわりのこのあたりから来た人が欲しがっているんじゃないか、と仮説構築するのが大事になってくるのです。
そこがわかれば、あとはそれに見合った商品をこれまでの経営学が研究してきた土俵で真面目に製造する局面へつなげることもできます。でもこの最初の商品企画ところで間違ったら、売れ残りを大量に出すことになる。
現在、景気のいい中小企業の経営者に話をきいてまわると、「幸せって何だっけ?」という問題に対し、いい目の付け所を持っている人ほど生き残っています。目の付けどころが悪い人はどんどん廃業しているといっても大げさではないのです。だからいま中小企業論をやるといえば、それは商品企画論になってきます。とはいえ、どんな商品ならよいか、という方程式のようなものはまだありません。そんなものはずっとできないかも知れない。だから、これが直感的にでもできるようになった人は、人に抜きん出て有能なビジネスマンになれるでしょう。
フィールドを歩いてみよう
この仮説構築に関して、ちょっと具体例とりあげつつ実際に考えてみましょう。
僕はここしばらく、現在教えているこの大学周辺の町、吉祥寺などの商業地を歩いています。やっぱりそういうフィールドを歩くということは、産業を考える上では不可欠なんですよ。いったいどんな街でみなさん学生さんたちがどのように生活しているのだろうとか考えながら、学生たちにわかりやすい例を探しながら街を歩いています。こないだも日曜日、西荻の駅からこちらのキャンパスに歩いて来てね、守衛さんとちょっと立ち話をしていたら、「先生は今日、どの道を通って来られました?」とおっしゃるので、いや、大学のサイトにあるとおり、女子大通りを通って来たんですがそこが一番便利じゃないんですか?と答えたら、「実は大学のホームページにはそうは書けないのでわざと書いていないのですが、駅前のスーパーの中を突っ切ってそこからまっすぐ門の前に出るのが一番楽で早いんですよ。先生も学生もみんなそうやってます。」ですって。ほんとにみんなそうやってるの?そうか、やってるか。今日僕もその道で来ましたが、確かに楽だね。それでその日も、大学の寮に帰る学生さんが門の所を通るので、守衛さんに、この大学の学生さんってどんな感じだろうと心配していたんですけれど、みんな大人しくって上品そうな感じで、講義もやりやすそうで安心しましたよ、と申し上げたらその守衛さんが、「いえいえ先生、そうでないのもちゃんといますから!」と、おっしゃっていました。本音トークですねえ。
まあそんなわけで最近僕はこのあたりを歩きまわっているのですが、吉祥寺は東京の商業集積地のなかで、バラエティがあり、コンパクトなんだけど色々なものがつまったおもしろい街です。そこで学生に仮説構築力を養ううえで、わかりやすい例として、行列のできている店を見つけました。
平日夕方、吉祥寺駅近くで四、五十人くらいの行列のできている店です。丸メンチカツを売っている精肉店サトー。サラリーマンのほかに家族連れやカップルなど、ライフスタイルの違う人たちが並んでいました。
ここで仮説を立ててみましょう。これだけ売れている店なのですから、メンチカツを値上げしてもいいのではないか。ここのメンチカツは一つ150円です。これを200円にしてもいいのではないか? ちょっとお客は減るかもしれないけど、利益は増えるんじゃないかとも考えられますよね。利益の最大化ともいいますが、自分の持っている資源をうまく按配して、儲けを大きくするというのが普通経営の目的ですけれども、この利益の最大化のために、一見合理的なのはこの場合は商品の値上げです。なのに、なぜすでに人気がある肉屋が値上げしないのでしょうか。ちょっと考えてみましょう。
仮説はいろいろ立てられるよ
たとえば、一番簡単に思いつくこととして、経営者の認識不足ということがあげられます。どういうことかというと、商品の価格を決定できる経営者が、店にできている行列をあまり真面目にうけとらず、値上げしたらもっと儲けが出るかもしれないという可能性に、まだ気づいてない場合です。中小企業だったらあまり現実的な意見ではないですが、肉屋のおっちゃんが店先に並んでいる行列に気付かないわけがないですからね、大企業の場合、なにかひとつ人気商品の売れ行きがいいということがあっても、いちいちそれに本社の担当者が敏感にチェックして反応することがない企業ならありえる話です。それをちゃんとやったら儲けはもっとでるかもしれないのに……。
ただ、それをやるための情報や知識、つまりどの商品が売れているかという情報などが社内でうまくまわってなかったら、それはできないですよね。最近、知識のめぐりが社内でうまく管理できてない、必要な知識が必要なところへ上手くまわるようにするに管理できていますか? という問題意識がビジネスの世界でよくいわれています。これをナレッジマネジメントといいます。
この言葉、この時期ですからいいますが、就職活動のときにどういう授業でどういう言葉が一番頭に残ったと聞かれたときに、「私は講義でナレッジマネジメントについて学びました!」といえば人事の人に取り敢えず「うん、彼女はそれなりに真面目なんだな」とまず思われるといってもいいほど、ビジネスの世界でいまもてはやされています。なにか難しそうな言葉ではありますが、いまここで解説したことを理解していただくだけで、もうナレッジマネジメント初段くらいにはなれていますから。
二つ目の仮説をあげましょう。いうなれば「高価格弾力性説」です。需要供給曲線というものをご存知でしょうか。ある商品の値段があがると、その商品を欲がる人が減り、逆に値段が下がると欲しがる人が増えるということを、グラフであらわしたもののことです。
この肉屋、もしかしたら需要の価格弾力性が高いのかもしれません。1個150円のメンチカツを、100人が買ったら売り上げは1万5千円になります。これが200円になった場合、たった10人しか買わないとなったら、売り上げは二千円になってしまいます。これを需要の価格弾力性が高いといいます。
つまり、客がちょっとの値段の差を気にして、買うか買わないかをすごく敏感に決めてしまうことを意味します。かりに僕がこの肉屋に値上げを進言したとしたら、店主は「それは駄目だよ、値段を上げたらとたんに行列なくなっちゃうよ」というかもしれません。「そんなことをしたら売り上げそのものが下がるよ、だから値上げはしないよ」と言われるかもしれない。この場合、高価格弾力性説により値上げをしない、と説明できます。
三つ目の仮説です。また簡単なことですが、「経営者のポリシー」説もあるでしょう。「俺はウン十年もここで肉を売っているんだ。この商売は家の伝統なんだ、値上げなんて庶民の肉屋のあり方に反したことをしたくないんだ」。そんな風に経営者が考えているからこそ値上げがなされないのかもしれない。これも大いにありうることです。高級ブランドの店、たとえばエルメスとかヴィトンなどは、もともとものづくりにこだわった職人がつくっていたのが、たまたま世界的に売れていったのですから。家族企業においては、このポリシーあってこそ大きくもならないが潰れもしない、ということはしばしばあります。小さな店でもあこぎな商売をしないなんていうポリシーを持っている店かもしれないのです。
さあ、四つ目の仮説を考えてみましょう。行列がそのまま体験商品であるという説です。たとえばディズニーランド。アトラクションに乗るために待っている間もドキドキしないですか? あれは行列に並んでいることそのものが楽しいからです。それと同じように、自分が欲しい商品を得るために並んでいるときにえられるドキドキ感、そのエンターテイメントが肉屋の行列にあるのかもしれない。つまり、行列を楽しむために並んでいるのではないか、ということです。
とすると、値上げのために行列がなくなった場合、行列を楽しみにしていた人もこなくなる。そうすると売り上げが予想以上に減ってしまう、と考えているから、値上げをしないのかもしれない。雑誌などで行列にならんでも買うべし、などと書かれている店なんかは、そうなりやすいかもしれないですね。
五つ目、行列シグナル説。はじめて吉祥寺に来て、この肉屋の存在を知らなかったとしましょう。でも目の前にはすごい行列。これだけ行列ができているんだから、その先にはよほどおいしいメンチカツがあるのだろうと、行列自体が広告になっているとも考えられます。
行列の存在で商品がいいものだと客が説得されるわけです。行列が行列を呼ぶのです。でも行列がなくなればいい宣伝がなくなり、客が減ってしまかもしれない。行列の先には何らかのいい商品がある、行列はそれを証明するロゴということになります。
他の経営学ではこういうことをあまり言いませんが、僕は「記号商品論」というのを考えているのでいいます。かりにメンチカツがおいしくなくても一度行列ができてしまえば、その行列を維持することで、行列の末尾に他の新たな客がつくかもしれない――、とすれば一度できた行列はなんとしても維持しなければならないものになりますね。だから値上げをしないのではないか、とも考えられます。行列はそれ自体が吉祥寺を歩く消費者への素晴らしい宣伝効果がある看板なわけです。
六つ目です。素材歩留まり維持説。咄嗟に聞いてもよくわからんでしょうが、独立経営でも昔からあるような肉屋は、市場で肉をまるごと買ったりします。その方がロースだけ仕入れるとか、カルビだけ仕入れるよりも安く済みます。特定部位だけ買うとなると、肉屋として流通の川下にいくことになってしまい、マージンを誰かに払わなければならなくなる。それよりもまとめて買った方が、安くつくかもしれない。だから枝肉のまま買っていると。
人気のある部位、ロースとかカルビなんかはほっといても売れるでしょう。この店は松坂牛を自慢しているから。ところが人気のない部位、骨の周りとかしっぽのあたりとか、売り物にならない部分もでてくるわけです。ランプとかですかね。とはいえ、捨てるのはもったいない。捨てるぐらいなら売ろうと、そして売るならその辺で手軽に食べられますし、まあメンチカツにでもしたらいいだろうと。それをしないで捨ててしまうと、仕入れた肉の量の商品割合、肉の100パーセント売れたら歩留まり100パーセントですけど、8割しか売り物にしなかったら歩留まり80パーセントになります。もったいない。だから、メンチカツそのもの単独で儲けようとは思わないけど、捨てるよりかはメンチカツにして売った方が素材の歩留まりを高く維持するためには合理的なんだ、と考えてあえて値上げしてないのかもしれない。
正解を知る手前でこそ仮説構築力が鍛えられる
さあ、今回は六つの仮説を提示しましたが、それぞれこんなふうにまとめることができます。一つ目はナレッジマネジメント的、二つ目は経済学的、三つ目は経済哲学的とでもいいましょうか、四つ目は商品開発論、五は広告論、六は生産管理論。それぞれの論からアプローチした仮説です。中小企業がどうやって魅力的な商品を社会に提供、維持して利益を出しているのかを考えると、このように色々な方向からアプローチすることができます。
ところで、今回の答えを僕は知っているわけではありません。肉屋のおじさんに直接聞いたわけではないですから。まあ、色々な店を見てきた経験からいうと、最初は肉を捨てるのがもったいないからつくったメンチカツだけど、思いのほか行列ができるほどの人気商品になったので、行列が宣伝となって好循環をつくったと、で行列に並んだついでに他の肉も買ってくれるなら、宣伝としてもいいんじゃないか、なんて思ってるんじゃないかなと、僕はその行列に二回足をはこんで思いましたね。結構な量を食べたんですよ、一人でね。
講師として言っておくべきこと
今回はとりあえずこれまで。ところで、この講義は資格対策としての経営学講座としてはまったく役に立たない講義です。僕はこれから色々な仮説を構築する、そのための基礎体力をつけてもらうための講義をしようと考えています。学生が将来、ユニークなアイデア社長になって成功してもらえれば、この講義をやった甲斐があるとおもいます。そのために色々知ってもらわなければならない知識を知ってもらいつつ、実際の現場を用いた具体例を出して仮説構築を行なう力を養ってもらえれば、と考えています。
講義をするにあたって、この大学のOGだった方に話をうかがったんですが、そこでいわれたのが、女子大の男の先生ってみんな真面目でたいてい話がつまらないから、講義を聴くなら話のおもしろい先生がいいと、例にするなら本学の大先輩の瀬戸内寂聴先生みたいな話し方をすればいいといわれました。いや、でも、あの人はプロじゃないですか!いまの日本で一番話術の巧みなおばあ様でしょう。寂聴先生には話術的にも人生経験でもとても敵いませんが、でも一生懸命寂聴さんの本を読んでいるところです。面白いけど過激な方だね。まあ、僕はそれを参考にしつつとてもまだ及ばない、そんな感じの講師だと知ってもらえたところで、今日はおわりです。ではまた次回。ご苦労さん。(編集協力:田中伸治)


